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第15話.灼純花



「……灼純花(シャクチュンファ)?」


 まさか、こんなところで会えるとは思っていなかった。

 心の中では何度も呼びかけた妹の名を、震える声で依依は呼んでいた。


 すると依依と同じ顔をした少女は、ただでさえ大きな目をまんまるに見開いて――。



「――まぁっ、なんて失礼な武官かしら!?」



 立ち上がると、依依の胸元に尖った指先を思いきり突きつけた。

 朱を引いたまなじりが激しく吊り上がっている。深い赤銅色の瞳の底が、怒りに揺れる。


「軽々しくわたくしの名を呼ぶなどと、この不届き者! 陛下に言いつけてお前を仕置き部屋に放り込むわよ!」


(……な、なにこの子!)


 依依はひたすら圧倒された。


 ふと見た瞬間は同じ顔と思ったものの、化粧の濃さも相まってか物言いがとにかく苛烈である。

 しかし依依の呼びかけの内容自体は否定しないあたり、彼女の正体は純花で間違いないらしい。


(私の、たったひとりの妹……)


 感慨深いが、再会を喜んでいる場合ではない。

 いきり立つ純花に、依依は地面に膝をつき深く頭を垂れた。


「……申し訳ございません、灼様」

「灼賢妃(けんひ)とお呼び」

「灼、賢妃」


 よろしい、と頷く純花。


「では、顔を上げるのを許すわ」


 言われたとおりに頭を持ち上げれば、純花はまじまじと依依を見つめている。

 そうして、何を言い出すかと思えば。


「……お前。よく見たらほんのちょっ………………ぴりだけど、わたくしに似てるわね」


(すっごく認めたくなさそうなんだけど!)


 その苦虫を噛み潰したような顔はなんなのか。

 だが、そのあとも食い入るように依依の顔つきや背の高さを、品定めするように純花は確かめている。


 ぐるぐると依依の周りを歩き回りつつの、小さな呟きも耳を掠めた。


「…………そうだわ。そうよ、うん。それがいいわ」

「あ、あの?」

「あなた、名前は?」


 出し抜けに問われ、依依は少しばかり迷った。

 だが結局は、慣れ親しんだその名前を口にする。


「楊依依と申します」

「そう。依依、あそこの物置にでも隠れて、これに着替えてちょうだい」


 そう言いながら、純花が裳の中から取り出したのは女官服一式だった。

 春彩宴の会場でよく見かけた服装より、見たところかなり上等な布地である。妃嬪付きの女官服だろうか。


 しかし、どうしてそんなものを純花が持っているのか。

 というか、その膨らんだ裳の中はどうなっているのか。


 疑問だらけで目を丸くする依依に、純花は小声で怒鳴る。


「さっさとなさい! 言うことを聞かないなら、人を呼ぶわよ」

「わ、分かりました」


 実際は、何が何やら分かっていない。

 だが今すぐにでも沸騰しそうな純花に脅され、依依は慌てて服を手に物置へと駆けた。





 女官服は、依依の身体にぴったりと合う大きさだった。


 満足げに何度か頷いた純花に「寄越せ」とばかりに手を出された依依は、脱いだばかりの武官服を手渡す。

 すると純花は再びそれを、ごそごそと裳の中に仕舞った。


(あの中、本当にどうなってるの?)


「その安っぽい頭巾も外してちょうだい。そんなものを頭に着けた女官は居なくてよ」


 じっとりとした目つきで言われてしまっては、断ることもできない。

 頭巾を取れば、くるりと頭の上で結った黒髪が現れる。


「ちょうどいいわ、髪が長いじゃない。(かつら)は用意がなかったから、助かったわ」


 頭に挿していた(かんざし)をひとつ抜き取った純花が、それを使って依依の髪の毛をいじる。

 櫛がないからと手櫛で整えられるが、簪をつけた経験などない依依は落ち着かなかった。


 ふぅと息を吐いた純花は、居心地悪そうに佇む依依の頭を改めて見遣ると。


「地味だけど、まぁ及第点ね。それじゃ、ついてらっしゃい依依」


 どうやら逆らうことは許されないらしい。

 偉そうに命ずる純花に言い返すことはせず、依依は頷いた。


 女官に扮した依依を連れて、純花は長い裳の裾を引きずって後宮内を突き進んでいく。

 所々に見張りらしい男の姿はあるが、彼らは純花を目にするとうやうやしく頭を下げるばかりで、誰にも呼び止められることはない。


「ちょっと。わたくしの女官なら堂々と前を向いて歩きなさいな」

「は、はい」


 あまりにきょろきょろしていたからか、純花に咎められた。


「知ってるだろうけれど、わたくしは四夫人のひとりなの。賢妃というのがわたくしの称号よ」

「四夫人……」


 昨日も宇静からその言葉を聞いた覚えがある。

 純花に気づかれないよう、依依は若晴(ルォチン)手書き帖をこっそりと取り出した。


(ええと、『帝の寵を競う四人の妃のこと。上位から貴妃、淑妃、徳妃、賢妃の称号が与えられる』……)


