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第70話.任務の報告

 


 赤々とした夕焼けが沈む中。

 任務を果たした依依は、屯所へと戻ってきていた。


 後宮内にはもともと武官の詰められる場所はないが、市の開催に合わせて空いている倉庫が貸し出されている。

 倉庫といっても、以前は後宮の骨董品を集めた古物庫として使われていたものだから、その広さは小さめの宮殿にも匹敵する。


「依依、お疲れ様です」

空夜(コンイェ)様!」


 何人かの武官が行き交う中、出迎えてくれたのは宇静の副官である空夜だった。

 童顔の空夜は、人好きの良い笑みで依依を迎え入れた。よく冷えた水の入った杯を差し出してくれる。

 わざわざ空夜が屯所の入り口に居た理由は、依依を待っていたからだろう。


(清叉軍の良心だわ!)


「すみません、こんなものしかなくて」

「いえっ、助かります!」


 喉が渇いた依依は遠慮なくぐびぐびと飲み干す。


 三杯の水をおかわりしたあと、案内された先は宇静の部屋だ。

 といっても執務用の卓子だけ運び込まれた小さな部屋だが、そこで宇静が待ち構えていた。


「ただいま戻りました」

「ご苦労だった」


 突如として将軍・陸宇静から言い渡されたのは、市の最中に発見した怪しげな男を追えという任務だった。

 依依にとっては難しくない。静寂に満ちた森の中でさえ、自身の気配を消して野性の獣たちを相手取ってきた依依だ。

 まして後宮内では市が開催されているので、周囲は人の気配に満ちている。巡回の武官たちも居る。自分の存在を溶け込ませやすい環境だ。


「尾行は警戒していたのか、何度か周囲を確認していましたが気取られなかったかと」


 男は素人ではなかったが、こちらに気がつくことはなかった。


「あの男が合流したのは、壺や盤を売る店でした。店の名前は湘老閣。男より少し年上らしい店主と短い会話をして、天幕の中に姿を消して以降、市が終わる時間帯まで出てきませんでしたが……市が終わると同時、片づけを手伝っていました」


 数刻に渡り天幕に引きこもっていたということだ。

 奥にある商品を店主が取りに行くときも、手伝っている様子がなかった。怪しいことこの上ない。


「会話の内容は覚えているか?」


 こくこく、と依依は頷く。

 もう少し長ければ忘れてしまっただろうが、幸運なことに二人の会話は依依にも覚えられる長さだった。


「店主が『回収は』と問い、男はすれ違いざまに『まだ』とだけ」


 視力の優れた依依は、かなり遠目から二人の様子を観察していた。

 だから実際に声を聞いたわけではなく、唇の動きを読み取ったのだ。


「もう少し追ったほうが良かったでしょうか?」


 尾行には成功したものの、彼らの正体や思惑について暴くことはできなかった。

 後宮を出たあとは、他の商人たちと同じように宿場町に寝泊まりするはずだ。追っても良かったのだが、宇静の短い指示には、そこまでの意味は含まれていないと依依は解釈した。


 もしも宇静がそれを望んだのなら、彼はもっと具体的に指示したはずだから。


 手元の書類を見ていた宇静が顔を上げる。


「いや。湘老閣は明日以降も市には参加するようだからな」


 宇静はそう言うが、男のほうは宇静に目をつけられている。

 考える頭があるならば、おそらく明日以降は姿を見せないだろう。恋華宮の女官のほうもしばらく引きこもるはずだ。


「……瑞姫様の女官も、関係しているんですよね」

「それは、お前が考えるべきことじゃない」


 突き放すような冷たい言葉。

 しかしそれが宇静なりの優しさだと、依依には分かる。だから反発心を抱くことはない。


(たぶん瑞姫様は、知らないこと)


 瑞姫が、何か恐ろしい陰謀に加担しているとは考えにくい。

 無邪気さゆえというより、毒で臥せっているからこそ、依依は冷静にそう思う。宇静も、同じように考えているはずだ。


「疲れているところ悪いが、店主の絵姿を頼みたい」


 絵心のない依依は押し黙った。


「……担当の武官を呼ぶ」

「分かりました!」


 とたんに依依は元気を取り戻す。特徴を言えばいいだけならいくぶんか気が楽だ。


(え~っと店主は、よく日焼けしてて、厚ぼったい唇に小さい目、それに額におできが……)


 記憶を探りつつも辞そうとした依依だが、その直前にくるりと振り返った。


「あの男、将軍様のお知り合いですか?」


 凛々しい眉がぴくりと動く。


「どうしてそう思った?」

「なんとなく、ですけど。一瞬、将軍様の気配が張り詰めた気がしたので」


 そう感じたのは、宇静が恋華宮の女官ではなく、男のほうを見た瞬間だった。

 宇静は呆れたような、感嘆するような、複雑な顔つきをしている。


「……相変わらず勘だけは鋭いな」

「ありがとうございます」


 とりあえず褒められたものと受け取っておく。


「知人というわけじゃない。あの男の顔に見覚えがあっただけだ。……あれは南王の側付きだ」

「南王?」

「南国を治める群王のことだ。陛下のひとつ年下で、腹違いの弟に当たる」


 群王とは諸侯王のことを指す。香国では、皇族以外には王号が与えられないよう律令で定められている。

 頭の中の若晴帖を、依依はぱらぱらと捲る。

 南国は、灼家が領地を持つ土地でもある。ただし王都からかなり遠い。気候が暑く、干ばつしやすいので作物が育たない。お世辞にも、肥沃な土地とは言い難い。治めるにも苦労のほうが多そうだ。


 そういった土地を飛傑が与えているということは――。


「あんまり陛下とは、仲良しではないんですね」

「今日のお前は妙に頭の回転が早いな。……偽者か?」


(失礼な!)


 真顔で失礼なことを言ってのける宇静だ。


(陛下の弟ってことは、将軍様の異母兄でもあるんだろうけど……)


 とも思ったが、口には出さない。

 月餅を分けてくれるのはひとりの兄だけだったと宇静が話してくれたことを、依依は忘れていない。


「その南王の傍付きが、商人だと身分を偽って後宮に入り込んでるということですね」

「そういうことだ」


 言葉にしてみると、これがどれほど不可解な事態か感じられるというものだ。

 果たして、そんな彼が回収しようとしているのはなんなのか?


 もう少し考えてみたかったが、深入りを拒むように宇静が言う。


「この件は俺から陛下に報告しておく。お前はもう休め」


 やや不満に思いつつ、依依はようやく部屋を辞したのだった。




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