1 もふもふとケモミミ
「ぐ……っ、つつつ」
くそっ……頭がガンガンする。こんなに頭が痛くなるのは、体調不良なのに凛華に無理やり飲みに連れてかれた日以来だ。仕事関連じゃなく、全く関係ないプライベートでの飲みだったから、すごく不満だったのを覚えている。しかも、翌日とんでもなく体調が悪くなった。病欠寸前の体調だったのを覚えている。
「な、何が起こった……?」
なんだ?何かが変だ。すごいめまいだ。それに、なんだか視界がぼやけて……何も見えない。というか、なんだろう。全身にめちゃくちゃ違和感が……全く力が入らない。俺の手足はどうなってしまっているんだ?これは、まさか脳梗塞というヤツだろうか。声が出ず、手足にしびれ。そんなバカな。このまま良く分からないまま死ぬのか、俺は。
「う、ぐぅ」
眠い。眠すぎる。とにかく、今は寝よう。
zzz zzz zzz
「はッ?ここは?今は何時だ。会社に遅れる」
眠気でぼやける視界を、頭を振って正す。
「ん?」
ここは、どこだろうか。土の匂いがする、森の中。時間帯は、恐らく正午に近いんじゃないだろうか。太陽は、真上近くまで登ってしまっている。
「た……しか、凜華たちと、まつたけ―――――凜華!」
狼に襲われて、死にかけて、休憩して寝ちまったのか!?思考を整理しつつも、隣で倒れる凜華を発見し、大声で叫ぶ。しかし、動く気配はない。
「凜華、凜華!凜華!?リンカぁあああああ!」
「うっさい、あほ!」
「ぶっ!?」
そうだ。凜華は泥のように眠り、起こされようものなら無意識にヒジやらヒザやらで攻撃してくる、やばい寝相なんだった。仕方がない。体調も万全とは言えないし、立てそうもない。寝よう。二度寝だ。社長も、怪我だらけの俺達を見たら、何も言わんだろ。ゆうき。許してくれ。
zzz zzz zzz zzz
「きゃあああああああ!?」
「なんだ、なんだ」
飛び起きると、バケモノを目撃してしまったかのような形相で、俺にナイフを向ける凜華がいた。いや、凜華じゃない。凜華にそっくりな狼ミミをつけた女の子が居た。
「凜華、じゃない!?」
「は、何いってんの!?って、狼!狼?オオカミガシャベッタ?いやああああ、バケモノォ!」
「いいから、おちつけぇええええ!」
てんやわんやすること十数分。俺たちは落ち着いて話し合いをしていた。気分的には、爆発寸前の時限爆弾の前で、暴れる少女をなだめているような。はっきりいって、ハラハラするような、胃が重くなっていくような感覚だ。
「つ、つまり、お前は……凜華なの、か?あ、ありえねぇ。一体、何が起こってるんだ」
「だから、そうだって。ビックリしたっていうのなら、こっちのセリフだけどね、博?」
人間が、若返って、犬耳までつく?非現実的すぎる。科学的な説明なんて、俺が偉い……高名な学者でも出来るはずがない。明らかに、科学から逸脱してる。それに、びっくりって……?
