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きずなの家は鉄筋三階建、外装は明るいオレンジを主体としていたが、内装は暗い感じがした。
快晴であるため、蛍光灯に光が入ってないにしても、その理由とは別に暗く感じる。
家長室は、一階の総務室の横にあった。 小さな事務室で、机が四つあり仕事中のスタッフが二人いた。
一人は白髪混じりの男ではあるが、顔と肌艶を見る限り歳は喰ってはいないようだ。
スタッフ証には、金子 透 とあり、パソコンとにらめっこしていた。
もう一人は太った中年女で、異様に腹が出た女だ。
スタッフ証に、小倉 笑子 とあり、煎餅をかじりながら電卓をたたいている。
コンコン
少し後から声が、聞こえる。
「失礼します」
声の主は、水野だ。
水野は、ドアを開ける。
事務室の二人は、ドアを見る。
そこには、水野と陽子がいた。
陽子は、二人にお辞儀をする。
金子と小倉も、それにつられて頭を少し下げた。
水野はそれでは戻りますと、陽子に言い持ち場へ戻って行くと、陽子は「失礼します」と事務室に入った。
「お仕事中、スンマセン。代表者さんの部屋はこの先でいいでしょうか?」
陽子は、尋ねた。
「はいそうですよ。奥村さん」
応えたのは、金子だった。
「ありがとうごさいます。金子さん……でよろしいですか?」
陽子は、白髪混じりの男……金子に尋ねた。
「僕が来てと言った時間通ですよ」
屈託の笑顔で、金子は応えた。
陽子がきずなの家に職場を決めた際、軽い説明などを携帯で金子とやり取りしていた。
ただ、声だけのやり取りであり、顔は初対面ではあった。
「家長が、待ってます。その先へどうぞ」
金子は部屋の右側にあるドアを、手のひらを使って指し示す。
陽子は金子と小倉に一礼をして、ドアを目指した。
金子のパソコンには、陽子のデータが映されている。
顔写真、プロフィール等がある。その中に、看護免許有り ○○医大病院精神課退職と書かれてあった。
金子はパソコンの、陽子のデータを上書き保存して閉じた。
「再就職がこことはね」
金子は皮肉混じりに笑った。
「ようこそ、きずなの家へ!」
片瀬正徳は、笑顔で言った。
髪が黒々とした、少し狐目で年は若く見える。聞いた話では還暦間近らしいが、本当に聞いた話でしかないかも知れないと、陽子は感じた。
言ってしまえば、いい男なのだ。
しかし、どこか得体の知れない感じもする。
なんだか、掴めない……喰えない男だ
陽子が片瀬正徳に感じた、第一印象はこんな感じだった。
外見は良く、中身は警戒だ。
「まず、奥村さん、お願いがあります」
落ち着いた口調で、片瀬は言った。
「はい、何でしょうか?」
陽子は少し緊張しながら応える。
「肩の力を抜いて……まぁ、お初だから仕方なしかな。
奥村さん、この『きずなの家』では、みんなが家族です。
スタッフは勿論、入居している方々も、みんなが家族です。
ですから、喜びも悲しみも、みんなで分かち合います。
さしあたって、私達家族は氏名で相手を呼びます。つまり、奥村さんではなく、陽子と呼びます」
正徳は、熱く口説いた。
陽子は戸惑いながらも、
「わかりました。私を迎えて頂きありがとうございます」
と、正徳に頭を下げた。
「よろしい、陽子、それでは君のやってもらう仕事を簡単に説明しよう」
「ありがとうごさいます。その前に、一つ確認させて下さい。
名前で、いいのですね」
陽子は、聞いた。
「ええっ、構いませんよ。家族ですから」
両手を広げて、派手なアクションで正徳は言った。
『では、どうして?』
陽子には、引っかかることがあった。
しかし、今は気にしないでいることにした。
気にした所で、どうなるものでもない。それより、自分のこと優先だ。
つまり、気になることは、全く陽子が知らなくてもいいことだ。
「では、説明を始めるよー」
相変わらず、正徳は大袈裟だった。
二週間後
午前七時半、
陽子はジャージにエプロン姿で、『朝のみじたく』のチェックをしていた。
朝のみじたくとは、居候達の朝の簡単な身体検査でのことだ。
居候がパジャマからジャージに着替えるのだか、ジャージを正しく身に着けているか、可笑しな所はないかなどのチェックと、顔色や簡単な挨拶と会話をしての健康状態を検査するのだ。
