Legal Compliance 〜法治国家の歪みたるや〜
意識を取り戻してから俺は薬屋のバックヤードでコスメティックノヴァの製造に取り掛かった。
薬は問題無く仕上がって女の子に手渡すと、女の子は天使の如く笑顔を振り巻いて元気にお礼を口にしてくれた。俺の作った薬はシオンの手によって綺麗に包装されて、それを女の子はまるで宝物のように大事に抱きしめる。
元気に「ありがとう」と言ってくれた事が嬉しくて俺も釣られるように笑顔を零す。やはり子供は笑顔が一番だ。
女の子が笑顔になる、それが薬師として何よりの報酬だと思う。
俺自身が一番泣いたから、子供の頃、己の無力さに嘆いて俺はたくさんの涙を流した。俺は子供が泣くところなんて見たくない。
なんにせよ一応の区切りはついた。
そして洞窟で採取した雑草の分だけ薬を作った。
余剰に出来上がった分は店長に渡すと俺は決めていたから。別に何か見返りを求めた訳でも無く、単純に己の意地を理由に救える命を犠牲にする事が後ろめたかっただけだった。
俺は薬師になることより他のことを優先してしまった。
申し訳ない気持ちで俺が店長に薬を差し出すと「これだけあれば何とかなるさ、お疲れさん」と気休めだろうがねぎらいの言葉をくれた。
店長は薬代にとさらに餞別を上乗せしようとしたから俺は「また来るんで、その時に情報を貰います」と言って断った。
店長が少しだけ寂しそうな表情になるが一瞬だけ間を置いて絶対に来いと念を押すのだ。俺とシオンそれに店長は三人で名残惜しくも笑顔のままに幸せな気持ちを胸に抱いた。
それが現状から約二時間前の出来事。
そんな誰にでも平等に当たり前のように訪れる幸せ。だがそれを無粋にも土足で踏み荒らす輩はどこにでも存在するものだ。
俺は今、縄に括られて椅子に座っている。
それも先ほどまでいた薬屋などとは比較にならないほどに豪華な屋敷の豪華な一室で座る人物を選ぶような豪華な長テーブルを前に座っているのだ。
俺の視線の先にはこれまた豪華な衣服で着飾った明らかに特権階級の男が足を組んで椅子に座る。
男は下卑た笑みを向けてくる。
俺とシオンは店長と女の子を人質に捕縛されてしまった。是非を問わず武力を行使して強引な手口で俺は捉えらてしまったのだ。
部屋には男と彼を護衛する数人の重騎士がいて、その全員が例外無く俺を見下す。いや、一人だけ毛色の違う奴が混じってはいるが。
下らない。
俺はあまりの下らなさにテーブルの上で足を組んで敢えて礼儀を拒否した。この男はおそらく会話が通じない人種だろう、だからこそ俺は己の拒絶の意思を態度で示したのだ。
俺はお前と言葉を交わす気は無いと。
そしてそんな俺の態度をどう見たのか、テーブル越しの男を護衛する騎士の一人が手にする槍をドンと床に叩きつけて怒声を上げた。
「陛下に不敬だぞ!! 態度を改めよ!!」
おお、この男は貴族では無く国王だったのか。
初耳の情報なのだから不敬も何も無いだろうに。怒るくらいなら最初に国王だと名乗っておけば良いものを、これは礼を失したそちらの不手際だろうが。
国王は王冠を被り豪華な身なりにふわふわと天使の羽根の如く軽そうなマントを着こなしているな。言われてみれば国王だと一応の納得は出来る。
だが表情が気に入らない、何よりも陛下と呼ばれる男は外見こそ優雅だがやはり浮かべる笑みは品性に欠ける。
国王は終始俺を見下す姿勢を崩さず、ついには俺の態度に飽きたのか「ふう」と椅子に腰を深く座り直してからやっとの事で口を開いた。
「余に支えよ、それを持って先の大戦を引き起こした重罪を軽減してやろう」
ここサンクトぺテリオン連邦は国王が存在する。
その国王の下に幾つもの貴族が各々が治める州と言う名の領地を持ち、それぞれが独自の州法によって領主として領地を運営している。州法は国法よりも優先される。
名称は異なれど、州は小規模な国家としての機能を持ち合わせている。
サンクトぺテリオンは王国では無く、連邦国家と呼ばれている訳だが国主は国王。民主制を持たぬ連邦の本質は特権階級が要職を独占する絶対王政。
それも各領主に地方の統治を丸投げした手抜きの中央集権体制。
この国の統治者は当たり前のように俺を犯罪者と断定してきた。滝の如く流れ落ちた銀髪に顎に蓄えた威厳のある髭、その如何にも王族然とした見た目をその軽薄さが全てを台無しにするのだ。
細く瞳さえ覗かせないその目は国王の猜疑心を覗かせる、そしてその主人の愚かさを強調する周囲の騎士たち。俺がそんな下らない連中と同じ空間にいる事に吐き気を覚えた時だった。
俺だって自分の過去のやらかしくらいは自覚している。
それでもこんな下らない奴らに非難される謂れはないと思う。ただ自らの失策をもみ消したいがために俺に責任を擦りつけるコイツらだけは認めない。
人間とは愚かなもので他種族と異なり実力ではなくその血族のコネクションのみで長を決定しようとする。他種族だって血筋を重んじるが、それはその血筋が本当に優秀な人物を輩出しているからに過ぎない。
他種族の長は血筋の外に優秀な人材がいれば、迷うことなくその人物を後継者に指名するだろう。
