ミロフラウス・ワーストⅢ
思わず絶句した。
俺は洞窟の最深部に辿り着いて言葉を吐き出せすらせずに立ち尽くすのみだった。
シオンも同様に驚いているが、彼女は「あ、あ、あ」と言葉にならない何かを撒き散らしながら最深部の広い空洞に佇むモノに指を刺していた。
まるで海中で酸素不足となったダイバーが命からがら海上に頭を出した時の様にシオンは数十秒も掛けてやっとの想いで言葉を口にしていた。
「どうしてドラゴンがいるの?」
洞窟の奥にドラゴンがいる。
だが声を上げるでもなく、身動きを取るでもない。生命活動をしているようには見えないのだ。ただ佇んでいるような、それでも最強種族たる生命力を堂々と発していた。
ゴクリと唾を飲み込む二人分の音が洞窟に響く。
「母ちゃん……どうして?」
確定的だった。
この状況を知ってしまえば母がドラゴンに何か手を貸していた事は明白だ。
ドラゴンにも竜人にもそれぞれに支配する領地はある、互いに覇権を争いつつも数百年間の拮抗は互いの領地に手を出さないと言う暗黙の了解を産んだ。
それ故に勢力のバランスを崩す勢力が出現した、となれば大事件。
だからこそドラゴンが他種族の領地にいる事がどれ程に異常事態か、ましてや匿っていたともなれば母は人間からすれば裏切り者となるわけで。
同盟関係では無い他種族への内通、それは人間の社会では何よりも重い罪となる。
最悪は実刑、どんなに軽くても人生では到底全うできない懲役刑を受けて、同族からも人間扱いをされなくなるだろう。
それを知らぬ母では無いだろうにと俺は頭を抱え込んで震えながら、その場にしゃがみ込んでいた。
「ミロフラウスまだ何も分かってないじゃん、とにかく一度帰っておばさんに事情を聞かないと……」
「じゃあ目の前のコレは何なんだよ。このドラゴン、額に太陽の紋章があるんだぞ?」
ドラゴンは個体数の多い種族では無い、だがそれ故に個々の実力は一個種族をも丸呑みにする程とされる。
個体それぞれの名と有する属性が世界に響き渡っている。
このドラゴンは太陽の属性持ち。
ドラゴン族の中でも最も恐れられている族長のラーだ。そんなドラゴンがどうして静かに人間の領地の、それもこんな片田舎にいるのかと想像すら付かない。
俺の思考はグルグルと不毛な事が駆け巡り収拾さえつかない状態だった。
そんな俺に声をかける事も出来ずにシオンが苦しそうな表情でしゃがみ込む俺を見下ろす。
……そうだ、俺はシオンだけでも巻き込んではならない。
そう思い至った俺が顔を上げて立ち上がろうとした、その時だった。
空洞の中で澄み切った声が響き渡ったのは。
(……誰だ? そこに誰かいるのか?)
「ラーが……しゃべった?」
「ミロフラウス、多分これ思念だよ? ラーが私たちの脳内に直接話しかけてるんだと思う」
この場には俺たち以外にはラーしかいないのだから声の主の見当は容易に付いた。だからこそ俺は動揺を隠せずにいたが、そんな俺を落ち着けと優しく背中を押してくれたのはシオンだった。
シオンはいつだって俺を支えてくれる。
そんな俺たちにとってありふれたやり取りが己に冷静さを取り戻してくれたのだ。
振り向いてシオンと視線を重ね、コクリと決意を伝える。そしてシオンも分かったと笑いながら俺に向かって首を縦に振ってくれた。
それだけで充分だった。
俺はラーと向き合って彼に問いかけた。
「貴方はドラゴン族の族長、ラーなのか?」
(人間の子供か? いかにも。私はラー、ドラゴンを統べるものである。対話する気があるならば名乗って貰えると助かるのだが)
「俺はミロフラウス、ミロフラウス・ワースト」
ラーが母と通じているのならこの名前だけで何か反応を示す筈だと確信はあった。だが肝心のラーと母の関係が分からない以上、ある種の賭けでもあった。
それしか方法が無いとは言えこの賭けはシオンをに危険が及びかねない。だから俺は悔しさで表情を歪めながら後ろにいるシオンを守るように身構えてラーに己の名前を告げる。
強い危機感が募る。
だが俺の心配をよそにラーは予想外の反応を示すのだ。
(……タオルの息子か?)
