第3話 「なかま」
「私はここでお別れだ」
森を抜ければ荒野が広がり、霞む視界の先に街が見えた。
「私とお前は契約によって繋がっている。会いたければ、好きな時に呼ぶがいい」
声に応じ、俺の手の甲とぬいぐるみの片翼に、赤い紋様が浮かぶ。
「一緒に来ないのか」
「私に自由を与えてくれる飼い主とやらは、既に見つかっていたようだと気付いてな」
「一匹でも生きていけるか?」
「はぐれたペットなら大丈夫さ。同情こそされても、敵意は向けられない」
”それとも、一人で生きていけないのはお前の方か?”と、フロウルは優しげに首を傾げる。
「バカを言うな」
「ならば私は旅立とう。お前の元から。そしていつだって、お前の元に帰って来るさ」
「そうか」
「一人でも、大丈夫だな?」
胸を張って答える。
「当たり前だ。おれを誰だと思ってる。魔王を相手に戦う勇者は、たとえ一人でも先に進むさ」
「お一人様の方は勇者として認める事は出来ません」
街に着き、真っ先に向かったギルド。
「お前は何を言っているんだ?」
「勇者の登録には一人以上のお仲間が必要です。あなたに協力してくれる方は、誰かいらっしゃいませんか?」
一人で街に着いたばかりである。
「そんな制度、おれは初耳だぞ」
「えぇ……? 数十年前からこうですけど」
「何のためにそんな制度がある」
「一人で魔王の領域に突っ込んで死んでいく馬鹿を諫めるためじゃないですかね」
「……」
「私を睨んでも変えられませんよ。規則ですし。まぁそう心配なさらずとも、当ギルドには勇者の仲間を希望する方々が数多く在籍しておりますので、苦労なく見つかることでしょう」
「仲間を作る気は、無かったのだが」
「では勇者申請をお取りやめになりますか?」
「……必要があれば、連れてこよう」
「そうですか。では、またのご利用をお待ちしております」
受付を去る前に、振り向いて一つだけ聞く。
「ペットは仲間に入るのか?」
「入りませんねぇ」
勇者、という言葉に色々な意味はあるが、公的に言えば国から勇者として承認を受けたもの、狭義で言えば“聖器”を授かった者の事を言う。
女神さまはどうやら魔王討伐に精力的らしく、決して少なくない数の人間が“勇者の力”を賜る。それを国の運営する公的な機関に報告すれば、広い意味での“勇者”になる……はずなのだが。
「国め。また余計な制度を増やしやがって」
いつの間にか仕組みは変わったらしい。変わったのならしょうがない。俺は仲間を作る必要がある……まぁそもそも勇者が仲間を作るのは普通の事なのだが……。
「やはり……気が、乗らないな」
勇者は特別な力を一つ得る。勇者であるならば、その力を利用して敵を倒すのが普通だし、それがあるからこそ勇者は特別に強い……のだが。
俺の力は、“最果ての村に転移する”力。
決して弱い力ではないのだろう。優秀な勇者を、数多く輩出するとして有名だったうちの集落が魔王の軍勢に滅ぼされた時も、俺だけが生き延びる事が出来た。それはこの力があったおかげで、生存に関しては比類なき力を発揮する、素晴らしい、俺だけの力だ。
けれど……その恩恵が仲間に及ぶ事は、無い。ただ俺が逃げて、俺だけが生き延びる、それだけの力。
「おれにつくれる仲間など……いるのだろうか」
「十五件の結果が見つかりました」
「人を件と数えるな」
「すみません。十五人の冒険者があなたの仲間になる事を希望されています」
いっぱい居たらしい。
人を選ぶのは気が進まなかったが、希望者のうち肩書き目的だった人間を掃いて捨てると、残ったのは、幸い一人だけだった。
ギルド内に置かれたテーブルに、向かい合って座る。
「お前はどうして俺を選んだ」
「……ぶっちゃけて話しても、いいんですかね?」
「お為ごかしは好きじゃない。溜めて悪いものは最初に出せ」
そいつはメガネを掛けたじめじめした女だった。つばのある帽子とローブを身に付けている。
「それで何を言う気だ? お前も“勇者の仲間はモテるから”などとのたまう気か?」
「……え? い、いえ、そんな」
「ならば“家から近かったから”か? “楽そうだったから”か?」
「いやちが――」
「勇者を志す人間を舐めるなよ」
「違いますよ! ……まぁ、あたしの理由も、あんまり言えたものじゃないですけど……」
「早く答えろ陰気女」
「陰気女!?」
女の動揺はすぐに静まり、答える。
「率直に言えば競争率が低そうだったから……ですかね」
「……」
「他の勇者は腕っぷしも力も優秀、ですがあなたはまだ幼く、”勇者の力”も……その、あまり使い道が多くないというか」
「まぁ、事実だな」
「……はい。なので、あたしでも、通るんじゃないかって」
そうまでして、勇者の仲間になりたいか?
