F‐01 トリガー・セット
「…というわけで、今日からみんなと一緒に勉強することとなった、春風明くんだ。春風くん、あいさつを」
「春風明です。皆さんよろしくお願いします」
板倉先生が促したので、明は簡潔に自己紹介した。愛想笑いを浮かべ、静かに一礼する。クラスの生徒は拍手を送った。
「かわい~」
「小さいなぁ、ホントに男か?」
「メガネ萌え~」
一部変態もいるようだが、明の印象は好感的のようだ。生まれ持った外見が良かったらしい。
「では、春風くんに質問がある人のために質問タイムでも設けようと思う。質問があるヤツはいるか?」
(質問タイム…ね)
叶に事前に聞いてはいたが、本当に小学生のようなことをやるんだな。
ミスレイはピュアレイに比べて人口が圧倒的に少ないから、ミスレイの学校はこのような「仲良くしよう」的な教育方針が執られると叶は言っていた。
教壇の壁にも「みんな仲良く」と書かれた台紙が飾られている。そういった方針により、ミスレイはかなりオープンでフランクな人が多いらしい。
だが実際、15、6の彼らが子供じみたことをするだろうか。ミスレイもピュアレイと同じようにおっきな声で質問するなんてイヤだろう。
だって恥ずかしいじゃんね。
しかし明はミスレイをなめていた。
板倉先生の提案にクラス全員が手を挙げている。それもキラキラと目映いばかりの星を瞳に宿して。
(ミスレイってすごい…)
「さぁ、春風くん。だれか指して」
「あ…じゃあ、そこの髪の長い娘」
「はぁい!!」
(まんま、小学生だなぁ)
女の子が元気に大きな声で返事したのを見た明の感想である。
さて、どんな質問がくるのか。
反射的に心の中で身構える。
「春風くんはカレー派ですか?シチュー派ですか?」
(意味が分からん!!)
いきなり発言権がカレーかシチューかの二択に迫られた。こういう突拍子がないのがミスレイだというのか。
どちらかと言えばビーフシチューが好きなのだが、ビーフシチューはあの白いシチューに分類されるのだろうか。食生活の謎である。
「えっと…シチュー派です」
ワァッと女子の方から歓声が沸いた。逆に男子はブーブーとブーイングが投げられる。
(何コレ…?)
「じゃあ、他に質問のあるヤツいるか?」
板倉先生がそういうと、質問しようとするやつが半分になった。
(減った!?お前らカレーかシチューか聞きたかっただけか!!)
明は心の中でツッコミを入れた。
「春風くん、指して」
「はぁ」
明は後ろの方の席に座る男子を指した。
「むぅ~、アキちゃんが指してくれな~い」
睦月が不満そうにほっぺを膨らます。
「むっちゃん、あいつが最近家で暮らしてるってやつか?」
睦月の後ろの席に座る少年が睦月に尋ねた。
名前を神代空。ボサボサの褐色の髪の毛が活発そうな印象を受ける少年だ。
「そだよ。春休みにうちに引っ越してきて、一緒に住んでるの。空くんも遊びに来れば良かったのに」
「なぁに言ってんだよ。オレはバイトで忙しいの。むっちゃんほど暇じゃないんだよ」
「睦月だって忙しかったもん。アキちゃんに街を案内したり、お買い物行ったり、亜里砂ちゃんと雫ちゃんにアキちゃんを紹介して一緒に遊んだりしたんだから」
睦月は「どうだ」とばかりに胸を張る。たゆん、と胸が揺れた。
「それは遊んでいたというのではないか、睦月嬢?」
空の隣の席に座る背の高い少年がツッコミを入れる。
長瀬雅也。空と睦月の腐れ縁の少年で、いつもノートパソコンを持ち歩いている。切れ長の眼でとてもクールな少年だ。
「えへへ。そうとも言うね」
「自分で今『遊んだりしたんだから』と言っただろう。ところで、実際どうなんだ、転校生のルーンフォースは。ここは一応ミスレイだけが入ることができるLce能力訓練学園だ。ルーンフォースの強さは今後のこの学園での行動に影響が出ると思うが」
月代学園の生徒は全てミスレイだ。純粋な人間ピュアレイと体の構造・本質は同じとはいえ、Lce能力を使えるという大きな違いがある。
Lce能力とは体内のルーンフォースを消費して内的・外的に何らかの影響を与える能力のことだ。
体の感覚を研ぎ澄ましたり、一時的に肉体を強化したり、他者を癒したりと効果はさまざまである。
このLce能力はミスレイにしか扱えない。
よってLce能力を持たないピュアレイは異能の者として、畏怖を持ってこう呼んでいた。
ルーンフォースを魔力。
