Dritter Satz
「それじゃメンコンから始めます、チューニングを」
薫子がそういうとオーボエが静かにAの音を出す。薫子が自分の楽器の調弦を終えると管楽器の方を見てコクリと促した。
「ねぇねぇ天茉理、これなにやってんの?」
留衣と天茉理がチューニングの様子を見ながらヒソヒソ話している。
「チューニングって言って楽器の音を合わせてるんだよ。最初にオーボエがA(アー)を出したでしょ?あれに最初コンミスが音を合わせてその後みんなが音を合わせるんだよ」
「あー?おーぼえ?こんみす?」
「……ごめん、後で説明してあげるわ」
最初に管楽器、次に低弦(音の低い弦楽器、チェロやコントラバス)から中高弦(びよら、ヴァイオリン)の順にチューニングを行っていく。薫子は葛西の横で少し緊張した面持ちで立っている。
(へぇ、あの部長さんがソロ弾くんだ)
天茉理がそう思っているとすっと葛西が立ち上がって指揮台に上がり
「じゃぁ始めましょう、最初は通します」
と声をかけると部員一同一斉に立ち上がり
「よろしくお願いします!」
と一礼した。
●フェリックス・メンデルスゾーン作曲
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品六十四
ベートーベン、ブラームスと並んで三大ヴァイオリン協奏曲の一つ(チャイコフスキーも入れて四大とも言われる)として知られる。メンデルスゾーンは幾つか協奏曲(コンチェルト)を書いているのだが、この曲が一番有名なので単に「メンコン」(【メン】デルスゾーンの【コン】チェルト)と言うとこの曲を指すほど。実はメンデルスゾーンはもう一曲ヴァイオリン協奏曲を書いているのが近年分かったのだが、そちらの知名度はほぼ0で番号すら(協奏曲第一番とか)付けてもらえていない。
たった二小節の序奏からソロヴァイオリンの物悲しい短調のメロディが奏でられる。ソロを弾くのは薫子だが、何故普段コンミスを務める薫子がソロを弾くのかは少し解説が必要だ。
D女管弦楽部の定期演奏会は通常、前/中/メインの三曲構成で演奏されることが多い。
・前…前プロ(グラム)
最初の曲で五~十分程度の軽めの曲(序曲等)で演奏される。
・中…中プロ(グラム)
二番目の曲で二十~三十分程度の曲で演奏される少し長めの曲。
・メイン
文字通り演奏会のメインとなる曲で交響曲等大規模な曲が演奏される。
D女管弦楽部では伝統的に中プロで協奏曲が演奏されることが多くソリストは団員の中から選ばれるのだが、経験年数からも花を持たせるという意味からも引退直前の幹部学年(高二)から選ばれる。必然的に在学中に一度しかチャンスがないのだが、今年はそのソリストに薫子が選ばれメンコンは彼女が選んだ曲だった。
たまに協奏曲に不向きな楽器(びよらとか……)が多かったり、技術的に自信が無く自薦・他薦が無い年には、顧問の神林が連れてくるプロのソリストが協奏曲を弾くこともある。
メンコンは三楽章形式だが楽章間は全てアタッカ(楽章間を休まずに続けて弾くこと)になっており、実質三十分前後弾き続けることになるソリストもオケにとって体力や集中力が要求されるきつい曲だ。
一楽章の途中で薫子がふと違和感を覚える。
(あれ?なんか弾きやすい…今日の私ってちょっと上手いかも?)
葛西はニヤニヤしながら楽しそうに指揮を振り続けている。
カデンツァ(本来は即興演奏の意味だがここでは単に独奏)に入るとその原因がはっきりした。
(え……?)
ソロヴァイオリンの演奏が大きくずれるのを感じて薫子は演奏を止めてしまった。なんといつの間にか紛れ込んでいたカルラが一緒にソロヴァイオリンを弾いていたのだ。実は一年生達はカルラが勝手に演奏を始めてしまったことに気が付いていたのだが、おろおろしているだけだった。
【留衣】(すごい、あの子もうオーケストラで演奏できるんだ!)
