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Quartett  作者: AB
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Sechster Satz

「はーい、今日の前半はパー練(パート練習)よ。各パート毎に指定された教室に移動してちょうだいね。一年生はそれぞれのパトリ(パートリーダー)に付いていってね」

 放課後の音楽室に集まった管弦楽部の部員達は、薫子の掛け声で楽器を持って移動し始めた。

「あ、そうだ忘れてた!練習の前に皆さんに連絡があります。今回の定演には一年生のカルラちゃんと伊村さんに乗ってもらうことになりました。うちのオケでは異例のことだけど、二人ともがんばって頂戴ね」

 突然の薫子の宣言に部内がざわついた。

「え、私がですか?」

 思わぬ発表に十詩子は驚いて思わず声を出してしまった。

「とっしーやったじゃん!」

 と留衣が十詩子に飛びついて喜んだ。

「お前は平然としてるんだな」

「うん?」

 良く状況が分かっていないカルラに天茉理が話しかけた。


 各パートが教室に散って行きパー練が開始された。ここはチェロパートの教室。パトリの智子を中心に半円が作られた。

「みんな、期待の大型新人の十詩子ちゃんよ。さっき薫子も言ってたけど十詩子ちゃんには定演に乗ってもらうことになりました」

「よ、よろしくお願いします!」

 十詩子は緊張気味にパートの仲間に挨拶をし、皆が暖かい拍手でそれを迎えた。

「十詩子ちゃんは取りあえず今日は譜面を一緒に見てね。後でライブラリアン(譜面係)から譜面を渡されると思うから、そうしたら製本してきてね。じゃぁ練習を始めましょうか」


 一方こちらはびよらパートの教室。

「みんな、期待の大型変人の西天茉理さんだ」

「誰が変人ですか!しかも大型?」

 パトリの順子の紹介に天茉理がつっこんだ。

「自己紹介の時の君のヴィオラへの熱い思いはちょっとくどかったが良く分かったぞ。確か君はヴァイオリン経験者だったな?」

「はい、小学生からなんで5~6年は弾いていました」

「ヴィオラ弾きはだいたいヴァイオリンからの転向者だからな、それなら基礎は問題ないだろう。後は楽器の大きさとヘ音記号に早く慣れればすぐに弾けるようになるだろう。ちなみに好きな奏者は誰だ?」

「元ベルリンフィルのヴォルフラム・クリストです!」

「おお!好きな作曲家は?」

「もちろんヒンデミットです!!」

「同士よ!」

 天茉理と順子が濃いネタで盛り上がると、熱い抱擁を交わした。


 その頃ヴァイオリンパートはファーストとセカンドが合同で、薫子を中心とした定演参加組の練習と、新入生の初心者を中心にしたグループに分かれて練習を開始していた。

「さっきも言ったけどカルラちゃんには定演にのって貰うことになりました。強力なメンバーの加入よ。先輩達も負けないでね」

「はい!」

 薫子の掛け声にヴァイオリンパートのメンバーが答える。


 もう一方の初心者のグループは、セカンドヴァイオリントップの真由美が留衣達ヴァイオリンの新入生を連れて別の教室に移動していた。

「今年のヴァイオリンの新入生は五人もいるんだね。その内四人が経験者でさらに一人はもう定演に乗れるくらい上手いんだもんねぇ、今年の新入生は豊作だね」

 真由美はカルラ以外が集まった新入生を見回すと、留衣の所で目が止まった。

「あれ?あなたは日吉さんだったっけ?」

「はい、日吉留衣です!」

「留衣は確か自己紹介の時に楽器経験無いって言ってなかったっけ?なんで楽器を持ってんの?」

 真由美は留衣が大事そうに抱えるヴァイオリンケースを見て疑問を投げかけた。

「えっへっへー、この前買ってきちゃいました!」

「な、なかなかチャレンジャーだね。部の楽器を借りることもできたのに」

「えぇ!そうなんですか?」

 教室に笑い声が響いた。

「うん、でもそのやる気は買ったよ。それにもう指板にシールも貼ってるのね。もうどこか教室に通ってるの?」

「いえ、これは天茉理に貼ってもらいました」

「天茉理って……あぁ、あのびよらの彼女か」

 真由美は天茉理の長い自己紹介を思い出したようだ。

「よし、それじゃ練習を始めようかね。改めて私はセカンドパトリの英真由美です。あなた達は今回の定演には出られないけど、その代わり基礎をみっちりやってもらいます。それと次の秋の文化祭に向けて今のうちから先行して練習も始めるからね、これは他の部員に比べて大きなアドヴァンテージになるよ。定演明けの一発目の練習で皆をびっくりさせてやろう」

