ロマンスグレー、血税の原因を作る
勇者様は私を大事に抱きかかえながら窓の外を見据えていた。
ジッと遠くを覗き込む、それはまるで獲物を狙い定める猛禽類の視線そのものだった。勇者様は視線をそのままに執務室の隅で身を屈めるダフネに背中越しで話しかけた。
「ダフネちゃん、この方角から狙撃を受けましたよね?」
「は、はい!! そうです、狙撃手はその方角に潜んでいる筈です!!」
ダフネは勇者様の問いかけにしっかりと返事を返す。
身を屈めたその姿勢のまま、僅かに腕を震わせて勇者様が見据える先を指し示しながら。そして途端に慌て出して勇者様に走り寄っていく。
勇者様は真剣な眼差しで、目を細めて視線の先を凝視した。
視線の先に見えるものはサターン山脈、その中で際立って高く聳え立つ岩山を視認出来た。勇者様は岩山を発見するなり「なるほど」と納得した様子を見せて、数回頷く。
そして勇者様は上半身だけ振り向くと抱きかかえる私をダフネに託して、とろける様な言葉を意識が私に掛けてきた。
「愛しい人の寝顔と温もりは名残惜しい、出来るならばずっと私が独占したいくらいです」
「栄一様、先ほどは申し訳ありませんでした」
「ダフネちゃんは何について謝っているのでしょうか?」
ダフネは私を受け取るなり、頭を深く下げて勇者様に謝意を示した。当然ながら勇者様はその心当たりが無く、小さく首を傾げる。視線を目星の付けた岩山から完全に外す訳にはいかないからとダフネには背中を向けている。
するとダフネは悔しさを滲ませた表情でギュッと口元を結ぶ。そして一瞬だけ間を置いて、謝罪の意味を吐露した。
「身を挺して大叔母様を守るのは私の役目、女王陛下を危機から守るべきはその補佐を務める私です」
ダフネは私の宝です。
彼女の言葉は私のそんな想いを更に強固なものとしてくれた。ダフネは本当にいい子に育ってくれた、彼女からこの言葉を聞けただけで私は胸が熱くなります。
まあ、私は気絶しているのですけど。
「私は勇者として召喚されたのですよ?」
「勇者様は国を救ってくれる存在ですが、だからと言って全てを丸投げにして良いはずがありません。元々、魔王との戦争はジュピトリスの問題なのですから」
「ふむ、しかし困りましたね。アルテミスはダフネちゃんを心の底から愛しているのですよ?」
「大叔母様の性格は心得ております。ですが、国にとって最優先されるには女王陛下のお命です」
「でもダフネちゃんが身を乗り出したらアルテミスが更に身を乗り出してしまう。そうなったら私は愛するアルテミスを守るため、更に身を乗り出す。過程が変わっても結果は何も変わりません」
ダフネは勇者様の言葉に反論出来ず、「うっ」と声を漏らしていた。ですが、そうですね。もしもダフネが命を投げ打って私の身代わりになろうものならば、勇者様のおっしゃる通りになったと思います。
私がダフネを愛して、ダフネが私を愛してくれる。
そして勇者様も私を愛してくれる。
ダフネは勇者様の言葉を実感してか託された私の体を優しく包み込んでくれました。そして涙をこぼしながら私の耳元で「大叔母様、大好き」と呟いてくれる。
そんな微笑ましいやり取りに勇者様は笑みを浮かべていた。そして何が嬉しかったのか、そのまま優しげな笑みを私の顔に近づけて恐ろしい破壊力を秘めた言葉を囁いてくれたのです。
「この絹のようなきめ細やかな肌、チャーミングな唇に美しい髪。アルテミスの何もかもを独占してしまいたい。貴女が愛する国民や家臣の方達にだってそれは譲れないのです」
ズキューン!!
嗚呼、私は気絶しているのですよ? にも関わらず勇者様はそんな私に甘い囁きを流し込んでくる。危険です、勇者様の囁きはそれこそ命の危険を感じるほどの凶器です。
やっべー。
気絶しているからいいものの、勇者様にあと一言でも囁かれたら私は鼻血を射出させていたでしょう。そうなれば私は確実に出血多量に陥ってしまうところだった。
ギリギリセーフ!!
私は勇者様の囁きになんとか耐えて心の中でガッツポーズをしていた。ですが、完全に油断してしまったのです。そんなホッと胸を撫で下ろす私にトドメの一撃を加えてくるのがこの勇者様なのです。
「貴女が守りたいものは私に守らせて下さい。そして帰ってきたら私を甘えさせて下さいね?」
ふう、何とか誤魔化せました。
勇者様は私の耳元で囁くと、直ぐに背中を向けて狙撃手が潜んでいると見定めた岩肌を見据え直した。そんな勇者様に再び心を奪われたダフネは目をハート型にして「あーん、私も甘えさせて下さーい。何だったら親子丼でも構いませんのでー」と危険な言葉を口にしていた。
まあ、ダフネの口にした親子丼の意味は良く分からなかったのですけど。
とにかくダフネの目に私は映っていない。だからこそ助かったりました。ドバドバと壊れた蛇口に若く鼻血を垂れ流す私をダフネに見られずに済んだのですから。
こんな姿をダフネに見られたら……、私は恥ずかしくて心臓が停止するでしょう。シクシク、私は勇者様の前だと為政者としての威厳を保てなくなるのです。
しかし私に羞恥心など、この状況では考慮される筈も無い。
勇者様はいつも唐突に動き出す。勇者様にどう言うお考えがあるのか、それを計り知る事など出来ない。勇者様はイケメンフェロモンを撒き散らしながら、その艶のある唇から投げキッスを岩山に向かって飛ばしたていた。
おっふう。
これには私だけでなくダフネも耐えられなかった様で、彼女は盛大に鼻血を吹き出してしまった。そしてダフネは遠のく意識の中で勇者様の行動の意味を問いただしていました。
「え、栄一様……。今の投げキッスは一体……」
あ。
ダフネは瀕死の重傷を負ってしまった様ですね。鼻を必死に押さえながら全身をピクピクと痙攣させているのです。まあ、斯く言う私もダフネのことをとやかく言えないほどに鼻血を噴水で辺りに撒き散らしていますけど。
「いやー、お相手が視認出来ませんから挨拶でもと思いまして。おや? 岩山に赤い噴水が見えますね。あそこに公園でもあるのでしょうか?」
私は確信しました。
今回に狙撃手は間違いなく女性でしょう。おそらく勇者様の絶対無敵なイケメンフェロモンに充てられて鼻血を噴射させてしまったのです。私とダフネが身を持って経験しているのですから、確実でしょう。
それにしても勇者様のフェロモンは恐ろしい。
まさか5キロ以上離れているサターン山脈の岩山まで色香が届いてしまうとは驚きです。この勇者様のフェロモンは魔王がディアナたちにかけたと言う精神支配すらも上回っている様に思えてならないのです。
やはりこの勇者様は超大当たりでした!!
こうしてジュピトリスの王城は鼻血で出血多量となった者たちの処置で慌ただしくなって行くのだった。そして医務室では輸血用の血が不足してしまい、緊急で献血が実施されることとなった。
文字通り血税を国民に強いる結果となってしまったのです。
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