【天茉理】(勝手に入って勝手にソロを弾き出すなんて……度胸あるなぁ)
【十詩子】(あのバカ!勝手なことして……)
「はーい、カルラちゃんストップ~」
葛西が制止してカルラはようやく演奏を止めた。
「まぁカルラちゃん、いつの間に……先生、気が付いていらっしゃったんですか?」
と驚いた薫子が葛西に問いかけた。
「ははは、みんなようやく気が付いたね~僕の位置からだとみんながなにやってるか全部分かるからね。薫子ちゃん、ちょっとソロ弾きやすかったんじゃない?」
「え、えぇ、確かにちょっと上手くなったような気がしました」
葛西が指揮台から降りてカルラに近づいた。
「カルラちゃん、ソロはこの薫子ちゃんが弾くから弾いちゃだめだよ、でもみんなと同じファーストヴァイオリンを弾くんだったら一緒に弾いても良いよ」
「本当?」
演奏を止めてしまったという罪悪感はカルラには微塵もないらしく、葛西にそう言われて屈託のない表情を浮かべた。
「薫子ちゃん、良いよね?せっかくだから他にも一年生で弾きたい子には一緒に入ってもらったらどう?」
「ええ、先生がそう仰るならもちろん!それじゃ一年生のみんな、弾いてみたい子は空いている席に適当に座って頂戴」
「はい!」
といって立ち上がったのは十詩子だった。
「あたしも弾いてみたい!」
と留衣。
「楽器が無い…」
憮然とする天茉理。
結局合奏に参加するのはカルラと十詩子だけで、それぞれファーストヴァイオリンとチェロが少しづつプルトをずらして二人の席を作った。
「伊村さんはメンコン弾いたことがあるの?」
若干緊張気味の十詩子にに優しく声をかけたのは、同じプルトにいる高校一年生の「沙魚川 美奈子」(はせがわ みなこ)。
「初見なんです……聴いたことはあるんですけど……」
「間違えても大丈夫だからね、せっかくだから楽しんで弾いて」
「はい!」
カルラも席に座ったのだが、こちらは逆に同じプルトの中学二年生「新庄 江美」(しんじょう えみ)の方がビビっていた。
「あ、あの……よろしくね」
「うん!」
一通り席替えが落ち着くと、再び葛西が指揮棒を構える。
「ほーい、みんな準備は整ったかな?それじゃ続きを始めるよ、カデンツァから。薫子ちゃんよろしくね」
先ほど中断したカデンツァから合奏が再開した。
休憩を挟みながら約三時間ほど気になる箇所を修正しつつ練習が進み、最後の三楽章を弾き終えると葛西が指揮棒を降ろした。
「ほーい、今日はここまで」
「ありがとうございました!」
部員一同起立して礼をすると、今までの緊張が一気に緩んだ。
「ふ~」
十詩子も深いため息をついて椅子ににもたれかかった。
(……やっぱり初見で弾くのは難しいな、全然弾けなかったや……)
「はーい、みんなお疲れ様。それじゃこれから終礼を始めます」
薫子が立ち上がって終礼をとりしきる。
「今日はこの後、演奏委員会を開くので関係者は残ってください。他に連絡事項のある人はいませんか?」
「はい、定演のチケットの件ですが……」
何人かの部員が一通り連絡事項を部員に伝えると、最後に薫子が立ち上がって今日の練習を締めた。
「もう連絡事項がないようであれば今日の練習はここまでにします。各パートは今日先生に言われた事を良く練習しておいてちょうだいね、それでは皆さんお疲れ様でした」
薫子の言葉に反応するように全員再度立ち上がり
「お疲れ様でした!」
と一礼をして終礼が終わった。終礼が終わると部員達はばらばらと楽器を片づけ始め、一年生や合奏に参加していない部員が空いたスペースに机や椅子を並べ始める中、留衣が天茉理に机を並べながら話しかけた。
「ねーねー、この後まっく寄ってこーよ」
「うん、いーよ」
楽器を片付け終わり音楽室が元の状態に戻ると少しづつ部員が部屋を出て行き、最後には先ほど薫子が言った「演奏委員会」の面々だけが残った。
