プロローグ2 終わり?始まり?
どのくらい歩いたのか・・・空を朱色に染めていた太陽は陰り、今暗闇を照らしているのはいつもより頼りなく感じる月光のみだ。焦りが募るこの状況に反し、皮肉にも詩的で美しい光景だが、今はこの景色に見とれている場合じゃない。マツタケ取りは管理された安全な土地でされることが多いが、この山は、お世辞にもちゃんと管理されているとは言えない。あまり整備されていない山の夜は、都内の舗装された道での夜とは全く違う危険がある。
この山で危険なのは、人間でも「車でもない。野生動物や、地形そのものだ。自分自身が気を抜いた瞬間、自然の驚異は牙をむく。手遅れになる前に早く凛華を見つけなければ。
「アイツどれくらい進んだんだ……?」
松島からの連絡を先ほど確認したら圏外だった。そりゃそうだ。山の中でケータイが通じるハズがない。自分の考えの足りなさに軽く後悔していると、目の前に人影が見える。心に降りる暖かさに胸をなでおろす。アレは、間違いなく凛華だ。
「凛華!まったく、お前は・・・・どこまで心配かければ!」
「……うん」
「凛華?」
「・・・なにか、聞こえない?」
「ふざけてないで、はやくか―――――」
言いかけた言葉が、行き場を失って消える。何故なら、本当に獣の咆哮のようなものが聞こえたからだ。しかし、あの遠吠えは……野犬か?野犬。ただの野生の犬だとバカにしてはいけない。普段人間に愛想を振りまいて、癒してくれる飼い犬とは全く訳が違う。野犬は獰猛で、危険で、狩りを行う。狩りの対象にはもちろん、人間も入っている。
「静かに!このまま静かにしていれば、気付かれないかもしれん」
「う、うん」
ガサ、ガサガサ。間違いなく、まっすぐ俺たちの元へと進んでくる野犬らしき存在。ゆっくりと、だが確実に。段々とこちらに近づいてくる、野犬の群れ。
「ダメだ、多分囲まれてる」
「……っ」
そう、先ほどから聞こえる足音は一つだけじゃない。いたるところ、四方八方から何十も聞こえる。しかし、野犬とはこんな狩りをするものだったか?縄張り争いのイメージが強い。これは野犬というよりも、どちらかと言うと……いや、ありえん。
俺はバカげた考えをやめ、二人が無事帰れるように思考を加速させる。
「動くな。まだ動くな」
動物は五感に敏感だ。その中でも、狩りをする動物は特に五感が鋭い。音でも立てようものなら、そこが危険なロケーションでない限りやぶの中でも、草むらの中でも飛び掛かってくるだろう。
「あっ……!」
「しっ!」
ゆっくりと近づいてくる足音。暗闇からゆっくりと姿を現し月灯りに照らし出された姿は、間違いなくオオカミだった。しかし、どういう事だ?ここら辺がオオカミの保護区域だとも聞いたことが無いし、そもそもの話、ニホンオオカミは完全に絶滅したはずだろう?
「うっ、ふぅっ」
「ゆっくり後退りするんだ」
「ふっ、うぅっ」
先ほどまで余裕しゃくしゃくな態度だった凛華も、明確に命の危険を感じ始めたのか、泣いている。そもそも、凛華はこういうシチュエーションが、大の苦手だ。しかし、俺のゆっくり穏やかな声で落ち着いたのか、涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔のまま、ゆっくりと後ずさりし始める。いくら男勝りで豪快な性格をしていたって、コイツは女性だ。見た目以上に可愛いものが好きで、小さい時から泣き虫で、いつも俺のそばに居る。普通の女性なんだ。こんな状況、最悪だ。おれも一人だったら、小便をちびるかもしれん。もう少し、あと少しで終わるはずだ。大丈夫。
ミ……メキッ
少し湿った枯れ枝が、荷重で軋む音。
「ガウガウッ……!」
「ッ走れ!」
くそっ!俺はバカかっ。凛華の足元にまで注意が行かなかった。もう少しでやり過ごせたかもしれないって言うのに……!とにかく、走らないと、このままじゃ、殺されてしまう!それよりは、一心不乱に走って一縷の望みに掛ける方がまだましだろう!