お隣さんのジュピトリスを治める美貌の女王の噂を耳にした事がある。
俺にはその女王と目の前にいる男が同じ王族だとはとても思えないのだ。
俺の興味は既にこの場に無い。
何しろこの国王は会話が通じる人種ではないのだから。だがそれではやはり時間は進まない、俺は部屋の隅々に視線を移しながら渋々口を開いた。
「黙ってればそれっぽく見えるのに、堂々とメッキを剥がしちゃうところがバカ丸出しだよ。血縁のコネクションって意味あるの? それで、ここはどこ?」
「駆け引きのつもりか? それらしく余裕を見せていれば余が怯むと思っているのならば止めておけ」
「飽きちゃったんだよ、もう帰っていい?」
苛立つ周囲の騎士たちを国王は手で制止を促す。
「良い良い」と為政者はこうあるべきとでも言いたげに余裕を見せつけながら俺を覗き込む。
イライラする。
俺は別に無駄やバカ話を嫌ったりはしないが、それでもここまで生産性のない会話は嫌悪する。
俺が大口を開けて欠伸を掻くと国王は髭を弄りながら言ってはならない事を口にしたのだ。
「あの下賎な小娘、人質の事を忘れておるのか? そこを踏まえて……」
「……殺されてえのか?」
拘束する縄を力のみで粉々にして俺は一瞬で国王との距離を詰めた。
国王の首をただただ乱暴に掴んで持ち上げた。
国王はそれに怯えた様子を見せる。だがそんな器の小さな男の事などお構い無いしに俺は片手で軽々と持ち上げてみせた。
当然ながら主人を人質に取られた騎士たちは「うっ!!」と声を漏らして悔しがる。
俺はシオンがそこいらの人間の騎士に負けるとは思っていない。
だが彼女を侮辱された事が腹が立ったのだ。
国王は世界中の全ての人間が無条件で己に平伏すと思っているのだろう。本当に吐き気がする。
俺が絞める手に僅かに力を込めると部屋の中にメキメキと国王の骨が軋む音が響く。すると騎士たちが悔しそうに歯軋りをしだす。
それでも俺の機嫌を損ねてくるのはやはり国王だった。
この男は交渉と言うものの本質を理解していないらしい、違うか? この男は交渉と言う言葉の存在を知らないのだろう。己が命令すれば全てが望む方向に進むと本気で考えているに違いないのだ。
「き、貴様の態度で人質の処遇が決まるのだぞ!?」
「……で? ここはどこなのさ?」
「お、王族への狼藉は……あ……あああああがあ!!」
「露見しなければ良いんだろ? 俺にだって何もかもがどうでも良くなる時くらいある」
俺はクルッと姿勢を変えて壁を背に国王を名乗る男の悶える姿を騎士たちに見せつけた。
俺が今に至る経緯はこうだ。
俺はアイゴヤの街から洞窟に向かった時に市民の誰かがそれを通報したらしい。
英雄が姿を現したぞ、と。
そしてたまたま街に居合わせた国王は店長の話の通り戦争の引き金になった俺を疎ましく思い、配下の騎士たちに俺の跡を付けさせた。
そしてそこでも俺を見失ったが、女の子へ薬を渡した事で俺の居場所が奇しくも広まる結果となり、薬屋にまたしても騎士たちを派兵したと言う。
連邦騎士団、この国王の護衛を務めるエリート集団でその身に黄金の鎧を着飾る奴らは大人しく投降すれば、と女の子を盾に俺とシオンを脅しにかかったと言う訳だ。
この屋敷に連行されてから俺とシオンは別々に身柄を扱われた。
俺なんてこの部屋に引っ張られるまではまるで重罪人の如く牢屋に放り込まれていたのだ。そう考えるとシオンがどう扱われているかが心配で仕方がない。
まあシオン強さを信じてはいるが。彼女ならいざと言う時には自力で何とかするだろう。
差し当たっての問題は店長とあの女の子の処遇だ。
俺が目立てばやはり二人には不利に動くわけで、それでも俺には譲れない部分もある。つまり俺は落とし所を悩んでいる訳だ。
今は俺は先ほどの発言、どうとでも良くなる瞬間の一歩手前なのだ。
国王を殺すか生かすか、ウンウンと俺が唸ると周囲を取り囲む騎士たちがアタフタとしだす。彼らにとっては主人の命を守れるか否かの境界線を推し量る見定める必要がある訳だ。
見せかけだけの権威を恐れず無作法に接する俺と言う存在はコイツらにとってはイレギュラー以外の何者でもない。人間からすれば俺が首根っこを掴むこの男はその社会に置いて最も敬意を払わなくてはいけない存在なのだから。
俺はいい加減飽きてしまって流れが進まない現状を憂いて頭を掻く。
するとここに来て騎士の一人がヤレヤレと言わんばかりに口を開く。
先ほどから俺が違和感を持っていた毛色が違うと感じた騎士だ、彼は国王の護衛たちとは異なり銀色の鎧を着込んでいるのだ、見た目などに拘らずあくまで実戦を見据えた鋼の鎧と僅かに強者の空気をその身に纏っていた。
「……悪いが国王陛下を解放してくれないか?」
「どうして?」
「陛下に死なれては我が主人が立場上困るのだよ。どうだろう、一度だけ我が主人と言葉を交えて貰えないだろうか?」
この騎士と交えた言葉はたかが二言だけにも関わらず俺は面白いと思ってしまった。
それはそうだ。
この騎士は国王を助けろと言っておきながらその国王自体はどうでも良いと言うのだ。ただ己の主人のためと断言する。
もしも国王がその主人に危害を加える根本であればこの騎士はどう動くのだろう?
