不慣れな若造は今日も叫ぶ。
目の前で不安げに俺を見上げる空色の瞳は、確かに俺が恋した彼女と同じものなのに。どうしても俺は、このちっこい奴が、自分の息子だとは信じきれなかった。
~不慣れな若造は今日も叫ぶ。~
ジェッタ・エイピア・ウィンチェスター、22歳。
騎族と呼ばれている騎士の家系のひとつ、ウィンチェスター家の次男坊。ここ、中央大地を治めている王家の騎士団に所属している。そしてこれは、3人の子守りに奔走する俺の話。
「あー……もう無理……」
自室の机に突っ伏して、俺は深いため息をついた。
最近、やっと騎士団の団長候補の肩書きを手にしたばかりで、肩肘張るような出来事ばかりが過ぎていく。外では素を出さないようにして、一人称だって気を使って、イラつくことがあっても表には出さないようにして。
せめて1人でいる時くらいは、こうやって死んだようにだらけていたい。のだが……。
「あ、あの……」
控えめな声と共に扉が開き、空色の髪が揺れるのが見えた。俺は慌てて姿勢を正すと、咳払いをひとつして、入ってきた子供、まだ幼い息子のハヤトに視線を向ける。
「ハヤト、入る時はどうするか教えたはずだが?」
「ぁ……その、ごめんなさい……」
「まぁいい。で、用件は?」
頬杖をつきながら促してやると、ハヤトは少し話すのを躊躇いながらも、それでもやっとの思いで言葉を絞り出していく。
「あの、はれてるから……みんなでおそとに」
「行ってくるといい」
最後まで言わさずそれだけ言い、俺は話すことはもうないとばかりに立ち上がった。ハヤトの肩がびくりと震えるが、それを気にしてやるほど、俺にだって余裕はどこにもない。
ハヤトには見向きもせずに隣を通り過ぎようとして、しかし服の端を弱くもしっかりと掴まれてしまい、俺は渋々ながらも幼い息子に目をやる。
「どうした」
「と、とうさんも、いっしょに……」
父さん。
それは俺のはずなのに、だが俺は、ハヤトを自分の息子とは未だにはっきり認識出来ておらず。だからつい幼い息子のその手を強く振り払ってしまった。
力の差で床に転がっていくハヤトを見、しまったと思った時には既に遅かった。息子は恐怖で満ちた瞳を俺に向け、それから「ごめんなさい」と足早に出ていってしまう。
「……何やってんだよ、俺は……」
自分の手を見つめて息を吐くも、1人残された部屋に淋しく反響していくだけだった。
晴れているから。
確かそう言っていたが、なんとまぁ立派な土砂降りであろうか。晴れの“は”の字も全く見えない空は、先程のハヤトの泣き顔にも似ていて、あいつは雨でも呼べるんじゃないかと錯覚させる。
いや、本当に呼べそうだから冗談にも例えにもならないではないか。部屋に籠もっていても仕方なし、俺は気分転換も兼ねて、そして出来ればハヤトに謝ろうかと部屋を後にした。
流石に今日は仕事はしたくないとぶらつき、それでもすれ違う騎士たちには表向きの落ち着いた対応をしつつ、俺はおもむろにハヤトの部屋へ向かってみることに。
その途中、噂好きのメイドたちが何やら話しているのを聞き、気配を消して影からこっそり聞くことに。決して盗み聞きではない、情報収集だ。
「あの色!見た?」
「見た見た!本当にジェッタ様の子供なのかしら」
「私聞いたんだけどね。なんでも野盗の子なんですって、あの子」
「えー?じゃ、父親誰かわかんないじゃないのー」
「ねー」
今すぐにでも出ていって、いやあいつは俺の子だと言ってやりたい。しかしそれをはっきり言えるわけでもなく、遠回りにはなるが、俺は違う道からハヤトの部屋へ向かうことにした。
ハヤトの、あいつの母親が野盗に襲われた日に、俺も彼女と関係を持ったのは事実であり、それは俺の中に確かなしこりを残したままになっている。彼女からハヤトを引き取ったはいいが、正直、父親が誰かはっきりしていないし、それを確かめるのが、怖い。
野盗が父親だったら、と考えただけで、俺は無意識にハヤトを手にかけてしまいそうで。
ある部屋を通り過ぎようとして、中から聞こえてきた盛大な泣き声に足を止める。それは、妻として迎え入れたレイナの部屋であり、確か生まれたばかりの3人目の息子と一緒にいるはずだ。