 では、後宮で純花は四番目の妃なのだ。

 およそ二千人の女の中での四番目。依依には途方もない規模の話だが、


「すごいですね、灼賢妃」

「ふんっ。そうでしょう? 分かればいいのよ、分かれば」


 とりあえず曖昧に褒めておいたら、純花はご機嫌そうに鼻を鳴らしていた。

 ちょっとおもしろかったので、依依は続けて口にしてみる。


「それにすごくおきれいですし」


 すると弾かれたように純花が振り返った。


「あのねぇ! 下っ端武官の分際で、高貴なるわたくしの姿をじろじろ眺め回さないでくれる?」


 下っ端武官、のところはほんのり小声だった。依依は素直に頭を下げる。


「はぁ。すみません」

「まぁ、気持ちは分かるけれどね。だってわたくし、きれいで可愛いものね」


 きれい、のところにやけに力が入っている。飾らない言葉で褒められたのが嬉しかったのだろうか。


(確かに。よくよく見ると、やっぱり可愛いわ……)


 きめ細やかな白い肌は、見るだけでつるつると滑らかそうで卵の殻のよう。

 何やら花のような香りが漂う赤い髪の毛は、よく手入れされているのが見て取れる。

 髪を彩る花飾りの歩揺の先端には真珠が揺れている。艶やかな化粧は少々きつい印象だが、それを差し置いても愛らしいお妃様である。


(一目見て、似てると思ったんだけど)


 時間と金子をかけて磨かれ抜いた純花に比べると、自分はなんというか路傍の石ころのようなものかもしれない。

 かと言って別に落ち込まないのが依依だった。既に彼女の頭の中にあるのは、純花のほっぺによく似た白い卵たちで埋め尽くされている。


「ここがわたくしの宮殿。さっさと入るわよ」


 純花が立ち止まったのは、門構えからして立派な鮮やかな朱塗りの宮殿だ。

 扁額には灼夏宮(シャッカキュウ)とある。灼家出身の純花が住まう宮だからだろうか。


(やっぱり大きなお家に住んでいるのね、純花!)


 だが純花に続いて長い回廊を歩く間、依依は不思議に思った。

 こんなにも大きな宮殿だというのに、人気がなくひどく静かなのだ。

 回廊の途中に現れる花咲く庭園からも、虫の鳴く声すらしない。なんとなく不気味である。


 それに、壺や壁に掛かった絵画をちらと見るたびに依依は眉を寄せてしまう。


(ちょっと埃が積もってるような……)


 依依は疑問を言葉にはしなかったが、純花はその内容を薄々察したらしく、自ら口を開いた。


「女官は居るけど、春彩宴の会場に置いてきたの」

「それは大丈夫なんですか?」

「さぁね。大丈夫なんじゃないの」


 つんと冷たく、純花はそっぽを向いてしまった。

 やがて、迷子になりそうなほど広い宮殿内を進んでいった先で、ようやく純花は立ち止まった。

 豪奢な内装の部屋で、隣は寝所に繋がっているようだ。


「ここはわたくしの私室よ。本当は陛下以外の男をここに入れるわけにいかないけれどね」


(そっか。私、男だと思われているのよね)


 武官の格好をしているのだから当たり前だった。

 純花は自分に姉が居るなんて知らないだろうし、すると、彼女は何を思って見ず知らずの依依を部屋に連れ込んだのだろうか。純花の言うとおり、誰かに知られたら大変なことになるはずだ。


「それでね、あなたに頼み……いえ、命令があるの」


 ――しかし、きな臭いのには最初から気がついていた。

 放っておけなかったのは、依依の前で純花が一度も笑顔を見せなかったから。


(それに……)


 ようやく出会えた妹は、依依にとって無条件に可愛かったのだ。

 そして妹はこちらを振り返るなり、依依に向かって高らかに命じた。



「楊依依。あなた、わたくしの身代わりになりなさい!」




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