第21話.火花散る宴1
二日間にわたって開かれる春彩宴。
一日目は皇帝や妃嬪、官吏が集まり、わいわいと花見をしながら宴会を開いたわけだが、二日目の内容はより儀式的なものである。
それは、冬の衣をまとった皇帝の下に、妃嬪たちがそれぞれ春の花を献上するというもの。
これはもともと、太古の時代の伝説が基になった行事である。
――山間にある寒村に住む、とある貧しい男が、冬も越せぬまま力尽きそうだった。
しかし麓の村には既に春が訪れていて、村人たちは日夜宴を楽しみ、酒やご馳走を楽しんでいるという噂話を耳にする。
男は、山を下りる決意をした。
だが、十分な食料もない男は道半ばにして倒れてしまう。
すると空から麗しい天女が舞い降りてきて、男の手元に桃色の蕾がある枝を差し出した。
男は今にも息を引き取るほどに飢えていたのだが、天女たちに礼を言い、花咲く前の小さな蕾を心を尽くして愛でた。
そんな男の心の美しさに胸を打たれた天女たちが、彼の頭上に春を降らせた。
そして働くことも忘れて宴会騒ぎばかりに明け暮れていた麓の村は春の嵐に襲われて、跡形もなく去ったと言われている……。
(これが香り立つ国、香国の始まりであった……と)
明らかに、百年以上前に滅びた隣国を麓の村に、香国を心の美しい男に都合良く喩えているのだが、まぁそれはそれとして。
つまり春彩宴の一日目は麓の村のどんちゃん騒ぎ、二日目は皇帝と妃嬪の儀を男と天女の物語に見立てているというわけだ。
依依は、そうして林杏に叩き込まれた伝説の内容を頭の中でおさらいしていた。
他の妃嬪たちと共に彼女が並んでいるのは、春彩宴のために整えられた特設会場である。
元々は物見櫓を運んできて、改造したものなのだとか。それで独特の形状をしているのだ。
円形をした三階建ての会場の丸い輪郭をなぞるようにして、長い二つの階段が配置されている。
階段の先には床の高い舞台が組み上げられていて、そこに香国の皇帝――陸飛傑がででんと鎮座する、というわけだ。
(香り立つどころか、鼻が曲がりそう!)
鼻の利く依依には、女たちのつけた香水の匂いがきつくて堪らない。
鼻栓をしたいが、林杏の監視の目が怖くてできないのである。
まだ皇帝は姿を見せていないが、彼の登場を待つ女たちは色めきだっていた。
皇帝が現れたあとは、妃嬪たちは階級に合わせて階段を上って礼を取る。
最終的には、四夫人のみが皇帝の前にそれぞれ花を捧げる……というのが儀式の段取りだ。
(天女が男に花を与えるのなら、妃嬪たちが皇帝より高い位置に陣取るべきだと思うんだけど……)
皇帝を見下ろすわけにはいかないということで、やむなくの措置らしい。
いいとこ取りねぇ、と何気なく呟いたところ林杏が頭に角を生やす勢いで怒り狂ってしまったので、心の中だけでこっそり思うだけに留める依依だ。
――依依はひょんなことから、四夫人のひとり、灼賢妃と呼ばれる純花の身代わりを務めることになってしまった。
純花は未だに行方知れずではあるが、自分から姿を消しているのでおそらくは無事だろう。
とりあえずは春彩宴を乗り切ってから、彼女を捜し出さなければならない。
(そう遠くには行ってないと信じたいけど、どうなのかしら)
なにせ昨日、再会したばかりの妹のこと。いまいち何を考えているかは分からない。
本来は純花がまとうはずだった衣装は、代わりに依依が着ることとなった。
依依のほうが筋肉質なものの、二人の体格はよく似ている。林杏と明梅が裾の長さだけ調節してくれて、どうにかなったのだった。
昨日は赤と桃色を基調とした衣装だったが、本日の装いもまた豪華なものだ。
淡い薄桃色の中衣に、上衣は目に鮮やかな朱色。
全体を緩く引き締める薄青の帯は、冬の色を身につけるという皇帝と合わせたためだろう。
赤い髪は高く結い上げ、いくつもの翡翠の簪に彩られている。
目尻に朱を引き、唇には紅を入れて。厚化粧を施した姿は、もはや依依ではなく純花そのものだろう。
こんな風に着飾った経験のない依依は、ただ女官たちにされるがままだったが。
「本日も素敵な装いですこと、灼賢妃」
後ろに整列していた、これまた派手な格好の妃嬪が、にやにやと笑いながら話しかけてきた。
依依は、にこりと微笑んで返事をする。
「ありがとう」
「そんなに華美に着飾ってらっしゃるのだものね。今日こそはきっと皇帝陛下も、灼賢妃に慈悲深い視線を投げてくださるのじゃないかしら?」
なんか言っている気がするが、焦る依依にはそれどころではない。
(ええっと、この人の名前は……)
なんだろう。
がんばって思い出そうとしたが、そもそも知らない。
困っていたら控えていた林杏がさりげなく近づいてきて、手元に握り込んだ小さな紙片をそっと見せてくれた。
会場にはおつきの女官はひとりまでしか入れなかったので、林杏がついてきてくれたのだ。
走り書きされたその名前に素早く依依は目を通す。
「来充容、あなたも素敵よ。その……耳まで垂れ下がってぶらぶら揺れている紐、とても綺麗な瑠璃色だと思うもの。陛下の目だって釘付けになっちゃうわね」
来が家名、充容が階級。
充容の位は確か妃嬪の中で真ん中くらいだったと思うが、正直定かではない。
ちなみについ先ほど、輿に乗り込む直前まで林杏により、口に箸を咥えさせられていた依依である。
表情筋が痺れかけているが、そのおかげで笑顔は完璧だ。きっと来充容も笑みを返してくれることだろう。
と思ってにこやかに伝えたのに、来充容は顔を真っ赤にした。
「……ちょっと。飾り紐が取れかけてるじゃないの!」
彼女に呼びつけられた女官が慌てて駆け寄ってくる。
妃嬪たちがなぜか依依のほうを見ながら、ひそひそとお喋りを始めた。
しかし依依はといえば首を傾げるばかりだ。
視界の端で林杏がぶるぶる震えている気もするが、その理由もよく分からない。
「…………っふふ」
ふと、同じ列に並ぶ少女が口元を押さえて小さく笑った。
何かと思って、依依はそちらに視線を投げた。