「はい!」

 新入生達は元気に返事をした。

「さて、留衣以外の一年生はここにある楽譜を取っていって練習してね。留衣はこっちにおいで」

 そういって真由美は予め用意していた楽譜のコピーを留衣以外の一年生に持って行かせる。一人取り残された留衣は不安そうに真由美に尋ねた。

「真由美先輩~あたしだけぼっちですかぁ?」

「留衣はまだ初心者だろ?譜面は読める?」

「はい、一応少しだけ習ってきました」

「そうか、曲の練習はさせてあげたいけどまだ楽器買って一週間も経ってないんでしょ?だったら基礎からきちんとやらないと上達しないよ」

 そう言って真由美は小野アンナの「ヴァイオリン音階教本」と書かれた一冊の教則本を取り出した。


●小野アンナ

 日本で有名なヴァイオリンの基礎教本「ヴァイオリン音階教本」の作者でヴァイオリニスト。1890年にロシアで生まれ日本人と結婚しその後離婚したが、離婚後も「小野アンナ」を名乗り日本で後進の指導を行った。姪にオノ・ヨーコがいる。


「これは?」

 渡された教則本を見て留衣が尋ねた。

「音階の教則本よ。ヴァイオリンで音を出すための基本だからね。まずはこのページを上から順番にチューナーを使って正確な音程を出す練習から初めてみてね。チューナーは持ってる?」

「はい!」

 と言って留衣は先日、天茉理から教えてもらってインストールしたチューナーアプリが入っているスマホを取り出した。

「へ~最近の子はみんなスマホを使うだね。それじゃここに座って始めてね」

「がんばりまっす!」

 そう言うと留衣は楽器を取り出し練習の準備を始めた。


 パート練習も一通りこなし部員一同が音楽室に戻ってくると、今度は後半の合奏練習の時間だ。

「今日はショスタコはからよ、その後ドボルザークやりまーす」

 薫子の掛け声でプルトの位置が変えられていく。

「よっしゃータコだタコだー!」

 そう言ってトランペットのみゆきが喜び勇んで椅子を並べている。

「蛸?凧?ってなーに?」

 一緒に譜面台を組み立てている天茉理に留衣が聞く。

「ショスタコーヴィチのことだよ。略してショスタコ、さらに略してタコって言ったりすんの」

「しょしゅちゃきょびゅちゅ?」

 噛み噛みで留衣が聞き返した。

「ショスタコーヴィチって言うロシアの作曲家だよ。今度の定演の前プロでやんの」

「名前難しーよーもうちょっと鈴木っちとか山田っちとか簡単な名前にしよーよー」

「えーい、勝手に偉大な作曲家様の名前を変えるんじゃない!」

 留衣と天茉理がそんな会話をしている間に、音楽室はすっかり合奏の配置になった。

 カルラと十詩子は合奏の輪の中、留衣と天茉理は教室の隅で見学だ。

「くやしいなぁ。カルラととっしーはもう合奏に出れるのに……天茉理、あたし達も早く合奏に参加できるようになろうね!」

「そうだな、もっと練習して上手くならなくちゃな」

 留衣と天茉理は合奏メンバーを羨望の目で見回すと、少し悔しそうな顔をした。

 そのうち薫子が指揮台に上がると付箋がびっしり貼られたスコア(総譜・全てのパートの譜面が書かれた譜面)を取り出し

「みんな準備はできたかしら?それじゃチューニングを」

 とコンミス席にいるフォアシュピーラーの「越智 恵美子」(おち えみこ)に向かって合図を出した。すっと恵美子が立ち上がるとオーボエの「楢橋 皐月」(ならはし さつき)がAの音を出す。しかし出だしが少し低い音で出るとすかさず

「低い!」

 と言い放った。

「す、すいません」

 と小柄な皐月が焦りながら譜面台に置かれたチューナーを見ながら必死にAの音を合わせようとする。その様子を見て留衣と天茉理がヒソヒソ声で話しだした。

「天茉理、あの人なんだか怖いよー。それになんでいつもコンミスやってる薫子先輩が棒振ってあの怖い人がコンミスやってるの?」

「それは……」

 天茉理が答えようとした時、またもや恵美子の怒鳴り声が響いた。

「そこの一年、うるさいよ!」

「あわわわ……すいません!」

「まぁまぁ」

 と薫子が少し諌めるが、恵美子の声に二人は縮こまってしまった。

 ここで皐月がチューニングに手間取っている間に留衣の疑問に答えよう。

 まず薫子が何故指揮台に上がっているのか?と言うと、彼女は学指揮(学生指揮者)の一人だからだ。学指揮は指揮者の先生が来ない時に合奏を行い代わりに指揮を振る。学指揮は指揮者に指摘された注意点を忠実にメンバーに伝え、次に指揮者が来る時までに指摘事項を仕上げなくてはならない。さらに指揮者の意図を汲み取りつつ自分達なりの音楽を表現をするために「色」を付ける。その為には曲に対する深い理解が必要で、自分の楽器の練習以外にも膨大なパワーを使って曲の勉強をしなくてはならない。その為D女では、一曲づつ学指揮を分担している。今回は前プロを薫子、中プロをチェロの智子、メインをびよらの順子が担当している。

 次に恵美子がコンミス席にいるのは、彼女がフォアシュピーラーだからだ。本来フォアシュピーラーとは皆のお手本になって指導する者という意味があるが、D女では単純に次席奏者やトップサイド(1プルトの隣の席)奏者のことを指す。本番ではもちろん薫子がコンミスになるのだが、学指揮も務める彼女が不在の前プロのや薫子がソロを弾く中プロの時には薫子に代わって恵美子が代理コンミスを勤めることになる。大抵は同じパート内で二番目に上手な人(一番はトップ)がなる立場だ。

