七話目
――当時の俺にとって、両親は絶対的な存在だった。誰よりも優れた魔法使いで、人々から畏怖を集め、崇められていた。
だというのに、死んだ。それも、簡単に。他の人間と同様に。あっさりと。
俺にはそれが――たまらなく恐ろしかった。どんなに偉大でも、強大な魔法使いでも、死からは逃れられない。その事実は常に俺に付きまとい、恐怖心を煽っていた。
だからこそ、俺は死を極端に恐れ、不老不死になることを願ったのだ。
しかし、それはそう簡単な道のりではなかったのだ。家の書庫にも、王宮の大図書館にもそれに類する本はどこにも見当たらず、いたずらに時だけが無情に過ぎていく。両親の死からすでに十年が経過した時、俺はその野望を諦めかけた――だが、ある時転機が突然訪れた。
家の書庫を整理していた時、劣化してボロボロになった古い一冊の本が戸棚の奥から落ちてきたのだ。そこに書かれていたのは――まさしく禁術。不老不死の体になるために必要な儀式と呪文がびっしりと書き込まれていた。
そしてそこからさらに三年経って――ようやく俺はその計画を実行に移した。必要な魔道具は全て揃え、魔力が最も高まりやすい満月の晩に儀式を執り行った。流石に禁術というだけあって詠唱も複雑で高度なものだったが、それを探すまでの十数年でほとんどの魔法をマスターしていた俺は何とかそれに成功して――無事、化け物となった。
その数日後、禁術を使ったことが国にばれ、問答無用で投獄された。呪われた禁術を使ったのだ。代償として、俺は幼いころから住んでいた家も、命より大事にしていた書庫も、何もかもを失った。家族の思い出が詰まったあの家が崩れ落ちていく様を、未だに俺は忘れられないでいる。
「……ねえ、ウル」
と、そこで俺の意識を現実に戻す声。見れば、メアがこちらを心配そうに見つめていた。
「大丈夫?」
「ああ。で? どこまで話した?」
「ウルが禁術を使って投獄されるまで」
淡々と述べるメア。俺が本物の化け物だと知っても一切怯む様子はない。どころか、ますます興味を持ったようだ。
「ウルにお友達はいたの?」
「ああ、当然だ。投獄されても魔法学校の同期たちがよく来てくれたよ。政治がどうだとか、物価がどうとかいう堅苦しい話題から、やれ結婚しただのドラゴンの卵を拾っただの、色々話してくれたさ」
……けれども、それはもう数百年も前のこと。同期たちが全員死んだことを俺は知っている。
そこでメアはほぅ……っとため息をついた。
「ウルには友達がいたのね。羨ましいわ」
「お前にはいないのか?」
「ええ。私、今まで自分の部屋から出たことがなかったの。ここが初めて来た場所よ。たまたまお部屋に隠し扉を見つけて、それがここまでつながっていたの。降りるのにはちょっと時間がかかったけど、何とか来られたわ」
隠し扉? そんなものがあったとは驚きだ。いや、きっと昔ここに投獄された人間が穴でも掘って、それが偶然彼女の部屋に繋がっていたのだろう。もしくは、彼女のように投獄された人間に会うために誰かが作ったのかもしれない。どっちにしろ、ここから出られない俺にはどうでもいいことだった。
そんなことをぼんやり考えている俺をよそに、メアは口を不満そうに尖らせてぼそりと呟いた。
「お父様とお母様がね、お外に出たらダメだって言うの。危険がいっぱいだからって」
なるほど、過保護か。だが、それは行き過ぎじゃないのか?
確かに外にはドラゴンやオーガといった危険生物もうようよいる。けど、それ以上にもっと美しいものや楽しいことで溢れているのも事実だ。そこでしかできないような経験だって、いっぱいある。
不意に、メアが嬉しそうに顔を覗かせながら言った。
「私ね、夢があるの」
声が上ずっている。興奮がそこからにじみ出ていた。
「何だ?」
「お外に出て、今まで見れなかった分いっぱい色んなものを見るの。きっと、楽しいわ」
「……ああ、そうだろうな。素敵な夢だ」
正直――何とかしてやりたいが俺には何もできない。魔法を封じられた魔法使いとは、かくも無力なものかと絶望した。淡い願いを抱く少女一人すら救うことが出来ない。それが何とも悔しかった。
そんな俺を労わるかのような優しい声音で彼女は告げる。
「ねえ、ウル」
「ん?」
「ここから、出たい?」
その答えに即答することはできない。すでに友人は全員死亡し、身寄りもない。思い出のある場所だって、今も現存している保証はない。
けれど、もし可能であれば――
「出たい。出来るならな」
「じゃあ、ここから逃げましょう。まずは私の部屋に言って――」
「いや、無理だ」
強引に、彼女の言葉をさえぎって、言葉を続ける。
「これがあるからな。出れたとしても、何も出来ない」
手をかざすと同時、ジャラリという金属音。すると、メアは悲しそうな顔をするどころかむしろ覚悟を決めたような顔になって力強く頷き、
「じゃあ、それが外れればいいのね?」
真摯な口調で告げた。それがあまりにも真剣みを帯びていたので、思わず怯んでしまう。
「あ、ああ……けど、これのカギがどこにあるのかはわからないぞ?」
「いいわ、私が頑張って探してくる。だから、それまで待ってて」
そういうなり、椅子ウサギの背をちょいと撫でて彼女は手を引っ込めた。数秒遅れて消える灯り。急いで部屋に戻っているのか、カツカツとリズミカルな音が牢獄にこだました。
「グゥ……」
名残惜しそうに穴の向こうを見つめる椅子ウサギ。流石に壊したらまずいとわかっているのか無理に破壊することはしないが、もどかしそうにその場で足踏みしていた。
やはり――こいつはあの子に懐いているらしい。それも、同居人である俺よりも好んでいるようにすら見える。
まぁ、それも当然だ。合成獣として人間に作られ、利用され、化け物と呼ばれ続けてきたのだから。きっと、あんなに優しくされたのはこいつにとっては初めての経験だったはずだ。
動物は敏感だ。敵意や悪意を持っていればすぐさまそれを見透かしてしまう。たぶん、メアはそう言ったものをまるで持っていなかったのだろう。だからこそ、ここまで懐いたのだ。
「はぁ……変わった子だ」
ぼそりとそんなことを言って、ぽっかりと空いた穴に意思をしっかりとはめ込む。若干椅子ウサギが責める様な視線を向けてきたが、見なかったことにした。