五代栄一
勇者様は懐から刃物を取り出した。
その形状は薄く細長く、刃の反りも少なくこの世界では見かけない。女王故に料理をすることは無いが、それでも何となく察しがつきました。
おそらくそれは包丁だと思う。
ナイフにしては薄くてお世辞にも耐久性があるとは思えない、見た目はジパン公国特産の刀に近い気もするがやはり違う。刀と違って刃の部分に反りが見当たらない上に何よりも刃渡りが短すぎると思う。
何よりも私はアレと同じものを見た事があった。
幼き日に父とハーシェルの街に赴いた時に出会った男性が握りしめていた刃物と同じなのだ、確かあの男性も自らの職業を料理人と口にしていた筈。
だから私には分かる。
アレは包丁だと理解するには差して時間が掛かりませんでした。ですが新たに浮上する疑問も同時にある訳で。当然ながらそれは勇者様がどうしてこの場で包丁を取り出したのか、と言う事。
今は戦闘中の真っ只中。
それも魔王軍の筆頭幹部が繰り出したオーラ弾と衝突するか否かの瀬戸際、要は勇者様からすれば大ピンチの場面、そんな状況下で包丁を握り締める意味が分からない。包丁一つで切り抜けられる様な状況で無いのは誰の目から見ても明白でしょう。
勇者様がそれを分からない筈も無い。
にも関わらず勇者様は終始余裕のご様子で、まるで少年の如く爽やかな微笑みをこぼしながらオーラ弾に向かっていく。そして勇者様は私の疑問を先回りしたかの様に握りしめる包丁の意味を教えてくれました。
「はっはっは、私は元の世界ではイタマエもしていたんですよ。農業だけでは食べていけず、一時期はキョウトのリョウテイでハナイタを務めた経験がありまして」
勇者様の過去、それを知ることは何よりも嬉しい。
ですが今は流暢にそんな事を考えている場合では無いと考えて私は勇者様の言葉など耳に入らず、アタフタと慌てだす。ですがそんな私の様子すら笑い飛ばすと言わんばかりに勇者様は淡々とご自身の過去を語っていく。
「ハナイタとはレストランの調理場の責任者の事です。修行を積んで調理技術を極めた者しかなれない料理人の頂、無論それは包丁さばきとて同じことです」
「栄一様、今はお逃げ下さい!!」
「はっはっは、逃げる必要はありません。包丁で捌けばいいのですよ、このオーラ弾を桂剥きにして差し上げましょう」
「……ほげ?」
私の目の前で信じられない事が起こりました。
何と勇者様は素手のままでオーラ弾を掴んだかと思えば今度は器用にそれを左の手のひらの上で転がして表面を包丁で薄く剥き始めてしまったのだ。オーラ弾がまるで薄い布にでも生まれ変わる様に剥けていく。
オーラが勇者様の包丁技術によって途切れる事なく薄く長く帯状となってドンドンと地面に積もっていくのだ。球状だったオーラ弾が見る見る内に小さくなって、勇者様の手のひらから姿を消してしまった。
そして地面に落ちた帯状となったオーラは風に吹かれたかの如く静かに自然消滅してしまう。これにはその場にいた全員が愕然となって開いた口が塞がらなくなってしまい、顎が重力に逆らう事なく地面に落下してしまいました。
それは彼女も例外ではなかったらしい。
先ほどまで空中で高笑いをしていたリリーが鼻水を垂らしながら勇者様を凝視している。これまで人をバカにした態度しか取ってこなかった彼女が唖然茫然となる。
リリーが初めて心の底から驚いた様子を見せて、彼女の目が飛び出していました。
するとそんな彼女の様子に気付いた勇者様は優雅に振り返ってその余裕を見せ付けんとリリーに向かって言葉を口にしていった。
「はっはっは、最初からこうすれば良かったのですが何ぶん久しぶりの包丁仕事でしたもので緊張しました」
「私の……オーラ弾が……。まるで野菜クズみたいに……」
「出来れば飾り包丁で鶴にでもしたかったところですが、今はこれが精一杯です」
おっふう。
勇者様の目は本気だ。
あの目は間違いなく本気でオーラ弾で鶴の形にしたいと考えている目でしょう。その目の光からは眩いばかりの絶対無敵なフェロモンが見え隠れさせる。
そして不敵な態度と視線を持ってリリーを射抜くのだ。
その姿の何とも堂々とした事か。
そんな逞しい後ろ姿からもフェロモンは無尽蔵に撒き散らされていき、包丁の神技を持って救われた形の私は心臓が飛び出てしまいそうになるほどに鼓動をが高まってしまいました。そしてそれは私の近くにいるディアナたちも同様だったらしく、驚きと同時に乙女の如く心をときめかせてしまったのです。
やっべー。
勇者様っては超カッコいいです。この勇者様は超大当たりです!!
