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うんちくエッセイ集

大空を泳ぐもの

作者: おのゆーき

こどもの日や鯉のぼりについてのうんちくです。間違いがあったらごめんなざい。

屋根よりたかいこいのぼり♪


そんな懐かしい歌を思い出してますが、そういう大きなこいのぼりをウチの周辺ではあまり見かけなくなりました。

立てる場所がないとか、そもそも子どもの数が減ってきてるのも関係あるかもしれません。


さて、こいのぼり。漢字で書くと鯉幟です。のぼり、と言っても実際は「吹流し」ですね。

なぜ鯉なのか、ということについては中国の伝説や故事に関係があります。


鯉という魚は、河の流れに逆らって水面を跳ねながら上流に上っていく姿が見られます。「鯉の滝登り」という言葉でよく知られていますね。


場所はよく知りませんが、黄河の中、上流域に、まだ実在が完全に証明されていない伝説の古代王朝「夏」の始祖とされる王、が治水工事を行ったという滝(急流?)がありました。


その流れはとても激しく、鯉が登ろうとしても簡単にはいかなかったようです。

そこで、もし登りきることができれば、その鯉は力を得て龍となる、という伝説が生まれました。

その滝は「龍門」と呼ばれます。

龍門山という山を切り崩して出来たから、とか「鯉が龍になる」伝説から「龍門」と名づけられたなど、諸説あるようです。 すみません、あまり詳しくはわかりません。


時代は下って、後漢王朝後期、宦官の専横によって国が大いに乱れたとき、李膺(りよう、りおう?)という高潔な人物が国を立て直すため、敢然と宦官達に立ち向かい、心ある者達から絶大な信頼をよせられました。

結果、彼の周囲には多くの人が集まりました。

そして、

「もし李膺に信用され、登用されることがあれば、その者の出世は約束されたようなもの」

と言われたそうです。


そのうち彼に認められることを、先ほど紹介した龍門を登った鯉は龍になるという伝説になぞらえて、

「龍門を登る」とか「龍門を登った」

などと表現するようになったそうです。


この故事から生まれた言葉が、

「登龍門」(あるいは登竜門)です。

現在でも、成功、出世のための難関、関門という意味合いでよく使われていますね。

まあ、こんな感じで、鯉の滝登りは出世を象徴するものとなったそうです。


余談ですが、宦官に対抗した李膺をはじめとする「清流」と言われる一派に対し、実権を持つ宦官達も黙っておらず、「党錮の禁」と言われる大弾圧を行い、清流派を追放しました。

朝廷はますます腐敗し、国中が乱れ、ついに「黄巾の乱」という民衆の反乱が起きます。そしてそれをきっかけに各地の有力豪族が割拠し、戦乱の世となります。

その戦乱の中から、曹操や劉備という英雄達が登場します。彼らの野心や活躍を描いたのが、かの有名な『三国志』です。


さて、鯉幟に話を戻します。

五月五日は今は「子どもの日」ですが、別名「端午の節句たんごのせっく」と言われます。

端午は、十二支でいう「牛」の「初め」、という意味で、牛=ご=五につながり、五月の「五日」とされたと聞いてます。

現代ではちょうど連休、爽やかな快晴が似合う頃合ですが、これはつい最近の話。

ご存知のように、江戸時代までの「旧暦」は現在のカレンダーと一月くらいはずれてますので、当時の「端午の節句」は現在の六月にあたります。つまり梅雨の時期ですね。


なので「端午の節句」は、その季節を象徴する花である菖蒲を用いて「菖蒲の節句しょうぶのせっく」とも言われます。


今は「子どもの日」、そして少し前は「男の子の日」となっていますが、大昔はむしろ女性のための日だったようです。

詳しくは知りませんが、農作業とのからみで、田植えとか稲刈りに際して、女性が体を清めたり、休めたりして、家や玄関には菖蒲の花を飾ったとかなんとか(正確ではないかも)。


それが鎌倉時代、つまり武士中心の社会になってから変化が生じたようです。主役が変われば風習も変わるというわけです。


「菖蒲の節句」は「しょうぶ」、つまり「尚武」(武事を重んじること)につながるとして、男子が主役になっていったようです。


江戸時代には端午の節句になると、武家は普段しまってある武具や旗指物を家の中や玄関に飾ったようです。これは虫干しの意味も強かったようです。

そして当主は、そうした先祖伝来の品々の前に子ども達(男子)を座らせ、ご先祖様の武功や、武士としての心得について訓示するのが慣わしだったようです。


これを見ていた裕福な商人達も対抗意識を燃やして、勝手に派手な旗を作って飾ったりしました。

武具も勝手に高級な模造品を作って飾ったようです。こうした飾り物が、現在の「鎧兜」「五月人形」などのルーツになっているようです。

やがて、庭や玄関に飾っていた旗指物は、晴れた日には風にたなびいてもっと目立つように、吹流しに変更。

五色の絵で彩られた吹流しが町のあちこちで飾られました。


そしてそのうちに、先の「登龍門」の故事にあやかり、子どもの立身出世を願った真鯉の吹流しが誕生し、今日に至っているという感じらしいです。


今は男子だけでなく子ども全体をさすため、鯉の数もバリエーションも増えましたね。

昔の名残で、菖蒲の飾りを行うところもあるらしいです。


三月の雛飾りをいつまでも片付けないのはよくない、と言われるのと同じように、鯉幟も五月五日を過ぎても飾っておくのはよくないとされますので、五日の夜までには片付けましょう。



お読みいただきありがとうございます。久々のうんちくエッセイです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 毎年やってくるメジャーな休日なのに意外と知らない事だらけです。 こうして優しく教えて頂ける短編は本当にありがたいですね。 [一言] こどもの日が元は女の子の行事だったとは! う~ん、ビック…
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