吉宗と源六
吉宗と源六
元禄六年(一六九三年) 六月下旬、紀伊国 城下加納邸。
授業の最中に眠くなるのは、いつの時代も同じらしい。欠伸を噛み殺して先生の読んでいる部分を目で追う。あ、源六さま舟漕いでる。
加納邸に来て早半年、源六さまと他の武家の子弟に混ざって朱子学の講義を受けるのにも慣れた。今ではすっかり私の存在も受け入れられている。
武家の教育といえば、基本的に儒学だ。特に江戸時代の道徳の基軸となる朱子学は必須科目。前世の時代でいう英語数学のようなものか。プラスアルファで兵学や算術といった科目が追加されるが、もしかしたら家や組織によって異なるのかも。他所から学者を招いて講義してもらうのが主だが、ここでは年配の家臣が講師を務めている。講義といっても全員まだ十歳そこらなので、最終的に暗誦できるようになるのを目的とした素読だけだが。ていうか先生、絶対源六さまのこと気付いてるよね?
正直、源六さまの気持ちは分かる。だって朱子学って本当に面倒くさいんだもん。要するにあれって道徳であり宗教のようなものなんだ。だってもとは儒教だもん。儒教って立派なご高説を延々と宣っているけれど、堅っ苦しくてやってらんない。現代日本の思想にどっぷり浸かった私の頭では拒否反応が起こってしまう。
現在は元禄六年(一六九三年)。西暦は推測だが、同じく元禄年間に起きた赤穂事件から逆算すると多分こうだろう。
あれから私は源六さまの小姓となり、こうして身辺の世話をしたり、一緒に勉強や武芸の稽古に精を出している。源六さまが言ったこととはいえ、他の武家の子弟たちがすんなり私を受け入れたことには驚いた。もっとこう、身分とかこの歳にしてはでかいこととか色々刺されるかと思って身構えていたのに、拍子抜けである。
彼らが口を揃えて言うには「だって源六さまがあんなだし」。……うん、そうだね。同年代の中でも頭一つ抜けてでかくて武芸の才能がある、型破りな源六さまを日常的に見ていたら……そりゃあ大抵のことは気にならなくなるわ。源六さまに感謝。
そうでなくとも、彼らは基本的に人が良い。素直で純朴で、打算などは感じられない。私のことも農民出身の孤児で源六さまに拾われたと説明すると「よく分からんけど大変だったんだね」「困ったことがあったら何でも言ってね」くらいで終わり。必要以上に干渉することも蔑むこともなく、私はすっかり男子として馴染んでしまった。
安堵する一方で、心配になった。あの夜のことを思い出すと、今でも心が冷える。源六さまを歪んだ目で見る大人たち、彼等以外にもまだ沢山いるのだと思うと疑心暗鬼になってしまう。周囲の子弟たちからそのような感情が欠片も感じられなかったのは、幸福なんだと思いたい。
「では、本日の講義はこれまでとする。各々、励むように」
「いってえーー!」
去り際に一発、本の角でスコンとやられて源六さまがお目覚めだ。源六さまのための講義なのに、本人が寝てちゃ世話ないよな。部屋全体に和やかな笑いが広がる。これもいつものことだ。此処にいる者たちからは嫌味や悪意が感じられなくて居心地が良い。
「朱子学って何であんなにかったるいんだろうな」
「源六さま、それ言っちゃだめですよ」
「龍助はそう思わんか?」
「まあ……現実に適ってるかと言われると分からないですね」
「だろう?」
源六さまは実用的でない朱子学があまり好きではない。それより法律学や歴史、絵画といった実用できるものにはとことん興味を示す。特に絵は、あの無骨な様からは考えられないような出来栄えだ。一体この人どうなってんの。
「じゃあ現実に適った教えを源六さまが作ってくださいよ」
「おれにそんな真似ができると思うか?」
「ふふふ」
「紫郎ー」
またわしゃわしゃされた。
その後、源六さまに率いられ私達は稽古場へと向かった。此処に来てからというもの、早朝から素振り、朝食後はひたすら講義、午後は剣術か体術の稽古ーーという具合なので、夜になったら布団に直行のちバタンキューである。齢五つの幼女がやることじゃない。私の扱いは男児だけど。