 そのうち全パートのチューニングが終わると、チューニング中にもスコアを凝視していた薫子が顔を上げすっと指揮棒を構えた。活き活きとした顔をするみゆきをはじめとするトランペットパートの面々が薫子の指揮棒を注視し、一拍の予備拍から棒が振り下ろされると高らかにトランペットのファンファーレを吹き上げた。


●ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲

祝典序曲 イ長調 作品96

 1947年に十月革命三十周年を記念して作曲された説と、1954年にロシア革命37周年記念とドン=ヴォルガ運河開通を記念して作曲された説と二つある。後者の時にはわずか三日で作曲(または編曲)されたと言う。どちらにせよ世に出たのは1954年のことで、これはショスタコーヴィチを苛め抜いたスターリンの死後のことだった。そのスターリンの死を祝うかのような晴れ晴れとした曲だが、急造の曲でもあり至る所に他曲からの引用がある。とにかく金管が派手な曲でバンダ(オーケストラ本体とは別の場所に配置された別働隊)も用意される。


 ファンファーレが終わるとクラリネットによる第一主題が早いテンポで駆け巡る。そして第二主題をホルンとチェロが朗々と歌い上げ、またファンファーレに戻ると曲はフィナーレへと向かう。

 薫子は最初は通し、それから繰り返して細かい指示を伝えると三十分程で練習を終了した。

「はい、お疲れ様。みんな大分良くなってきたわね。トランペット」

「はい!」

 薫子の呼びかけにみゆきが答える。

「最初のファンファーレは良かったけど、後半は疲れてきてるのか演奏にムラがあったわね。せっかく上手なんだからいつも同じテンションで弾けるようにね」

「がんばります!」

 みゆきは薫子の指摘に若干疲れた顔をしながらも元気に答えた。

「はーい、じゃぁ十分休憩したら次はドボルザークやりまーす」

 休憩時間に入り部員達は席を移動したりトイレに行ったりとそれぞれ次の曲の準備を始めている。そんな中十詩子は

「ふぅ~」

と深呼吸をして椅子に深くもたれかかった。

「十詩子ちゃん、祝典はどうだった?」

 そう言って声を掛けたのは同じプルトで弾いていた美奈子。

「(テンポが)早いですねー付いていくのがやっとです。でもチェロの旋律は気持ち良かったです!」

「あそこの第二主題はチェロが美味しいところだもんね」

 二人がそんな会話をしている時、一方のカルラは恵美子に捕まっていた。

「ちょっとあんた、カルラだっけ?」

「そーだよー」

「あんた、ちょっとはあたしのザッツ(合図)見なさいよ!しょっちゅう飛び出してばかりで。テクニックはあるかもしれないけどそれじゃオケでは弾かせられないわね」

「だっておばちゃんのザッツは分かりにくいよ?だから薫子の指揮に合わせたのにダメなの?」

「なんだって~?誰がおばちゃんだ~?!」

 カルラの無神経な一言に恵美子の怒りが沸点に達したようだ。

「恵美子さん、まぁまぁ」

 と周囲のヴァイオリンパートの部員達が恵美子をなだめるが、一同心の中で

(良く言った!)

と喝采していた。

「どうしたの?」

 その時席に戻ってきた薫子が不穏な空気を感じ取って声をかけた。

「米田先輩!どうして入ったばかりのこんなチビの中一を定演メンバーにしたんですか?」

 と言って恵美子は薫子に噛み付いた。しかし薫子はそれを冷静に受け流す。

「越智さん、音楽をするのに背の高さは関係無いわよ」

「でもこいつはあたしの指示は全然見ずに突っ走るし……」

「カルラちゃんは祝典の合奏は今日が初めてなのよ。それに要所要所ではきちんと私の指揮を見て指示に従ってくれたわ。もう少し長い目で見てあげてね」

 それだけ言うと薫子はコンミス席に着席した。

「……~~!!」

 声にならない怒りの声を上げて仕方なく恵美子も自分の席に着いた。その様子を一部始終見ていた十詩子が美菜子に質問する。

「美菜子先輩、あの先輩って……」

「恵美子ちゃん?うーん、根は良い子なんだけどねーちょっと我が強いっていうか、言い方がきついところがあってね。あの子、ファーストヴァイオリンの中じゃ薫子先輩の次くらいに上手でようやくフォアシュピーラーになれて次期コンミス?みたいなこと言われてるんだけど、カルラちゃんが入団して気が気じゃないみたい」

「そんな、だって相手は中一ですよ?」

「でもカルラちゃんって別格に上手でしょ?もしかしたらコンミスの座も危ういんじゃ……って本人は思い込んでるみたい」

(あいつがコンミス?私と同じ中一なのに)

 美菜子の言葉を聞いて十詩子は愕然とする。

(やっぱりあいつは皆が認める上手さなのか……)

 そんなやり取りが交わされているうちに次の曲の練習時間になった。

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