第123話.妃の正体
興奮が昂じて、ぞわぞわと全身の鳥肌が立つ。
神は、私を見捨てていなかった。すべてを逆転する目を準備してくれたのだ。
「なぜ、我々が灼家の人間だとお気づきに?」
「馬車から落ちたとき、黒布が外れた男の髪の色が見えたからよ。それでついさっき、この男と出会したから、わたくしを根城に案内しなさいと言ったの。もちろん、誰にも見られてないわ」
男は納得して頷く。
「でかしたぞ」
「へぇ」
長身の男がへこへこと慇懃に頭を下げる。なかなか使える奴がいたらしい、と男はほくそ笑む。
純花の佇まいにどこか圧倒されるようなものを感じたが、それは勘違いだった。純花はただ、この場にいる男たちを身内だと認識して、怯えていなかっただけなのだ。
(灼賢妃が、まさか……ここまで愚かだったとは)
笑いが込み上げてくる。それを誤魔化すように、男は咳払いをした。
そうと知っていたならもっと早く、彼女を手駒として有効に使う道もあった。それを考えると残念ではあるが、今からでもじゅうぶん使い道はある。
命からがら、一緒になって逃げていた妃の言動を、飛傑が疑うことはないだろう。
(陸飛傑。こんなにも馬鹿な女を妃に選んだのが、お前の命取りになった)
「我々としては、貴い身である賢妃に危うい真似はさせられませんが……」
わざと男が控えめなことを言えば、純花は調子づいたように言う。
「今、皇帝に内密に話したいことがあるから、ひとりでここに来るように伝えてあるわ。もうすぐ到着するはずよ」
「さすが灼賢妃。それでしたらじゅうぶんです」
操る前から、思い通りに動いてくれる。こんなに扱いやすい駒は他にないだろう。
「ねぇ、その布を外してちょうだい。味方に接する態度ではないでしょう?」
「ええ。賢妃の仰るとおりですね」
男たちは揃って布を外す。
もはや、隠す必要はない。蒸れるばかりの布を外し、同じ赤い髪を見せつけるようにすれば、純花はほっとしたようだった。
「では灼賢妃。あなたには、少しばかり休んでもらいましょう」
やれ、と目線で指示する。純花の傍に立っていた屈強な男が、ひとつ頷く。
その男はごきり、と筋肉を鳴らすと、純花に近づいていく。小さな姿は、男の位置からは見えなくなり、焦ったような声だけが聞こえる。
「なに? ど、どうしたの?」
(悪く思うなよ、灼純花)
今はまだ、殺す必要はない。適当な一発を入れれば、弱々しい妃は失神するだろう。
興味を失い、男が視線を逸らしたときであった。
「てやっ」
妙に可愛らしい声がした。
何事かと思って視線を戻せば、力自慢で知られる男が、泡を噴いてくずおれていた。
彼から一発喰らうはずだった純花は、きょとんとした顔で立ち尽くしている。
「……何を遊んでいる?」
「お、お頭。違うんです、今、この女が……」
近くに立っていた小男が、身震いしながら何かを言おうとする。
「ほっ」
次の瞬間、そいつの身体が後方に吹っ飛んだ。鍾乳石を砕くかのような勢いで打ちつけられ、悲鳴を上げることもできずに気を失っている。
男の額から、たらりと汗が流れる。
(しょ、掌底打ち?)
華奢な純花が素早く距離を詰め、小男の顎先に手のひらを打ちつけた。
瞬きもせず見ていたはずが、速く、無駄のない動作は達人のそれの領域である。真っ赤に腫れた小男の顎から、そう推測することしかできない。
「な、何を……何をする灼賢妃!」
「何をするって、悪いやつにお灸を据えただけよ。いけなかった?」
打って変わって粗雑な喋り方になった純花が、小男が落とした棍棒を軽やかに拾い上げる。
ここまで来れば、残った男たちは警戒心を引き上げる。全員が武器を構え、純花を取り囲む。
「お前、本当に……灼賢妃なのか?」
「もちろん。他の誰に見えるのかしら」
じりじりと包囲されながらも、純花――ではなく依依は、にっこりと笑ってみせた。