演奏委員会とは高二全員が就いている役職(部長、副部長、会計、ライブラリ等)からなる運営委員会と、各パートのトップ(=パートリーダー)から構成される技術委員会との合同委員会だ。薫子のように両方の委員会を掛け持ち(部長とファーストヴァイオリンのパートトップ)している部員もいる。
「みんな、今日もお疲れ様でした。それじゃ演奏委員会を始めます」
薫子の一声で会議が始まった。開口一番トランペットトップのみゆきが話しだした。
「いやーそれにしてもあの子はすごかったな。あれはやっぱりヴァイオリンのやつが聞いてもすごいのか?」
「カルラちゃんのこと?すごいなんてもんじゃないわよ、あの子は」
と若干興奮気味に薫子が答えると、呼応してセカンドヴァイオリントップで高校一年生の「英 真由美」(はなぶさ まゆみ)も同意した。
「プロでもあれだけ弾ける人はいなんじゃないですか?それに楽器の響きも全然違ってたし。あれはきっとすっごく高い楽器ですよ。ところで今日は先生が良いって言ったから一年生に合奏に入ってもらったけど、本番はどうするですか?薫子先輩」
「私は……弦楽器なら多少人数が増えても問題ないし、きちんと弾けるんだったら早いうちから合奏に慣れてもらった方が良いと思うわ」
「あの子はどうかな?真っ赤なチェロケースの子」
おっとりと言葉を発したのはチェロトップの仏原 智子(ふつはら ともこ)高二。
「伊村さんね。智子の目から見てあの子、今日の合奏はどうだった?」
「あのね、あの子とっても頑張ってたのよ。でも初見だったみたいでちょっとやる気が空回りしてた感じね。頑張り次第では一カ月で間に合うかもしれないわね」
「智子がそういうなら大丈夫ね。今まで前例がないことだけど、カルラちゃんと伊村さんを次の定演に乗ってもらおうと思うけど、みんな良いかしら?」
薫子の問いかけに反対する者はいなかった。
音楽室で演奏委員会が開催されていた頃、留衣と天茉理が帰路に就いていた。すると前には見覚えのある真っ赤なチェロケースを抱えた十詩子が歩いているのを見かけ、留衣が小走りに近づいて声をかけた。
「ねぇねえ、伊村さんだっけ?」
「あぁ、さっきのヴァイオリン志望の人とびよらの人」
「ヴィ・オ・ラ!」
すかさず天茉理が口を挟む。
「ご、ごめんなさい、つい……」
「あのね、これからまっく行くんだけど、一緒に行かない?」
「いいの?一緒に行って?」
「もちろん!」
そうして三人は駅前のハンバーガー屋に入って行った。
三人がそれぞれ注文を終えて窓際の席に着こうとし、十詩子は大事そうにチェロケースを自分の隣の席に置いた。
「ねぇねぇ、それって自分の楽器?ばよりん?」
留衣が目をキラキラ輝かせて十詩子に詰め寄ると少し困った顔をする。
「こんな大きいヴァイオリンって……」
すかさず天茉理がツッコミを入れた。
「お前はいいかげん楽器の名前を覚えろ!これはチェロだって言っただろう?」
「あの日吉さんは……」
「留衣でいーよー」
十詩子の呼びかけに留衣は答えた。
「それじゃ留衣さんは楽器のこと全然知らないの?」
「うん!」
「それどころかこいつはクラシックのことも全く知らないんだよ、伊村さん」
天茉理が呆れ顔で十詩子に話しかける。
「あ、私のことも十詩子って呼んで。で、西さんはヴァイオリンをやってたの?」
「私も天茉理でいいよ。そう、ずっと両親からヴァイオリンを習わされていたんだけど、ある時……」
天茉理が自分がびよらをやりたいと思ったきっかけを延々と語り出したのだが割愛。
「……だから私はヴァイオリンを捨ててヴィオラ一本でやっていこうと思ったのよ」
十詩子は途中まで真面目に天茉理の話しを聞いていたのだが、さすがに全ての話しの内容についていけなかったようだ。
「あ、あはは、良く分かったわ」
