Heartache 〜心の痛み〜
「平伏しな、人間風情に何が出来るってんだ!!」
ビシッと空気を切り裂く音が岩山に響き渡る。
ダークエルフのディアナが武器を握りしめて振り抜く音だ。彼女は鞭を取り出して勇者様を威嚇する様に地面を叩く。
魔王軍の幹部と言う肩書き。
それだけでディアナの強さは保証されている。何よりも鉄壁と思われた王都圏の、その中で最も強固な守備を敷く王城に単独で潜入出来る実力を彼女は示したのだ。
ディアナは間違いなく強い。
そんな女が何に対して怒っているのか勇者様に怒りを叩きつける。
この光景に私は不安を覚えた。だけど、そんな不安は勇者様の優しげな雰囲気の前にかき消されていくのだ。
勇者様は常に和かに笑っている。
そして私に何か申し訳なさそうに眉を顰める。
この表情の意味が理解出来ず、私が一抹の不安を覚えた。すると今度はその不安を忘れてしまうほどの出来事が目の前で起こったのです。
「美しいお嬢さん、出来れば平和的に話し合いませんか?」
「なっ、何ーーーーーーーー!? 一瞬で間合いを詰めてきただって!?」
私の視界から勇者様が姿を消したかと思えば、次の瞬間、ディアナの悲鳴が聞こえてきた。何と勇者様はディアナとの距離を一瞬で詰めてしまったのだ。
ジュピトリスは屈強な騎士団を抱える大国。
それでも勇者様が今しがた見せた動きを体現できる騎士は見当たらないだろう。この世界にはスキルと言う概念が存在する。
それらを総動員させても勇者様の動きには追い付かないだろう。
それほどまでに勇者様の動きは圧倒的なのです。
「少し大人しくしていてくださいね」
「バ、バカな!?」
勇者様はディアナの肩をポンと押す。距離を詰めたかと思えば、今度は僅かにディアナのバランスを崩してジーパンから無数のナイフを取り出し、まるでサーカスのピエロの様に嬉々としてナイフ投げを披露した。
ナイフはディアナの衣服を綺麗に捉えて、そのまま後方の岩肌まで吹っ飛ばす。ナイフは岩肌に突き刺さって彼女の動きを抑え込んだ。
ディアナは悔しそうな表情を浮かべてジタバタともがくが、やはり身動きひとつ取れない。彼女の顔付きはさらに険しさを増していく。
それにしても如何に勇者様とて魔王軍の幹部がここまで手も足も出ない程に圧倒するとは。
伝説の勇者様、本当にお強くてカッコいい。
「テメエ、ナイフを抜いて私と正々堂々と戦いやがれ!! て言うか卑怯だぞ、強すぎんじゃねえか!!」
「はっはっは、昔とった杵柄でしょうな。死んだ婆さんと良く一緒に忍者村のバイトをしたものです」
「バイト? ニンジャ? テメエは何を訳の分からねえ事をほざいていやがる!!」
何と、勇者様はホンモノのニンジャだったのですか。
勇者様はあくまでジタバタともがくディアナの前で高速な身のこなしを披露し始めた。満面の笑みを浮かべながら「はっはっは」とお爺ちゃんらしく笑って分身の術なるものを見せ付けていた。
勇者様、ちょっと強すぎじゃね?
おっと、いけません。思わず自が出てしまいました。
しかしこれには流石の魔王軍の幹部でも驚愕の色を隠せないらしい。
ディアナは唖然とした様子で口を開き、信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。斯く言う私も驚きのあまり、言葉を失ってしまった。
その代わり、先程勇者様が口にした言葉の意味を深く考え込んでいた。
『婆さん』、この言葉の意味について。
私の胸がズキンと痛み出す。
予想はしていた、何しろ勇者様は素敵な方だから。寧ろ独身と言う方が無理がある話です。おそらく婆さんとは勇者様の奥方様。
勇者様が既婚者であってもおかしくは無いのです。
その奥方様は私の知らない勇者様を知っている。
私は容易に想像がつく筈の現実に嫉妬しているのでしょうか? あれほどまで私を好きだと言う勇者様が私以外の女性と寄り添う光景を想像してみる。
私は悔しくて勇者様から目を逸らしてしまった。
「はっはっは、若い人には分かりませんかな? 好きな人のためを思えば水に上だって走れるし、一個1トンのダンベルで筋トレだって楽勝です。そんな事は世界の、何より七十年生きてきた私の常識ですよ」
勇者様、流石にそれはムリです。
それとも勇者様の生まれ育った世界ではそれが常識なのでしょうか?
「ふざけんな!! 俺はダークエルフ、こう見えても八十歳なんだよ!! テメエの方が十個もガキだろうが!!」
「ディアナさん、でしたっけ? もしかして男性とお付き合いしたご経験がない?」
「…………あるわ!!」
あの間、ディアナは間違いなく男性経験がないのだろう。斯く言う私も生まれて七十年間、一度も男性とお付き合いした事がない。
ううう、ディアナ。
私は貴女に誘拐されたけど一気に親近感が湧いてきました。私は敵ながらディアナを憐れんで滝の様に涙を流してしまいました。
そして鼻水を啜って彼女に労いの言葉を送ることにした。
「ダークエルフのディアナに良縁が在らん事を」
「そっちのガキも勝手に人を憐れむんじゃねえ!!」
ディアナは天に届きそうな声を張り上げていた。
「ウンウン、ディアナさんは見た目に反して草食系ですねー」
勇者様が肉食すぎるだけだと思うのですが。
しみじみとそう語る勇者様に私は心の中でツッコミを入れていた。
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