Lce能力を魔法。
ミスレイを魔法使い、と。
魔女狩りに代表されるように、ミスレイとピュアレイの関係は険悪そのもの。
しかもミスレイの人口はピュアレイの10万分の1という圧倒的な小規模だ。
人権が保障された現代社会においても、過激な宗教による私刑などの迫害によってミスレイの社会的立場は低い。
ここ星宿町はそんなミスレイを外界から保護するために創られ、その中にある月代学園は人口差という圧倒的ハンデを打破する優秀なミスレイを育成する施設だ。
そのため教師はルーンフォースとLce能力に精通したものに厳選し、生徒が現代社会に進出する上で必要な知識と技能、そしてLce能力を叩き込む。Lce能力の原動力となるルーンフォースの力は授業にも成績にも影響する。
雅也にそう言われると、睦月は教壇にいる明を見た。
「睦月にはよくわからないけど、アキちゃんには強いルーンフォースがあるって父さまが言ってたよ。『今はまだ芽も出ていない種のようだけど、あの子はきっと近いうちに天を貫くような大きな木に成長する』って」
「相当の潜在能力を持っている、と言うことか」
雅也はそう言いながらパソコンに何かを打ち込んでいた。
「へっ!おもしれぇじゃねえか。あのオジさんにそこまで言わせるってことは、すげえヤツってことだろ?一回やりあってみてえな」
空は笑いながら拳を鳴らす。
この神代空は、幼等部のことから学校一のトラブルメーカーとして有名で、生徒会執行部と風紀委員会にマークされている。喧嘩っ早くて向こう見ず。更にスケベが災いして、彼女はいない。
「ダメだよ空くん。乱暴なことしちゃ」
「そうだ。学校の器物を壊すと進路に響くぞ」
「おうよ」
「あ、や、そっちじゃなくて」
睦月は慌てて二人を止める。
「分かってるよ。暴れたりしねぇさ。ストレス解消は他で十分できるからな」
「へへへ」と笑うと椅子を傾ける。と、椅子がずれて空は椅子とともにダイナミックに倒れた。
一同が明への質問を中断し、空の方を見た。
「神代!何やってんだ」
板倉先生が空を一喝する。
空は「いちち…」と言いながら強打した腰をなでる。
「空くん、大丈夫?」
「あ、ああ。大丈夫大丈夫」
「恥ずかしいヤツめ」
「少しは心配しても罰は当たらんよ長瀬くん!」
起きあがろうとする空の目の前に手が差し出された。
空が見上げると、そこには腰をかがめて手を差し出す明がいた。
「ほら、掴んで」
「ああ…ワリィ」
明は空の右手を掴む。と同時に…
「!?」
空の中で何かが揺らいだ。
波紋が手から内側へと広がっていき、空の奥の奥までを浸透していく。
ルーンフォース。波動が明から発され、空のそれにぶつかり、強い存在感を感じさせる。同時に強いプレッシャーも。
空は明の手を見つめて呆然としていた。
「あの、もしもし?」
「…あ」
空はようやく立ち上がる。手が離されると「フッ」とルーンフォースの波動が消えた。
(今のは…)
「春風くん。朝霧の隣に座ってくれ。すぐそこに空いている席だ」
「あ、はい」
明は荷物を置き、席に着いた。空は立ちつくして放心している。
「空くんどうしたの?座りなよ」
睦月の言葉で空は我を取り戻す。
「ん、おう」
それから授業が始まり、明は初めてのLce能力の授業に戸惑い、睦月に隣で教えてもらっていた。
「あいついいよな。朝霧さんに教えてもらえて」
「まったくだぜ。俺も転校生になりてー!」
男子は口々に愚痴を言い、ため息をつく。これで一緒に住んでいると打ち明けたら、明は間違いなく刺されるだろう。
空も二人を見つめていた。しかし睦月ではなく、明の方だ。
食い入るように見つめる空。恨みとか嫉妬という眼差しではなく、何者なのか探るような眼差し。
空は掴まれた右手と明を何度も交互に睨んだ。
雅也はそんな空の動作を見て、自分のノートに目を戻した。
授業が終わり、空は屋上にいた。
学生のために設置されているベンチに遠慮なく寝そべる。
正面に青空が広がっている。春が始まって間もないので夕焼けの色も見える。風に舞いあげられた桜の花びらが青空に映えて、雪のように思えた。
「…………」
空は相変わらず右手を見つめている。
ルーンフォースの波動をまだ覚えている。自分の波動よりも大きく、まるで波のよう。
飲み込まれてしまうようなプレッシャーを感じた。あんなに怯んだのは伯父の叶以来だ。
(いや、おじさんの時とは違う!)
