勇者、結論はやはり許せない
シンシアが右の拳を強く握りしめる。
彼女は腕を横に振りかぶって手の甲をオリビアの攻撃に打ち付けたのだ。その衝撃を受けてオリビアのオーラ弾は軌道を変えた。その軌道の先の遥か遠くで爆音が鳴り響く。高圧力で凝縮されたオリビアのハイプレッシャーが地面と衝突して爆弾を彷彿とさせる巨大な土煙を巻き上げていた。
強引な荒技で自らのオーラ弾を跳ね除けられたオリビアは初めて萎縮して、空中でたじろいでしまう。逆にシンシアは好機と見たのかそんなオリビアを見下す様に邪悪な微笑みを浮かばせていた。
オリビアはシンシアの隙を突いた。
にも関わらず彼女の攻撃は通じなかった。
オリビアはこの時、初めてシンシアの異常性を孕んだ精神を恐ろしいと感じてしまったのです。
「オリビアあ、言ったでしょう? 我慢だと、我慢すれば大体の事は何とかなるものです」
「……シンシア、貴女のその右腕……」
「ん? ああ、貴女のオーラ弾を弾いた時に持って行かれてしまいましたねえ。くふふ、私の事を心配してくれているのですか? お優しいオリビアあ?」
シンシアの右拳はその甲と小指に薬指が綺麗に抉られていた。自分の拳の状態を確認する様にシンシアは念入りに動かしていた。
その光景を見てオリビアは金縛りにでも遭った様にピクリとも動かなくなる。
不退転。
シンシアは絶世の美しさを誇りながらその美しさを損なう事に何の躊躇いも見せない。そう言った彼女が全身からヒシヒシと放つ断固たる決意がオリビアに襲いかかってくる。
そして彼女は再び突進してオリビアを殴りかかった。
拳の怪我からこぼれ落ちる血流に何の興味も示さず、ひたすらに敵を破壊する事にのみ執着する様子だ。
シンシアの拳が放つ鈍い音だけが周囲に響き渡っていった。
「くふふ、そろそろ貴女にも毒が回ってきましたか。美しいその肌に毒が着色し始めているのが分かりますかあ?」
「これを我慢するなど正気の沙汰ではありませんね」
「否!! 耐えて耐えて我慢して、ジッと堪えてひたすらにチャンスを待つ。それが何事であろうと勝利の秘訣ですよお?」
「幹部の第三席ともあろう者が意外と泥臭いのですね?」
「例え今は喋れなくとも、その日が来ると信じて我慢して……私はあの人の世話をする。愛おしかった過去があるからこそ今を我慢出来る。望む未来があればこそ今乗り越えられるのですよ」
「?」
「おっと、お喋りが過ぎました。では……そろそろ本当にお終いとしましょうかねえ!!」
マズい。
これでは本当にオリビアが死んでしまう。
上を見上げるとオリビアの顔が殴られる度にアザを浮かばせていく。優雅な美しさを誇る翼人であるオリビアからそれが削ぎ落とされていく光景が目に焼き付いて離れない。
仲間を失うと言う絶望が私の脳裏から離れないのだ。
ゴクリと自分が固唾を飲み込む音が私の血管を辿って全身に伝わっていく様な感覚を覚えてしまう。
そんな時にこそ何時も私に勇気を与えて下さるのは勇者様だった。勇者様は「心配無用ですよ?」と私をその逞しい腕で優しく抱き寄せて声を掛けて下さった。
そしてその腕を話すなり勇者様は上を見上げてシンシアに話しかけていった。
「はっはっは、揺るがない決意を抱く女性とは何とも魅力的ではありませんか。アルテミスと言う心に決めた女性が居なかったら危うく心がトキメキを感じるところですよ」
「くふふ、私も同じですよお? 私にも心に決めた殿方がいます。そうで無くは貴方に一目惚れしていた事でしょうねえ」
シンシアが拳をピタリと止めて勇者様の言葉に反応を示した。殴られ続けてもはや身動きの一つも出来ず、ダラリと項垂れるオリビアに興味が失せたのだろう。
彼女は視線を勇者様へと移していた。
まるでキャッチボールの様にシンシアによって投げ落とされたオリビアを勇者様は優しく受け止めていた。そして隣にいる私に「申し訳ありませんがお願いします」と言ってオリビアを託してきた。
勇者様の視線は再び上空へと戻る。
するとたったそれだけの事でシンシアとの闘いに決着がついてしまう事になるのだ。そのあまりにも衝撃的な結末にその場の全員が目が飛び出さんばかりに驚愕してしまいました。
何とシンシアが空中で激しい吐血を始めてしまったのだ。
これには当の本人であるシンシアなどは驚く時間さえなかったらしい。自分の身に何が起こったのかすら分からず地面に向かって落下し始めた。
落下の間さえ二人は時間を惜しんで会話をしていく。
「ぐっ、はあ……!? バカな、この私が我慢出来ない……ほどの痛みをこの一瞬……で?」
「はっはっは、ボツリヌス菌と言う菌類が私の世界にはいましてねえ。ボツリムストキシンAと言う強毒を生む生物です。私の能力で貴女の体内に入り込んだ毒素をボツリヌス菌に生まれ変わらせました」