この声からして、泣いているのは息子のほうだろう。無視するのもどうかと思い、俺は控えめにノックをして声をかける。返事がない。いや、これは聞こえていないだけだろうか。
もう1度ノックをし、それでも返事がないため、俺は申し訳ないと思いながらも扉を静かに開けた。
「レイナ、入るぞ」
開けた瞬間、なぜかぬいぐるみが飛んできた。それを軽く受け止め、一体なんなんだとばかりにそっと顔を覗かせる。
「あー!ジェッタ様!ちょっとケルちゃんが泣き出しちゃってー!」
「見ればわかる。そんなもの、メイドにやらせればいいだろうに」
「そんなもの……」
どうやら言ってはいけないことを言ったらしい。ムッとした顔をされ、俺は反射的に目を反らした。
3人目のケルンは、少し力の強い子だった。いや、俺のじいさんが東と呼ばれる、怪力なヒトが生まれる場所の血が混ざってると聞いたし、まぁそれが遺伝でもしたんだろう。俺がそれを欲しかったくらいだ、全く。
「いーい?ジェッタ様。子供って、小さい時が大事なんですよー?愛情をいっぱいあげて……って、痛い痛い、ケルちゃん痛い!」
まだ幼いケルンを抱き、ドヤ顔で俺にそう説いてくるが、髪を引っ張られてそれどころではないらしい。レイナは「痛いー」とケルンに訴えかけているが、赤ん坊がそれで言うことを聞くものか。
俺は仕方なしに、力任せでその手を解いてやろうと考え、ベッドに座ったままの2人に近づいていく。そこまで行き、ベッドで眠るもう1人の息子の姿に俺は眉を潜めた。
「ショウはまたここにいたのか……」
「いーじゃない、ショウちゃんも淋しいのよ」
「そういうものか……?」
2人の、俺と同じ髪色を見て安堵する自分に気づき、内心毒づく。俺は今何を考えた?2人が俺の子で安心した?あの時、俺は決めたんじゃなかったのか?
「ジェッタ、様?」
手を伸ばしたまま固まった俺を見て、レイナが不安そうに見上げてくる。俺は首を振って「いや」と一言返し、髪を解いてやろうとするが、ケルンの力が思ったよりも強く、上手く解いてやれない。
むしろさらに強く握りしめていくそれに、さすがに俺も力技でやるしかないかと、腰の剣にちらりと目をやって。
「だめ……!」
後ろから腰に抱きついてきたハヤトによって、その考えは吹っ飛ぶことに。別に斬ろうとしたわけではない、髪を切ろうとしただけだ。けれどもこの空色の子供は、何か大きな勘違いをしたらしい。
「ハヤト……私が子供を斬るわけが」
ない、と言う間もなく、ハヤトはケルンの握ったままの手を優しく包み込んだ。
「はなしたら、いなくなっちゃうんじゃないかって。ケルンはふあんなだけ、なんだよ」
子供には子供同士、何やら通じるものでもあるのか、ハヤトがケルンの手をそのまま握ってやると、意外にもすんなりとケルンは手を離した。泣き止み、寝息を立て始めた我が子に安堵し、そうだハヤトに謝らなければと目をやったところで。
またびくりと肩を震わせた。なんだ、俺のどこがそんなに怖いというのか。
「……ハヤト。来週、どこか行こう」
「え?」
「なんだその顔は。行きたいのだろう?」
ハヤトは瞬きを何回か繰り返し、それから笑ったままのレイナを見る。
「ハーくん、行こう?皆で、どっか!」
「う、うん!」
そう無邪気に笑ったその顔は、この先見られない貴重な笑顔になってしまった。
※
努力すればなんとでもなる、というのは、唯の理想論だと俺は思う。努力をしなければ掴めないものは確かにあるし、そうやって得られることは確かに多いだろう。
しかし、それではどうにもならないことがある。
目の前に転がる物体を足の先で転がす。小さく聞こえてきた呻き声に、まだ息があるのかと舌打ちした。
「ひぃっ……ひぃっ。アンタ、本当にヒトか?」
「ヒトさ。ゴミに話してやる優しさを持った、な」
物体、いや俺を暗殺しようと寝込みを襲ってきた奴を冷たく見下ろし、早く息の根を止めてやるかと、握りしめた剣を振り上げる。早く寝てしまいたいのだ、こちらとしては。
「ま、待てよ。話を聞いてくれよ」
「生ゴミと話すヒトはいないだろう?そういうことだ」