叶のときのは恐れおののいた。完全に「飲み込まれてしまった」から。今回とは違う。
けど圧倒された。
空は右手をベンチに叩きつけた。
「いじけているのか」
雅也がノートパソコン片手に屋上にきた。無愛想なようだが、雅也にしては楽しそうな顔をしている。
「いじけてねぇ。何しにきたんだよ」
「自分よりも大きな力を持つ者の存在を強く刻みつけられた負け犬を笑いに」
「負けてねぇ!まだちゃんと勝負もしていないのに、勝ち負けつけられてたまるか。ルーンフォースが強ければいいってもんじゃねえんだよ」
「同感だな。事実、俺はお前よりルーンは弱いが、技術を駆使すればお前と対等の能力を引き出すことができる。魔法だけに頼らないという考えは、お前の小さな脳みそにもあったようだな。感心した」
「…よくわかんねえけど、お前絶対褒めてないだろ?」
「愚問だ」
空は起きあがって革靴を思いっきり雅也に投げつけた。雅也は片手で余裕にそれを受け止める。
「それで、どうするつもりだ?転校生のこと。このままにしておくのか」
雅也は革靴をポイッと空に投げて返した。
「んなわけねえだろ。いつか必ず白黒させてやる。なめられたままも癪だしな」
「なめるも何も、転校生はお前を圧倒したことなど気づいてないぞ。まだ転校したばかりだ。ルーンも安定していない。使い方も知らない。第一、クラスで気がついていたのは俺だけ。離れたルーンを関知できたのは、クラスでは俺とお前だけだ。朝霧家の睦月嬢でも気がついていないのだから、気にする必要はないだろう」
「だとしても嫌なんだよ、こういう中途半端な感じ」
空は革靴を履き直すと、再びベンチに横になった。
「なら、今夜あの転校生を呼べばいいじゃないか」
「は?」
空はあっけに取られた。
『今夜、キメちゃえよ』的な怪しいことを言ったのではないことは分かっている。何故『今夜』なのかということだ。
「お前、今朝イスから落ちただろう」
「それがどうしたんだよ」
「ウィキドの仕業だ」
空は飛び起きた。目が覚めたような表情で雅也の話に耳を傾ける。
「出たのか」
「低級の奴がな。イタズラしかしていないところを見るとおそらくそうだろう。学校に生息しているのが、転校生の騒ぎで出てきたようだ。今も生徒たちのフィールを食べて、移動中だ」
ノートパソコンに映された校内の図面に移動する点がある。
『Wicked』との表示がある。確かにウィキドが生息しているようだ。
「……」
空はモニター上で移動するウィキドを見つめている。
「睦月嬢に連絡するか?連れてきてもらえるかもしれんぞ」
空が無言で頷くのを見ると、雅也は携帯のディスプレイを開いた。
帰り道を明と睦月は歩いていた。
夕暮れが近づき、景色が茜色に染まっている。
今日はいろんなことがあった。明は一日をふりかえった。
自己紹介も授業も終わって、女の子たちからの質問攻めにあった。「どこから来たの?」とか、「誕生日はいつ?」とか、「どうしてそんなにお肌すべすべになるの?しんじられな~い」なんて言われた。
さすがに「彼女はいるの?」と聞かれたときには焦った。というか聞かれた後、「いません」と答えたら女の子たちに囲まれてぎゅ~っと抱きしめられた。あれは勘弁してほしい。男子から殺気にも似たオーラと貫きそうな眼光が恐いのなんの。
睦月が面白がって自分も抱きついたのはまさに不幸だ。
「ぐぞおぉぉぉっ!!!おれだって睦月ちゃんに『ぎゅ~』ってしてもらいたいぃぃっ!!!」
「おのれぇ、春風ぇッ!!!呪い殺してやるぅううッ!!!」
「トゥーシューズに五寸釘仕込んでやる!!」
「筆箱に辛子明太子詰めて煮込んでやる!!」
嫉妬深い男たちの念はなんとも黒くおぞましく、何とも情けなかった。
(明日、机の中に毛虫が入ってなきゃいいんだけど)
「学園、面白かったでしょ?」
