記憶
どうも、湯かけほうれん草です。
ゆったり頑張ります。
ーー私には、前世の記憶がある。
その世界で、私は[C-327]と呼ばれていた。
本当の名はあった。でも、忘れてしまったのだ。
そこは文明が発達した世界で、様々な恩恵がもたらされていたが、その発達や、高度成長故の弊害がある世界だった。
生まれた場所は「日本」と呼ばれていた。
そこで私は、物心つく前に両親から引き離され、とある研究施設に入れられたのだ。
新政府の政策のひとつだったらしく、少子高齢化が進み、学力低下も著しい事が問題視されており、優秀な子供達を増やし新たな未来を委ねる。といった名目で、新たな法のもとにおいて教育が始まったのだ。
今思えば、子供に教育をすることで、年老いていく自分達に都合の良い世界にする様、仕向けられていたんだと思う。
研究施設に入れられてからは、手始めに名前を奪われ、番号で呼ばれるようになった。それが[C-327]たる由縁だ。そして次に、ひたすら勉強を強要されたのだ。
..月に一度あるテストで高得点を出す為に。
脱走を試みたり、ある一定の人数枠からはみ出た【出来損ない】は、別棟にある研究施設へと移動する事になった。その建物からは、いつも、この世のものとは思えない程の断末魔や、悲鳴が昼夜を問わず鳴り響いていた。
【大人】が言うには、伝染病や病気の研究をしているらしい。でも、それだけじゃない。なんらかの人体実験が行われているのはすぐに理解出来た。金切り声のような叫び声が途中で事切れるように掻き消えた瞬間が悍しく、酷く怖くて布団を被って震えていたのを今でも覚えている。
この世を恨み、両親を恨み、政府を恨み、今こうして生きている自分が酷く滑稽だった。次は自分かも知れない、そんな強迫観念に追いやられすぎたのだと思う。そんな日々が何日も重なり数年も経つ頃には、この終わりの見えない日々を送る事に意味がないように思えていた。
そんなある時、いつもとは違い、突然人数枠が狭くなることを【大人】に言われた。政府の方針が変わったのか、何が起こったのか分からない。でも、ここにいる子供は関係ない。枠が狭かろうとも人数枠に入るしか無いのだ。だが、あまりの重圧と恐怖にきっと耐えきれなかったのだろう。..隣の席の子がカンニングをした。
すぐに【大人】にバレて、隣の席の子は乱暴に首を掴まれ、部屋から出されそうになる。
「私が見せた。」気付けばそう口に出していた私は、多分、自棄になっていたんだと思う。その言葉に、その子を地面にぶつける様に投げ捨てた【大人】は口を歪めて笑っていた。
指先に力を込め、私の首を乱雑に掴む【大人】に、文字通りに部屋から引きずり出され、別棟の研究施設へと投げ込まれた。
「ああ、ちょうど良かった。今、ラットが力尽きたんだよ。」
そう言った白衣の【大人】の側には、裸に剥かれ、二の腕や太ももに獣のような噛み跡のある少年が、俯せになった状態で事切れていた。
光を映さないその濁った瞳はこちらを向いていて、どれほど涙を流したのか、目元が酷く赤く腫れていた。
「やっぱり、四肢だと何処がどう作用して狂犬病になるのか分からないからねぇ。」
ニヤニヤと笑う白衣の【大人】はそう言っているが、明らかに二の腕の噛み跡が酷く膿んでいて、この傷がここまで至らしめた事は明確だろう。
本当に、この世界は腐ってる。
「次は首元に一撃。で、ゆっくり、確かめてみようかな。」
そう言ってその人は私の首を掴んだ。
暴れて抵抗する私の、その伸びきっていた髪を乱雑に切り落とすと、頸に何かを塗り、四肢を床に取り付けられている枷に固定した。
必死に逃げようと動けば、ガチャガチャと金属のぶつかる音が鳴り響く。どうにか暴れて外そうと試みていると、息を細かく切らした、興奮した獣の呼吸音がいつの間にか側で聞こえているのに気付いた。
ーー息を飲んだと同時、それは一瞬だった。
酷く首が熱くて、声すらも出せなかった。
目の奥がチカチカと点滅したような錯覚と、鋭利な牙が深く刺さる痛みが全身に伝わる。
意識を手放す前に見たのは、事切れた少年の濁った瞳だった。
