エーレ・プラトニック
スカーレットは陽が差し込みづらい水中の底を目指した。
彼女が今いる場所は水深百メートル、一般的なスキューバダイビングでは三十メートルが限度とされている。それは深いほどに様々なリスクが顔を覗かせるから。水圧に視界に悪さや水温など上げていけばキリがないリスクの数々。
特に狙撃を攻撃のメインとするスカーレットにはそれ以外の問題がある。
それは集中力である。
狙撃は常に必中必殺を課せられた攻撃手段、故にそのプレッシャーは白兵戦や火兵戦とは一線を画すもの。プレッシャーを跳ね除けるものは集中力以外に無く、空気は薄い水中ではその集中力も低下する。
ここはスカーレットのとって地獄と言える環境です。
しかし彼女は仲間を守ると言う願いを集中力に変えて照準を定めると迷う事なく引き金を引いた。
(……下から狙った方が的が良く見えるっす)
敵とスカーレットの水深差は百メートル、それは通常に水中狙撃の三倍の距離に相当する。一見無謀な距離に思えるが、スカーレットにとっては造作もない距離なのです。それは彼女が獣人故に目だけでは無く耳や敵の気配など五感の全てをフル稼働させるから。
それがルイス・スカーレット・セルニアが狙撃の名手と呼ばれる由縁なのだ。
しかしここで予想外のことが起こる。
「わあああああああああああああああ!!」
(ふえっ!? このもの凄い音は何すか!?)
魔王軍の幹部第四席、エーレ・プラトニックは水中でこの世のものとは思えない大声を張り上げた。音が水中に伝播して波紋を作り上げていく、その波紋がスカーレットの放った弾丸の軌道を変えたのです。
エーレが頭上からスカーレットを睨み付ける。
「そこに居ましたか、アンタが来ると思っていましたよ? スカーレット」
(ヤバいっす!! 早く場所を変えないとダメっす!!」
「水中で私から逃げられると思っているのですか!? アンタは陸上の狙撃手、私は水中の狙撃手。今日この場でアンタとの因縁にケリをつけると決めているのです、絶対に逃しません!!」
下半身は魚、上半身は人間。
マリンブルーのダイバースーツを纏った美少女がスカーレットに向かって宣戦布告をする。身長はスカーレットと同程度、ウェーブのかかった青い海を思わせる美しく長い髪に思慮深さを感じさせる凛とした目付きの少女が狙撃銃を構える。
対するスカーレットは大音量の音に耳を塞ぎ、身動きが取れずにいる。
スカーレットはこの時、初めて自分が誘い込まれたことに気付いたのだ。エーレ・プラトニックは魔王軍内における彼女のライバル、スカーレットと同じ狙撃手なのだ。
エーレはその席順が示す通りスカーレットよりも多くの功績を立ててきた。ですが狙撃手とは本来目立ってはいけない存在だが、エーレはその能力の性質上、どうしても彼女の仕事は人目に付きやすい。
エーレの通り名は『雷撃』。
対するスカーレットは『風撃』。
二人の正反対の性質がエーレに一方的なライバル心を育ませたのです。
(ヤ、ヤバいっす!! 早く勇者様から貰った盾で防御を……)
「アンタはキャラが私と被ってんのよーーーーーーー!!」
体を捻り葉っぱの盾を使ってスカーレットはギリギリでエーレの狙撃を防御する。水中ながら寸分違わぬ同じポイントへの連射でエーレはスカーレットの盾を粉砕してしまった。
突き出した盾が破片となって水中に漂っていく。
(あっぶないっす!! ふええ……、相変わらずエーレの精密狙撃は気持ち悪いっすーー、ネチネチした性格がウチの性に合わないっす)
「アンタ、私をネチネチした性格だとか思ってますね?」
(……ウキ?)
エーレの予想外の怒りが思わぬ角度からスカーレットに襲い掛かる。スカーレットは猿を思わせるポーズでその言葉に呆けてしまった。彼女にとってエーレの怒りは思い当たる節がない様で、可愛らしく首を傾げて「何のこっちゃっすー?」と考え込んでしまいました。
ですがそんなスカーレットの素直な反応がエーレを更に怒らせる要因になろうとは当の本人は想像すらしていなかったのです。
「アンタは……いっつも私の三時のおやつを勝手に食べて……私のお気に入りのお昼寝スポットを勝手に使って……持ち物は勝手に借りていって汚したまま返す。何様のつもりよーーーーーーー!!」
(ふえええええええええ!? ぜんっぜん身に覚えがないっすーーーーーー!!)