不意に睦月が聞く。首を傾げ、明の顔をのぞき込んだ。
「まあ、ね。自己紹介のときにカレーかシチューか聞かれたときは驚いたけど」
「月代学園のみんなは、みんなで一緒に食べられるものが大好きなの。お鍋とかスープも人気なんだよ」
「仲が良さそうだしね。カレーとシチューで大きくふたつに分かれてるみたいだけど」
「どうしてなのかはそのうち分かるよ。今日はみんなに優しくしてもらえてよかったね」
睦月はニコッと微笑んだ。とびっきり可愛い笑顔だ。
(誰からにも人気って言うのは頷けるかも)
前に亜里砂から聞いたことがある。睦月は一年生ながら上級生にも慕われ、学園中の人気者なんだとか。月代学園は幼・小・中・高等部のエレベーター式の大きな学園だ。下級生の生徒、特に生徒会からは一目置かれているらしい。憧れの先輩だとか優しいお姉さんと呼ばれているみたいだ。
それは睦月の両親からしてそうだろう。行き場のない自分を拾ってくれて、家族の一員として接してくれて、学校にも通わせてくれている。親切という言葉では片付けられないくらいのことをしてもらった。
父親の叶は朝寝坊でよく人をからかうが、情に厚くとても優しい。
母親の満月はいつも笑顔で丁寧で、面倒見がとてもいい。明の理想の母親像だった。
睦月がこんなに無邪気で優しく、可憐に育ったのは二人の人柄があってこそだと思う。
うらやましい。
自分が生まれ育ったピュアレイ世界より遥かに幸せだ。
あんなところより遥かに…。
『ピ~ロピロピロ♪ピロピロ~♪』
不意に睦月の携帯の着メロが鳴る。ちなみに着メロはいま流行のアニメ『ルンルンメロディー♪かなこ』のオープニングテーマだ。ちなみに明は見ていない。
「おっとっと、あ、雅也くんだ。なんだろう」
「ふ~ん………………………………………………………って、出ないの?」
「え?!あ、うん!出るよ!えと、通話はどうするんだっけ??」
「何時代の人ですか…」
睦月は慣れない手つきで携帯を操作する。見ていてとても危なっかしく思った。
携帯操作に困惑する睦月を見て、明はやはりここはミスレイの世界だと実感した。
ミスレイはルーンフォースを利用したLce文明に特化している分、機械文明に疎い。ピュアレイ世界では当たり前の携帯電話も、ここではつい一年程前に普及したばかり。性能をモノにしていない住民がいても不思議ではない。
特に睦月の場合は。
ピッ!
「あ」
間違えて電源ボタンを押した。
「ツー、ツー」という不通の音に睦月の冷や汗はダラダラ。
「切っちゃったの?」
「ち、ちがうよ?切れちゃったの」
「結果は同じだと思うけど」
明が呆れていると、携帯から二度目の『かなこ』が流れる。
「あ、雅也くんだ!」
「次は切らないようにね」
今度はちゃんと通話ボタンを押す。
《何故切る》
「あぅっ!ご、ごめんなさい…」
早速責められる睦月。若干涙目。
《着信拒否とは…睦月嬢も陰湿な真似をするようになったな》
「ち、ちがうよ?!ボタンの位置がいつの間にか入れ替わってて~あたふた!」
《嘘をつく子にはもうお土産は持っていきません》
「すいません!ボタン押し間違えました!」
睦月は電話に向かって潔く頭を下げた。
「なにやってんの…?」と、明が呆れる。
《まあいい。ときに睦月嬢、そこに転校生はいるか?》
「え?いるよ?代わる?」
《いや、頼みたいことがある》
「うん?なぁに?」
《今夜、転校生を学園まで連れてきてくれ》
「え?うん、分かった。父さまにも聞いてみる。うん、うん、じゃあまたあとでね」
睦月は通話を切って携帯をしまった。
「なんだって?」
ぶっちゃけ、別に何でもいいけど聞いてしまうのは人間の性だろうか。
「んとね、長瀬雅也くんっていう男の子からなんだけど…ま、いいや。あとでまた教えるね」
「?」
(あとで?)