十詩子は半分白眼を剥きながら上の空で答えた。留衣は天茉理のびよら話に慣れたのか黙々とハンバーガーを食べていたのだが、ふと窓の外を眺めていると見覚えのある顔を見つけて声をあげた。
「ねーねー、あの子カルラちゃんだっけ?」
留衣が指を差した先にはカルラがまた半泣きでとぼとぼと歩いていた。
「あれ?あの目立つ金髪は間違いないだろう。なんか泣いてるけど大丈夫かな?」
「あの子も呼んでこようっと!」
「あ、あのちょっと……」
十詩子が困惑気味な顔をして留衣に声をかけたのだが、既に留衣は席を立って外に飛び出していた。
留衣に連れられてハンバーガーを載せたトレイを持ってカルラが一緒の席に着いた。
「なんか駅に行くのに道が分かんなくなっちゃったんだって」
(ここ、駅前なんだけど……)
一同カルラの方向音痴っぷりに驚いていたが、当の本人はもうニコニコ顔で地面に届かない足をブラブラさせながらハンバーガーにかぶりついていた。
「カルラさんは……」
「カルラだよ?」
話しかけてきた天茉理の言葉をカルラは遮った。
「……カルラはドイツのどこに住んでたの?」
「ベルリン、幼稚園の時にねー日本から引っ越したの」
「え!?てことは4~5歳の頃から?それじゃ人生の半分以上は海外生活ってことじゃん!」
カルラの言葉に驚いて留衣が口を挟んだ。
「それじゃドイツ語ペラペラなの?」
「うーん、家でママとは大体ドイツ語だよ。パパはドイツ語ヘタだから日本語で話してあげてるの」
「で、結局カルラってさ、プロなの?」
天茉理は皆が疑問に思っていたことをずばりと聞いた。
「プロ?」
「そうプロ、ヴァイオリンの」
「違うよー」
「あれだけ上手いのに?」
上手と言われてカルラは少し拗ねてしまう。
「……カルラより上手な人、一杯いるもん。ファータはいっつもカルラの音程が悪いとかリズムキープできないとかヘタっぴって言って怒るもん。それにママもプロはダメって言うし」
(こいつをヘタっぴ呼ばわりする奴ってどんだけ弾けんだよ?)
(ファータ?お父さん?)
(プロがだめ?)
そう一同疑問に思っていると
「ママ!」
とカルラが窓の外を見て叫んだ。外の通りでは金髪の外国人女性が回りをキョロキョロ見まわしていた。カルラが店を飛び出しその「ママ」の所に行くと、手を引っ張って店の中に連れくる。
「でか!」
彼女の身長はカルラと正反対に百八十センチは超えていそうだ。そんな長身ブロンド美人に一同おののいていると
「カルラのお友達?私は母親のハンナ・ミッターマイヤーです」
とたどたどしい日本語で三人に声をかけ手を差し出した。
「あ、はい、はじめまして伊村十詩子です」
「日吉留衣です!」
「Guten tag Frau Mittermeyer! Mein name ist Temari Nishi.」
(こんにちは、ミッターマイヤーさん。私の名前は西天茉理です)
天茉理がドイツ語でハンナに話しかけるとハンナは驚いて堰を切ったようにドイツ語で話し始めた。
「Sie konnen sprechen Deutschland? Das ist ……」
(ドイツ語が話せるのね?実は……)
「あわわわ!すいません、ドイツ語ちょっとしか話せないんです!」
あわてて天茉理は日本語で話してしまった。
「あら、残念。でも天茉理、あなたのドイツ語はとてもきれいよ」
ハンナに褒められて天茉理は少し照れていた。
「ところで、駅にはどうやって行けばいいですか?」
どうやら母親のハンナも方向音痴のようだ。十詩子が外を指さし
「あそこに見えるのが駅ですよ」
と親切に教えた。
「ありがとう、でもごめんなさい、今日カルラはこれからヴァイオリンのレッスンに行くの、カルラ行きましょう」
「ばいばーい!」
ヴァイオリンケースを背負ったカルラの手をハンナが引いて、先ほど十詩子が指し示した駅に向かって店を出て行った。
十詩子達と分かれたカルラとハンナは、とあるマンションの一室で一人の女性と向かい合って座っていた。