それから何日経ったのか分からない。
熱で朦朧とする意識が浮上するたび、どうしてか、あんなに恨んだ両親を呼んでいた。こんな所に来てくれるはずがないとわかっていても、それでも、私の名前をくれて、愛してくれていただろう両親を知っているから、ただ、それだけに縋る様に呼び続けた。
「おとうさ..おかあさ..。」
あんなに恨んだのに。
..でも、愛してくれていたんだと思う。
本当のところ「愛」は知らない。
「愛」という意味は知っているけど、「愛していたか」と問われれば、否と答えただろう。
両親の顔さえ、ぼんやりとしか思い出せないこんな自分が、両親を愛しているなんて、口に出すことさえ出来なかった。
それでも、赤い夕陽が差し込む道で、ゆっくり歩きながら、手を繋いでくれたあの手の温かさが、..きっと愛だったんだと思う。
もう掠れるような声も出なくなった頃、幾度となく熱に浮かされながら、考えた。
こんな世界は要らない。
こんな自分は要らない。
だからもう、早く死んでしまいたい。
脳が何かに侵食される毎に、口からとめどなく涎が溢れ、首筋は熱を持ちジュクリと膿んでいった。高熱のせいで時折痙攣を起こす様は酷く無様で、不気味だったろう。
もう死んで塵と化したい。
10歳にして願う、
たったひとつの願いは、
「死ぬ」ことだった。
ある時、高熱に浮かされ続けた重たい身体が、羽根のようにふわりと軽くなった。まるで錆びて軋む重たい鎧から魂だけが飛び出たような、そんな心地になったのだ。
ーーああ、死んだのだ。
たった今、私は死んだのだ。
涙が出るほど嬉しいとはこういう事か。実際に、身体が無いので涙を流すことはあり得なかったが、それくらい嬉しかったのだ。だって、やっと解放された。やっと自由になれた。もう強要される事なく、怖い事も、痛い事も、苦しい事も何も起こらないのだから。
..ただ、あんなに願っていた「死」は、酷く呆気なく私の手に転がり込んできた。施設での日々や、熱に浮かされた日々に比べ、これだけか、と思う程粗末な物に思えた。
それはとても悲しかったけれど、それでも、これでやっと解放されたんだと自分を慰めるように、願った「死」がやっと手に入ったのだと納得して、力を抜いた瞬間、物凄い力で引っ張られる感覚に陥った。
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「ーーーーーーッッ!!!!」
生まれ落ちた瞬間、
もう嫌だと、初めて泣き叫んだ。
先程まで熱に浮かされ、
酷い痙攣を何度も繰り返し苦しんでいた筈だった。
やっと解放されて、
やっと手に入った「死」だった。
泣いて、泣いて、叫び疲れた頃、温かく柔らかな、たくさんの手に触れられている事に気付いた。
触らないで、
もう、痛く、しないで..
泣き過ぎたせいで息が続かず、それでも酸素を求めるこの身体は確かに生きようとしていて、気持ちと身体があべこべで苦しい。
しゃくるように、小さな口から息を吸い上げれば、小さな赤子の全身は容易く揺れる。
それでも触れる手は止まなくて、知らずのうちに、
「いきたくない。」と呟いていた。
そうか。そうだったんだ。
死にたいんじゃなかった。
もう、生きたくなかったんだと、
その時、初めて気が付いた。
何故かビクッ!!と、全部の手が止まったが、今度は宥めるように慰めるようにそっと撫でられ、その手付きが優しく止めどなく溢れ続ける涙をままに、その温もりに縋るように意識を手放した。それから熱が振り返す様に続いた様な気もしなくはないが、気付けば2歳になり、3歳になっていた。
実は、その間の記憶は曖昧なのだが。
やたら兄姉達らしき人物が構い倒してきたような気もしたが、そのお陰か、言葉を出すようになった頃にはいつの間にかあの施設で過ごした心の傷はあっという間に塞がっていたし、この世界での新しい家族の一員になれたことが、家族というものが、これほどまでに嬉しい存在なのだと改めて実感するようになった。
何より、あの糞みたいな政府も政策も、施設もないこの世界は私にとっては1番の世界の様に思えた。