ロマンスグレーは愛を囁く
「なるほど……。魔王軍の侵攻ですか、それはさぞかしお辛かったでしょう」
「私の心労など国民の不安に比べれば然程のことは……」
私が勇者様の問いかけに首を横に振りながら答えた。
私は王族だ。王族は国民の平和と幸福を願うもの。魔王軍の侵攻に不安を抱く国民の事を思えば私の苦しみなど取るに足らないこと。
私の願いはたった一つ。
国民が安心して眠れるように国に平和を齎すこと。
幸いにも勇者様は私の願いを聞き入れてくれた。そして……美しいと言ってくれた。ならば勇者様の問いかけに真摯に答えるのが女王としての私の勤め。
一人の女としてもそうしたい。
私は世界の情勢について説明しようと儀式の間から私の個室に勇者様を案内していた。
……汗臭い。
勇者様は筋トレをしながら私の話に耳を傾けてくれていた。
「あの……勇者様?」
「栄一とお呼び下さい」
「では私のこともアルテミスとお呼び下さい」
「ふん! ふん、ふん、ふーーーーっん!!」
コレが殿方の匂い。
女王である私の個室に汗の匂いが満ちていく。勇者様は私の個室に移動するなり上半身裸になってボディーメーカーなる筋トレマシーンで体を鍛え始めたのだ。
そして私と会話しながらかれこれ一時間ほど背筋を鍛えている。
この勇者様、お年が七十と言っていたけど大丈夫かしら?
「あの……ご無理をされて御身に何かあれば一大事ですので、そろそろ宜しいのではありませんか?」
「ん? いえいえ、お美しい貴方を守るため。愛する貴方を守るため私は強くあらねばならないのです」
このお爺ちゃん、何を言ってるのでしょうか。
もしかしてこの勇者様、ボケていらっしゃるのかしら? 私はこの皺くちゃな顔の勇者様に一抹の不安を覚えた。
勇者様はお歳の割には、と言うよりも今時の若者以上にピンと背筋を伸ばして歩かれる。その鍛え上げられた胸板を張って堂々と歩く姿など凛々しい以外も言葉が出てこない。
純粋にカッコいい。
ロマンスグレーと表現すべきだろう。
そして召喚されてから終始優しげな表情を崩さない。この方は「大丈夫ですよ、全て私に任せておきなさい」と言ってくれる。
まるで愛を囁くように私の耳元でそう呟いてくれるのだ。
「……やっべえ、お爺ちゃんに本気で惚れちゃいそう」
「何か仰いましたか? 私の愛しいひと」
「……え!? オホホホ、何でもありませんわ!!」
危うく自が出るところでした。
私はホッと胸を撫で下ろす。そして胸の前でギュッと手に力を込めながら筋トレを続ける勇者様に視線を送る。
いくらカッコよくても、マッチョでもお年はお年。
私は勇者様が魔王と戦う前に老衰で天寿を全うされるのでは? と考えて不安で胸が一杯になった。だけど勇者様はそんな私の心配など気にも止めずに筋トレを続ける。
今度はダンベルを持ち上げるのですか?
私は五代様が軽々と持ち上げるダンベルを凝視して思わず顔を引き攣らせてしまった。
「……栄一様、そのダンベルの重さは……」
「ん? 一つ1トンですが何か?」
「……私の感覚ってもしかして浮世離れしてるのでしょうか?」
「はっはっは、そうですね。この五代、年甲斐もなく貴女に一目惚れですよ。愛しいひとを思えばこれしきの重さなど朝飯前ですよ」
私が言いたかったことはそう言うことでは無いのですが。
それとも異世界人のお爺ちゃんは皆んなこうなのかしら? 私は困ったなと頬に手を当てる。そして何かに取り憑かれたように五代様の顔を覗き込んだ。
「フンフンフン!! 愛しの麗し女王様を守るため!!」
少しだけ照れてしまう。
私は一国の女王だ。そして私は美しい、それは家臣や侍女だけでなく国民も、皆が私を美しいと讃えてくれる。
だけど一人として私を一人の女性として見てくれたことはない。
私は戦国の世に生まれた女王、一国の主人だ。国民を導く責務がある。だから必死になってその責務を全うした。
してきたつもりだ。
ガムシャラになって人生を駆け抜けてきた。そしていつしか私は敵味方問わず戦姫と呼ばれるようになった。それはつまり私の手が血に塗れていると言う証。
だから皆、私を敬ってくれる。そう、敬ってくれるのだ。だからだろうか?
