アンリ伯爵領・アイゴヤ
草を掻き分けて樹海を歩く。
初夏の日差しが樹海で逞しく生きる木々を応援するかのように差し込んで、俺はその眩しさに目を細めながら歩く。
パキパキと枝を踏みしめながら周囲を見渡して俺は『趣味』に没頭しながら前進していた。
目的地はこの一帯で最大規模の都市アイゴヤ。俺とシオンの故郷であるミックレイス村はその都市の管轄区域でありアンリ伯爵が治める領地だ。
領地的には人間の支配する国の一つサンクトペテリオンに位置するその都市を目指して俺はひたすらに歩いていた。
両親が死んで二人を喜ばせたいと一つの目標を持った俺は故郷を飛び出していた。『母に父の故郷を見せてあげる』、それが俺の目標だ。新婚旅行が出来なかった両親に俺なりのプレゼントと言う訳で。
後ろからブーブーと不満を漏らすシオンが着いてくる。
当初は彼女は故郷に残ると言う事だったが、魔王の台頭で世界のバランスが崩壊してしまい、何処にいようとも安全は保証されなくなった。ならばとシオンも特にやる事が無いと言うし、寧ろ俺と一緒にいる方が安心だと言って一緒に旅をする事になった。
俺はこんな筈では、と小さくため息を吐いて黙々と歩く。
聞こえるものは自然と動物たちが奏でるオーケストラに、シオンの鳴り止まぬブーイングだった。
「ミロフラウスゥ、瞬間移動を使って街までひとっ飛びなんでしょ? どうして歩くのお?」
俺が父から受け継いだスキルの一つ。
瞬間移動は過去に行ったことのある場所までノータイムで到着出来ると言う便利なスキルだ。当然ながら俺はアイゴヤに行った経験があるからシオンの言い分は至極もっともな訳で。
だがそれを差し置いても俺と母には歩く必要があったのだ。
それが先ほどの『趣味』に繋がるわけだ。因みにこの趣味は俺と母が共有するものでもある。
俺は足元に生える雑草を手に取ってシオンにその趣味を力説する。
「これは良い雑草だ!! シオン、この毒々しい緑を見てよ!! ほら、この雑草のやり過ぎなくらいの光合成のエビデンス!!」
「アンタ、……普通は女の子に差し出すのは花束でしょ?」
そう、俺は雑草マニアなのだ。
と言うよりも母から薬物関連のスキルを受け継いで、この八年間で随分と薬草の知識が身に付いた。特に母の残してくれた薬のレシピはどれも素晴らしく、俺は徐々に植物に興味を持ち始めていった。
「特に雑草は素晴らしい!!」
一見して邪魔な存在と思われがちな彼らも実は薬草としての役割を持ち合わせているのだ。だが世間はその本質に気付かず雑草と一括りにして邪魔者扱いをする。
母の薬はそう言った世間で雑草扱いされているものを材料のメインとしており、俺はそれを知って感動に打ち震えた。
やっぱり俺の母は凄い。母は世界で最高の出来る女だったのだ。
と俺が心の中で母を盛大に自慢していると、その母が心の中で何かポンポンと手を叩く音がする。
「もしかして……母ちゃん、ベッドに入って来いって俺を誘っているの? 一緒に添い寝してあげるとか言ってるのか!?」
うう……、昔は散々添い寝してもらったから嬉しいけど、この歳になってそれをやったら人間失格だよ。ああ、俺が拒否したから拗ねたのかな? 母がやさぐれて寝タバコを始めてしまった。
だからヤニ臭いんだよ。
「げっほ、げほほ!! シオン……、この雑草もすごいんだよ? ぶは、ぶははあ!! この雑草は……下痢止めになるんだ」
「……だっさ、一人で何をむせてんのさ?」
シオンは俺が両親と意思疎通を図れる事を知っているのに、たまにこうやって俺を突き放すのだ。
とは言うものの、シオンが拗ねるのも分かる訳だが。
アイゴヤまでは大人の足で歩いて三日。確かに無駄な時間を使ったとは思う。だがそれを差し引いても俺はこの自然が豊富な樹海を歩きたかったと言う事だ。
ミックレイス村は山間にある小さな村で、アイゴヤに向かうには樹海の走破は必須。
この道のりは俺が母に着いて街まで行った思い出の道のりでもある。スーッと深く呼吸をして豊富な自然をその肌で感じ取っては母との思い出に浸る。
これはこれで俺なりの親孝行だと思う。
父は俺と母の思い出を知らないのだから、だから無駄足を運んでもここだけは歩きたかったわけだ。
そんな俺の想いを心の中に住まう父も喜んでくれたらしく、「もう良いぞ。十分に堪能した」とオナラのモールス信号を送ってきた。そろそろシオンの希望を組んでやれと父は優しさを見せてくれたが。
それでもやはりオナラは臭い。
俺が鼻を摘んで臭さをアピールするジェスチャーをしても、その臭さは俺の体内が発生源だから自然に消えるのを待つしかない。
そしてようやく落ち着いたと思い、俺はハーッともう一度だけ大きく呼吸をしてから後ろにシオンに手を差し伸べた。
その手を取れと、そうやって目で彼女に言葉を交わす。
「アイゴヤまで飛ぶよ? さっさとしないと置いてくからね」
「あーん、待ってました!! ミロフラウスったらア・イ・シ・テ・ル」
ついに飽きてしまい地べたにヤンキー座りをしていたシオンがガバッと立ち上がって俺の首に手を回してきた。しかも何処ぞのフィギュアスケーターの如くイナバウアーのような姿勢で首を回してくるあたりは樹海を歩くのが本当に嫌だったのだろうと言う証拠だろうか。
と言うかシオンは本当に母に似てきたな。
こう言う切り替えの早いところも母にそっくりだと思う。と言うかこの姿勢のまま瞬間移動して、移動先に誰かいたら赤っ恥を掻くのではないか?