タオル・ワースト、俺の母の名前だ。母の名前を口にした彼の声色はとても穏やかだったのだ。
「そうだ、貴方は母とどんな関係で……」
(我が息子よ、会いたかったぞ!! ずっと会いたかった……、だがタオルが引き合わせるのはリスクがあると言って会わせてくれなくてな)
「「……え?」」
俺とシオンの言葉がハモる。
なんとも間抜けな顔を晒してしまったと思った。だがそれは無理も無いと思う、何しろドラゴンがなんの前触れもなく俺を息子と呼んだのだから。
俺は訳が分からずに頭を抱えて混乱してしまった。
だが真実を知らずしてこれからの事を決められる訳がない。震える足を無理やりに押さえ付けて俺は次の言葉を口から吐き出そうとした、だが俺の心情を察したようでシオンが俺の手を優しく握りしめてくれる。
俺が振り向くと彼女は「大丈夫だから」と俺に優しく声をかけてくれる。
何が大丈夫なのだろうと根拠が見当たらない。だが心の底から俺を心配してくれる幼馴染はこの状況下で何よりも頼もしく感じて俺の震えはいつの間にか消え去っていた。
そして俺は再びラーに向かい合って問いかけた。
「俺は人間だ、ドラゴンの息子な訳がない」
(ほら、ドラゴンって人間みたいな二足歩行モードにも変身できるのだよ。タオルは俺の伴侶だ)
ラーは相変わらずその場から動く素振りを見せないが、それでもその巨体を自在に変化させて人間のような体型にスルスルと縮ませていった。
青い髪に大きな瞳、そう言えばいつだったか母ちゃんが言っていたな。俺の外見は父親似だと。
父は俺が生まれて間も無く死んだと母からは聞かされていた。
それ故に幾度となく村人からは母親と似てるのは肌の色くらいだと言われてきた。
母はこの国では珍しく褐色の肌をしていたから。母と同じものを持っているとホッとしたくらいだ。
だがラーを見ると確かに俺と似ている、まるで自分の姿を鏡越しに見たような感覚をラーの姿を見て覚えた。俺はゴクリと唾を飲み込む、だがそれと同時にシオンが俺の手を握りしめる力が強くなる。
この幼馴染は最強だよ、と俺は再び安堵していった。
「どうしてラーが母ちゃんと結婚するんだよ?」
(ふむ、やはり聞いておらんか。……昔、私は瀕死の重傷を負ってな、その時にタオルに助けられたのだよ)
「最強種のドラゴンが瀕死になるってどんな天変地異よ?」
シオンが物事の確信を付くかのようにふと呟く。
だが、その疑問は至極もっともだと思う。
何しろ最強種のドラゴンが瀕死になるなど有り得ない、寿命ならまだしも瀕死と言う事は外傷が原因だろう。何があれば最強の生命力を有するドラゴンが瀕死になるのかと俺も頭がついて行かなくなっていた。
そもそもドラゴンには寿命という概念がないとも聞くのだけど。
(そっちの娘は我が息子とつがいかな?)
「つっ!! つがいって言うな!!」
シオンもラーに向かってツッコムなんてすごい胆力だねと俺も驚いてしまった。
(早く孫が見たいから夜の営みは頑張ってくれよ? それと私が瀕死になった理由だが自殺を試みたのだよ、瀕死になったのは私自身が原因だ)
ラーは彼が瀕死になった経緯を話してくれた。
なんでもラー以外のドラゴンが彼らに仕える竜人や他の種族に力を分け与えた事でその強大な力を失うこととなったらしい。
それが原因で不死を誇っていた筈のドラゴンもラーを残して全員が絶命したと言うのだ。
そしてラーはドラゴン族の最後の生き残りとなった訳だが、それが何百年と続いて彼は孤独に苛まれたのだと言う。数百年と言う長い年月を孤独に過ごしたラーは己自身で生涯を閉じることを決意して自殺を図ったそうで。
その年月の長さから生まれる感傷はまだ十年しか生きていない俺には想像出来ないものだ。
そしてラーの話はどう言うわけか急速に顔を赤らめるシオンを置いてけぼりにして続いていく。
様子が急変するシオンは俺の手を潰さんとばかりに力一杯握りしめてくる様になっていた。「孫が見たいって、……これって親公認って事?」と良く分からない事をずっとボソボソと口にしているのだけど。
今はソッとしておこうかな?
己の手が複雑骨折にならない事を祈りつつ、俺はラーの話に耳を傾けていった。
「自殺願望があったなら助けた母ちゃんを恨まないの?」
(確かに最初はこのオッパイが、とも思ったがな。タオルが薬師の私が命を諦めてたまるか、と言って必死になって私の手当をしてくれてな。アレにはキュンときてしまったよ)
「……もしかしてそんな事で最強種のドラゴンが最弱種の人間に恋しちゃったと?」
そもそも実の息子の前で母親をオッパイ呼ばわりするなよ。
(バッカもん、息子よ!! 恋は災害の如く突然にやってくるのだ、もう恋しちゃったら種族なんて関係ないだろ!? あの時はタオルを必死になって口説いたね!!)
「種族なんて関係ない」、そんな言葉もドラゴンの口から聞けば説得力があり過ぎて反論の余地もない。俺を息子と呼ぶドラゴンは思念を通じて母ちゃんとのラブロマンスを語り続けるのだ。
これは息子の俺からしても相当に恥ずかしいぞ?