剣を喉元に突き刺し、それ以上何も言えないようにする。苦しげな声が漏れるが、正直ゴミのことなど気にする必要はない。刺したまま、俺は詞を紡ぐ。
「解錠。爆炎」
剣から風をまとった炎が吹き出し、それはゴミを細かく切り刻みながら燃えていき、やがて灰になり形すら残さず消えていった。床に微かに残った焦げ跡が気になるが、まぁ朝になったら掃除すればいいだろう。
俺はまたベッドに横になろうとして、けたたましい音と共に割れた窓に顔をしかめた。修理代はどれくらいだろうか、また頭を抱えなければいけない。
「はぁ……、今日はパーティーか何かか?会場はせめて別にしてくれ」
渋々と剣を手にし、しかしそれを構えることはせず、窓から入ってきた招待した覚えのない客人に目をやる。その入ってきた人影は、特に何かをしかけるわけではないらしく、その場から動こうとしない。
「これは寝させて頂ける、という解釈でいいか?」
「……ふーん」
どうやら女らしい。別に女だからといって手を抜くつもりはないが、特に何もしてこない奴をいたぶる趣味もない。俺はベッドに腰かけ、用件があるなら早く言ってほしいと心の中で呟いた。
「貴方が、歴代最も強いと言われている神機の使い手?」
「さあな。どう呼ばれているか、興味を持ったことなどない」
「最弱の墜ちた騎族を立て直した人?」
「否定はしない」
「ふーん」
なんだこいつは。一体何が聞きたいというのか。
傍らに置いたままの剣ーー神機に手をかけ、やはり仕掛けるかと悩んでいると、女はぽんと手を叩いてにこりと笑いかけてきた。
「貴方の遺伝子、ちょーだい?」
「こ、と、わ、る。展開、旋風」
手にした剣を突き出すと、先から風が巻き起こり、それは女の身体をふわりと浮かせ、入ってきた窓から外へと放り出す。何か喚いていた気もするが、早く寝たいとにかく寝たい。
下から見回りの騎士たちの声が聞こえてくる。どうやらあの変な女は捕まったらしい。それにひと息つくと、俺はやっと寝れると布団に潜り込んだ。
努力だ。
ただひたすらに、毎日剣を振って。
神機の使い方、戦い方、神機がない場合の対処の仕方。
全部全部叩き込んで。
教養も1から学び直して。
立ち振る舞いも、どうすればらしく見えるのか研究して。
そうして掴んだのが今の場所だ。
努力も何もしていない奴が、簡単に俺から奪えると思うのがそもそもの間違いなのだ。
※
外に見える景色は、今日も今日とて雨だ。
ハヤトが何か考えているのだろうか、あれの気分で天気は変わるようだし。淋しい思いでもしているのか、なら今日は勉強を見てやるかと、見当違いなことを考えつつハヤトの部屋に向かう。
実際は、淋しいというよりも、恐らくは勉強漬けの毎日に飽き飽きしていたのだろうが。そうとわかっていない俺は、これで少しでも親子らしく話せればと考えていた。
「ハヤト、入るぞ」
ノック、それから声をかけて入る。完璧な動作と流れだ。父親としていい見本になっていると思うと、少しだけ気持ちが浮ついてしまう。
「あ、とうさん……」
反射的にそう言ってしまったのだろう、ハヤトはすぐにしまったと顔を歪め、それからすぐに手元の本に視線を落とした。俺は咎めようとしたが、本人が理解しているなら追い打ちをかけずともよいかと、同じようにして、ハヤトの手元を覗き込んだ。
「ハヤト、まだ読めないのか」
別にそれは嫌味で言ったわけではなかった。読めないなら読めないで一緒にやろうかと思い、そう考えての言葉だ。
しかし、どうやらハヤトは違う意味で受け取ったらしい。俯いたままだが、左手に持つペンが微かに震えているのがわかる。
「……とうさん、あの、あの」
父さん。別にそう呼ばれることに抵抗は、ない。しかし、それとこれとは別だ。
跡取りとして育てると決めた以上、俺を父親としてくっついて回られるのも困る。だから俺は、その言葉を言った。
「父さんと呼ぶなと何度言えばわかる?」
ぽつりと。
小さく「ごめんなさい」と聞こえた。
「謝罪の言葉は簡単だな。言えば終わると思っていないか」
言葉ではなんの意味もない。言葉でどれだけやめてくれと叫んだところで、言葉でどれだけ好きだと伝えたところで、それはなんの意味もなさない。だから俺は厳しくも、行動と結果を示せと考えている。