「取り敢えず死んどけやああああああああ!! コレは……私のお気に入りだったマグカップを壊された分じゃい!!」
エーレが怒りに身を任せて狙撃の体勢に入った。
彼女が照準を定める狙撃銃は陸上用、常人ならば水中では狙撃どころかまともに攻撃も成立しない筈の武器。ですがエーレに限って言えば例外で、彼女は人魚特有の声で水中に振動を生み出すことが出来る。
生み出された振動は彼女の弾丸に躍動を与えて的に向かって突き進む。
ダンダンダン! と三発分の発砲音が水中に鈍く響く。エーレの狙撃の肝は純粋な腕では無く、彼女の種族的な特性。
狙撃手でありながらスカーレットの足元にも及ばない自らの未熟さが彼女のライバル心を歪に煽るのだ。
そして正反対とも言える二人の性格。
几帳面で働き者のエーレにはめんどくさがりで基本怠惰かつ計画性皆無と言うスカーレットの存在そのものが癪に触ると言う訳だ。その怒りが三発の銃弾に込められている。
ですがスカーレットは慌てる事なく目の前の物事に対処を開始した。
スカーレットもまた下から狙撃銃を構えて自分に迫り来るエーレの銃弾を相殺する事を決意したのです。彼女の目は決意の色に染まっていく。
(今ならエーレは振動を追加して来ないっす、ウチを狙う今なら!!)
「……アンタの考えなんてお見通しですよ。でもねアンタは私を知らなさすぎる、私の弾道は変幻自在が売りなんですよ!!」
(ふえええええ!? 弾丸の軌道はグニャグニャしだしたっす!! 気持ち悪いっす!!)
「気持ち悪いとか言うなああああああああ!!」
(どうしてウチの考えが筒抜けなんすか!?)
エーレは狂った様に発砲を繰り返した。
それも銃口は一度もスカーレットに向けられる事なく銃弾を送り出していく。右に左、時には上にと彼女は全方位に弾が尽きるまで狙撃を繰り返した。すると銃弾はまるで意志でも持ち合わせたかの如くスカーレットに向かって突き進んでいく。
振動で生まれた水流の隙間を縫って不規則に銃弾が飛び交っていく。
これには流石のスカーレットも目が飛び出すほどに仰天してしまいました。「ふえええええええ!?」といつもの間の抜けた声を漏らして驚く以外に無かったのです。
そしてここでスカーレットに別の限界が訪れる事になる。
(うっ……、驚きすぎて息が……。苦しいっす)
「スカーレット、死ねええええええええええ!! アホのアンタがトレーダーで大儲けしてるのに、どうして私は内職で細々と稼がないといけないんじゃい!!」
(完全に私怨じゃないっすかーーーーーー!? ふええ、このままじゃ埒があかないし……仕方がないっす)
目の前に迫る銃弾を相殺で処理したスカーレットはキョロキョロと周囲の確認を開始した。エーレが放った銃弾数と方角を把握してそれらの弾道を大まかに予測した。
その数は六、それらは背後と左右から迫ってくる。
スカーレットは右に自らの銃口を向けて二発の銃弾をスコープを覗き込む事なく相殺した、続けて左には手を伸ばして指で銃弾を掴みかかる。これで合計四発の対応が完了する。
となれば残りは背後からの二発が残っている訳で。
スカーレットは背後に対処するだけの余裕は既にない。その様子を上から覗き込んでいたエーレが表情を不気味に歪ませていく。これまでの恨みと言わんばかりにスカーレットを見下しながらニヤニヤとほくそ笑んでいたのだ。
エーレの感情はスカーレットの背中に銃弾が着弾すると同時に爆発した。彼女の恨みが高笑いとなって水中にこだましていった。
「あはははははは!! スカーレット、いい気味ですね。これまでアンタから受けた屈辱の数々、これでようやく溜飲を下げることが出来ましたよ!!」
スカーレットは水中での機動力を考慮して可能な限り衣服を脱ぎ捨てている。つまり彼女は無防備と言う訳で、そんな彼女に自らが放った銃弾は着弾すれば勝ちを確信するには充分だろう。
しかし彼女は勇者様から頂いた葉っぱの盾がある。
彼女は背中にそれを事前に二枚括り付けていたのです。
当然ながらスカーレットにダメージがある筈もなく、彼女は勝ち誇った表情で上を見上げていた。どんなもんすか? とエーレに問いかけるような顔付きをスカーレットは覗かせていた。
そうなればエーレが悔しがるのは当然な訳で。
物事が上手く進まないと感じたエーレはワナワナと全身を震わせながら怒りをぶち撒けだしたのです。彼女の震えは自らは発生させた振動によって強引に押し殺されていく。
スカーレットは更なる追撃を避けるべく脱力しながら水深深くへと沈んでいった。
(く、苦しいっす。……息を整えなきゃっす、何とかエーレを回避して浮上しなきゃダメっすね)
「スカーレットーーーーーーーーー!! 絶対に逃しません、……私の手でぶっ殺してやるんですからねええええええええ!!」
銃弾は回避しようとも強烈な嫉妬が姿を眩ましたスカーレットに突き刺さっていく。二人の狙撃手の対決は私たちの見えない場所で激化の一途を辿っていくのだった。
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