第2話 「おとも」
「あーあ。今日も退屈ね。何か面白い事でも起きないかしら」
「待っているだけの者には何も訪れないぞ」
岩の上に座る女の前で手を振ってみる。
「魔王様にこんな辺境の監視を任されたけど……もう何年も動きが無いし。やっぱり皆の言う通り、私なんか、魔王様から見放されて……」
「そう落ち込む事は無い。明日はきっと上手く行くさ」
知能の低い魔物に効くという目隠しの外套は今回は十分に発揮され、女は俺の為す事の一切を認識できていない。
「……いや! そんな事は無いわ! 私はやれば出来る子よ! 今に見てなさい、私はこの任務で成果を上げて、私をバカにした皆を見返してあげるの!」
「そうか。頑張れよ」
二十年の時が経ち、洞窟の警備は掛け算も出来ないバカに変わったらしい。
一人騒がしい女の隣を通り過ぎ、洞窟の先へと進んで行く。
やがて洞窟の先に光が見えて、白い光の中に飛び込むと。
そこには静かな森が広がってた。高い木々が視界を埋め尽くし、背後には険しい岩山がそびえ立つ。前方に目を凝らせば寂れた道が微かに伸びている。この道を道なりに進めば、街に着く、はずだ。あのじじい曰く。まだ滅ぼされていないといいが。
「こちら側の森は開放感があるな。木々の背が高いせいか」
そこは見上げるほど高い緑の天井の下。揺れる木漏れ日を浴びながら、爽やかな空気を吸い込みながら、俺は森の奥へと足を進めていく。
しばらく歩くと、突然何かが太陽の光を遮る。
「貴様、人の子か?」
見知らぬ声を見上げれば、何かが飛んでいる……ぬいぐるみ? ドラゴンを模したような、丸っこいぬいぐるみが、翼をはためかせ飛んでいる。
「お前、掛け算が出来るのか?」
「馬鹿にされているのか?」
「丁度いいな。お腹が空いてきた所だ」
「何が丁度いい、私は人間に可食では無いし会話が通じる相手を食料と見ているのならお前は相当にヤバい奴だぞ」
そいつは、思い切りジャンプしても届かない、ギリギリの所で浮遊していた。
「お前何者だ。魔物の類か?」
「そう遠くは無いな」
「食糧じゃないか」
「魔物の中には人型も居る。その判断基準は些か危険ではないか? ……まぁ、そう警戒するな、人の子よ」
警戒すべき人間も大抵そのセリフを言う。そして警戒しているのは俺で無くお前の方だろう。
「私は人の間で飼い慣らされたペット。人に対する危害は無く、噛みつく牙も無ければ切り裂く爪も無い、人の世に均された幼気な可愛いペット。起源こそ魔物だがな。」
しかし自分で可愛いとか言い出す輩は信用するなとじじいが言っていた。
「やはり食糧か」
「家畜ではない、愛玩用だ。何を聞いていた」
「自称ペットとやらが、どうしてこんな深い森の中をさまよっている? お前がペットと言うならば飼い主はどうした。迷子か?」
「捨てられた。決して生きて帰る事の無いような、危険なこの森の奥深くに」
ドラゴンを模したぬいぐるみのようなその生き物は、淡白に告げる。乾いた目が俺を見下ろしていた。
「そうか。まぁとりあえず降りて来いよ」
「お前がそのナイフと涎をしまったら考えよう」
とりあえず捕獲したぬいぐるみを外套の中に詰め込だ。肩の所が歪に膨らんだが、どうせ見えなくなる外套だ。
「それで非常食、この道を進んで行けば街に着くのは、合っているのか?」
「非常食だからそういう事は分からないな」
「そうか。なら非常食は今日の晩御飯になるな」
「非常食は非常時まで取っておいた方が良いと思うぞ。確かに道なりに進めば街に着くさ」
非常食は付け加える。
「幸運にも、この森の危険な魔物どもに、一度も会いさえしなければな」
非常食が言うには、この森は極めて脅威度の高い魔物に占拠されているらしい。そして魔物は高い知能を備え、この眼隠しの外套も通じないだろうと。しかし洞窟の出口の周辺だけは安全地帯だったらしく、だからこそ、このペットもここで彷徨っていたらしいのだが。
「街に着くには、必ず魔物の縄張りを抜けなければならないのか?」
「抜けるも何も、ここはその縄張りのど真ん中。この洞窟の周りにだけは、近づかんがな」
はぁ。無事に洞窟を抜けられたと思ったら、次は魔物の巣喰う森か。街に着いたら今度は崖のような外壁を登れとか言い出さないだろうな。
腰休めにしていた岩から降り、荷物を背負いなおす。
「おい。どこへ行く気だ」
「お前の言う危険な魔物とやら、まずはこの目で見てみるさ」
「警告はしたぞ」
「経験の伴わない知識ほどあてにならないものは無い。危険かどうかは、この目で見て、この肌で確かめる」
蛸の頭を取り除き、触手だけを無制限に増やしたような、蠢く化け物の塊が道の先で待っていた。ひゅんと、顔を脇を掠めた触手が頬を浅く切り裂き外套に穴を開ける。
「これは聞いてない」
「あははもう何もかも終わりだ……」
背中を見せ一目散に逃げだすと、触手は遥か遠方まで伸びて来て次々と土の地面に突き刺さる。
「なんだあれ。何がベースの何の魔物の何だ」
「知らん。大方誰かが呼び出したどっかの何かだろう」
「対策は無いのか?」
「もしや、見つけた個体一体に対処していく気か? キリはないぞ、なんせここは魔物のパラダイスだ」