しかし、それが幼いハヤトにとって厳しいこともよくわかっている。今日までに終わらせろというのも酷だろうと思い、俺は少し考え、明日までの期限でまとめるようにとハヤトに言う。
「でも、まだはんぶんもあって……」
俺は呆れからため息をついてしまった。やる前から何を弱気になっているんだ、やれなくても怒りはしないというのに。きっと母親は、ハヤトを甘く、大事に育ててきたのだろう。
それを否定するつもりはないが、ならば俺は厳しく育てないといけないと改めて心に誓う。
「それくらい出来ないのか?全く、母親は何をしていたんだ」
母親を咎めるつもりはなかった。だけれど、自分の言葉が足りなかったのも事実だ。
ハヤトが泣きながら本を投げつけてきた。それをかわすのは簡単だ。掴みかかってきたハヤトを反射的に床へ押さえつけるのも、俺にとって難しいことではない。ない、が。
やってしまった、と後悔はした。
「はなせ、はなせぇえ!かあさん、わああん!おまえなんか、しらないやつだ!わああ!」
両手足をばたつかせるハヤトに、俺はなんてことをしたんだと自責の念からため息をついてしまう。あんな言葉を言うつもりも、こんな風に力で押さえるつもりもなかったのに。
結局、泣き声に気づいたレイナにハヤトをかばわれるまで、俺はどうしようもなく、ハヤトを押さえつけたままだった。
あれからというもの。
ハヤトは俺を冷たく見るようになったし、俺自身も忙しくて構っている余裕などなくて。気づけば約束の来週になっていた。
この日の為に仕事は終わらせたし、書類も、面倒な騎族会議だって違う日程に組み込んで。いそいそとハヤトの部屋へ向かう途中、またあの噂好きのメイドたちの姿を見つけた。
「やっぱり聞いてたのよ」
「でも子供だし、話の内容はわかってないわよ」
何を話しているのかは察しがついた。俺は、気づいた時にはメイドたちに歩み寄り、2人をただ冷たく見下ろしていた。メイドたちが小さく悲鳴を上げ、頭を下げる。
「仕事もせずに立ち話とは……何をしている」
「ひっ。す、すみません。すぐに終わらせます……」
足早に立ち去る背中を見送り、俺は壁を思いきり殴りつけた。本当なら怒鳴りたいところだが、理性でそれをなんとか抑えつける。
先程の話では、恐らくハヤトは気づいてしまった可能性が高い。自分が、俺の子供ではないかもしれないことに。だからといって、今更ハヤトを手放すつもりはないし、ハヤトがなんと言おうと俺の子だと言ってやるつもりだった。
つもり、だった。
「ハヤト、入るぞ」
ほぼノックと同時に入る。俺らしくないと自分でも思ったが、何せ余裕がないのだ、こちらとしては。
机に向かったままの背中からは、何も読み取れない。はやる心を抑えつけて、そっとその背に歩み寄り、そして手を伸ばした。
「……ハヤト」
「あぁ、あなたでしたか。どうしました?」
そう振り返ったハヤトは、母親と同じ、諦めたような目をしていて。俺はその目を前にして、情けなくも何も言葉が出てこない。
「そういえば、きょうでしたっけ。それなら、みなさんでどうぞ。おれはのこりますので」
そして、俺に興味がないとばかりにまた背を向けた。俺は伸ばしたままの手に視線を落とし、それから顔を歪めて手を元に戻した。
いっそのこと、父親じゃないのかと責めてくれたほうが楽だった。そうしてくれれば、俺だって感情のままに思いを吐き出せたのに。
「……なら仕方がない。1人でいれるな」
「はい」
それは拒絶だろう。早く出ていけと言われている気がして、俺は何も言えずに、そのまま部屋を立ち去った。
※
あれからもう15年ほど経ったわけだが。
成長した息子を見ると、今ならはっきりと自分の息子だと言える。不器用なところだったり、言葉が足りていないところだったり。
しかし俺は今でも、あの日のことを謝れてはいない。謝ってどうにかなるとも考えていないし、謝るくらいならば違う形でハヤトに何かしてやれれば、と思っている。
だから俺は、いや私は今日も、実に面倒くさい後始末を買って出ている。
~不慣れな若造は今日も叫ぶ。完~