プロローグ1 社員旅行
「アオォォォォォォォォ……!」
「「「「アオォォォォォォォォン……!」」」」
森の中に響き渡る咆哮。それは、狩りの開始を意味する。森の中では圧倒的な猛威を振るう、最強の動物。それはオオカミ。視界の悪い夜の森の中でなされる、完璧な統率の取れた狩猟。それは、ターゲットを絶望、疲弊させ、確実に死に至らしめる。
そんな恐怖に満ちた絶望ともいえる状況の中、俺もまた走っていた。
「はっはっはっはっ!」
周囲から隙間なく聞こえるオオカミの足音、呼吸音、気配。その足音は俺よりも圧倒的に速く、洗練されている。まずい。このままでは。このままでは俺は……!
「来るなぁァァァっ!」
「こ、こっちに来るんじゃねー!!!」
最後の戦いだとばかりに雄たけびを上げる人間たち。そんななか、俺は諦めていた。仕方がない。仕方がないことなんだ。もっと他にやりようがあった・・・違うルートを走ったり、なるだけ足場が安定して音を出さない倒木の上を移動するなど、やりようは幾らでもあったんだ。だけどもう、手遅れだ。手遅れなんだ。
「お、おいぃ!どうすんだよォ!?アンタ、強いんだろ!?教えてくれよォ!」
「ひっ!も、もう......手遅れだ!周囲を完全に囲まれているッ!し、死ぬしかないぃ!」
「ぁ、あああ。ぁあああぁあああ……ぃ゙ぁ゙ア゛あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!い゙やだ……いやだぁぁぁl!」
俺は完全に諦めていた。人間の行動の予測、計算、悪路による影響、音、におい……ここまで判断材料があったのに追いつけないなら、諦めるしかない。完全に俺の過失、落ち度だ。長老たちに怒られるのは目に見えている。もう、甘んじてそれを受け入れるしかない。
何の話をしているのか?お前は一体何者なのかって……?何か勘違いしていないか?俺は……オオカミだ。
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「はぁ、何だってこんな目に合わなきゃならんのだ」
「そんなこと言わないでください。そう思ってるのは鈴木先輩だけじゃないんですよ」
「いや、しかしなぁ」
今、俺は会社の同期――――と、いっても、俺より先に昇進したので上司――――や後輩たちと一緒に、山に来ている。何でも、マツタケは今が旬らしい。だからなんだと思ったが、せっかくのシルバーウィークを、家でボーっと過ごすのはもったいないと感じたらしい。そんなら、一人でマツタケ取りにでも行ってくりゃ良い。しかし、流石に一人マツタケ取りは厳しいと。それで、今回俺達にお声がかかったというわけだ。別にいいだろ、一人でマツタケとっても。
「それに、同期とはいえ上司ですよ」
「お前が言えることじゃあないだろう」
「それは、まぁ。ホントに、すみませぇん……」
コイツは俺の後輩の松島綾斗。俺たちは大手ゲーム会社の製品のプログラミングやデバッグ、キャラの立ち絵イラストなどをやる会社の社員だ。大手ゲーム会社が俺たちに一部外注しているってことだな。だけど、それだけじゃない。売れるゲームを研究し、自分たちでも今大作(になる予定)を制作中だ。
因みに、業務内容は俺はプログラミングやデバッグ作業。松島はキャラ立ち絵や背景、デバッグ。デバッグ作業は、根気と精神力、そして体力が必要になる。一人じゃ足りないので、十人以上であたることも珍しくない。大手ならバイトを大量に雇うのだが、俺たちが勤務しているのは高校の時のクラスメイトが建てた小さい会社だ。そんな財力はない。
「何やってんの!遅い遅い!」
「勘弁してくれよ。こっちは26、衰えを感じる頃だぞ?」
「う・る・さ・い。そういうこと言ってため息ばかりついてるから、老けてくんでしょ!」
「知らねぇよ……ってか、お前も俺と同じ年だろ」
「あ、凛華さんこっちにもありました」
「でかした、小林ちゃん!」
コイツは、シナリオライターやゲームプランナーを担当している佐藤凛華。こいつが俺の同期でありながら、上司。仕事ができるが、毒舌で粗暴なやな奴だ。根は良い奴なんだが……いいやつか?いいヤツエピソードが全く思いつかない。でも、仲間思いで良いヤツだ。俺たちの中じゃ一番頑張ってるし。
そして、凛華を呼んだのが、小林さん。たしか、サウンド関連やちょっとした小物のイラスト、CGを担当しているはず。手が空いたら背景デザインを手伝うんだと。下の名前は知らん。凛華からは「小林ちゃん」としか聞いたことが無いし、内向的なのか、ずいぶん前自己紹介されたときも、「小林です。よろしくお願いします……」ってな感じだったからな。
「やっぱし、聞いてねぇしな」
「聞かれなくてよかったですって。地獄のデバッグ作業の割当、増やされますよ。それより、マツタケ何本取れました?」
