第132話.あの日を明かす
珍しいことに少し動揺したらしい。依依の手を取ったまま、彼はぽつぽつと言う。
「……仙翠を呼び、髪と身体を拭かせた。その際に着替えさせているから、余と宇静は何もしていない」
「そうなんですね、ありがとうございます」
依依はその言葉に安心した。
(じゃあ、何も見られてないわけね!)
良かった、と安堵の溜め息を吐く。
しかし飛傑は「何もしていない」と言っただけで、「何も見ていない」と言ったわけではない。
飛傑たちが救出したとき、濡れた薄着は依依の肌にぺったりと張りついていた。
何も見ない、というのはどうしても、不可能だったのだが――まだ全身に熱の残る依依は、そこまで気が回っていなかった。
「ところで温泉での話、聞いていたのか」
依依の笑顔が固まる。
盗み聞きしようと目論んでいたわけではないが、結果的には一から十まで耳にしてしまった。
「……はい。聞いちゃいました」
「内容は覚えているか?」
「ええっと、将軍様にほしいものがあって、瑞姫様は味方じゃなくなって、それぞれ信じるもののため戦おう、みたいな話だったような……」
「戦争か何かの話か?」
確かに、なんだか依依がまとめると物騒な感じになっている。温泉で話す二人は、別段そんな雰囲気ではなかったのに。
「すみません。あんまりはっきりとは、記憶してなくて……」
なんせ依依は逆上せる寸前だったのだ。
途中から、熱い、熱い、熱ーい! としか考えていなかった。本当に熱かった。死ぬかと思った。温泉は好きになったが、たまに身体を冷まさないと茹で上がるのだと実感した。
「依依。そなたが鴆毒を吸ったとき、薬を口移しで飲ませたのは誰だと思う」
「え……」
あまりに唐突な問いかけに、依依は目を丸くする。
飛傑は感情の読めない顔で、横になっている依依を見下ろすだけだ。
繋いだままの手は、気がつけば依依の体温が移って温かくなっている。妙な気恥ずかしさを覚えて、依依はふいと視線を逸らした。
真剣な飛傑の双眸を、見ていられなかった。
「皇帝陛下、だったんですか?」
わざわざ確認してくるということは、きっとそうなのだろう。
「どちらなら、良かった」
「っ」
しかしさらに重ねて問われれば、依依は驚いて硬直してしまう。
「……わ、分かりません、けど」
「もっとよく考えろ」
(何それ!)
依依は暴れ出したくなる。
なぜ、そんなことを飛傑は訊ねてくるのだろう。
どちらが良かったも何もない。緊急時だったから、その人物は依依に薬を飲ませてくれた。それだけのことなのだ。
だが飛傑の瞳が、この場から遁走することを許さない。困惑した依依は、頬をかいた。
「私のことからかって、遊んでます?」
「そんな風に見えるのか」
眉根を寄せる飛傑は、どこか悲しそうだった。見える、と返すのを躊躇うくらいに。
「あれは、宇静だ」
「えっ――」
そう告げるのと、ほとんど同時だった。飛傑が湯呑みの水を、ぐっと飲み干す。
ぐっと後頭部を掴まれたかと思えば、依依の唇は塞がれていた。