第13話.三匹の弟子
妹の純花に会えるかもしれない。
そんな期待を抱いて、途中までは軽やかな足取りだった依依。
だが――途中で重要なことを思い出してしまい、全力でひとり食堂へと戻っていた。
焼けつくような焦燥感でいっぱいだったのだ。
(このままだと、食いっぱぐれる……!)
朝餉の時間というのは限られている。
決められた時間内に食事を取れなければ、無慈悲にも料理の大皿は片づけられてしまう。
呑気に沐浴や足湯を楽しんでいたが、これではお腹を空かせたまま今日の仕事に取り掛からないとならない。
その思いで風のように疾走していた依依。
そうして食堂に到着した彼女を出迎えたのは、
「お帰りなさい、大哥!」
仲良く声を合わせて言い放たれ、依依の表情が引き攣る。
というのも目の前に待ち構えていたのは、三匹並んだ牛豚鳥だったのだ。
「……もしかして、牛の乳でお腹壊した?」
「おれたち、認めた人には敬意を払いますんで」
頭目の鳥が答える。
痩せっぽちの彼は、代表してか一歩前に出た。
「大哥、先ほどはすんませんでした。それでおれたち」
「ちょっとどいて」
「あ、すんません……」
だが彼らに構っている場合ではないのだ。
素っ気なく隣をすり抜けた依依の背中を、三人組が「かっこいい……」と呟きながら追いかける。
既にがら空きの食堂。
台所番の先輩たちは早くも昼餉の準備を始めている。
そこに依依が焦って近づくと、先輩のひとりが気がついた。
「ほら、依依」
手渡されたお盆には、たっぷりの花捲に醤蛋に――それに、牛の乳が入った杯が載せられている。
目を見開く依依に、彼はふっと笑みを漏らした。
「空夜様に許可は取っといた」
(空夜様、いい人!)
そして何より、先輩方の心遣いが胸に染みる。
「ありがとうございます、いただきます!」
さっそく椅子に座った依依は、点心の器に載った花捲から手に取った。
できたてではないから、花捲はちょっと冷めてしまったが、それでも十分に美味しい。
次は殻を剥いた醤蛋を、箸で四つに分けてみて。
そのうちの一欠片をふっくらとした花捲で包み、口の中に入れてみると――。
(んまあああいっ!)
美味が過ぎて、足をじたばたさせてしまった。
味の染み込んだ醤蛋と、甘やかな味わいの花捲が優しく溶ける。これは何度食べても飽きない。
そのあとは杯いっぱいに注がれた牛の乳をごくりと飲んで、喉をすっきりとさせた。
「ふぅ……」
しばし幸せな食事の名残を噛み締めていると。
目が合った。長机に腕を置いて、真正面から覗いているのは鶏冠頭である。
「えへっ。美味しそうに食べるっすね、大哥!」
いい歳した男が「えへ」とか笑っても可愛くはないが、鳥は笑うとずいぶん幼かった。
(ていうか、さっきから大哥って……)
大哥と慕ってくるのはいいが、どうせなら姐姐とでも呼んでほしい。
もちろん、そんなことは口が裂けても言えないが。
「小猿の大哥!」
依依は鶏冠に拳骨を落とした。
たんこぶができた頭を涙目で撫でつつも、鳥がきっぱりと言う。
「大哥。おれたちを弟子にしてもらえないすか?」
「弟子は取らない主義よ」
「そんなぁ……あっ。でもいいか、勝手に名乗れば」
何やら不穏な発言が聞こえた気もするが、やめろと言っても聞かなそうだ。
てへ、とか笑う鳥を眺め、牛豚がごつい顔を微笑ましそうに見交わしている。
鳥は涼くらいの年齢に見えるが、牛豚は二十五、六だろうか。
関係性はよく分からないが、この二人は鳥に一目置いているらしい。
(鳥が懐いたから、牛豚にも懐かれたってこと?)
依依としてはいい迷惑だが。
「大哥。これからは俺たちが露払いさせてもらうっすからね、ご心配なく」
「別に必要ないけど」
「そういうわけにはいかねっす!」
唐突に鳥が声を荒げた。
依依と同じく格式張った言葉遣いは苦手らしい。所々に綻びが出ているが、彼の場合はそこに変な愛嬌があった。
「大哥の布団の中に手を伸ばす不埒者が居るそうで。俺たちがそいつらから大哥を守ります!」
(守りますって……毎晩、おもしろがってなかった?)
変わり身の早さには驚かされるが、心配してくれているには違いない。
「本当に大丈夫だってば。今日から部屋をもらえることになったから」
どうせ今夜にはばれるのだろうから、と伝えると、三人はますます盛り上がった。
「ええっ!? じゃあ大哥は室つき武官になるんすね!」
「すっげえ……! さすが俺たちの大哥!」
「大哥かっこいい!」
乙女のようにきゃあきゃあと騒ぐ牛鳥豚。
だいぶやかましいので依依が「うるさい」と一喝すると、彼らはとたんに静かになった。
その隙を見計らってか、笊に入れた野菜を洗っていた先輩に声をかけられる。
「依依。その話だけど、お前は今日から雑用も免除だから訓練に参加しろってさ」
「そうなんですか?」
「でも、たまには台所も手伝ってほしいけどな」
冗談めかしたその言葉には、依依は勢いよく頷く。
「もちろんです! いつでも声かけてください」
ただでさえ人手が足りない台所番。
正直、まだ依依は戦力にはほど遠いだろうが、いくらでも役立ちたい。
(あんなに美味しいごはんを生み出してもらえるんだもの!)
むしろ頼まれなくても手伝いたい。味見もできるし。
むふふ、とだらしなく笑ったあと、依依はくるりと振り返った。
「それで? あんたたちはいつまでさぼってるつもり?」
「違うんす! おれたち、大哥のお帰りを待ってただけで!」
どう言いわけしたところでさぼりはさぼりだ。
じっと睨むと、それぞれが力強く提案してきた。
「外周回って足腰鍛えましょう、大哥!」
「演習場で腹筋を鍛えましょう、大哥!」
「木刀で打ち合いましょう、大哥!」
そのすべてを聞き終えた依依は、言い放った。
「全部よ」
「……えっ」
「全部やるって言ったの。ほら、さっさと行くわよ」
「う、うす」
「ついてらっしゃい!」
「うす!!」
うおお、と嬉しげに唸った三人組が、飛び出していく依依についていく。
騒がしい四人を見送った台所番は、首を捻った。
「なんか依依、女みたいな言葉遣いになってたな……」
故郷の悪餓鬼たちを思い出してか、その頃の言葉遣いに引き摺られてしまった依依なのだった。