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56話 長社決着

投稿します。

お楽しみ頂ければ幸いです。


黄巾軍十万に長社を包囲され、三日と経ち、今晩で四日。

官軍を殲滅せんと直ぐに攻勢に出ると思いきや、敵は逆撃を危惧してか、一向に攻撃の兆しがない。

しかし、官軍の不安を煽動するには十分な行動。

毎夜夥しい数の松明と篝火を焚き、今にも攻めんと恐怖心を煽り。

東西南北の城門外には大盾部隊が待機し、騎馬の勢いを殺す手管。

加えて城内の兵糧は既に尽き、兵三万の戦意は削がれ始めた。

そして、援軍は来ぬ。

何よりも官軍の士気が落ちる要因は、そこであった。

今再び夕刻が訪れ、陽が沈み始め、城壁の外では恫喝の様な篝火の数々。


「聞け、勇士達よ」


だが左中郎将、皇甫嵩の戦意はいささかも衰えず。

腰の三尺剣を手に、彼は城壁にもたれ掛かる者、地へ腰下ろす者へ語る。


「諸兵らは城外の賊共を恐れている様だが、私は毛程も恐れてはおらぬ。何故だか分かるか」


顔を見合わせるだけで、彼らは語らず。


「戦は兵馬の数でなく、変奇の数で勝敗を決す。されど見よ、賊は変を知らず奇を軽んじ、自らその身を処刑台へ差し出した。私は、この日を待ち侘びた」


兵だけでなく軍吏までもが顔を見合わせ、皇甫嵩へ包拳礼。


「将軍、如何なる心算で斯様な言を」

「賊共の居る地を見、天を感じろ。草原にて陣を敷く事、兵法に疎き者とて如何に愚かであると分かろう」


城壁で皇甫嵩と共に黄巾軍を睥睨し、夥しい篝火が見える中、その火が微かに揺れた。

風。

微風はやがて強風へ至り、軍吏達は思わず声を漏らした。

そして、激。


「天機来たり! 見よ諸兵、賊は強風で倒れた篝火の始末だけで慌てふためいておる。今ここで火計を用い、焼討すれば賊は総崩れと成し、我らの大勝となろう」

「お、おおっ!」


軍吏が感嘆と興奮の声を漏らし、それは官兵にも伝線。

意気消沈は意気衝天へ。

兵卒とて今の状況を感じ、圧倒的に有利な立場を自覚した。

瞬く間に歩弓手は火矢を番え、騎兵は打って出る準備を万端に。

あとは皇甫嵩の命令のみ。

そして手に持つ三尺剣の切先は、敵陣へ。


「全軍! 火の玉となり打って出、敵尽くを薙ぎ払え!」


鬨の声と共に、官軍は城門を開き黄巾軍の陣へ吶喊。

既に倒れた篝火は乾燥した草木に広がり、強風も相俟って黄巾軍の陣へと襲い掛かる。

黄巾軍は自陣の出火で既に混乱状態へ陥っていたが、そこへ追い打ち。

官軍の弓騎兵と歩弓手の火矢。

火矢は草を焼き、人を貫き、陣を燃やし。

睨み合っていた両軍の戦は、一方的な阿鼻叫喚を以て始まった。


そして、その北西十余里に凡そ五千の軍兵。


緩やかな傾斜の上に立つ軍団の掲げる旗は、曹。

曹操 孟徳。

彼女は五千の軍団の先頭に凛然と立ち、口元には笑み。


「華琳様、仰られた通り黄巾の陣より火の手が」

「ええ秋蘭。皇甫中郎将は予想通りの人物と、証明されたわね」

「深慮、恐れ入ります」

「当然よ。それに、我が子房の献策だもの。的中して然りでしょ?」

「か、華琳さまぁ」


満足気に語る彼女の傍らで、猫耳を模した頭巾を被る少女、荀彧の顔に喜悦。

しかし実に嬉しそうな顔を見せる彼女とは裏腹に、曹操の右側に居る夏侯惇はいじけ顔。

