第71話.妃に呼ばれて
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依依の予想通りというべきか。
市の二日目は何事もなく、三日目も、大きな事件が起きることなく幕を閉じようとしていた。
依依は二日間とも後宮内の巡回任務を務めていた。
さりげなさを装って、湘老閣という店をちょくちょく監視してはいたが、特に変わった様子はなかった。諸侯王である南王の側付きの男も、宇静と出会したことで警戒したのか、二日目以降は姿を見かけなかった。
(でもそれ、ますます怪しいってことよね)
彼が女官と懇意の仲であったなら、年に一度しかない機会を逃しはしないはず。
つまり宇静の予想通り――依依たちが見たあれは、ただの男女の密会現場ではない。
(あの人たちが回収しようとしてるものって、なんなのかしら……?)
しかし依依は、頭を働かせるのは苦手である。
得意な宇静や飛傑に任せておけばいいか、とは思うのだが、幼い瑞姫も関わっているとなると、どうしても気になってしまう。
商人たちが売れ残った商品を荷車に詰め込み、天幕を片づけるのを眺めていると、後ろから声がかけられた。
「……そこの武官。少し時間をもらえますか」
気配に鋭い依依は、当然、彼女が木陰からしばらくこちらを見ていたのも知っている。
腕組みを解き、笑顔で振り返った。
「いいわよ。りんし」
「こほん」
「……灼賢妃の女官殿。僕に何か?」
依依の言葉遣いと態度を咳払いひとつにて改めさせた林杏が、ぎろりと睨んでくる。
「灼賢妃がお呼びです。灼夏宮までお越しいただけますか?」
◇◇◇
「では、あたしはここで。誰かが来たら、とりあえず時間を稼ぎますから」
林杏の言葉に頷き、依依は扁額のかかる灼夏宮へと足を踏み入れた。
出迎えはない。しかし依依もこの宮には慣れたものだ。いくつもの回廊を素早く進んでいく。
武官姿で依依が灼夏宮を訪れるのは初めてのことだ。
というのも、依依と純花が双子の姉妹であることは秘密である。
不用意な接触は禁じられており、何か連絡事項があるときは、豆豆が持つ筒に文を入れて伝えることになっている。
そんなことはじゅうぶん分かっている純花が、それでも依依に会いたいと直接望んでいる――とまで言われてしまえば、妹を可愛がる依依が断れるはずもなかった。
用件についても、純花から伝えたいのだというから、ここに来るまで依依は何も聞いていない。
知り合いの武官に、少し抜けると伝言を頼んだが、今日中に清叉軍も後宮から退く。また置いていかれたら春彩宴の二の舞なので、あまり時間はない。
(純花、どうしたのかしら?)
清叉軍の他の人間には知られたくないようなことか。あるいは、緊急の用事だろうか。
だがそれにしては、林杏の態度は落ち着いていた。いつもわりと取り乱しがちな彼女にしては珍しい。
主人が危機に陥っているならば、林杏はもっと目を回して混乱しているはずなので、依依はあまり心配していなかった。
純花の私室の前に立つと、室内で二人分の気配が動いた。
依依が挨拶をする前に、飛びついてきたのはよく似た顔の妹――純花である。
「お姉様、来てくれたのね!」
「まぁ、純花」
熱烈な歓迎だ。
人前では妃としての威厳を保つよう奮闘している純花だが、相手が依依となると素の幼い部分が前面に出るようになった。
むしろ、姉に甘えるために積極的に出しているのだろう。それが分からない依依ではないから、優しく純花を抱き留めてやる。
「お姉様って、武官の格好をしているとそんな感じなのね。格好良い」
「あら、そう?」
「すっごく硬いけど……」
小さな拳を形作った純花が、依依の胸元をとんとん叩く。
小さな鉄の板を繋いだ両当鎧を着ているので、そりゃそうだと依依は頷く。
『灼賢妃。あまり時間の猶予がありません』
「あっ、そうだったわ」
明梅の掲げる帳面を目にした純花が、依依から離れる。
ぱたぱたと室内を戻っていく純花だが、優美さを損なわないのはさすがだ。
卓子の上には大量の長方形や正方形の箱が並んでいる。市で買い込んだ品々だろう。
広々とした部屋ではあるが、きらびやかな衣服がいくつも衣架に掛かっているからか、今日はやや手狭な印象だ。
「あのね。今日まで市が開かれていたでしょ? そこで良いものを見つけたの」
卓子の下から純花が取り出したのは、蒔絵が施された唐櫨である。
艶めいた花海棠の絵が描かれた蓋を取ると、その中身を大切そうに両手でとりあげる。
女官が持つ盆に載せるのではなく、純花自ら依依に差し出したのは、他の誰にもその役目を任せたくなかったからだ。
赤い唇をすぼめた純花が、同じくらい赤い顔で教えてくれる。
「わたくしからお姉様への贈り物よ。喜んでもらえるといいのだけれど」
「……これは?」
「犀の角でできた簪なのですって」
――これが、単なる簪であったなら。
だったとしても、依依は満面の笑みで喜んだだろう。
なぜならば妹が選んでくれたせっかくの贈り物だ。たとえ普段、簪を使う習慣がないどころか、付け方もよく分かっていなくとも、嬉しがったに決まっている。
しかし純花の贈り物は、ただの簪ではない。
犀角を使った簪だというそれを、依依は驚きと共に見つめていた。
というのも依依は、若晴から教わったことがあった。
動物の角は、薬に使われることが多い。犀の場合も、その角は漢方薬の材料に使える。
しかし中でも特に貴重なのが、黒い色の角で――。
依依は興奮のままに叫んでいた。
「これ、烏犀角じゃない!」