第4話.何がどうしてこうなった
(――どうしてこんなことになったのかしら?)
目の前に積み重ねられた、もっちりとした白い点心。
両手で思いきり掴み、勢いよく半分に割り開けば、ぶわりと食欲をそそる湯気が立つ。
かぶりつくと、口の中に脂の染みる肉と野菜の旨味が広がっていき……まさに天にも昇る心地である。
(ああ、幸せぇ……)
そうしてじっくりと味わい尽くしていると――面倒なことは、いろいろとどうでも良くなってくるのだが。
(じゃない! どうしてこんなことに……ああっ、幸せぇえ!)
口にはもぐもぐと、何十個目か分からない旨味のかたまりを頬張りつつ忙しく「うっとり」と「はっ!」を繰り返す彼女のことを、戦いた目をした男たちが唾を呑み込んで見つめている。
しかしそんな視線を意に介さず、依依は幸福のあまり打ち震えながらも、再び「はっ!」と思い出す。
(って、そうそう。それで、どうしてこんなことになったのかしら……?)
――ときは数刻前に遡る。
「もし。あそこに入りたいのですが」
いくつもの山を越え、川を越え、谷を越えて。
道すがら――といっても獣道すがら、山賊を懲らしめたり、猪に跨がったり、怪我人を助けたりしての半月の旅の終わり、遠路はるばる都へと着いた依依である。
待っていたは、絢爛豪華な香国の都。
家屋の間を埋め尽くすように色鮮やかな春の花々が咲き、甘い香りの漂うここは、まさに香り立つ国の都と呼ぶに相応しかった。
それに依依の住んでいた土地とは比べものにならないほど洗練された街並みに、風情に、道行く垢抜けた都人たちに、圧倒されたのは当然である。
露店ひとつを覗いても、見たこともないような商品ばかりが揃えられていて飽きることはない。使い古しの服を着た依依を見ると、店先の主人は誰もが嫌な顔をしていたので早々に退散したが。
そしてたった今、都に着いたばかりの依依は、休息も挟まずに隣を歩く若者に聞いていた。
指差す先は宮城――と思われる、聳え立つ豪奢な建造物である。
高い塀に遮られて内部はよく見えないのだが、中にはいくつもの建物があるようだ。
依依の双子の妹・純花の住まう後宮もそこに含まれているのだろう。
(大きなお家に住んでいるのね、純花)
まずそこに姉として一安心の依依である。
そして明らかに田舎者である依依に話しかけられた男は、頬をかきながら問う。
「どこから来たんだ?」
「北の村から歩いて来ました」
名前もない小さな村である。きっぱりと答える依依に、男はぱちくりと瞬きをする。
「歩いてって、どのくらいだ?」
「十五日ほどです」
依依は淡々と答える。
それを聞いた男は納得した。
なるほど、武官登用試験の受験志願者かと、男はそう思ったのだった。
この金銭も頼れる親類もなさそうな少年は、食うに困って故郷から出てきたのだろう。
文字の読み書きができなければ話にならない文官と異なり、健康な若者ならば武官に登用される可能性はある。そう夢見て田舎から出てくる若者は、珍しいわけではない。
そう男が勘違いしたのは、依依の格好にも要因があった。
髪染めの樹液が切れた依依は長い髪の毛をくるりと巻いて、頭巾代わりの布の中に仕舞っていた。
飾り気のない旅装も相まって、そうするとほとんど外見はやんちゃな小僧そのものである。
(見目はなかなか……いや、悪くない。これで女であれば、嫁の貰い手はあったろうになぁ)
などと大層失礼な勘違いをされているとは知らない依依は、なぜか鼻の穴をひくつかせている男に「女官になりたいので、宮城への道を教えてください」と頭を下げた。
慌てて我に返った男は、指差しながら教える。
「大通りを東に抜けて、しばらくまっすぐ歩くと朱塗りの小さな門が見えてくる。そこに武官登用試験の受付があるから、そこに行って名乗ればいい。……頑張れよ」
「ありがとうございます!」
元気に頭を下げてから、依依は駆け出した。
「…………あ? 女官?」
聞き間違いか? と首を傾げつつ、男はその場を去った。
そして依依のほうも目の前のことに気を取られると、人の話はまったく聞かない性質である。性別を間違えられたなどと気がつくはずもなく、早足に進んでいく。
男に説明された通りに突き進む依依の前に、次第にその巨大な城の偉容が見えてくる。
やはり高い塀が視界を遮るので、中の様子はよく見えないものの。
(ここに純花が居るのね……!)
そう思うと気分が浮き足立つ。
無駄と分かりつつ背伸びをしていると、開かれた小さな門の前に人の姿を見つけた。
横向きに置かれた長机の前に座った、二人の男である。彼らが女官登用試験の受付役なのだろうか。
だがそちらが何やら騒がしい。
なんだろうと近づいていってみると、怒声が聞こえた。
「――だから、なんで俺が試験を受けられねえんだ!?」