「それよりアキちゃん、夜は空いてるよね?」
「家でゴロゴロする予定だけど」
「あ、じゃあ大丈夫だね」
睦月は笑顔で勝手に決める。
(ゴロゴロしたいのに…)
「父さまが許してくれたら、今夜はお出かけするから準備しといてね」
睦月が無邪気に微笑み、明に言う。
明はまたも訳の分からないような顔をした。
どこに連れて行かれるのか。何も教えてくれないから見当もつかない。
しかし少しは期待していたのかもしれない。レストランとかデパートとか、少しは華のあるところに行くのかと自分の中で勝手に想像を膨らませていたのかも。
転校初日の夜にあんなところに連れて行かれてあんなことになってしまうなんて、誰にだって想像つかなかっただろうから。
「なんでこんなことになるかなぁ」
明はまず、ぼやいた。
どこかの監督並にぼやいた。
連れてこられたのは月代学園高等部校舎前グラウンド。つまり朝登校して、つい先ほどそこから帰ってきたばかりのところだ。
「なんで学園なの。お出かけの場所ってここなの?」
「そだよ」
こともあろうに睦月は笑顔で答えた。言い返す気すらなくなる。
(ちょっと期待してたのに)
レストランの美味しい食事やデパートのショッミングモールのイルミレーションの華やかさがため息とともに消えていった。着替えた意味ないじゃん。
「学園きて何をするの?まさか薄暗い校舎の案内でもしてくれるわけ?」
「そ、そんな怖いことしないよ~!!オバケが出てきたらイヤだもん!!」
睦月は腕をぶんぶん振って全力で否定した。
「すでに周囲は出そうなコンディションだけどね」
夜の校舎やグラウンドはライト一つ付いていないし、頼れるのは月と星のわずかな明かりだけ。その心細い光に照らされながら舞う桜の花片。オバケよりも妖怪が出そうな雰囲気だ。
「…あれ?」
校舎から何かが近づいてくる。黒くて長いものが。
「どうしたの?」と睦月。
「いや…あれなにかなぁ、と思って」
「へ…?」
睦月は顔を青ざめて明が指さす方向を見た。黒くて長いものがこちらにゆっくりと近づいてきている。その姿はときおり揺れたり、霞んで見えたりと、人とは思えない動きをしている。
「もしかして…オバケ?!」
「いやいや、そんな。まさか。小説じゃあるまいし」
睦月は明を盾にするように後ろに隠れた。睦月が少ししゃがんだことから明は互いの身長差を再認識する。ちとジェラシー。
ヒタ、ヒタと確実に距離を詰める長いの。フッと、その姿が消えた。
「?」
「え?!」
二人は左右を見渡すが、その陰も見あたらない。姿が見えなくなったことで、逆に恐怖を募らせる睦月。
その首筋に悪寒が走る。
何かに首筋を触られている!!