「初めましてミッターマイヤーさん、師匠からお話しは伺っています」
彼女は日本でも有数のプロオーケストラであるMフィルハーモニーの主席ヴァイオリニスト(=コンミス)である「田口 塔子」(たぐち とうこ)。
「はい、とーこさん。彼に紹介されて今日はここに来ました。前回はすいません、道に迷ってしまってここまで来れませんでした」
「大丈夫ですよ、少し心配しましたけど。それじゃ、まずはカルラちゃんのヴァイオリンを聞かせて頂けますか?師匠からは最近までブルコンを弾いていたと聞いてますが……」
「ブルッフも好きー!」
カルラはそう言って楽器と譜面を取り出した。
「カルラちゃん、こっちに来てこの譜面台を使ってね」
塔子はカルラを部屋の中央にある譜面台まで誘導すると、カルラの背丈に合うように譜面台の高さを調節し、カルラの正面にあるソファにハンナと座った。
●マックス・ブルッフ作曲
ヴァイオリン協奏曲第一番 ト短調 作品26
十九世紀後半に活躍したブルッフの作曲した中でも特に有名な作品だが、現在に至るまで彼の作品全般についての研究/評価はあまりされていない。彼は他にもヴァイオリン協奏曲二番、三番を作曲しているのだが、この一番より知名度ははるかに落ちる。実は1866年に一度この曲を完成したものの気にいらず、1868年に改訂を行いそれが現在演奏されている曲になっている。
冒頭のレスタチィーヴォ(オペラや歌曲では「独白」とか「朗唱」と言われるがこの場合は独奏者の自由な表現に任せられた演奏というくらいの意味)からまさに自由にのびのびとカルラは弾きあげる。そしてアタッカからの二楽章、ブルッフがメインに据えたとも言われるこの楽章の抒情性を美しく表現し感情たっぷりに歌いあげ、最終楽章では重音による主題を繰り返しながら難なくカルラは弾ききった。
カルラの演奏を最後まで熱心に聞き入っていた塔子は
「カルラちゃん、ありがとう」
と言うと少し表情を曇らせた。
「ミッターマイヤーさん、カルラちゃんはこの曲をどれくらい弾いていたんですか?」
「確か2~3回くらい……」
「2~3回?2~3ヶ月や2~3年じゃなくて?!」
塔子はハンナの答えを聞くと驚いて声を大きくした。
「ええ、この曲を始めてから急な引越とかでなかなか弾く時間がなかったので……」
「……そ、そうですか。正直に言うとほぼ完璧な演奏です。確かに一楽章や三楽章はリズムが甘かったり音程を外すこともありましたが、二楽章の甘美な旋律は……もう鳥肌が立ちました」
ハンナと塔子が話しをしている間にカルラは楽器を片付けてハンナの隣に座り、机の上に用意されていたお菓子を食べ始めていた。
「ミッターマイヤーさん、正直私には荷が重すぎます。カルラちゃんは今すぐにでもプロでやっていける実力がありますがそれには基礎的な音楽知識も必要で、それは専門の音楽学校できちんと学んだ方が良いです。私はあくまでヴァイオリンの技術を教えることはできてもソリストの育成はできません」
「いいんですよ、この子の好きにやらせてあげてください、彼もそうしていましたし。それにカルラはプロにはなりませんから」
そういうハンナの言葉に塔子は驚いた。
「え?プロにしないって?」
「はい、カルラにはあんな世界で苦労をさせたくないんです」
「でもこれだけの才能をみすみす埋もれたままにしておくのは……」
「それでも!」
思わず声を荒げたハンナが少し視線を落とした。
「あの子の好きなように自由に音楽の楽しさだけを教えてあげてくれませんか?」
塔子は驚いたものの、暫く考えてから声を発した。
「……分かりました。師匠からも頼まれたことですし、私にできる限りのことは教えたいと思います」
「ありがとう、とーこ」
そんな二人の会話を他所に、カルラは口の周りに食べカスを一杯つけてニコニコお菓子を頬張っていた。