そういうことで、私は稽古場で源六さまと一緒に剣術の指南を受けていた。ちゃんとした師匠に指導を付けてもらったおかげで、来たばかりの頃より明らかに腕を上げた……はず。まだ源六さまには勝てていないけど。周りからは威勢は一番良いと褒められている。威勢だけは。
「いや、粘り強さはこの中で誰よりも勝っておるだろう。見ろ、あれだけ動いてまだピンピンしておる」
「源六さま……」
「まあ、おれほどではないがな! ……おい紫郎、不意打ちは卑怯だぞ!」
「油断する方が悪いんですよー。源六さま今ので確実に死んでます」
「ぐっ、卑怯な手を使う奴はこうじゃ!」
ぎゃいぎゃい騒ぎ出す私たちに、バテてその辺に転がっていた連中も笑い声を上げる。お前らまだ元気じゃねーか。
あれから、源六さまに対して私は「主君相手に容赦がない」と言われるようになった。あれだけ感情を爆発させて喚き散らした後なので、今更猫を被る必要もないというのもあるが……正直、今の方が源六さまは楽しそうなんだ。気兼ねなく突っかかったり悪い所を指摘したり今みたく隙を突いて攻撃したりすると、源六さまはなにやら嬉しそうに返してくる。マゾなのかな。……っていうのは冗談で、きっと対等に接することのできる同年代の人間が珍しいんだろう。源六さまが楽しいなら私もそれでいいけどさ。
ふと、ちらりと視界の端を見遣る。立て続けに複数人と手合わせをして汗を拭う私とは対称的に、白い顔をした少年がぼんやりと座り込んでいる。
「あの、龍助の具合が優れないようなんです。相部屋の私が送っても良いですか」
「そうか、大事にな」
「一人で大丈夫か?」
「平気です。落ち着いたら戻るので源六さまは続けていてください」
師匠に確認を取ると、私は龍助の肩を支えつつゆっくりと歩き出した。
「……いつも悪いな」
「それは言わぬ約束だろ」
居住棟の廊下に差し掛かると、低い声で漏らした龍助にお決まりのセリフを返した。
龍助は私より三歳上で、子弟の中で一番頭が良い。虚弱体質、薄幸、儚げ美少年という三拍子である。
そんな彼は、父が病に倒れ母は幼い頃に病死しているため、現在は田代という紀州藩士に養われている。その伝手で源六さまの側衆として此処で働いているという。この年で苦労しているからか、基本的に表情を変えず口数も少ない。ゆえに周りと話しているところも滅多に見たことがない。
ただ私は同室になったため、こうして彼が体調を崩すたびに気にかけて世話を焼いているうちに、少しずつこうして打ち解けてきたという訳だ。
汗で汚れた服を着替えさせ、途中で貰った水を飲ませて布団に彼を横たえる。規則正しい寝息が聞こえてきたのを確認すると、私は自分の文机の引き出しから一冊の草子を取り出した。開くと、これまで私が覚えていることや考えたことが書き綴られている。
徳川吉宗という男は江戸幕府中興の祖である。一方で歴史に名を轟かす名声とは裏腹に、その実態は謎に包まれている。
史実に基づく歴史小説と創作の色が強い時代小説を見比べると、個々の差はあれどその違いは顕著だ。
歴史小説における吉宗は、誰もが知る名君である。財政難に追い込まれた幕府を溢れるカリスマ性とずば抜けた手腕で救い、小石川養生所や町火消、目安箱に足高の制など斬新な政策を打ち立て民の暮らしを豊かにした。一方で武芸や絵画、計算などの才に秀で、数々の伝説を残す。他にも藩主の四男という立場から将軍にまで成り上がったサクセスストーリーや仁徳溢れるエピソードなど、輝かしい話に事欠かない。その姿やまさに英雄譚。
一方、彼を主人公に据えた作品を除く時代小説における吉宗は正反対。圧政で民を苦しめる暴君としてこき下ろされたり、好敵手を次々と殺して将軍の位を奪い取った極悪人として描かれたり。
何故、此処まで扱いが異なるのか。それは幕府の視点と民衆の視点の違いによるものだろう。
吉宗が幕府の財政を建て直した政策の方針は質素倹約、すなわち緊縮財政だ。贅沢を禁じ質素な暮らしを民に強いた結果、国の経済は停滞し芸能文化は衰退、人々は貧困に喘いだ。