今日は平日、作業活動の日であるため、居候のほとんどが、ジャージ姿であった。
因みに、居候とは自閉症を患った入居者のことで、きずなの家では、彼等を居候と呼んでいた。
陽子は『健康チェック票』と、書かれた書類をバインダーに挟み、右手で抱えて一人ずつ挨拶をしていく。
「おはよう、賢一クン、昨日は寝れたかな?」
と言う具合に、一人ずつ声をかけて行き顔色や服装などを診る。
左手に持つボールペンで、チェック票に異常なしなら丸を書き入れる。
早朝は、それが日課だ。
陽子は、手際良くチェックしていく。
「はい、おはよう、洋クン」
笑顔で、また一人チェックに入る。
「ネェ、違うよ!」
「ん?」
陽子は笑顔でその声に、反応する。
「おちゃわんだよ!そっちの手」
「ゴメンね、私はこっちの手じゃないと書けないんだ。」
陽子は、笑顔で言った。
ここに来て、何回か言われているが、今日も違う居候に気付かれてしまう。
陽子は、左利きだった。
物心ついた時から、左手で鉛筆をもち箸をもちしていた。
母はそれも個性と、むやみに治さず今に至る。
「よう、また、指摘されたな。陽子さん」
声の主は、士郎だった。
そう、あの南部 士郎だ。
ニタニタしながら、陽子を見ていた。
「……」
陽子は、無言だ。
あの一件以来、陽子は士郎を毛嫌いしている。
「士郎さん、いま忙しいですから」
陽子は、無表情で言う。
「つめてー、陽子ちゃん」
初対面とは違い、馴れ馴れしいくらい士郎は笑顔で言った。
無言で次の居候に行く陽子ではあるが、『あの変わりようは何?』と複雑だった。
「士郎さんほら、洋クンのズボン後ろ前ですよ。よくチェックして下さい」
「ん?あっ、本当だ。水野のバカ」
士郎の言葉に、陽子は足を止めた。
「今日は、朝からのお仕事ですよね。他の人が着付けを手伝ったとしても、士郎さんの怠慢です。
私まで、巻沿いはイヤです」
陽子は、はっきり言った。
士郎は渋い顔で陽子を見る。
そして居候と一時退場した。
『同僚の水野は、水野……か』
改めて陽子は思った。
つまり、仕事仲間……いや、家族として受け入れてない証拠だ。
あの時の引っかかりでもあった。
初対面のときの正徳の、家族の言葉を思い出す。
『このことを、家長は知っているのかしら……』と、思いつつ次の居候に行った。
これが、最後の居候だ。
少し、陽子は緊張する。
警戒とも言う。
名札に視線を落とすと、そこには「渡辺 将太」と書かれていた。
将太……つまり、あの将太だ
頭の中で、将太のプロフィールを簡単に陽子は思い出す。
渡辺 将太
自閉症スペクトラム……自閉症
精神遅滞
てんかん
ADHD(注意欠如 多動)
障害者手帳 レベル2
重度
幼少期の新版K式検査
平均DQ32
入居歴3年
都会から、きずなの家に居候
傾向
蛍光色のこだわりあり
特に「赤」
居候当初は、刃物で自慰行為の後に血を見ながら心を落ち着かせていた。
居候、きずなの家の家族には、危害は確認されてはいない。
しかし……
……く!
陽子は、目を瞑り首を振った。
『思い出すのはここまで、仕事を続行しよう。』と言い聞かせる。
将太の目の前まで来たからだ。
将太の右隣には、一がいた。
陽子が士郎にやられた時にいた、強面の男だ。警戒をしながら、将太を見ている。
陽子の護衛にも見えた。
陽子は、一に目線で訴える。
一は、コクンと頷いた。
やる気なさそうな、表情は相変わらずだか、かなり頼りになる。
陽子は、心の中で息を整える。
よし!
「おはよう、将太クン、調子はどうかな?」
陽子は、みんなと同じように演じる。
「ヘヘヘヘヘン」
ヘラヘラと笑う将太の表情に、陽子は虫酸がはしる。やはり、あの時以来駄目だ。
素早くチェックを済ませ、票に書き込みその場を急いで離れようとした。
「グアーグアーグアー」
「ハイハイ、将太クン」
一は太い腕で、将太を押さえた。
陽子は、目でありがとうと、一を見た。
「仕事だからな……」
一は、淡々と言う。
陽子は、その場を離れる。
そして、先程の続きを思い出す。
しかし、母親を大型刃物で右足を刺し、湧き出す血に喜びながら顔に塗りたぐった。
その傷は深く、神経に達していたため、足が動かなくなる。
居候に来た理由は、家族の安全確保のため。
父親は会社を経営している。
順調とのこと……
確かこれが、赤を舐めるキチガイのプロフィール……