「な……んですって?」
「シンシアさん、私は出来るならば女性を殺したくはありませんでした。ですが貴女自身が人生に疲れてしまい、その疲労を他者に強要している。それはとても悲しい事です」
「……私は死ねないのです。私が死ねば……あの人……と……お父う……え……様が……」
「こちらとしてもオリビアさんを死なせるわけにはいかないのですよ。さようなら、チャーミングで情熱的なシンシアさん」
ピシャリと時間が止まった。
視線を地面に移せば力尽きたシンシアが死体となって倒れ込んでいた。
それでも時間の流れはシンシアが地面に落下して絶命した事で闘いに決着がついた後も終わりを見せなかった。勇者様は自らが能力で作り上げた毒で死んだシンシアの姿に表情を曇らせる。そんな悲しみの空気に塗れた勇者様の後ろ姿に私は尚のこと、時間を動かせずにいた。
それでも時間が待ってくれる筈もない。
状況に呆然とする私たちの中でディアナが最初に口を開いた。彼女はこの状況を強引に動かすべく私に向かってシンプルな疑問を投げかけてきました。
私は改めて質問されて、言われてみればその通りと感じてしまった。
「なあ、……勇者様が最初からやってればオリビアはボッコボコにされずに済んだって……事か?」
「ディアナ、それを私に聞きますか?」
「けどよお、これじゃああんなに頑張ったオリビアが不憫じゃねえか?」
「流石にそれはウチも同意っす」
スカーレットまでもがディアナの意見に賛同する。彼女は腕を組んでしみじみと頷いていた。ディアナもピクピクと顔の筋肉を痙攣させながらスカーレットに「だよなあ?」と言葉を返す。
「はっはっは、オリビアさんも解毒しないといけませんねえ。では皆さん笑ってえ、スマーイル。キラーン」
おっふう。
真剣に話し合っていた横で我関せずと言ったご様子の勇者様は解毒のためにと抱きかかえるオリビアに超絶イケメンな微笑みを送っていた。おお、やはり勇者様の笑顔は眩しい。
オリビアはその笑顔を無防備な状態で受けてしまい、久しぶりに鼻血を噴射させていた。これは後で輸血が必要だなと思い、私は一人でその心配に耽る。
すると勇者様は曇らせていた顔を無理やり笑顔に変えて私たちに向けてくる。
そしてディアナが感じた疑問の答えを教えてくれました。
「ボツリヌス菌は私の世界では自然界最強の毒素を生み出す菌類ですから、流石にゼロから生み出すのは私も難しさを感じまして」
勇者様は申し訳ないと言いたげに眉を顰めながらオリビアを見ていた。なるほど、勇者様の能力は特殊な性質を生まれ持つ生命を生み出すには制約がかかるらしい。
つまりオリビアがシンシアに毒を返した事で成立した勝ち方だと勇者様は仰りたいらしい。
説明されて納得は出来ました。
ですがボッコボコに顔が腫れ上がったオリビアを見て私とディアナは自然と互いに顔を覗き込む。そして再び顔を痙攣させて仲間を不憫に感じてしまった。
私たちは何方からとも無く視線を外してその不憫さから「うわああ」と声を漏らしていた。
「……俺、オリビアの顔を治療してくるわ」
「ディアナ、あまりにも不憫です。オリビアの傷は完璧に治してあげて下さい、シクシク」
「ガッテン承知の助ときた。……言われるまでもねえ、ふぐううう」
「アルテミス、オリビアの顔が立体的におかしな形状になってるっすよ?」
スカーレットが無邪気にオリビアの傷を抉る。
その一言に私は心の中で全力で泣いた。
そしてディアナにアイコンタクトを送ると彼女は首を縦に振って「任せときな」と残すなりスカーレットの頭にゲンコツを落とす。ゴチン!! と良い音が鳴るとスカーレットは「何するっすかー!?」と抗議をするもディアナは涙を堪えて「空気を読みやがれ」と文句の言葉を一蹴する。
はあ、スカーレットの無邪気さはこう言う時にこそ厄介だと思い知る。
そして一連の騒動が着地を果たすなり地面に臥したシンシアに視線を向ける勇者様の姿が視界に入る。これまでの勇者様は直接的に女性を害することは無かった。
だからでしょうか?
勇者様は何処か後味の悪さを表情に残して小さく呟きを漏らした。全身を毒に侵され変色しきったシンシアは声を漏らす事なくその場に静寂を纏って佇むしか無かった。
「我慢は時として体に毒です。ですがもう我慢する必要はありません。シンシアさん、どうか静かにお休みなさい」
「栄一様……」
「女性の心を弄んで利用する魔王、私はお前だけは絶対に許さない」
オリビアが読んだ風がその去り際に勇者様の怒りを攫っていく。
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