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第99話.胃袋の慟哭


 依依の目には、ちょっと期待が覗いていたのかもしれない。宇静に首を横に振られて、あえなく撃沈したのだが。


「温泉宮に着く前に、案内役が倒れては困るだろう。それに同じ釜の飯を食う、というしな」


 二人の無言のやり取りに気がつきながら、飛傑はもっともらしいことを言う。


「それなら畏れ多くも、昨夜頂戴しております」


 宇静の返事は無愛想なものだ。口内に涎を溜めすぎた依依は無言である。

 ふぅ、と飛傑がこれ見よがしな溜め息を吐く。


「そなたらが食べないのであれば、余も食べない」


 梅干しのかけらを指の先でつまんでいた深玉は、その姿勢のまま固まっていた。飛傑が食事を拒む場合、妃である彼女だって食べるわけにはいかないのだ。


「……陛下」


 ほとほと困り果てた声で宇静が呼ぶ。我が儘を言わないでほしい、とその目が言っている。

 だがこうなると、宇静が折れたほうが早い。いつだって緑茶月餅を半分こして、大きいほうを宇静に分けていたという飛傑のことだ。おそらく、彼は譲らない。

 ということにきっと宇静も気がついているのだが、清叉将軍としての責任がそれを許さない。


 そして二人の間で依依は痛切に思っていた。


(分けてくれるか、早く食べるかのどっちかにしてほしい!)


 耳だけでなく、依依は鼻もいい。梅干しのにおいを拾うたび、涎がどばどばと無限に溢れ出ている。生殺しもいいところである。


「これは勅命だぞ。宇静、依依」

「……承知しました。ありがたく頂戴いたします」


 結局、折れたのは宇静だった。依依はその後ろで何度も頷いた。


 仲良く、わずかな保存食を分け合う。

 量に乏しすぎて胃が膨れることはないが、運命共同体である、という意識は四人の海馬にしかと刻まれたのだった。


 短い食事を終えて、一行は思い思いの姿勢で休むことになった。

 空気は変わらず冷え冷えとしている。飛傑や深玉は脱いだ上着や外套にくるまるようにしている。防寒のため二重三重に中綿を入れているので、それなりに暖かいだろう。


 目蓋こそ閉じているが、どちらも寝入ってはいない。何度も寝返りを打っていることからも明らかだ。

 寝つくにも体力がいる。それに水場が確保できたことで心にはわずかな余裕が生まれたが、暗闇は人の感覚を狂わせる。天井が低いせいで、強い閉塞感もある。


「今、何刻なのかしら」


 外の時間帯が分からないのは、精神を疲弊させる大きな要因になる。消え入りそうな深玉の独り言は、そんな不安が如実に表れたものだった。

 今が夕方なのか、夜なのか。それとも朝なのか昼なのか。

 依依は腹部に触れてから答える。


「おそらく子の刻です」


 まず返事があったのと、その返答内容にも深玉は驚いたようだった。


「……どうして分かるのよ」

「僕の腹時計は正確なので」


 深玉はいまいち信用ならないと言いたげだったが、否定できる材料もないのを思い出したのか、何も言わなかった。


 壁にもたれて片膝をついた依依は、ぼんやりと思考する。


(本当だったら今頃、温泉宮に着いていたはずなのよね)


 まさかこんなことになるとは、夢にも思わなかった。その油断が現状を生んだともいえるわけだが、そうはいっても依依ひとりでは防ぎようがない事態だった。


(温泉宮の食事、おいしいって有名らしいけど)


 潤沢な山の幸、川の幸……それに、温泉卵。

 魅力的な食材の数々が脳裏をよぎれば、きゅるきゅるきゅる、と依依の腹が悲しげな音色を奏でる。


(ああ……)


 依依は固い地面に寝転がって、力いっぱい暴れたくなった。人目がなければそうしていただろう。そんなことを考える間も、きゅるるるの音は続いている。

 別に依依だって、鳴らしたくてこんなさもしい音を鳴らしているわけではない。これは胃袋の慟哭である。


 国中が大飢饉に襲われたときは、その日の食事に困りながらも若晴と共に生き抜いてきた依依だ。今朝も鍋の残りを食べているので、あの頃よりはまし……のはずなのだが、空腹感は似たような度合いに達していた。


(私の胃袋も、ずいぶんと甘えん坊になってしまったわ)


 ふっ、と依依は力のない笑みをこぼす。


 寒村での質素な、もっというと貧しい暮らしぶりに比べて、宮城に来てからの依依は栄養たっぷりの食事ばかりとっている。純花の身代わり生活の際には、庶民では一度も口にできないだろう豪勢な食事に加えて、お菓子までたらふく食べていたのだ。


(思い出しちゃだめよ、楊依依。ますます辛くなるばかりだわ……)


 もの悲しい音楽は鳴り止まない。

 わざとではないと分かっているので、誰も何も言わず、聞こえない振りをしてくれている。三人の優しさが、いっそう依依には悲しく感じられる。


 すっかりやつれた依依は、空腹を抱えたまま眠りについた――。




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