「シオン、首が重いから止めて」
「んだとコラ!! こちとら軽量化されたスリムボディなんじゃい!! 重いわけ無いでしょうが!!」
「自分で自分のぺったんこを自慢して虚しくない、ゴッフ!!」
「さっさと運ばんかい!! これ以上私のスタイルをバカにしたら本当に殺すわよ!?」
俺は無茶な姿勢を貫くシオンに刀で脅されながら瞬間移動のスキルを使う事となった。俺たちはアイゴヤの街のとある『知り合い』の元を目指して樹海から音すら立てずに姿を消すのだった。
…………
そしてアイゴヤの街に到着した訳だが……俺は到着早々に思わず首を捻ってしまった。当然だが街に初めて来たシオンは俺の感じた違和感を知る由もないわけで。
当初の段取りでは知り合いが経営する店の前に飛ぶ予定だったが、どう言うわけか目の前には見た事もない店舗が立っている。
周囲を見渡してみると、それらは見覚えがあるのだ。俺はさらに首を傾げて「はて?」と言葉を漏らして考えを深める。
俺は飛んだ場所を間違えたのか? と思ったがどうやらそうでも無いらしい。
つまり俺が瞬間移動を果たした先は間違いでは無く、寧ろ知り合いの店の方が無くなってしまったと言うことなのだろうか?
もしかして母からの薬の供給が止まって経営が悪化したとか?
そんな状況に腕を組んでウンウンと唸る俺にシオンが話しかけてきた。
「そもそもミロフラウスはなんの目的で都会に来たの?」
「話してなかったけ?」
「聞いてない」
「昔、母ちゃんが薬を卸してた薬屋に向かってるんだよ。勿論、情報収集が目的なんだけどさ、それ以外にも随分とご無沙汰しちゃったから挨拶しとこうかなって」
「ミロフラウスも意外と常識人じゃん」とシオンが吐き捨てながら周囲をキョロキョロと見渡していた。
うっさいな。
俺だってそれなりに常識を持って生活していたのはシオンも知ってるだろうに、そんな事をわざわざ言う必要があるのか?
とは言え目的も果たせず、ましてなんの収穫も無いままアイゴヤを出る訳にもいかないと俺は街を散策するためにその場から歩を進めた。
シオンが「置いてかないでよ!!」と慌てて俺を追いかけてくる。
ここは村と違ってレンガ畳みだから転ぶなよ? と思っているとシオンがレンガに足を取られたようで「おっとと」と言いながら分張りを利かせていた。
セーフとでも言いたげに両手を飛行機の如く広げてシオンは己の無事をアピールする。
そして彼女なりに感じた街の感想を口にし始めた。
「都会ってゴツゴツして日が当たらないのね」
「煉瓦造りって言うんだよ。村の木造建築よりも頑丈で費用もバカにならないんだよ?」
「ふーん、確かに村は全部木造の平家造よね。これがレンガって言うんだ」
「それに都会は人口密度が高いから平家だけだと人が収まらないから、どうしても建築物が二階建て以上になるんだよ」
「ほへー」と新しい世界を知ってシオンは感嘆とした様子になる。
彼女は村から一度も出た事が無いから見るもの全てが新鮮だったらしくキラキラと目を輝かせながら歩いていた。その様子は周囲にまるで注意をしておらず、俺もその内に転びそうだなとハラハラしつつ散策を開始する。
そして過去の記憶を掘り起こして薬屋の特徴をブツブツと呟きながらフラフラと歩いていた。時折シオンが「あれは何!?」と見つけたものの悉くに興味を示して俺に質問をするものだから、散策に集中出来ず俺は適当に答えては歩を進める。
ま、シオンにもお金は渡してあるから心配はあるまいと思ってはいるが、それでもシオンの様子を見ていると幼かった好奇心の塊だった頃の俺自身を思い出す。昔、母に連れられてこの街に初めて来た時も俺はあんな感じだったなと思わずニンマリとしてしまうのだ。
とは言えやはり薬屋の発見は絶対条件な訳で。
「えーっと、店長も途中から母ちゃんに影響されて厨二な店構えにしてたからな……」
「ねえねえ、ミロフラウスってば!! あの店、もの凄い厨二よ!! おばさんだったら絶対に喜ぶんじゃない!?」