明は気がついていない。しかし確かに自分の後ろに何かいる。冷たく湿った何かが。ナメクジやカタツムリじゃないことは確かだ。いまは梅雨じゃない。
睦月は怯えた。もはや震えることしかできない。
息が頬にかかった。顔を近づけているらしい。睦月の恐怖はピークに達した。限界の睦月に耳にかかる生暖かい言葉がトドメを指した。
「コンバンワ…!」
「ふにゃあああああああああああああァッ!!!!」
睦月は叫んで明に飛びついた。
「どわァんごッ?!」
明はバランスを崩して顔から地面に倒れる。大丈夫かメガネ。星が出てるぞ。
「あっはははははは!こぉんなに上手く引っかかってくれるとはなぁ」
「へ…?」
睦月は涙目を声の持ち主に向ける。場違いな挨拶をかましたそいつは、
「空くん」
「へっへっへ。待ってたぜむっちゃん。そして転校生」
神代空だった。その手にはコンニャクが握られている。
「ひ、酷いよぉ。驚かすなんて」
「わりぃわりぃ。思いのほか、早くついちまって。雅也とこの作戦を考えついたってワケだよ」
「雅也くんと?」
雅也が無表情で三人の元まで歩いてくる。黒くて長いのは雅也だったようだ。
「さっきのは雅也くんだったの?」
「ああ。暗い中で人をだますほど簡単なものはない。自分が揺れたり、横を向いたりすれば形などいくらでも変えられる」
「でも、消えちゃってたよ?ホントにいなくなっちゃったの?」
「しゃがんだだけだ」
単に視界から見えなくなっただけ。睦月は単純なトリックに騙されていただけのようだ。
「睦月嬢の心理状況は実に興味深い。テストでは常にトップクラスの成績を出すにも関わらず、『オバケ』というフィルターが覆い被さるとなにも考えられなくなってしまうとは」
「だってだって、怖かったんだもん!オバケとかワケ分かんないのはダメなの!」
「どうでもいいけどよ、早く起きた方がいいぜ。転校生苦しそうだし…」
急に空がにやけた。
「パンツ見えてる♪」
「ふにゃぁっ!!」
睦月は慌てて座り直し、頬を膨らませて空をにらんだ。
「もぅ、むっちゃんまたカワイイ下着穿いちゃってぇ。今日はピンクかぁ、オイちゃんときめいちゃったよ~」
空は鼻息を荒くして、エロ親父のごとく言い放つ。
「も、もう!空くんのえっち!」
「睦月嬢の今日の下着はピンク…と」
「雅也くんもパソコンに記録しないの!!」
睦月が二人を真っ赤な顔で叱りつける。怒っているというよりも恥ずかしがっているようだ。
「いてててて…。おでこ打っちゃった」
明が額を抑えて起き上がろうとする。その目の前に手が差し出された。
「ほらよ。つかまれよ」
空の手だった。
「あ、ありがと…」
「気にすんな。さっきのお返しだ」
明は立ち上がると、空を見つめて言い放った。
「…キミ誰?」
空は頭からズッコケた。
「おい!朝に会っただろ!同じクラスの神代!神代空だよ!」
「う~ん、人数少ないクラスだけど二十人はいるからなぁ。そんなにすぐには…」
「てめぇ、ふざけんな!じゃあ何か?あの感動的対面を忘れたってのか!?」
「感動的対面…?」
明は10秒ほど考える。
「ああ!数学の時間にコンパス貸してくれた人?あのときはありがとね」
「それは長谷川だろうが!あんなボウズ頭と一緒にすんな!ちなみにあいつは手芸が趣味です」
「じゃあ古典の時間のとき、教科書に隠れてお弁当食べてたらボクと目があった人?ダメだよ早弁しちゃ」
「それはフードファイターの柿本であってオレじゃねぇ!!オレも食ってたけど」
「落ち着け空。おそらく転校生は何らかの強い衝撃を受け、一時的な記憶喪失に陥っているに違いない」
「何らかの強い衝撃…?ハッ!!」
空の頭の中で先ほどの映像がフィードバックする。
睦月が明に飛びついて、明が頭から地面に叩きつけられたところだ。
「犯人はお前か、むっちゃん!転校生の記憶を返せェ!!」