今度は自分の番とばかり、うずうずと主を窺っていた。


「そう急かさないの、春蘭。火と混乱が敵全体に回ったのを見計らい、頃合を見て私達も仕掛けるわ」

「うう、今仕掛けては駄目なのですか」

「駄目に決まってるじゃない。損失を減らし功名を得るために、華琳さまの精鋭をむざむざ失う訳にいかない位、脳筋には分からないのかしら」

「なんだとぅ、誰が突撃しか能がない脳筋猪武者だ!」

「そこまで言ってないわよこの馬鹿」

「ふんっ、馬鹿と言う奴が馬鹿なのだ!」

「なんですってぇ!」

「はいはい、二人共そこまでになさい」


二人を宥め、私は悪くないこいつがと目で訴え掛ける彼女らに嘆息しつつも、黄巾本陣を見、良しと呟く。

機。

今ぞと身を翻し、曹操は指示を飛ばす。


「秋蘭、兵二千で黄巾本陣の波旗目掛け、疾く先端をこじ開けなさい」

「御意」

「凪、真桜、沙和。三人は各々五百を率い、秋蘭を援護して本陣までの道を確保せよ」

「はっ!」

「季衣と桂花は、私と共に黄巾本陣へ進みましょう」

「えっ、華琳さま御自ら、ですか」

「ええそうよ。これは豫州の命運を左右する戦、私が戦場に赴かないでどうする。それに、季衣が私を守ってくれるのでしょう?」

「はいっ、絶対ボクが華琳さまを守ってみせます!」

「ふふっ、頼もしいわね」

「あ、あのう華琳さま、私は……?」


おずおずと不安そうに伺う夏侯惇に、あらと曹操は意外そうな表情。

彼女は何時もの自身満々な笑みで、言い放った。


「春蘭はこじ開けた戦線より敵将の首を獲り、私の為に武功を立ててくれないのかしら?」


不安から安閑へと転じ、そして喜色に富む。

彼女は揚々と愛刀を掲げ、曹操へ軍礼。

夏侯淵以下の将も軍礼し、声を揃えて宣言。


「必ずや華琳さまの為にッ!」


そして彼女達は、敬愛する主の為に駆ける。



「ええい取り乱すな、落ち着いて事に当たれ!」


黄巾本陣、十余万の徒を束ねる将帥は波才。

皇甫嵩と朱儁の軍を分割するよう仕向け、朱儁率いる一万を撃破し敗退させ、皇甫嵩を長社へ誘敵し城内に閉じ込め、兵糧攻めまで指揮した張本人。

その張本人にして頴川黄巾軍の将帥、波才は焦燥に駆られていた。


「最早陣の消火は無理と心得、全軍で打って出た官軍の対処に当たれ!」

「し、しかし司令官、既に黄邵様が即刻消火の命を全軍に! 今命令を出せば、指揮系統がその、乱れ……まして」

「あ、の 大愚めがぁッ! 敵を前にして消火などと抜かしたのか!」


歯を剥き出して剣身を地へ突き刺し、肩を怒らせる。

そうしている間も、同志の体躯は肉片と化し、血風と変えられている。

首を、胸を、腹を背を四肢を穿たれ。

父母より賜りしその身を炎で宿し。

軍馬に轢かれ果てて逝く同志達。


「あああ熱い、熱い! だっ誰か、誰か助けてくれぇっ!」

「報告、ほうこーく! 北西より曹と夏侯の旗印を確認、その数四千から五千!」

「火、火が、敵がこっちにぁぐっ!?」

「つ、続けて南東より朱の旗印を掲げた一軍を確認! 先日撃破した朱儁軍かと!」

「かっ、何曼様は官軍の皇甫嵩の手により討死なさいましたぁっ!」


喚声が木霊し、戦場には悲鳴と怨嗟の協奏曲。

もう、報告の声など耳に入りはしない。

この戦は負けだ。大敗と言ってもいい。

天を仰いだ。

―――おお、おお天よ、神よ。

この強風は、蒼天を幇助するものか。

この狂風は、黄天に掣肘を加えるか。