「そだねー、母ちゃんは重度の厨二だから……。なんだって?」
シオンが嬉々として少し離れた場所に佇む小さな店舗を指差していた。俺は適当に遇らうも、『厨二』と言うキーワードに反応してグルンとシオンの指差す方向を凝視した。
そしてそれは確かにあった。
厨二な佇まいの店舗が。
それも外装から判断するにそれは薬屋だったのだ。まさかシオンの好奇心が俺の目的地を探し出してしまうとは思いもよらず、俺は驚きを隠せずに「うそーん」と口ずさむ。
シオンも「ふふん、どんなもんよ」と自慢げに胸を張るものだから、これは間違いなく俺よりも先に見つけてやろうと息を巻いていたのだろう。
俺はそう感じて脱帽の意を込めて「参った」と言って両手をあげるジェスチャーで俺はシオンに白旗を振ったのだ。
そして店舗の前に見覚えのある人物が目に入る。
店長のティエリ・ボリバル、このアイゴヤで母の薬を扱い始めて店の経営を成功させた人物。母も信頼していた数少ない人間だった。
俺が店長に手を振ると最初は怪訝な表情を向けられてしまった。
それはそうだ。
俺も八年ぶりに会うのだから随分と成長した筈だ。子供の姿しか知らない彼が青年へと成長した俺を即座に判断出来ないのは無理もない。
だから俺は店長に歩み寄りながら声をあげて話しかけていた。すると向こうもパアッと明るい笑顔になって手を振り返してくれた。
「お久しぶりでーす。タオルの息子ですー」
「なんだよ、本当に久しぶりじゃないか!! おお、おお!! 立派に成長しちゃってよ、オマケにそんな別嬪さんの彼女まで連れちゃって!!」
「シオンはただの幼馴染……ゴッフウ!!」
店長が走って俺に近付いてきた。
そしてシオンを俺の彼女だと誤解したものだから、それを訂正しようと説明を始めると、そのシオンが後ろから俺の後頭部を思いっきり引っ叩いて来たのだ。
そして俺の首をロックしてヒソヒソと耳元で囁いてきた。
「いってえな!! シオンも殺す気か!?」
「アンタね、ラーのおじさんを怒らせるんじゃないわよ。私たちの関係は未来の夫婦、……良いわね?」
「はい……」
子供の頃から父が俺とシオンが付き合っていると勘違いしている。
それを無理に誤解だと説明すれば激怒するからと未だにそう言った関係では無いと言えずじまいなのだ。俺の首を抱え込むシオンはまるで世紀末風の劇画タッチの顔になって俺を脅しにかかってきた。
父は例え真実を知っても怒らないと思うのだが、と思いつつも俺はシオンの迫力に負けていつもその意向を飲んでしまうのだ。
「どうもー、未来の嫁さんのシオンです」
シオンが猫を被って横ピースをしながら店長に自己紹介を始めた。
そんなシオンを見て店長も「そ、そうか。随分と現代っ子な嫁さんだな」とドン引きしながらシオンに握手を求めていた。
と言うか俺は元々現代っ子なのだが。
ポリポリと頭を掻いてシオンと店長のやり取りを見ていると、ふと店長が俺の方に向き直して、歩み寄ってからバシバシと俺の背を叩いてきた。如何に久しぶりの再会でも俺はどうしたのかと咽せながら店長に文句を口にした。
「げっほ!! 店長までそんな力強く叩かないでってば!!」
「何を言っとるか!! ドラゴンスレイヤー様になって随分と出世したじゃないか!! タオルさんの息子だから納得しちまったが、知り合いがそんな有名人になって俺は鼻が高いと言うもんだ!!」
そう、俺は知らぬ間にドラゴンスレイヤーとして世界に認知されたらしい。
俺は未だ人間の世界で過ごす故にドラゴンの当主だとは特に公表もしていない事もあり、『最弱種族の人間が最強種族のドラゴンを倒した』と言う触れ込みが世間の常識となっているのだ。
店長は本当に心の底から喜んでいるようで特に悪い気はしないがらしい。厨二感あふれる店舗の前で「わあっはっはっは!!」と豪快な笑い声こだましていた。
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