展開点
「ようこそ主人公様。名前を音声入力してください」
翌日、女声らしき機械音声が耳元で遠慮なく発声したことにより、俺は目を覚ました。
美時からの唐突かつ衝撃のカミングアウトプレゼントを受け取った俺は、状況を脳内整理すると共に、今後の方針なんかを美時と話し合った。「まだほとんど影響と呼べるものは現れていないが、今後いきなり事態が変化するかもしれないし、気張っていこうね」程度の話だったが。
「ようこそ主人公様。名前を音声入力してください」
そのあとの行動は普段通りだ。美時が「お兄ちゃん」と呼ぶのを突然変えるのも不自然だから、呼び方は続行したまま生活した。飯を食って、特に面白くもない旅番組なんかを見て、風呂に入って寝た。以上。
「ようこそ主人公様。名前を音声入力してください」
で、起きた。休日の朝である。
「ようこそ主人公様。名前を音声入力してください」
「うるせぇ!」
俺が思わず怒鳴ってしまうのも理解していただきたい。抑揚のない機械の声は例外なくストレスが溜まる。
「名前は『うるせぇ』でよろしいですか?」
よろしいわけがないだろうが。そんな名前なら『ああああ』の方が数倍マシだ。というかなんだこの状況は。説明が足りんだろうが説明が。
俺は目を擦りながら見事に混乱していた。全く状況が把握できない。主人公?名前?いったい何の話をしているんだ。
機械音声への返事を一旦無視して、俺はおもむろに自室を出た。右側頭部の寝癖が気になるところだが仕方がない。向かう先はご存知、妹ちゃんの部屋だ。
よくわからない状況になったら、とりあえず私に相談して。
これも昨日、美時と話した内容の一つだ。悪いが早速従わせてもらうぜ。
「美時、いるか?」
1度ノックをしてから、所在を確認する。いきなり入って殴り飛ばされるのは勘弁だからな。
「いるよ。いいよ、入って」
ガチャ、と小さく鍵穴が鳴って、美時が内側からドアを開ける。
「おはよう美時。大変だ、いきなり機械みたいな声が話しかけてきて……ってあれ?なんだそれ、美時。その頭の上のやつは」
「ああ、これ?」
美時が視線だけを上に向ける。美時の頭上に、なんと説明すればいいだろうか、文字が浮かび上がっていた。「浮かび上がる」という表現が正しいかは分からないが、俺が知りうる語彙の中では一番近いものだ。
「朝起きたら、機械音声に名前を聞かれたから。入力したらなんか出てきたよ」
なるほど。ネットゲームでよく見かけるあれか。「みとき」という文字が、ふよふよと浮かび上がっている。もちろんこれは妹ちゃんの名前だ。なぜ平仮名なのかは知らないが。
「みとき、って言ったらさ、漢字変換しますか?とか聞かれたの。正直めんどくさかったから平仮名のまま。あはは」
「あははって、お前」
「ま、そんなことよりさ」
顔の前でパンと両手を打つ美時。なんつー古典的な話題の変え方だよ。
まあいいけどさ、何でも。
「これで大方はっきりしたでしょ。この世界がゲームの中だってこと」
「何だかなぁ、簡単には信じられないぜ。まだ早計じゃないか?」
「まだ、まだって言ってたら取り返しがつかなくなるわよ。信じる信じないはあんたの、あぁいや、お兄ちゃんの勝手だけど」
わざとらしく言い直すな。
これがゲームの中だとしたら、だいぶ変わってるというか、斬新な展開のゲームだなぁと俺は思う。ある程度物語が進んでから主人公の名前を入力する形式。そりゃ今までずーっとゲームで遊んできて1つもなかったタイプではなくて、少なからず存在した形式ではあるのだが。
というか、変化するならいっそ「これはいかにもゲームの中だ」と言えるくらい大きく変わってくれねぇかな。降雪だ、妹だ、手のひらから火の玉だと言っても、かなり微妙な変化だろ。ゲームの中にしてはだけど。
「私は好きだぞ、こういうの」
美時は頭上の「みとき」の3文字を眺めている。
「気に入ったのか?」
「はん?何がよ」
「その名前がだよ」
俺もまた、美時の頭上を眺めている。
「気に入るも何も、最初から私の名前でしょ」
「ま、そうだな。すまん」
「うえ、素直に謝んな気持ち悪い」
「気持ち悪いとはなんだ!」
「そのままの意味!」
「失礼だろ!もっとこう……」
「うるさい」
けぇ、やはりこの4文字には。
「あ、そういえばさ」
顔の前でパンと両手を打つ俺。なんつー古典的な話題の変え方だよ。
「名前を入力するの、保留してたんだよ。どんなのがいいと思う?」
「はぁ?自分で考えなさいよ」
「まあまあ、いいじゃんかよ。名前入力にこだわったことがなかったんだよ今まで。俺が主人公で、お前がヒロインだっけ?」
「やっぱりあんなこと言わなきゃ良かった」
奥歯を噛み締めたせいで、こめかみの辺りがぷくぷく動いてやがる。ヒロインがする表情じゃねぇぞそれ。
「まあ1つ頼むよ。恨みやしねぇって」
「あ、そ。ならこんなのは?」
「どんな名前だ?」
「バカ兄貴」
「……了解」
機械音声に向かって、言われたとおりの名前を話しかける。二言はねぇさ。
「『バカ兄貴』様、でよろしいですか?」
「おう」
「かしこまりました。ようこそ、バカ兄貴様」
あまりいい気分じゃねぇけどな。
ま、それはそれとして。
頭の上に確かに「バカ兄貴」と浮かび上がったのを確かめてから、俺は美時の部屋を後にした。