誰も私を愛しているとは言ってくれない。愛の言葉を囁いてくれはしない。
女性として美しいとは言ってくれないのだ。なのに勇者様と来たら……。
「栄一様、少し休憩されては如何ですか?」
わたしは勇者様にそう声をかけて近くに置いてあった白鳥を模したデカンタからコップに水を注ぐ。そして筋トレで掻いた額の汗を拭う勇者様にタオルを添えてコップを差し出した。
自然と私の顔から笑みがこぼれる。
「ふーーーー……、そうですね。ではお言葉に甘えて」
勇者様も私に優しげな笑みを浮かべてくれる。そしてコップを受け取ってとても美味しそうに水を喉に通す。
どうしてこの人は初対面の私をこんなにも愛してくれるのだろう? 私はそんな疑問を感じて私の口から本音の言葉が漏れる。
「栄一様はどうして私を愛して下さるのですか?」
「私は今年で七十歳、いつ天国に呼ばれても良いと覚悟して余生を過ごしておりました。そう思っていた矢先……」
「?」
「家の軒下でお茶を啜っていたら突然目の前に光が差し込めたのです、私は天国からのお出迎えかと思いました。そして天国に来たら美しい女神様が私の目に前に現れた」
「私が女神?」
「ここは天国です。それと大変失礼な話なのですが……」
勇者様は私の手を握りしめながらとても真剣な眼差しでそう呟いてくれた。私はあまりのストレートな言葉に乙女の様に顔を真っ赤にして慌てふためく。
もはや勇者様と視線を合わせられる状態ではない。
私が女王だと言う事を忘れてしまいそうになるほどに心をときめかせていた。
そしてウッカリと自を晒してしまい、勇者様に背を向けてブツブツと独り言を吐く。
「ロマンスグレーの魅力がハンパねー。何、この勇者様、大当たりなんですけど」
「愛しいひとよ、私の話を聞いてくれていますか?」
「私も魔王討伐の旅に同行してサクッと終わらせてから、そのまま勇者様と新婚旅行を……。ダメね、女王としての責務を放棄する訳には……」
「聞こえてませんね? では愛しいひとの耳元に息を吹きかけてみましょうか、ふーーーー」
「ふうわあああああああっはーーーーーーん」
そんな油断をしていた時だった。
突然、ノックも無しに女王である私の個室のドアがものすごい勢いで開く。私は何事かと思ってドアの方を振り返ると一人の男が血相を変えて部屋に入ってくるのだ。
このジュピトリスで技術開発の責任者を務める男、ハウザーだった。タレ目にボサボサ頭が特徴の痩躯な男。
ハウザーは礼節を重んじる男だ。
そのハウザーがノックすらせずに私の個室に入ってくるなど記憶にない。私は突然の訪問に驚きを隠せずにいた。するとハウザーもまたそんな私の反応など気にすることなく、いや、気が回らないのだろう。
とにかくアタフタとした様子で私の方に走ってくる。
そして私の前で呼吸を整えて慌てた様子で口を開いた。
「陛下、大変ですっ! 私が調合した薬が誰かに盗まれました!!」
「……またロクでもない薬を調合したのですか?」
「酷い!! 私だって陛下の御身を思って……あーーーーーーーーー!!」
ハウザーはまるで世界の終わりに直面したような表情を浮かべて大声を上げた。その様子に勇者様がタオルで汗を拭きながら「何事ですか?」と言って近づいてくる。
まったく、ハウザーも一体どうしたのかしら?
私が困ったように首を傾げるとハウザーは私が手に持っている白鳥のデカンタを指差して、言葉を捲し立ててきた。
「そ、それが盗まれた薬です!!」
「ええ!? コレは……侍女が準備してくれたものですよ?」
「そ、それは私が調合した陛下の呪いを解く薬なのです!! どうしてこんなところに!?」
「……え?」
私は冷や汗を垂らしながら勇者様の方を振り向くと、当の勇者様はとても素敵な笑顔を浮かべて手を振ってくれていた。
私は勇者様にハウザーの怪しげな薬を飲ませてしまったようです。
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