と言うか勇者様、オーラの帯で本当に鶴を折っていらっしゃる?
「まさかまだこんな奥の手を隠し持ってたとはねえ、散々雑魚どもを嗾けたってのにさあ。やっぱり雑魚は雑魚だったってことかい?」
「貴女は私の手の内を見るためだけに命を弄ぶのですか?」
「だけとは言ってくれるじゃないか、寧ろそれが大事な事だからねえ。結構骨が折れたんだよ? 魔王様は戦姫と勇者の命にご執心だから絶対に勝たないといけないし」
「それは……ジュピトリスに勝つ、という意味では無いのですね?」
二人の会話に割り込んでリリーの問いかけてみた。
彼女は私の質問に不機嫌になりながら睨み付けてきた。「あん?」と声を漏らして私を見下しながら威嚇して来る、リリーは勇者様と私とでは取る態度が異なる様で、ギロリ目を強めていた。その視線だけで常人ならば腰を抜かしかねない迫力が彼女にはあった。
そんな敵の態度を危険と察したのかディアナとオリビアが私の前に出て来てくれました。もはやまともに動くことさえままならない私を彼女たちは庇ってくれるつもりらしい。
スカーレットは後ろで銃を構える姿勢を見せる。
この場の全員がリリーに対して敵意を集中させた。
普通ならば多勢に無勢、リリーの立場ならばは慌てふためいてもおかしくないところにも関わらず彼女は涼しげな表情のままだった。先ほどは勇者様に驚いたものの今は冷静さを取り戻したらしく、リリーは私たちの視線にどこ吹く風といった具合に余裕を崩さない。
そして先ほどの私の問いかけを無視してリリーは口元を邪悪に歪めながら言葉を紡いでいくのだった。そして彼女はどう言う訳かオリビアへと突っかかっていく。
「まあ今回は手駒のゾンビ共が少なくなったしい? 素直に退散するかねえ、出来ればオリビアくらいは始末しときたかったけど、別に焦る必要もないから今回は見逃してやるよ」
「私をご指名とあれば何時でも勝負を受けますよ?」
「笑わせないどくれ。能力を使えないシンシアゾンビ如きに互角だったアンタが私を挑発出来ると思ってんのかい? この人造竜人のリリー・モンロー様を舐めんなって話さ」
「人造……竜人?」
「おっと、口が滑ったね。ま、とにかく私は退散するよ」
リリーが漏らした言葉に私が反応をするとそれさえも彼女には気に入らなかったのか、またしても私に睨みを効かせてくるのだ。それと同時に彼女は翼をバサッと羽ばたかせて逃げる準備を開始する。
もはやこの場には興味が失せたと言わんばかりに私たちから視線を外して空を見上げていた。
すると今後はそんな彼女の態度が気に入らなかった様でディアナが声を荒げて怒鳴り散らす。彼女もまた多くの命を弄ぶだけ弄んで平然とこの場から去ろうとするリリーに嫌悪感を隠そうともしなかったのです。
ディアナの怒りの叫びが飛び去るリリーを追いかけていく。
「テメエ、リリー!! 人を小バカにすんのも大概にしやがれってんだ!!」
「アハハハハハハ、最低限の仕事は熟したからもうアンタらには興味なんて無いんだよ。ディアナ、アンタはまず私に構って貰える程度に強くなるこったねえ」
「おい、スカーレット!! リリーを狙撃で撃ち落としやがれ!!」
「……ウチは無駄弾は撃たない主義っすから」
スカーレットがそう言葉を漏らした時にはリリーの姿は豆粒程度の大きさになっていた。彼女はその通り名に嘘を感じさせないほどの死臭を撒き散らして去っていくのだった。
振り返ればその死臭に充てられたエーレがガクガクと全身を震わせて怯える姿が身に入る。そうやって人の大切な人を死体まで弄んで、人を怯えさせて。
あの女だけは絶対に許さない、私はそう心に刻み込む事になった。
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