「喰らえ!」
持っているライトでオオカミの目に光を向ける。こちとら心配性だからな、通常より明るく、ゴツイ業務用のライトを持ってきてるんだ!強い光が急に目に当たったオオカミは、驚いたのか立ち止まってどこかへ走り逃げて行く。
「よし!」
辺りはもう暗闇だ。野生動物なだけあって、急な明度の変化に慣れていないんだろう。……この調子で全部どこかへやれば、もしかしたら。
「おらっ!」
「キャウッ!」
「キャンッ」
「このっ・・・」
「グルゥッ!」
もう少し。もう少しだ。あと、三匹。後三匹目をくらませれば、俺たちは助かる。左手でつかんでいる凛華も、疲れのせいかさっきから一言もしゃべっていない。聞こえるのは、粗い吐息だけ。頼む、もう少し。もう少しなんだ。
「凛華!しんどいかも知れんが、もう少しだ!がんばれ!」
「はぁっ、はぁっ・・・・わかっ、た」
「くそっ、マジか!こんな時に限って・・・・」
残った三匹のオオカミに向けてライトを向けた瞬間、チカチカと不規則な点滅を繰り返し、ライトが消灯してしまった。そう言えば、出発前にバッテリーを充電しなかった。今回は使う機会なんてないと決めつけて、点検をおろそかにした罰だ。
「ちっ!」
バッテリーの無くなったライトなんて、ただの重い棒だ。1万5千円もしたが、命の方が大事だ。こんなもんいらん。と、オオカミに向けて投げつける。かなりの重量のライトが、追いかけてるオオカミの顔面にクリーンヒットする。よし!残るオオカミはあと1匹。
「くっそ!」
しかし、俺の両手には何もない。先ほどリュックは置いてきてしまったし、凛華も宿に荷物を置いてきてしまっていた。持っている者と言えば、捨てる機会を失ったマツタケだけだ。
「とにかく走るぞ!」
ろくに歩けなくなってしまった凛華を素早く背負って走り出す。もう少し、ロマンチックにお姫様抱っこでもしてやりゃ良かったかな。正常性バイアスか、酸素が足りなくて意識が危ういのか、……もう、助からないと思ってしまったのか。俺がそんなくだらないことを考えていると。
「……せっかくなら、お姫様抱っこの方がよかったんだけど」
「20代後半に何言ってんだ」
同じことを考えていたらしく、苦笑してしまう。しかし、余裕は全くない。後ろからは恐ろしい狩りの達人が襲ってくるし、目の前は真っ暗で何も見えない。だから、後で思い返してみてもあんなことになってしまったのも、仕方がないことだったと言える。
「はぁっ、はっ、はっ……がぁ、はぁはッ」
後ろからは、絶えずオオカミの走る音が聞こえる。いつの間にか合流したのか、オオカミは一頭だけじゃない。ライトに目を眩まされても、時間がたてば復活する。ナイフや銃で直接傷つけたわけじゃないんだ。もっと早く気づいていれば・・・。
「っ、ぐ、はっ、はあ゙っ」
走る。とにかく何も考えずに、走る。何も考えずに、全力で走る。何も、何も考えずに。走って、しめ縄を超えれば、ここから逃げ切れさえすれば、良いと思っていた。しかし、どれだけ走っても、しめ縄は視界に入らない。そして、ここは安全に舗装された道路でなければ、きちんと管理のなされている場所でもない。そんな悪路で、人間が狩りの王様である狼の猛追を躱し続けることなんて、出来るはずがない。だんだんと減るスタミナに、嫌な未来を予感させる。アタマが、重くなっていくような、足が沈み込んでいくような。
「ガウルゥァッ!」
「ぐッあ゙!」
月並みな表現が頭を駆け巡る。
(灼けるような痛みだ……噛まれた!?何故だ、まだ、差は開いてるはずなのに!)
後ろを振り向き、驚愕する。狼が、すぐそこまで、いや、真後ろに肉薄していた。恐ろしい牙で襲いかかってきたヤツとは別に、5,6匹は居る。いや、足を止めて正確に状況を見ると、後ろだけでなく、横も、前も無数の狼が居た。
自分の鼓動が、足に響く。もう、これ以上走れないだろう。狼の噛み付きによって、確信してしまうだけの怪我をおっていた。凜華が背中から下り、俺の足を見る。スタミナは、もう回復してたのか。
「なんッ、はぁ、はッ……何で!」
「ひ、博?足が……」
「グゥルルルルルァッ……」
狼の唸り声が、アタマに響く。苛ついているような、威嚇するような、それとも晩餐が楽しみで垂れるヨダレのような。耳障りな唸り声は、そんなように感じた。
「煩えな」
「ガウッ、ガウッ」
「うるせえ、ってんだよ犬っころ!」
「博っ」
頂点に達した苛立ちは、足を止めていた狼たちを刺激するのに十分だったらしい。叫んだ直後、狼は俺たちに向けて飛びかかってきた。
「ん、ぐぅ゙ん!」
「キャンッ!」
飛びかかってきた狼を避け、咄嗟に落ちていた木の枝を掴み、着地した狼の喉に突き刺す。ゲームじゃない。足は、もちろん痛いままだ。20秒じゃ治んないし、便利な回復薬なんて、存在しない。
「ぐッ、あ゙ぁ!」
左肩を、後ろからガブリとやられたらしい。コミックのヒーローでもない。どんどん怪我も負う、血も失う、回復しない、助から、ない?