ぬいぐるみ曰く、魔王の領域とはかけ離れて位置するこの地だが、進んでも何の旨味もないため、人類に放置され、魔界に帰れない魔物たちがここに住み付き、多種多様な魔物たちの第二の故郷とかしているらしい。
「ここは、魔物のごみ箱という訳か」
「そう言ってやるな。ここに住む魔物が可哀そうだろう」
「お前は優しいな。ごみ箱の魔物」
てちてちと短い前脚に頬を殴られながら、ここを出る方法を考える。
「お前は何か出来ないのか」
「私を頼る気か? ならばお前は私の為に、何かしてくれるのだろうな」
「この森から連れ出すくらいならしてやろう」
「ほう。出て、どうする? その先に何がある」
「広い、外の世界があるさ」
「私にとっては、私を捨てた人の世があるだけだ」
肩にちょこんと乗ったぬいぐるみを見れば、無機質な瞳が見返すだけだった。
「まぁそう言わずにもう一度行ってみろ。人の世だって、そう捨てたものじゃないさ」
黙り込んだぬいぐるみに、付け加える。
「行って、私は何をすればいい。何も出来んさ」
「その見た目なら人に取り入るのは得意だろう。あとは何とかなる」
「人に取り入って、生き延びて、それで何になる。人に飼われ、首輪を付けられ、何が楽しいというのだ」
「嫌なら人に飼われなければいい」
「人に管理されない魔物は見つけ次第殺される。何の言い訳も聞かれずにな。それで終いだ」
「人の世の中で、無理に生きる必要も無い」
「私に人の世以外で生きられるほどの野生は無い。なんせ、私は牙の抜かれた力ないペットだ」
「ならば自由な飼い主を探せばいい。人間など掃いて捨てるほど種類が居る。お前に合う飼い主も、広い世界のどこかに居るさ」
「そうか。ではその飼い主とやらが見つかるまでの間、私はどうやって生き延びる」
ぬいぐるみの、顎の下を人差し指で掻くと、短く綺麗に生え揃った毛皮の肌があった。
「そうだな。たとえば、それまではおれの肩に乗っていればいい」
「……」
「あまり楽な道のりでは無いがな。まぁその分退屈はしないだろう」
そのままじっと見ていると、ぬいぐるみはぷいとそっぽを向いた。
「……私は元が魔物だから、同族の気配が少しだけ感じられる」
「ほう」
「上手く使えば魔物を避けて進めるかもしれない……が」
「丁度欲しかった力だな」
「最後まで聞け。こちらがあちらを感じられるという事は、逆もまた然りだ。連れて行っても、私は足手まといになるかもしれん」
「十分だ。どうせ元から美味しそうな人間の匂いが漂っている。この近くに魔物は居るか?」
「今は居ない。……私より遠くまで鼻の利く奴が、居れば分からないが」
「そんなのは見つかったその時に考えよう」
ぴょんと岩を飛び降りる。
「では、道案内を頼んだぞ、ぬいぐるみ。魔物如きおれがいくらでも切り捨ててやれるが、今はそういう気分でもない。出来る限り静かな道を頼もう」
ぬいぐるみは黙り込み、俺の顔を見上げた。
「おれと共に来るのは嫌か?」
「……フロウル」
「……?」
「ぬいぐるみではない、私はフロウルだ」
「そうか、ふろすけ。それでどちらに進めばいい?」
フロウルはまた黙り込んだ。
「一言一句違わず呼ばないと反応しないタイプか。へいフロウル、道案内を頼む」
「違う。ふろすけは気に入らんが……まぁ、お前の好きに呼べばいい。それよりだ」
くりくりとした目玉が俺を見上げる。
「私が名乗ったのだ。お前も名乗るのが、礼儀という物だろう」
「なんだ、そんな事か」
フロウルの頭をわしわしと撫でる。
「おれは勇者。勇者ハイドラだ。心に刻んでおけ。遠い月日が流れても、決して忘れてしまわぬように」
その時、フロウルに触れていた手のひらの甲に、赤く紋様が浮かび上がり、すぐにすぅーと消えていく。
「何だ今の」
「隷属の契約だ。お前を主として更新しておいた」
「勝手に変なのするな。それお金掛かる奴か?」
「何の契約だ。ただのペットの証……まぁ、飯代くらいは考えておけ」
「飯代か。お前は食べる方か?」
ぬいぐるみの表情など分からんが、不敵に笑った気がした。
「だとしたら、どうする」
「ここがお前の見つけた理想郷だな」
「早速捨てようとするな。どれだけ私が大食らいでも、意地でもしがみ付いて離れんからな」
“隷属の契約”。契約する二者を結びつける極めて強力な術。主はいつでも僕を呼べる、僕はいつでも主の元に行ける。また、契約した主が死んだ時、僕も同時に命を終える。
*
「まさか、いつの間にか洞窟を通り抜けて、私の縄張りに入ってきた人間が居るなんてね」
触手を連れた、頭に角の生えた女が、俺たちの前に立ちふさがる。
「さっきうちの子から聞いて、びっくりして頭から転げ落ちたわ。そこに居るのは分かっているの。出て来なさい」
女はあらぬ方向に呼びかける。浮遊する小っちゃい触手の塊が、女の顔をこちらに向けた。
「……おい、どうしてあいつは私たちの姿が見えてない」
「バカなんだろう」
小声で会話しているが、声を抑えなくとも届かない。
「さっさと出て来なさいよ! 居るんでしょ! 居るんだよね!? ……え、本当に居るの? ……え? 居る? 居るじゃない! この卑怯者! どこよ! どこに居るの! ずるいわよ! ずるずる! ずるっこ! ……ねぇ!」
逸れた女の視線を、小っちゃい触手の塊がこちらに矯正する。喚く女を眺めながら、外套で姿を隠したまま、俺たちはその場を後にした。