そういうことで、町人やヒラ侍など庶民を主体とした時代小説において、吉宗は庶民の敵になってしまいがちなのだと思う。あくまで歴史オタクだった前世の私の体感ではあるが。
そしてこれまた創作物や歴史本で齧った知識で恐縮だが、おそらく私の仕える主となった源六さまが、後の徳川吉宗である。
確証はないが、時期と場所、そしてあの夜のおっさんたちの熱狂ぶりーーああやだな、思い出したら悪寒が。あと朧げだが吉宗の幼名が源六だったはずだ。
もし本当に源六さまが吉宗だと仮定して、じゃあ私はどうするか。誰かに相談する? 逃げ出す? 答えは「黙って乗っかる」である。
だって! 力無き百姓の娘ーー今は息子か、に何ができるっていうのさ! 何か行動を起こしたところでしらばっくれられた挙句、翌朝には紀の川に身元不明の幼女の死体が浮かんでるだけだ。大体あの場所に私がいたということがバレていないという保証もない、泳がされているという可能性もあるのだ。それに誰かに相談したところで、浮かぶ死体が増えるだけだしやめておいた方が賢明だ。
それより、全力でしがみついて行ったほうがいい、絶対に。小姓になったとはいえ、今の私はか弱い子供。まだ身分が確定したわけではなく、将来安泰とは言い難い。ならば目の前にある「未来の将軍」という勝ち馬に乗る以外の選択肢が果たしてあるだろうか、いや無い。
ん? 半年前あんな泣き顔晒しといて何言ってんだって? べ、別にあれはその場の空気に流されたっていうか。絆されたとか全然そんなんじゃないし!? 絶対ちがうから!! 本当に!
捲った頁に目を通すうちに、ある一箇所に目が留まる。家系図だ。江戸幕府の祖、家康に始まり吉宗で完結している。吉宗の周囲、父と兄たち、尾張藩の同世代たちの名前の頭には悉く罰印が乗っかっている。
吉宗には黒い噂がある。彼の将軍就任にあたって、少なくない人間が死んだ。そのほとんどが病死とされているが、実際のところは怪しい。亡くなったのは吉宗の長兄、父、次兄に始まり尾張徳川家の吉通、継友。
創作ではこの一連の流れを吉宗の陰謀とする説が採用されることが多々ある。日陰者である自分が将軍に成り上がるために、自分の手の者を使って邪魔者たちを悉く排除したというのだ。作品によっては、先先代と先代の将軍、家宣と家継まで彼の手に掛けられたとするものまである。
馬鹿馬鹿しいと思う。フィクションとしては面白いが、実際は無茶なことだ。身分の高い人間を殺害するのは困難を極める。警備は常に厳重だし、万が一失敗した時のリスクが大きすぎる。それが少なくとも四人は連続して成功したとしたら、相当運が良かったということになる。確率を考えて、それって現実的だろうか。
……ただ、完全にないとも言い切れない。吉宗には御庭番というお抱えの忍び集団がある。それに彼が暗殺を企てたという事実を立証する証拠はないが、同時に完全に否定できる証拠もない。そして彼のサクセスストーリーはあまりにも上手く出来すぎている。
ここであの夜の密談を思い出す。源六さまを未来の藩主として派閥争いの旗頭に祭り上げようとしている人間たち。本人にその気はなくとも、彼らがそうなるよう導いたら?
寒気が走る。死にかけていた私を抱き上げたあの手が、誰かを殺める采配を振る未来が訪れたら。
……いやいやいやいや、ないわー。だってあの源六さまだよ? ないない絶対ない。
そうだ。来るはずのない未来に怯えるよりも、この元禄の時代を思う存分満喫しよう。源六だけに。
おっと、龍助が動いた……なんだ寝返りを打っただけか。そろそろ私も戻った方がいいかな。草子を仕舞って立ち上がる。
縁側を吹き抜ける初夏の爽やかな風が心地よい。これからまた徐々に蒸し暑くなっていく。源六さまが川遊びをしようと言い出すかもしれない。あと最近は龍助と私で千歯扱の竹歯を増やすことって可能なの? と話していたら、思いの外食いついてきた。気付いたら、藩で普請役を務めている役人が来て相談に乗ってくれることになってしまった。なんかもう、本当に見ていて飽きない人だよな。