「博ッ!」
「ギャン!?」
気づいたら、四つん這いになっていた。痛みのせいか、流れた血のせいか、軽く意識を失っていたらしい。凜華は、石を持っていた。どこから持ってきたのか、持ちやすくて、殴りやすい様な、火山岩っぽい見た目のゴツゴツの石。それで、左肩の狼をぶん殴ってくれたらしい。
「助かった」
「いいから、立って!」
「ああ……ん、ぐあっ!」
眼の前が真っ白になり、チカチカしたが、なんとか立ち上がる。左肩から離れた狼は、失神しているのか、グッタリしている。気合を入れ、失神したであろう狼の足を掴み、思い切り振り回す。気分はどこかのゲームのバーバリアンだ。
「んがあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙ッ!」
地面に、木に、岩に、叩きつける。死んでいるとわかっても、叩きつける。いわゆる、キチゲ開放。俺は、いい加減怒り心頭を通り越していた。
やってられるか!こんなとこで、死んでたまるか!
「俺は、胸のでかい可愛い嫁さんと、愛らしく小さい子供こさえて、家帰ったら料理作ってくれてて、おかえり、お疲れ様って言って、優しく仕事の愚痴を聞いてくれるって、甘い生活を、するんだよ゙お゙お゙お゙お゙!」
ゾンビゲーみたいに、視界が真っ赤になり、頭の中はぐちゃぐちゃ。一心不乱に手の中のものを振り回し、なんだかよくわからないことを叫びまくる。
「はぁ、ハァッ、はぁ―――――」
気づいたら、狼が周囲からいなくなっていた。狼は、リスクを恐れる。慎重な動物だ。だからこそ、人間を襲ったりはあまりしない。俺のキチゲ開放にビビって、どこかに逃げたようだった。手に持っていた狼だったものを放り投げる。
「ひ、博。だいじょぶ?」
「あ、ああ。うん、まあ」
なんか、勢いに任せてとんでもないことを口走ったような気がする。こちらを見る凜華は、怪我を心配していると言うより、アタマを心配するかのような、引きつった心配顔だった。
「胸が大きくて、可愛い嫁さん、ね」
「……」
「お疲れ様、お帰りなさい?」
「はぁ、頼む、勘弁してくれ」
緊張が緩んだのか、お互いの顔は笑みが浮かんでいた。やった。やったぞ。十数匹の狼から、逃れることができたんだ。
「そうだ、これを元にシナリオ作っちゃろ」
「博はシナリオ作りめっちゃ下手でしょ。私も手伝う」
「……無事に帰ろう」
「うん。私も、やりたいことができた」
少し休憩し、凜華に肩を貸してもらい、ゆっくりと歩き出す。俺からは狼の血の匂いが漂っているだろう。野生の動物も、頂点捕食者の血の匂いがべっとりとついた俺たちを、襲わないはずだ。
「ちょ、少し休もう」
「ん、わかった」
石棺のような丁度いい長方形の岩に、二人で腰掛ける。良かった。こんな丁度いい岩がなかったら、恐らくまだ歩かされていたはずだ。
「にしても、まじでちょうどいい岩だ」
「ちょっと待って、これって」
「ん、どうし」
待て。石棺のような?なんで、自然に存在する岩なのに、こんなに座ってるところが磨かれているようになめらかなんだ。
雲が、晴れた。まんまるな満月の灯りは、俺たちの周囲を、驚くほど明るく照らしていく。灯籠のような建造物が、周囲四箇所に、俺達の座る石棺を囲むようにそこにある。石棺の下には、魔法陣のようなものが描かれている。そこには……。
「なっ、俺が殺した狼!?」
「えっ?」
俺が殺した狼が、確かにそこに居た。2匹の……つがい?ボロボロになった狼に寄り添うように、喉に木の枝が刺さった狼が息絶えていた。
罪悪感が少し浮かんだ次の瞬間、魔法陣のような幾何学模様が、淡い光を放つ。
「なっ―――――!?」
「きゃッ―――――!?」
思わず口から出る、声にならない叫び。隣に居る凛華の顔を見る。恐怖の表情を張り付けた顔で、こちらを見ていた。やけにゆっくり、引き伸ばされた時間で、凛華との思い出を思い出す。これは走馬灯というヤツか。景色に移るものすべてから想起される記憶が、脳の奥底から凄まじい速さで引き出されていく。
「凜華ッ!」
「博っ!」
目が合い、どちらからでもなく、同時に抱き合う。溢れる神秘的な閃光によって視界が包まれていく。視界どころか、手や足の感覚さえも。痛みはない。痛みがなく、存在が削られていく。そのうち、五感が完全に闇に包まれた。
なんか、主人公とその幼馴染がいきなり死ぬの良くないんじゃないかって思いまして、死ぬところを変更しました。それに伴い、タイトルの「転生」部分も変更します。いずれ。