「これ以上増やされたら倒れる自信があるぞ。それで、マツタケだったか。ちょっと待ってろ・・・四本だな」
「俺は三本です。これなら、十分酒のお供になりますね。はやく、マツタケを肴に焼酎をキューっとやりたいっす!」
「お前、頼むからもう飲むな。」
「それはあんまりですよ!」
「俺があんまりだよ!先日どんだけ大変だったと思ってんだ!」
さっき話していた通り、松島は俺に上司に対する口の利き方を説教できるほどの立場にはいない。極めて違和感なく、嫌みもなく、比較的しっかりとした敬語でユーモアのセンスもある。なのに、なぜ俺からの評価は低いのか。
それは松島が酒が弱いくせに飲みまくって暴れる酒乱だからだ!先日一緒に飲みに行ったときも、酷い目にあった。日ごろからストレスが溜まってるのか何だか知らんが、押さえるのに苦労したし、出来たあざやひっかき傷も一つや二つじゃ済まない。せっかく仲良くなった男ふたり、仕事に対する愚痴でも軽く言い合いながら、親睦をさらに深めようとしていたのに、一気に評価ダウンだ。
「あ、その件は本当にすすみませんでした。……だけど平気です!俺、酒で一度暴れたら、同じ人の前では暴れないらしいんで」
「平気じゃないだろう、どう考えても。一度病院で診てもらうか?」
「やですよ。怖いじゃないですか、注射とか」
「はぁ。」
松島は酒は大量に飲む癖に病院は大の苦手という、健康管理ができない典型的な危ない奴である。ゲーム業界は体を酷使するし、徹夜で作業することも珍しいことじゃない。ただでさえ健康に良くないこの業界なのに、医者嫌いとは……歯医者嫌いでひどい目を見た俺が言えたことじゃないが、いつか仕事中にいきなり脳梗塞にでもなってしまうんじゃないかと、心配で仕方がない。
「おおーっ!なにこれ」
「わ、凄いです」
と、先日の松嶋の痴態を思い出しゲンナリしていると、凛華達が向かった先から悲鳴?が聞こえる。一見嬉しそうな悲鳴なので、危ない事や悪いことではないと思うのだが・・・もしものことがある。申し訳なさそうな顔の松嶋に声をかけ、祈りつつも急いで向かう。
「頼むから、面倒事はやめてくれよ……!」
「どうした?何かあったか?」
「どうしたって、これよ、これ」
「これは……なんなんですかね、これ……」
「しめ縄……?」
俺の視線の先には、不自然な光景が広がっていた。等間隔に、まるできっちりと測られて設置された柱のように並ぶ大木。それが、見える限り西と東に延びている。その大木を、しめ縄がつないでいる。横一列だけでなく、上下にも50㎝ずつの間隔をあけ、横に何列もしめ縄が渡っている。そして、しめ縄の先は奇妙な空気を感じる。まるで、そこからは世界が区切られているかのような、不思議な感覚。ただ、しめ縄が左右に渡っているだけだ。跨いでしまえば、簡単に向こう側に行けてしまうのに。
「なんだか、神秘的だな」
「非自然的っすね」
「不思議です……」
「面白そうね」
一人だけ景色に似合わない嫌みっぽいニヤケ面を浮かべ、「面白そう」。そう一言だけいうと、しめ縄をまたいで奥に進もうとする。言うまでもない、そんなアホな行動をするものはこの四人の中で一人しかいない。凛華だ。
「おい!」
「大丈夫よ。気になるじゃない」
「さすがにまずいっすよ、先輩!しめ縄で厳重に区切られてるってことは、この先は何かが祀られてるとか何かあるんじゃないですか!?それに、変な気配が・・・!」
「凛華さん!」
こちらには返事をせず、手をひらひら振って奥へと進んでいく凛華。マズイ。何か、嫌な予感がする。別に、俺は陰陽師の末裔とか、そういう由緒ある家に生まれてきたわけじゃない。だが、何か感じる。霊感なんてものも、一つもない。だけど、何か嫌な予感……というか、圧迫感を感じる。
「ちょっと待て!俺も行く!……松嶋。俺たちが一時間たっても戻ってこなかったら、連絡頼む。通じなかったら、警察と宿の人に事情を説明してくれ」
「で、でも!」
「頼む!ふもとに戻って待機しておいてくれ!誰か残っておいた方がいい!」
「……分かりました」
「考え過ぎだと良いんだが・・・頼んだぞ。小林さんも」
「は、はい。連れて戻ってきてください!凛華さん、マツタケ楽しみにしてましたから」
これで連絡をしてくれるだろう。考え過ぎだとは思う、たかが縄をまたいだ先に行くだけで大げさだとも思う。だけど、勘が言っている。肌で感じる。この先は、何かがヤバい。圧倒的な圧迫感、存在感を感じる・・・様な気がする。得も言われぬ恐怖、不安を感じる。
凛華のヤツ、何を考えてるんだ……どこまで行ったんだ。自分たちの知らない場所で、しかも、森の中で一人になるなんて。とにかく、今から迎えに行くからな。頼むから、大人しく待っててくれよ、凛華。