ラーは口説き文句から夜の営みについてまで事細かに話すものだからシオンなんかは卒倒しそうな程に目を見開いて「きゃーーーー!!」と騒いてるのだが。
ドラゴンの性教育の概念ってどうなってるの?
頼むからそんな事を10歳の子供に心配させないで欲しいものだ。
実の母親の性感帯なんて事細かに聞きたくないんですけど。
それとお願いだから自分の股間に生えるものを「ドラゴン」と表現するの止めてくれません?
シオンの許容値を完全に超えてる情報なのだから。
「で? 結局、ヤる事をヤったら力を使い果たしたから再び瀕死になったと。それに呆れた母ちゃんが父ちゃん自身の回復力に賭けて封印処置を施したと……。そんな感じでオッケー?」
話によるとドラゴンは人に力を分け与えたり子孫を残すことに膨大な生命力を消費するらしい。瀕死になって助けて貰いながら同じ過ちを犯すなど馬鹿だなと、俺は自分の父親を名乗るドラゴンに呆れるしかなかった。
この人はドラゴンではない、馬か鹿だ。
この人、バッチグーとでも言いたげにレトロな雰囲気を醸し出してジェスチャーをしてくるけど、絶対にこの人はドラゴンではない。
(ミロフラウスウウウウウウ!! 私を初めて「父ちゃん」と呼んでくれたな!!)
「ミロフラウス、あの伝説のラーが本気で号泣してない?」
「うん、俺も段々と親近感が湧き始めちゃったよ」
(ところでそっちの娘も自己紹介してくれないかな? 義理の娘になるのだから名前くらい教えてくれんか? 何なら今からでも『お義父さん』と呼んでも良いぞ?)
ラーはどこまで行っても人間臭かった。
俺はシオンはただの幼馴染だよ、と言おうとしたが、どう言うわけかシオンから本気の殺意を感じ取って途中で言うのを止めた。勘違いを正そうとしたのだが、シオンは「下手に間違いを指摘して逆鱗に触れたらマズいじゃん?」とモジモジしながら俺の耳元で話しかけてきた。
そんなものだろうかと俺は首を傾げながらラーとシオンの会話が終わるまで口を閉ざす事とした。だが、思いの外に二人は気があったらしく会話が弾んでいく。
これには俺も失敗したなとポリポリと頭を掻いて待つしかなかった。
(シオンの得意料理はロールキャベツと言うのだな、では復活した暁には其方の料理で舌鼓と行こうではないか!!)
「よっしゃあああ!! 義理の娘としてお義父さんにご馳走じゃい!!」
(うむ、其方ならば元気な孫を産んでくれると信じておるぞ!? 出来れば十年以内に産んでくれると助かる)
「頑張って元気な男の子を産んで見せますよおおおおおおお!!」
(出来れば初孫は女の子が良いなあ。それで二人目と三人目に男の子を所望しよう)
シオンもそこまで話を合わせなくても良いのに、と俺は唖然としてしまった。
既に二人の会話を途中から流していた。俺の興味は既にそこには無く、寧ろこの場所。
つまり洞窟の最深部自身に移っていた。
この場所には至る所にいつも家で見ていた薬草が生い茂っているのだ。
こんな日の光が差さない場所で植物が美しい緑を保ちながら生息しているのだから、薬師の母を持つ俺としては最大の好奇心と言うものだ。
周囲を見渡してふと俺は気付いた。
どうやらこの空洞はラーから溢れ出る生命力に満ちているらしい。その生命力の流れが植物に影響を与えているのだろう、と言うことは母の作った薬はドラゴンの力が込められていると言う事になるのか?
なるほど、その素材に母の薬師としての技術が合わされば確かに凄い薬が出来上がると言うものだ。それに気付いて俺はウンウンと納得したようにキョロキョロと首を振る。
これで洞窟に入ってきた当初の目的も全て果たされたと言うことになるわけで。
であれば後はラーの件をどうするかと言う事になるわけだが。
そんな緩やかな空気が流れ始めた時に限って新たな異変が再び起こる。最初にその異変に気付いたのはラーだった。
彼の思念が突如として強張りを感じさせたのだ。
その事に気付いた俺とシオンは何事かと緊張感を高める。そしてラーが口にした次の言葉を耳にして俺たちが如何に愚かな事をしたか、思い知らせるのだった。
(竜人め、私の気配に感づいたか。ここに奴らの戦力が集結し出したぞ)
「父ちゃん、なんの話?」
(私が封印されて行方知れずになってから十年間ずっと気配を探っていたのだろうな。竜人は私を主人と崇めよるからな)
主人を失った世界第二位の種族がこの洞窟に血相を変えて向かっているとラーは言う。そして姿をドラゴンから人型に変えた時にラーはその力の一端を使用した事で、その気配が外に漏れたのだろうと俺たちに説明してくれたのだ。
「具体的にどうなるの?」
(……下手をすると人間と竜人の間で数百年ぶりに戦争が勃発するやもしれん)
どうやら俺は藪蛇を突いてしまったようだ。
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