我らの創世を認めぬてか。

我らの所行を嘲笑おうてか。


「一日、たった一日で洛陽への道が潰えてしもうた。情けなし、なんと情けなしッ!」

「司令官……」

「即刻全軍に伝えよ。官軍は無視し、速やかに陽翟まで退却せよと。急げ!」

「は、はっ!」

「退却、たいきゃーく! 全軍陽翟まで退けぇぇぇッ!」


金を鳴らし、黄巾兵は蜘蛛の子を散らす様に逃げ始める。

波才もまた、馬に跨り一目散に疾駆。


「敵将逃げるなッ! この夏侯惇と尋常に勝負しろ!」


後ろで女の勇ましい声が聞こえるが、それどころではない。

勝負する暇など無い。

義理もない。


「ええいどけ雑兵、貴様ら束になっても私に敵うものかっ!」


女は黒剣を振るい、藁を斬るが如く兵を薙いでいた。

それでも黄巾兵は剣を構え、槍を突き出し黒髪の女へ立ち向かう。

波才を、己が信ずる司令官を逃がす為に。

己を救った、歌姫達の為に。


「死せよ、死せよ、黄天の為に!」

「死せよ、死せよ、歌姫の為に!」


ギリ、と。

歯軋りの音が明瞭に響き、波才は背後で戦う同胞に目をくれず、逃げて行く。

心中で同胞に謝意を、示しながら。


―――そして西方の彼方に逃げ、波才は人心地が付いた心境だった。


崖沿いで地に起伏がある間道を通り、振り返る。

撒けたのか、追手は来ない。

だが東の空は未だ明るい。

東の空が陽の様に明るいという事は、まだ本陣は交戦中ということ。

逃げ遅れた同胞が、火の中で殺されているという事実。

心が折れそうになりながらも、それを振り切る。


「……ッまだ、まだだ。黄天創世の為、この腐った世を糺すまで俺は負けられんっ!」


引き連れる兵に向け、何よりも己に向けて叱咤。

安閑とした気持ちを引き締め、再び陽翟に向け進発。

兵が、己の姿が惨めたるものだが、まだ諦めない。

こんな不運はもうない。否、起こさせない。

まだ己は戦える。

まだ、まだ。


「―――やれ」


だが。

この世はかくも、

浮世に鬼なしとはいかず。


突如火矢の雨が、崖上より降り注いできた。


「ぎぃっ」

「ぐあっ」


頭蓋を、首を、胸元に幾多もの火矢を受け絶命していく。

斃れた同胞に一瞬だけ目を向け、崖上を見上げると波才は目を見開いた。

我らは敵だと言わんばかりに旗幟鮮明とする軍旗。

それは姜、高、馬の旗印。

そして、董旗。


「天水の董卓軍かッ」


理解に達し、董卓軍は正解とばかりに銅鑼を打ち鳴らし、鬨の声が響く。

同時に二射目。

向かってくる矢を剣で払い、応戦の指示を飛ばそうとした。

が、その二射目で、波才の乗る馬体に突き刺さり、落馬。

本人はもんどり打ち、土塗れとなった。


「しっ、司令官!」

「大事無い! それより董卓軍に対処を……ッ」


目を向けるが、遅かったのか。

董卓軍は既に崖を駆け下り、黄巾兵へと雪崩込んでいた。


「ぉおらぁっ! 我が白銀の豪撃、その身に受けてぶっ飛びやがれ!」

「遠慮なく無様に死ねオラァ!」


十字槍を、斧槍を振りかざし。


「趙子龍の槍捌き、とくと味わえ!」

「馬超が従妹、馬岱だって負けないんだから!」


次々と化物の様な強さを持つ者達が現れ、黄巾兵を刈り取っていく。

味方は既に半数が斃れ、士気も皆無。

剣戟は多少でしか響かない。

兵同士ですら打ち合う事すら叶わず、斬られるのだ。