「睦月だけのせいじゃないと思うけど…」
正論だ。脅かしたのはコイツなのだから。
「このデカパイ!オレがただのバカみたいになっちゃっただろ!謝れ!」
なんて不条理な。
「むぅ…!いいじゃない、空くんはもともとおバカさんなんだから。どんなにおバカなことしても変わらないもん」
「なにぃ?!バカって言う方がバカなんだぞ!むっちゃんのバーカ!!」
「バカでいいもん!!えっちな空くんなんて大ッ嫌い!もう知らない!!バーカ!バーカ!!」
「うるせぇ、大バカ!!」
「オメガバカ!!」
「オメガ?!」
いつのまにか口喧嘩が勃発。バカバカとお互いが連続で罵りあう。明は完全に蚊帳の外だった。
「あの、睦月さん?この人たちは」
「え?あ、そっか。紹介しなきゃだよね」
睦月はコホンと咳払いする。
「この子は神代空くん。明るくて元気で、とってもおバカな子なの」
睦月は『とってもおバカな子なの』を極限に爽やかに言い放った。
「とびっきりの笑顔が憎いよ」
「それと残念なお知らせ。睦月の従兄なんだ…」
「残念て!?」
「えぇ~…」
「転校生も露骨に嫌そうな顔をするな!」
無理もないだろう。見るからにそのときのテンションで生きているような中二病のが睦月の従兄と言うことは、正式な手続きをしていないにしても明の従兄に当たると言うことだ。従兄か従弟かは知らないが。
「男女問わずえっちだから、気をつけなきゃダメだよ?」
「女にしかしないわ!それを証拠に、ほれほれ」
空は座り込んでいる睦月のおっぱいを後ろからもみもみした。
「えっちぃっ!!」
「ふぎゃ!」
睦月の一撃によって空は地面にめり込んだ。
「いっ、いつもいつもそういうことして!もう父さまに言いつけるから!」
「なァッ!?そそそそれだけは勘弁して!あの人に知れたら本当に殺されちまう!!」
「知らないもん!父さまにたくさん叱られちゃえ!」
空が何とか睦月をなだめようと土下座してまで謝る。明は、神代空がスケベで、なぜか叶を恐れていることだけは理解した。
「それじゃぁ、死刑囚の空くんはほっといて」
「死?!死ぬんか、オレ!?」
「こっちの背の高い子が長瀬雅也くん。とてもかっこよくて、頭がいいの。女の子の人気者なんだよ」
空と打って変わって雅也の評価は高い。空のが低すぎるのかもしれないが。
「よろしく頼む」
「あ、よろしく。春風明です」
雅也が明の手を握る。雅也は一瞬表情を歪めた。
(このルーンフォース…空の言う通り、ただ者では)
「あの…」
明が戸惑っているのを見ると、雅也はすぐに表情を戻した。
「それにしても、睦月嬢には効果ありだったが、春風にはあまり驚かれなかったようだな。少し残念だ」
「そだな。もとは二人を驚かすための作戦だったんだぜ」
「どちらかって言うと、睦月さんの悲鳴に驚いたかな」
明が睦月を見て苦笑する。
「まあ、あんだけでっけえ声ならな。しかも『きゃあ』じゃなくて『ふにゃあ』だし」
「ふぇっ?!そんなこと言ってないよぉ」
「説得力ないな」
「むうぅ…。雅也くん、そう言うツッコミなしだよぉ」
睦月はまたほっぺを膨らました。
「なんで『ふにゃあ』なんだよ。明らかに変だろ」
「そんなことないもん!父さまはカワイイって言ってくれたもん!睦月は一生これで行く!」
判断基準が父親の評価だというところがファザコンを示している。
「オレは『ほえぇ』の方がいいなぁ。あこがれのあのコもそんなこと…」
空が『あこがれのあのコ』のことを思い浮かべた。
「ほえぇぇぇぇぇっ!!」
「そうそう、むっちゃん。そんな感じで…」
「空!後ろだ!」
「あ?はぶッ!?」
空が突然頬を殴られる。後ろから何者からの襲撃を受けたのだ。
急に現れたそいつは白い体をしていた。全体的に丸く、コミカルな表情。なにより明を驚かせたのは宙に浮いていることだ。
こいつは、まさか!
