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脅威は夕焼けと共に

続きです

不測の事態が起こると、人は様々な態度を示す。


展望を話し合うもの、下らない話で気を紛らすもの、苛立ち他に当たるもの、泣き崩れるもの、それを介抱するもの、それらをただ見るもの。


実に多様だが、全ては単純に不安に対する反応とみなされる。


不安の共通の原因は、推測するに「隕石がこの近くに落ちた」という事実だ。



 衝撃によって窓ガラスは割れ、停電し、木造の小屋、古い家などは多くが半壊したらしいと噂で耳にした。


耐震基準を満たすこの体育館は、近くの住民の避難場所にもなっている。


災害時の安全を保障する頑丈な建物の中にいればこそ、災害の実感は湧かないものだ。


壁際には治療を受ける人がいる。


ガラス破片が当たったらしい切り傷を額や手の甲に持つ人がほとんど。


消毒液に一瞬顔をしかめるが、どの人からも不思議と穏やかさが滲み、むしろ無傷の人より明るい。


少なくとも、近縁が死んだことを窺わせる素振りを見せるものはいない。


不幸中の幸い、とオチを付けるには早いだろうか。


 

東の山の方に飛んでいった、とあちこちから聞こえてくる。


隕石の大きさ、落ちた場所によっては歴史に残るような大災害にもなり得るのに、この体育館はせいぜい定期的な避難訓練のような雰囲気な上、騒がしい生徒を注意するべき先生方だけは当然それどころでない。


まるで運動会の閉会式のようだ。


泣き崩れる生徒も、ある意味では似つかわしい。



こんな場面で、一人周囲を冷静に眺めていられるのは、いや、眺めることしかできないのは、感情を共有して増幅させるだけの会話ができる知人あるいは友人がいないから。


もちろん一つのクラスに在籍することでクラスメイトは自然発生するし、加えて一般的な高校生よろしく部活動にも所属するので、天涯孤独には程遠い。


当然、ではないが家族もいるし、あくまでこの場に限ってという意味で、話し相手がいないのだ。


 

原因は、補習のため例外的に単独行動だったこと、 軽いパニックに陥った生徒の集団に流されるように避難したこと、 全校生徒だけでぴったりサイズの体育館に近隣住民が流入し、とてもじゃないが歩けないこと、 これらを押して話そうと思うほど社交的でないこと。


仮に求められればこう説明しよう。



こんな奴でも一人くらいは居ていいだろう。



ふと、歩き回る先生が走り回り始めているのに気づく。


そういえば、心なしか外のパトカーや救急車のサイレンも騒がしさを増したような気がする。


隕石落下から一時間が経過し、初動のピークは過ぎたはずなのに。


ほんの違和感を覚えた。しかし気には留めなかった。



違和感が確かな異常に変わることは、経験したことがない。


この平和な世界にあって、今日のような災害にも遭わない限りは敏感な危機察知能力は必要ないけど、敵の気配を察知して戦うような超能力じみた物語を物心つく頃から見続けた結果、自分にもあるはずの特別で普遍的な力を発揮して大人の嘘を看破しようとしたことがある。


しかしそこには、いつだって、何も無かった。

軽く、絶望。


例外なく全ての人がその違和感の人を擁護するのだ。


何も無かったと納得したとき、残ったのは恥だった。


日本人は恥の文化だとどこかで聞くまで、その感情が恥ということも分からなかったが。


 

恥の軌跡を思い返す。


辺の比が1:1:2の三角形を作図させられたとき、大きな四角い石に話しかける親を見たとき、まだ映るテレビを壊れたことにして買い換えたとき、勝ったと思ったドッジボールでに僅差で負けたとき、玄関の扉が勝手に開いたのを見たとき、それらが異常でも超常でもないと言われれば、最後には、折れた。


折れた心は折れたとも気づかれないまま風化し、流され、正体不明になっている。


 

それが成長というものなのだろう。 それが嫌だとも思わない。



ただ、この人生における数多の些細な違和感、考えるまでのことは無いようなことだと断じるのを躊躇う、可能性とも違う、いつもなら無意識のうちに封じ込めている、SOS信号の錯覚みたいなものを、おぼろげで、不安に吹き飛ばされて消えてしまう閃光の印象を伴うその何かを、どうせ立ち消えになる補習のことを考える能しかない脳に、 停滞して進まない、有り余るこの時間をただ浪費する役割を任せても、どうせ何の解決もしない無駄な行為でも、何もしないよりはいい、というよりはむしろ勝手に思考が深まるのだからしかたない、という諦めに身を任せてみれば、 諦めのサイクルとは聞いて呆れる、 解放感に満ち溢れる精力的な思考実験、帰納法も演繹法も区別するより先にたどり着いた、あながちでもない、急浮上した一つの仮説、疑念よりは畏怖に近い、なんてことないフラッシュバック、芋ずる式に晴れる霧、霧に蔓が生えているのか? 生えているのだ、口から、心臓から生えて、霧と繋がって、引きずり込む、その僅かな苦しみが現実感を引き立てる、誰かが隠した真理。



本当は、確かに異常だったのでないか。



1:1:2の三角形は確かに問題の破綻で、母の行動は認められた非科学で、テレビの買い換えは無駄な富の誇示で、ドッジボールの敗北は試合後の誤魔化しで、玄関の扉は逃げた泥棒の痕跡だったかもしれない。



 

そう、例えば今、目の前の学級委員長とそのグループが、職員会議に挙がる程度のヤンキーが、いかにも気弱で病弱そうな女生徒が、それを無下にできない姉貴分が、根暗な眼鏡のヒョロオタクが、揃って蹲り、倒れていくこの空間にあって、もしかしたら、この違和感は・・・・・・今度こそは!



悲鳴は上がらない。

上がり得ないのは、叫ぶ人がいないから。


一般的な経験をして育った日本人はもちろん倒れるという現象の意味を理解するはずだし、もれなく、理解はなくとも、正常な応答であるところの動揺したような挙動を示さない特異体質者が大多数を支配している集団であるはずはない。


当然、とは言わないまでも、授業の合間には大声で騒ぎ立て、同調し、反発する集団だ。


あくまでこの場に限ってという意味で、叫ぶ人がいないのだ。 人っ子一人、いやしないのだ。



顔を上げると、同じようなことを考えているらしいのが数名、重なり合う生徒の頭を凝視し、はっと顔をあげて顔を見合わせ、そしてゆっくりと天井近くの壁を見た。


高いところの割れた窓からゆっくり差し込む、紫混じりの橙色は夜を連想させた。


しかも紫色は分離していって、こちらに向かってくるようだった。

夜が、向かってきたようだった。




この異質な夕焼けほど、目に焼き付くような光景にはもう出会えないかもしれないと思った。


夕焼けと言う辺り、お日さまは東へ沈むのかと馬鹿にされる。


朝焼けは滅多に見ないからそう思ったのだ。


ただ間違いなく、不思議なことにも、背後に映える夕焼けよりも、 その光景は艶やかで、力強く、美しかった。


 

 こんなとき、大声を上げて逃げる、或いは戦う指揮をとる奴は、本質的には天賦の性格なんだと思う。 例えば、誰よりも先に焦ってしまう。例えば、非常時には頼られるけど、平時にはただのの心配性。社会で異端が排除され続けても淘汰されないメカニズムは、きっと単純な必要性の有り無しに依る。


では、全く動揺しない人物は、いつ必要になるのか。

続きます

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