右往左往となり、逃げ出そうとする者も討たれ。

誰も彼も、逃れる事叶わない。


「ここまで、なのか」


不運は度重なるもの。

しかし、それは人が強くなるための試練。次なる試練に挑む教訓の様なもの。

だがここで、この事態。


「我らにはもう、次は無いという事なのか」


最早茫然自失となり、剣を持つ手がダラリと下がる。

複数の黄巾兵が波才を守る為に立ち塞がっているが、波才は自嘲気味に笑んだ。

もういいと、呟いた。

兵が驚いたように振り向く。


「司、令官? 今なんと」

「もういいと言ったのだ。最早、これまで」

「弱気な事仰いますな! 俺が、俺達が司令官を命に変えても逃がしてみせます故!」

「もう無理なのだ」


ザリ、と背後で足音。

悲鳴と罵声で彩られるこの場でも、それはハッキリと聞こえた。


「頴川黄巾軍司令官、波才と見受け致します」


女の、声。


「東中郎将董卓が臣、姜伯約。戦うか、降るか選定せよ」

「し、司令官お逃げを!」

「我は奸賊へは降らぬ。故に、戦う」


下ろしていた腕を上げ、女、姜維へと向く。

しかし、と波才は紡ぐ。


「我は戦おうとも、今この場で生き残る黄巾兵の命の保証、確約して頂きたく」

「……確約しましょう。私の武名に賭して」

「そんな、司令官!」

「もういい。お前達の気持ちは有難いが、我の為にここでその命を散らせたくはない。然れども我は、これ以上の失態を、生き恥を晒すべからず」


剣を構え、黄巾兵の制止の声を無視し姜維へ歩み寄る。

止めるな、動くな、これは命令だと発す。

泣きそうな顔をしていようが、波才は止まるつもりはない。

駆けた。

剣を振り下ろし、薙ぎ、様々な軌道で斬り掛かっていく。

五合、十合と打ち合った。


「見事。賊将とはいえ実に見事」


だが、姜維には届かず。

下からの斬り上げをした所で、三尖槍が剣の腹を弾き、軌道は真横に逸らされ。

三尖槍が波才の横腹を穿った。


「ッ、グ」

「司令官! テ、メェぇぇッ!」


波才が膝を付き、腹を押さえるが向かって来る黄巾兵に掌を向け制止。

我を裏切る気か。

気迫の篭った眼で見られ、黄巾兵は後退り。

横腹を押さえ、口元から紅い雫を垂らすが、波才の顔には笑み。

そして天を仰ぎ、刮目。


「無念、無念なり! 然れど我らが歌姫よ、この波才は貴女達の為に戦えた事、いと幸せで御座いましたぞ!」


言うや否や、手に持つ剣を首元まで寄せ。


勢いのまま振り抜き、彼は自害した。


「……賊ながら天晴れ」


倒れ、血溜まりの中に沈む彼に瞑目し、敬意を表し包拳礼。

黄巾兵は剣を落とし、膝から崩れ落ちて慟哭した。

慟哭が伝わり、周囲で戦う黄巾兵も波才の死を知り、戦意は完全に喪失した。

その中で、姜維は高らかに宣言。


「頴川黄巾軍が司令官、波才! 董卓が臣である、この姜伯約が討ち取った!」


その宣言は全軍へと伝わり、黄巾兵は次々に戦意を喪失し、遂には剣を落とす者さえ居た。

彼らからは最早、戦う意思を感じない。

董卓軍、馬超軍は戦闘を止めた。

大人しくなった者を捕縛し、陽の様に明るい空下に向け進発する。

皇甫嵩、朱儁、曹操の居るあの地へ。


かくして頴川黄巾軍は、この戦いで万の兵を討ち取られ壊滅と相成った。


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