「“勇者の仲間”はそれほどに価値がある肩書きか? お前らは、池に餌を放り投げたコイのように集まってくるが」
「表現に棘がありますね……」
彼女は説明する。
「勇者の申請に必要な仲間は、必ず魔王の領域に共に入る事になります……まぁ後で変更も出来ますが。……なので、“勇者の仲間”は、勇者と同じくらいの、期待と栄誉を受ける……たとえそれが魔王に挑む気の無い勇者の仲間でも。多くは、その栄光に憧れて志望する」
「お前もそうか?」
彼女は静かに否定した。
「あたしは……魔王の領域に挑む人間は、大抵神器を持ちますが……選ばれる自信が無くて。でも“勇者の仲間”なら神器の有無に関わらずそこに行ける……」
「お前は魔王を倒したいのか?」
「はい……必ず。……理由は……あんまり、暗いので、話したくはないですけど」
「そうか」
彼女に向けて手を差し出す。
「ならばおれからお願いしよう。おれと一緒に来てくれ」
「へ……?」
彼女は、呆然とその手を見つめた。
「どうした」
「あぁ……いえ、いいんですか? その……ずっと断られてばっかだったから実感が無くて、本当に、あたしなんかで……あたしなんて特別な力も無いし……あたしの強さとかも、ほとんど聞いてないのに、先に言っとくと大したもんじゃないんですよ――」
聞いてないのにどんどん喋るな。
「やる気があるなら十分だ。おれは人を選べるような人間でもない」
「……い、いいんすか? 自分で言うのもなんですけど、あたしに魔王に挑む自信なんて……勇気なんて、無いんですよ。本当は。……っへへ、さっきからお前は何言ってるんだって話ですよね、魔王を倒したいって言ったり、その癖、勇気は無いって言ったり……」
「そうか。よく分からんが、まぁ心配するな」
震える声の、彼女を見れば、しかし瞳は真っすぐにこちらを見ている。
「勇気は勇者が持っている」
「……」
「お前はただおれの手を握っているだけでいい。あとはおれが連れていこう」
彼女は見下ろし、やがておずおずと、けれどしっかりと、俺の手を掴んだ。
「……へへ、ちっちゃな手っすね」
「気持ち悪い事を言うな」
「きっ……きもくないですよ」
はぁ。これでようやく勇者申請が出来る。先行きがはっきりしないというのは不安なものだな。胡乱な輩の相手も疲れた。
「……あぁ、そうだ。お前の名前は何という。おれは勇者、勇者ハイドラだ。どれだけ埃を被っても、忘れぬように覚えておけ」
「……ぷふっ」
何がツボにはまったか、彼女は噴き出す。あるいは緊張の糸が切れ、今素の彼女が現れたのかもしれない。
「あはは、何すかその言い方。どれだけ名前覚えて欲しいんですか。そういう所は……年相応っすね、っふふ」
「何がおかしい。言ってみろ」
「あはは……いえ、すみません。名前でしたね」
彼女はなおも笑いながら、こう答えた。
「あたしの名前はフロウルです! 覚えててくださいね! 埃なんて、被らせないように? でしたっけ!」