そして騎士は俺が彼に興味を持ったと判断したらしく、さらに交渉まで開始した。
「……ふう、君の仲間の少女。それに薬屋の店主と小さな少女は主人が引き受けている。丁重に扱いを受けている筈だ、今頃はティータイムでも楽しんでいるだろう。君もその席に加わってはどうだろうか?」
「き、貴様!! この男の仲間は厳重に拘束しておけと彼奴に命じたはずだぞ!?」
「厳重に拘束しておりますよ? 信頼と言う強固な鎖を幾重にも縛り付けて」
「アンリィィィィ……!!」
俺と騎士との会話に国王は無粋にも土足で上がり込んでくる。
俺が苛立ちを覚えて更に力を込めて国王の首を締め上げると騎士はため息混じりに首を振って「待ってくれ」と手を前に出す。その騎士に俺は更に興味が湧いて手に込めた力を抜くとゴホゴホと国王は咳き込みながら醜態を晒していた。
そして国王はだらし無く涎を垂らして苦しそうに視線を上げると銀色の騎士を睨み付けた。この二人には直接的な主従関係に無いのだろう。
俺は一歩下がって二人の会話を傍観するのみだった。
「アイゴヤ州はアンリ伯爵領です。如何に陛下とて直接の介入は御法度でしょう。州法は国法よりも優先されますので」
「下郎は口を慎め!! この男は先の大戦の火種となった大悪党なのだぞ!? ならば……!!」
「軍部も縦割り社会です。上層部からの命令の重複を避けるため、直属の長を飛び越しての命令、これもご法度となります。陛下ならば重々ご承知されておりますな?」
銀色の騎士はニヤリと笑って人間社会で最も権威のある人物を見下していた。だがその笑みからは悪感情を感じない、先ほど国王が俺に向けた下卑た笑みとは本質的に違う。
なるほど、この騎士の口にした『主人』が誰なのかが良く理解出来た。
そしてこの騎士の態度で俺は店長の話が真実であると実感する事が出来た。確か店長が言っていたな、機会が有ったら色々と聞いてみろと。その言葉を思い出して俺は国王を拾い上げて取り囲む騎士団に向かって適当に放り投げた。
数歩前に出て銀色の鎧を纏う、その顔に歴戦の印を刻み付けた騎士に興味津々と語りかけたのだ。
「貴方の主人に興味があります。是非とも仲を取り持って頂けませんか?」
「委細承知した。我が主人アンリ伯爵へお目通り願いましょう」
ようやく俺の時間が動き出す。
俺は騎士に促されてこの部屋を後にした。俺が廊下に出ると部屋の外に控えていた部隊が入れ替わるように入り、それに反応して部屋から国王の騒ぎ立てる様子が窺えた。
その様子が気になって俺は先導してくれる騎士に再び話しかける。
「アレ、良いの? 一応は国王様なんでしょ?」
「先ほども言っただろう? アイゴヤには州法が存在する、州法は国法厳守のために詳細や解釈を記したものだ」
「……あの部隊は国王の護衛って話?」
「アイゴヤ州法第四条、御身が為、手段を選ばず。何か問題が?」
「ほっほー、俺アンタの事が大好きだ」
「楽観視するな。それは君が陛の危険要素だと懸念されたと言う事だぞ?」
俺と騎士は殺伐とした空気漂う屋敷の廊下を歩く。
嬉々として語りながらその突き当たりの部屋に向かって歩みを進める事となった。その部屋からは何とも和やかな笑い声が聞こえてくる事か。
あれはシオンの笑い声だな。
俺が失笑すると騎士は僅かに後ろを振り向いて「君の仲間には暴れられて説得するのに苦労したよ」とげんなりした様子でボヤいてきた。
その様子が鮮明に想像が付いて俺が謝罪すると、騎士は「良い、良い」と先ほどの国王を真似るかのように言葉を返す。
その騎士の態度に俺はアイゴヤの領主に会う事に胸を躍らせていった。
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