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第35話.花海棠の君

 


桜霞(インシァ)への手土産は何がいいかな」


 道すがら、ただ歩いているのも暇でそう訪ねれば、気の置けない武官は眉を顰めていた。

 ただでさえ皺だらけの眉間が、ますます歪んでいる。自分こそ彼の苦労のひとつだと知っているが、言動を改めるつもりもない飛傑(フェイジェ)である。


「それは、私に訊かれているのですか?」

「お前以外に誰が居る?」


 しばらくの沈黙のあと、宇静は言葉を返してきた。


「……陛下はてっきり、灼夏宮を見舞われるかと」


 余計なことを言った、というようにそれきり宇静は口を噤んでしまう。

 腹違いの弟が、そういう顔をするのは珍しい。そう気がつけば、飛傑はつい、からかいたくなってしまう。


「そうしたいのは山々だ。だが、長官たちは揃って青い顔をするからな」


 ふう、と飛傑は物憂げに息を吐いてみせる。


 九日前の春彩宴にて、階段から落下しかけた下級妃を庇い、代わりに落ちた妃――灼純花(シャクチュンファ)

 四夫人のひとりでありながら、飛傑と彼女の交流はほとんどない。その人となりについても、人づてでしか知らずにいる。

 だがあのような無鉄砲な行動を取る妃ではなかった、とは思う。


 呪われた妃と呼ばれる純花。

 だが飛傑は、表立って彼女を庇うことはできなかった。否、しなかったというのが正しいだろう。


 帝として即位したばかりで政務に忙しく、そしてあの頃の宮廷内は安定しているとは言い難い状況だった。

 それに不用意に純花を守るような真似をすれば、帝の寵愛を得ていると周囲に認識され、さらなる危機が襲っていたかもしれない。

 今となっては言い訳に過ぎない。しかし飛傑は、たとえ時間を巻き戻したとしても、同じように純花を見捨てる選択を取るだろう。


(だから――あれは、余を恨んでいると思っていた)


 公式の場では目も合わず、いつも顔を深く俯けていて、まともに見えるのは赤い髪ばかり。


 それが春彩宴の儀では、にこやかに微笑み、花海棠(はなかいどう)の枝を差しだしてきた。

 不格好な枝だった。開く前の蕾は形が悪かった。しかし奇妙なまでに美しく、目を奪う。

 その花が今、皇帝の寝所に活けられていることを知るのはここに居る数人のみだ。


(余も、天女の舞に魅せられたのか)


 今まで、どんなに着飾った女たちを見ても、これほどまでに心動かされたことはなかったのに。

 瞼を閉じれば今も鮮やかに、落ちていく華奢な体躯の残像が映る。


 飛傑はあの瞬間、純花の顔を確かに見ていた。


 自分が助けた妃が宇静に受け止められたと知り、安堵するように細められた赤銅色の瞳。

 軽やかに翻る長い裾。迫りくる地面を見据えながら、気楽に微笑んでみせた赤い唇。


 天女と呼ぶにはあまりにも豪毅に、木板の上を転がるようにして回り、立ち上がってみせた純花の姿に見惚れ、飛傑はあのとき動くこともできなかったのだ。

 惚ける皇帝を置いて、さっさと出て行ってしまう背中にも羽が生えているようで……躊躇わずに追いかけてみせた宇静の立場を、羨ましいとさえ思ってしまった。


 そんなことは、本人に向かって口にしない分別はあったが。


「枝はいかがですか」

「ん?」

「樹貴妃への手土産に、桜の枝です」


 飛傑は目をしばたたかせた。

 どうやら飛傑が黙っている間、この生真面目な武官は考えを巡らせていたらしい。


(にしても、枝か)


 思わず口元に笑みを浮かべてしまう。

 きっと宇静も、飛傑と同じようなことを考えていたに違いなかった。


 飛傑が頷けば、宇静が手近な桜の木を見遣る。

 皇帝が手ずから枝を折るわけにはいかないので、彼が調達するつもりなのだろう。


 こうして昼下がりに桜霞の宮である春樹宮(しゅんじゅきゅう)に顔を出すのは、飛傑なりの宇静への気遣いだ。

 彼もそれを理解している。他の妃の元に向かう際は、飛傑は宇静を伴っていくことはないのだ。


(今頃、灼賢妃は何をしているのか)


 見事に咲き誇る桜の木に寄りながらも、飛傑は振り返らずにいられない。


 春樹宮に向かう際に立地上、必ず横切るのが純花の宮殿である灼夏宮だ。

 宇静に言われずとも、灼夏宮を訪れたいと思っていた。

 下級妃を助けた純花の働きは、帝直々に労うに値するものだし、再び彼女と言葉を交わしたいと飛傑も望んでいる。


 しかし飛傑であろうと、後宮内を好き勝手に出歩くことはできない。

 行く先の妃の宮は必ず記録に取られる。そのとき、呪われた妃の元に行くのは取りやめてほしいと、高官たちに首を横に振られたのだ。


 無視しても良かったが、ここ数日、自分の気持ちを持て余している自覚があった。

 だから今日も純花ではなく、桜霞の元を訪ねようとしている。


 そのとき、ふいに宇静が振り返った。


「陛下、お下がりください。危険です」


 飛傑はきょとんとする。

 何もないところで、急に宇静がそう言いだしたからだ。


「ふざけていらっしゃるのですか。このような開けた場所で、なんの危険があると?」


 宦官のひとりが胡散臭そうに見るが、宇静は何も言い返さない。

 しかしこの男は、ふざけるということをしない。

 つまり下がるよう言われれば、彼に庇われる立場である飛傑は大人しくそうする。つられて宦官たちも、すごすごと数歩後ろに下がった。


 ――すると、数秒後のこと。

 つい先ほどまで飛傑が立っていた場所に、何かが降ってきた。


 ほとんど音はなかった。

 頭上から降ってきたのは、鮮やかな赤色だった。




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