「テレサ!?」
「違う」
明の素ボケに雅也がつっこむ。ノートパソコンを開くと、モニターに「アラート」と表示されていた。
「睦月嬢、こちらでは確認している。どうだ?」
「うん。間違いないと思う」
白い物体が頭(?)を突きだし、仰向けになっている空の腹に何度も勢いよく頭突きする。
その度に空は情けない悲鳴を上げながら、『くの字』になった。
「あのコから純粋なルーンフォースを感じる。ウィキドだよ」
睦月が真面目な顔で空に頭突きを食らわせる白い物体を見つめる。ウィキドは「キケケケケ」と品はないが愛嬌ある声で笑った。
「あの白いの、ウィキドっていうの?初めて見た…星宿町にはあんな動物がいるんだ…」
子どものように目を光らせて感心する明を見て雅也は驚く。
「睦月嬢…春風はウィキドを知らないのか?」
「う、うん。多分」
「誤算だな。まさか知らないとは…」
目をキラキラさせる明に反して、雅也はため息をついた。
「春風、ウィキドについて教えてやりたいが、今は時間がない。手短に奴の恐ろしさだけ教えてやる」
「恐ろしさ?どこが?かわいいじゃない。無害を体現したような外見だよ?」
空がそいつに殴られたことは記憶の彼方だ。
「ヤツを見ろ」
雅也が言葉に焦りの色を浮かべる。
疑問に思いながら明はウィキドの行動を見る。
ウィキドはしばらく空の腹に頭突きして、空の『くの字リアクション』を楽しんでいたが、空が魂が抜けたようにぐったりすると、頭突きするのに飽きたようだ。すると空の足を持って上空5メートルくらい上がったと思うと、ゴミを捨てるようにグラウンドに落とした。空が頭を地面にめり込ませているのを見て、再び「キケケ」と笑った。
「分かったか?奴の恐ろしさが」
「よく分かったよ」
カワイイ顔して凶悪なことしやがる。ウィキドはそれだけでなく、空が動けないのをいいことに、ズボンに油性マジックでう○この落書きをして大笑いした。
(悪魔や…)
「っぱあっ!!」
空が地面から脱出する。すでに彼はボロボロだ。
「くっそー!好き勝手やりやがって」
痛む首をなでながらウィキドに悪態をつく空。
ウィキドが舌を出して空を挑発する。
空は簡単に挑発に乗った。
「キーッ!!ナメやがって!!おい、雅也!オレ最初っから本気でいくからな!止めるんじゃねえぞ!!」
空はポケットから銀色のハーモニカを取り出すとウィキドに向けてかざした。ウィキドは「なんのつもりだろう」と首を傾げた。
「ふわぁっ!空くんダメ!その子には使う必要ないよ!」
「バカ者!熱くなるな!あとのことを考えろ!」
「バカって言うなァ!!ナメられたまま終われるかよ!!オレのケツに落書きしたこと、後悔させてやる!」
「お尻が本当にフケツになったね」
「転校生も後でしばき倒す!!」
空がハーモニカに力を加えると、ハーモニカのフレームが紅に染まる。まるで炎を宿したかのように。
「!?」
明には見えた。
睦月にも雅也にも見えるだろう。空の周りに紅く燃えるようなルーンフォースが発生している。ルーンフォースから感じられる空の生命力が空気に伝わって辺りを震わせた。
「ギ…」とウィキドが狼狽える。
「アクセサリーモード解除!タクティカルモード」
空が命令する。ハーモニカは形状を変え、両刃のブレードに変化した。
「剣になった?!」
明は目を丸くして驚く。
空はポケットから一枚のカードを取り出す。厚さがあり、表面には『A』の刻印があった。
「あのバカ…!」
雅也は舌打ちして、首のロザリオを外す。
空は『A』のカードをブレードの柄に挿入する。ブレードの刀身に一列で埋め込まれた紅い宝珠が輝き、中で光の粒子が回転した。
ブレードに収縮する空の紅いルーンフォース。宝珠に吸い込まれて回転するルーンフォースは、回転速度を上げるたびに増幅していく。
「いくぜ。ドライブ!!」
叫びと同時に柄の引き金を引く。
【Drive up! Blade form】
『トリガー』から発せられる音声。直後に空の体が輝き、光の粒子が体に纏っていく。
同時にルーンフォースが爆発したように空気や校舎を揺らす。衝撃波と目映さで明は事態を直視できなかった。
衝撃波も輝きも落ち着き、明が目を開く。
そこには深紅のマントに身を包んだ剣士、空がいた。衣装が替わり、明らかに先ほどとは違う雰囲気を発している。それが空のルーンフォースという生命の源であり、直感的に感じ取ったということを、明はまだ気づいていなかった。
空は怯えるウィキドを睨みつけ、ほくそ笑んだ。
「へっ!今更オレのすごさに気がついたみてぇだな。でももう遅いぜ。おめぇはオレのピリオド全開な剣捌きの餌食になるんだからな」
明は何が何だか分からなかった。
転校直後に夜の学園に連れてこられて、ウィキドという不思議な生物に出会って、空が変身した。
今日一日はいろいろな体験がありすぎてごちゃごちゃ混乱している。
とりあえず直感的に理解できることは…。
「いくぜぇ…オレがお前らみんな、一気にシールしてやんよ!!」
今までの自分の常識が大きく覆された。