「?びっくりって、何の話だよ?見た目が若くなって、犬耳が生える以上の何が」
「え、うそ。若くなってる」
「あ、ああ。15、6くらいに。」
「やった!儲け。でも、あんたも若くなってるって。確実にね。」
「ま、まじかよ」
マッチョが流行りのときに必死で鍛えた筋肉たちよ、サラバ。おお、僧帽筋、上腕二頭筋、ヒラメ筋、腹筋……鍛え始めたのが4年前だから、4年以上若返ったら確実に無くなっているだろう(若返りの原理なんて知らないが。)
「見たとこ、2,3歳かな。」
「は?」
「いやほら、どう見てもあんた狼でしょ」
「あーそのケモミミ、犬じゃなくて狼かー。……はぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙!?」
てんやわんやパート2を開催して数分。確かに、俺は狼になってしまったんだと納得する他なかった。凜華協力の下、色々なテストをしたためだ。まず、凜華がバッグから取り出した、犬が背面にあしらわれた(もしかしたら狼かも)手鏡を覗き込んだ。
「紛うことなきわんこでしょ?」
「いや、狼だな」
次に、狼なのに人間の言語を発声できるのは変だということで、喉?のあたりを触られたりした。
「うーん」
「何かわかったか?」
「あ」
「どした」
「もふもふであることは確かね。良い毛並み」
「おい」
次。狼っぽい声のテスト。唸り声とか。
「グルルル」
「ちょ、ちょっと怖い」
「え、あ、すまん」
すっかり凜華は狼に苦手意識を植え付けられてしまったようだ。死ぬ寸前の思いをしたわけだから、当然といえば当然か。なんて思っているが、実は、俺もさっき鏡を見たときビクッとしてしまったのである。
ともかく、鳴き声は狼のものと人間のものを選んで出すことが可能ということがわかった。犬の泣き真似概要にうまいという特技もなかったし、不思議効果というものだろう。しかし、喉の奥から出てくる唸り声。リアルで、生々しい昨夜の記憶を思い出す。
「つ、つまり、俺は完全に姿かたちが狼になってしまっていて、今のところ元に戻る方法はわかっていない。つまり、奇跡的に人間に戻る方法が見つからない限り、俺は当分……もしくは一生このままだと」
「そうなると思う」
待て。不思議な現象によって、今自分たちが姿が変わっているという事実があるわけで、それなら、昨夜起こった記憶から、何かがヒントになるんじゃないか。でも、いや、違う。いや、違くない。いや、違う。・・・・突然目の前に突きつけられた現実のせいで、俺の頭の中はパンクしてしまいそうになっていた。考えなんて冷静に纏められるはずもなく。ポケットに適当に突っ込んだイヤホンのコードのように、きれいに纏めることができずに絡まってしまっていた。
(待て待て。考えを上手くまとめるんだ。まず、俺は、俺たちは、今どこにいる?)
一度、冷静になって考えてみる。昨日、最後の記憶を思い出す。石棺のような、祭壇のような、あの場所で、魔法陣から発せられた光につつまれ、今俺達はここに居る。待て。今、俺たちの周りに石棺はあるだろうか。
「……あ、る。が」
(これは……苔?)
辺りを見渡してみると、やはり、昨日見たような祭壇とも石棺とも言える謎の直方体が存在している。きれいに磨かれて履いたのだろうが、苔や土やらに塗れて、昨日ハッキリとしすぎた月明かりでみたものとはまるで地学見える。さらに、周囲にある石灯籠も、4つ中2つがハッキリと崩れていて、崩れていない2つも、苔などに侵食され、見た目はボロい。
(ここは、昨晩と同じ場所?しかし、明らかに様子がおかしい。まるで、とてつもなく長い時間が経過して、このいかにも硬そうな岩が侵食されたっていうのか?まて。あれからどのくらい経つ?何日?もしくは、一か月単位や年単位では経過しているかもしれない。すくなくとも、あの場所がこの様になるなら……60年は)
背筋にゾッとしたものが伝う様な感覚。
(待て待て。よく見たら、森の様相も違う。植生だってぜんぜん異なるように見える。つまり、最も現実的なのは、ここは神蛇町ではない。)
はっと脳裏に浮かぶ四文字。なぜ今までこれに至らなかったのか。模範的なオタクなら、真っ先に気づかなければいけないこの可能性に!そう、もしかしたら……
(ここは、未来か過去の地球もしくは別の世界なんじゃないか?だとしたら、この状況も少しは解る。……異世界転移か。ラノベだと、たいていは人間でチート。例外は魔王とか魔物とかで、チート。……なんで俺だけふかふかわんちゃんなんだ。不公平じゃないか)
考えが進むにつれて、段々と怒りが募っていく。誰に怒っているか。それはもちろん、俺をこんな姿に変貌させた者へだ。ヒートアップしていく思考が、だんだんと意味のない方向へと外れていく。しかし、今の内はその方が良いのかもしれない。現実を見ず、逃避することが出来るから。
(誰だ、俺をこんな趣味の悪い格好に魔改造したアホタレは……!)
