第17話.見捨てられない
四夫人のひとり、灼純花妃が住まう灼夏宮。
青空に映える朱塗りの建物の中では、現在、膠着状態にて四人の女子が睨み合っている。
卓子について呑気に団子を頬張っているのは、宮殿の主たる純花。
その傍に控えているのが、純花つき女官の林杏と明梅。
そしてひとり壁際で腕組みしているのが、清叉軍所属武官の依依である。
――林杏が依依の性別を確かめるため、依依の股を無遠慮に叩いたのは四半刻前のこと。
林杏はばつが悪そうな顔をして、時折、様子を窺うように依依のほうを見てきている。
さすがに女相手にひどいことをしたと思っているらしい。謝りたそうに時折、口を開いてはぱくぱくしているのだが、そこから素直な詫びの言葉は出せそうにないのだった。
対する依依はといえば、
(私も、まだまだ修行が足りないわね)
と内省していた。
小さな頃から戦士として心身を鍛えてきた依依。そんな彼女を、数分間も茫然自失とさせた人間は林杏が初めてであろう。
帰ったら鍛え直さなくては。牛鳥豚を付き合わせるのもいい。
そう考えた次の瞬間には、依依は思っている。
(お腹空いた…………)
純花の食べる色鮮やかな団子が美味しそうで、羨ましくて仕方ないのだ。
言われるがままに純花についてきたせいで、お昼抜きの依依はすっかり空腹だった。
春彩宴でも風に乗って良い香りばかりが漂ってきていた。あんなの生殺しである。
(一本くらい……いいえ。二本でいいから分けてくれないかな)
ちらちらと純花のことを見ているのだが、一向に気がついてくれる様子がない。悲しい。
そして欲望に忠実な依依は、しょんぼり気まずげな林杏にはまったく気がついていないのだった。
「それで、どうして女が武官の振りなんてしているの?」
まず口を開いたのは純花だった。
もっともな疑問だったので、依依もきっぱりと答える。
「手違いです」
「は?」
「女官になるつもりが、武官になっていたんです」
「何言ってるの?」
三人からまじまじと見られる。自分でもなぜこうなったのかよく分からないので、依依も困るしかない。
林杏が、ぼそぼそと小さな声で言う。
「灼賢妃……女だったといっても、武官を宮に連れ込むだなんて大事です」
「だってこのままじゃわたくし、殺されちゃうじゃない」
「殺されるって、どういうことですか?」
驚きのあまり、思わず依依は口を挟んだ。
純花は団子の串を投げ出すように空いた小皿に置くと、物憂げな溜め息を吐いた。
「言葉の通りよ。わたくし、何者かに命を狙われているの」
――ちょうど一年前の春。
今上帝の即位と同時に後宮へと入った純花だが、その直後から、彼女の周りではいくつもの不可解な事件が起こったのだという。
あるときは食事に毒を盛られた。
あるときは部屋に毒虫が投げ込まれた。
またあるときは宮殿を囲むように、怪しげな呪符が貼られていたという。
そのせいで最初は六人居た女官も、今では減り続けてたったの二人。
周囲からも不気味がられて、呪われた妃などと心ない噂をする者も居るという。
(じゃあ身代わりをしろっていうのは、自分が殺されるかもしれないから――ってことだったのね)
妹が、まさかそんな危機に陥っていたとは。
「皇帝陛下や周りの方に、ご相談などは?」
「命を狙われている確たる証拠もないもの。……陛下にご相談できるわけないじゃない、こんなこと」
それは意外だった。
純花は四番目の妃だという。それに出会った直後、純花は皇帝に言いつけて依依を罰するようなことを叫んでいたからだ。
「てっきり、皇帝陛下とは仲睦まじいのかと思ってました」
「何を言っているの? 灼賢妃は、皇帝陛下と話したことも――」
「林杏!」
鋭く純花が一喝する。
小さな女官は慌てて口を噤む。それで大体の事情が依依にも察せられた。
(なんて甲斐性のない男……!)
十五歳にして嫁いだ純花に見向きもしないとは。
そんな男に妹を任せて、果たして大丈夫なのだろうか――と国の頂を相手にむかむかしてしまう依依である。
すると咳払いをした純花が、縋りつくような潤んだ瞳で依依を見つめてきた。
その細い喉から飛び出してくるのは、煮詰めた甘露のような声だ。
「ねぇ、お願いよ依依。わたくしを助けて。毎日恐ろしくて仕方がないの、夜だってあんまり眠れないのよ」
そう懇願された依依は、ゆっくりと頷いた。
「お話は分かりました」
「本当? それなら、やってくれるわね?」
純花は瞳を輝かせるが、依依は「残念ながら」と首を横に振る。
「私は武官の身です。灼賢妃の身代わりなんて務まりません」
見捨てられたと思ったのか、純花は衝撃を受けた様子で黙り込んでしまった。
それから、怒りの籠った眼差しで依依を睨みつける。強気な妃に、思わず依依は口元だけで笑ってしまった。
(大丈夫よ、純花)
心の中だけで、話しかける。
純花は、ようやく見つけ出したたったひとりの妹なのだ。
無論、彼女を見捨てるつもりなど依依には毛頭なかった。他に頼れる者が居ないと言うなら、尚更のこと。
「ですから一晩だけ」
「え?」
「一晩だけ、私が灼賢妃を警護します。それならどうでしょうか?」
そう提案すると、純花が息を呑んだ。