よくよく考えてみると、ふかふかなワンちゃんも悪くない。あさ、散歩のときに美人とワンちゃんトークをするために、犬を飼う人もいるらしいしな。と、どうでもいい方向へと思考を巡らせ、怒りを落ち着かせ、思考をクールダウンさせた。
(松島は……小林さんと無事に帰れたのだろうか?多分大丈夫だ。アイツは軽そうに見えて、実はマジメだ。大丈夫なはず。一緒にいた小林さんも、無事なはず。……俺たちを、心配していないだろうか。会社はどうなるんだろう。凜華と俺一気に抜けて、引き継ぎとかどうするのか。警察とかは。)
俺の中では、暫定転移してしまったことになった。となると、元の世界に残した同僚たち、後輩たち、社長、プロジェクトが心配でならない。もしかすると、俺たち二人のせいで、会社の数十名が事情聴取などで時間を割かれ、いま進めているプロジェクトが頓挫して、倒産なんてことにはならないだろうかなんて、悪い予感が頭を駆け巡る。
(ともかく、この世界が地球なのか、それとも違う世界なのか。ここが地球とは違う世界ならば、どの程度の文明なのか。言語は……凜華とはコミュニケーションが取れる。最悪、言語はボディランゲージでなんとかなる。しかし、これは俺がラノベ愛読者だからだろうか)
ある考えが、頭から離れない。それは、ライトノベルの異世界転移系……所謂、「異世界モノ」において、一部の例外を除き存在する要素。あれはこの世界に存在するのだろうか?それの存在は前世ではハッキリとわからなかったが、それについての記述は大量にあった。グリモワやグリモアと呼ばれ、有名なものでは「ソロモンの鍵」などがある。降霊術のようなものであったらしい。降霊術とは、天使や悪魔を呼び出し、自らの願いを何らかの代償や生贄、手順などを踏んでかなえてもらうもの。
しかし、俺の思うものは降霊術ではない。四代元素などを元にしたモノだ。火、風、水、土。あとは、光と闇などもあるだろうか。ここまで言えばわかるだろう。地球人時代では、触れたことがあるものなど、殆どいなかったであろう、もの。創作物では、しばしば科学技術と相反するものとして書かれる現象。そう――――――魔法だ。
しかし、これからどうするか一度よく考えなければ。他の人間と交流する方法とか、食事の問題、とか。いや、しかし―――――
「こら!」
ボグッ
「いでーっ!?」
「おいこら」
「な、なん!?」
「聞きなさいよ、人の話を。ぶつぶつと一人で考え込んでないで。私だってね、若くなったからって、わけもわからない場所に放り出されて、自分の体さえもよくわからない耳がついたりして、この状況に困惑してないわけじゃないんだからね」
「わ、悪かった」
幼少期を、思い出す。二人で虫取りにいったのに、夢中になってズンズン歩いて行って、凜華が転んで、膝を擦りむいた。おふくろに、「女の子の体に傷が残ったらどうするの」なんて怒られて、それ以来、危険な場所には踏み入らないようになったんだ。それがいつの間にか逆転して、俺が止めて凜華が活発になっていくわけだが。恥ずかしい話だが、体を鍛え始めたのも、何かあったときせめて盾ぐらいにはなれるように(助けが来るまで耐えることの出来るように)といった理由もある。
「うん、許す。私達のこと、考えてくれてたみたいだし。でも、人の話は聞くこと。言葉、通じなくなったかと思って不安だったよ……それで、どうしようか」
「そ、そうだな。悪いんだが、俺が応答してなかった時の話をもう一度してくれるか。
「今後、どう動くべきかなって」
「……まずは、町や村、集落を目指すのが良いと思う。問題なのは、飯、水だ。通貨なども入用ではあると思うが、それに関しては人が多いところに向かえば、解決する可能性は高い」
人は、水が3日摂取できないと命の危険に瀕する。緊急事態において、水分摂取がない状態で生存できるリミットが3日というふうに言われているのである。事実、遭難者などの統計からはじき出された数字らしい。食事は、健康状態が正常なら、1ヶ月ほどは耐えることが出来る。通貨などは、色々と手に入れる手段はあるだろう。店はあるだろうし、そこで雑用などをしても良い。凜華はゲームシナリオライターだ。なにか、御伽話的なものを語り、通貨を得るといった手段もできそうだ。
「余裕が生まれたら、長期滞在できる居住地の確保。宿屋でも、一軒家を購入するってのでも良い。とにかく、長く暮らしていくための拠点が必要だ」
「長期滞在?購入?よくわかんないけど、宿屋に関しては、そうだね。数時間しか寝てないだろうけど、体バキバキだもん。これ以上、野宿なんてやってらんないよ」
「ああ。あと、この世界は……まず、共有しておきたいんだが。ここは、俺達が居た地球とは別の世界か、めちゃくちゃ未来か過去の地球のどっちかだと思う。いや、現代地球の未開の地って可能性もあるか」
「え、え?異世界転移か何かってこと?」
「俺はそう思ってる」
吹き出すかと思っていたが、凜華は完全にぽかんと口を開けてフリーズしてしまっている。オタクではあるが、普段真面目を装っている俺の暴論に、完全に唖然としてしまっているのか。
「ま、でもおかしくはない、のかな?確かに、私のケモミミは異世界系の作品でよく見るケモっ娘に特徴が一致するし……」
「凜華の服装が完全に変わってるってのもおかしな話だ。あと、そのバッグなどの装備はどこから」
そう。俺はただの狼だから全裸だが(全裸と言うと語弊が生まれそうだが)凜華はもちろんそうではない。マツタケがりの際は、運動に適したジョギングのような格好だったはずだが、今は完全に装いが変わっている。シーフっぽい格好の軽装気味な装備に、ボディバッグ。腰には短剣までベルトで固定されている。問題は、それらがどこから来たのか。奇妙なことに、横になっていたはずなのに、それらはまるで新品のようにきれいな状態だ。
「た、確かに。魔法、魔術とかでしか説明がつかない……?」
「あるいは、何者かに喚ばれたか」
「あらかじめ、呼ぶ準備を整えていた結果、ってこと?」
「かもしれない」
着せたのか、それともあの怪しく発行する魔法陣に、その程度の能力が備わっていたのか。ともかく、凜華は俺を絶叫で目覚めさせ、ナイフ……短剣を向けた。人によるかもしれないが、まつたけ狩りにはナイフを持っていかないし、凜華はナイフを持っていなかった。持ってたら狼に襲われた時点で使っていただろうし、そもそも、これはナイフと言うより短剣だ。
「魔法陣があった以上、それを書いた存在が居るってことだ。事故にしろ、意図的にしろ、俺達は異世界か別の場所にワープした。何者かの存在によるものだということはアタマに入れておこう。」
「うん。一発殴らんと気がすまないからね。小林ちゃんとパンケーキ食べ放題行く約束取り付けたのにぃ……ぐぬぬぬ」
「凜華、そんなに小林さんと仲良かったのか」
意外だ。小林さんは「人見知りだから、中々友人ができなくて困っているんです」と以前飲みの席で言っていた。
「いや。マツタケ狩りを機会に、どんどん仲良くなって行こうっていうことで、何度も誘って、ようやく取り付けた約束。」
「……一歩間違ったら、パワハラだな」
「何でよー!」
「まぁ、世知辛い世の中よな」
馬鹿話をしつつ、ゆっくり歩き出す。ここは、恐らく俺達の知る世界ではない。何が待ち受けるか、見当もつかない。そこには恐ろしい危険もあるだろうが、得難い経験もあるだろう。異世界転移モノの漫画や小説を思い浮かべ、胸が膨らむ。あとになって思い返すと、この時気づいていれば、俺達の運命はもっと違っていたのかもしれない。俺達の直ぐ側にある確かな悪意に、気づいてさえいれば。
幼馴染を見つけるというのは、小説として見どころにかけるというか、目的が薄い気がしまして。なら、最初から居たら良いじゃんと。