54話 蠢動、長社籠城
ひと段落したので投稿します。
楽しみにして居られた方、お待たせしました。
お楽しみ頂ければ幸いです。
ではどうぞ。
司隷の大都市、長安。
土は荒く水質は塩分を含み、資材の調達も難しいかの地は、世辞にも住み易いとは言えなかった。それでも民が未だこの地に居座るのは、西周を経、秦を経、そして漢の高祖、劉邦より受け継がれて来た先祖代々の地を守るためか。
或いは、かつて王都として栄えたこの地への未練か。
或いは、黄巾賊襲撃を恐れての保身故か。
―――ともあれ、街々の活気を失えども廃れども、未だ酒屋があるのは、高祖の恩恵か。
「のう、お主はどう思う」
「……」
「ふんっ、愛想の無い輩よのう」
語り掛けるも真向かいの男は無言。双眼を隠すまで伸びた前髪の所為で、感情は疎か表情さえも悟れない。この道中彼に話しかけるも、反応は極めて薄く、最小限の言しか発さない。
つまらぬ、と、卓上の杯に注がれた酒を呷り、喉を過ぎると渋面。
かつては栄えた都も、時代と共に酒は甘露さえも失い、風化した。
もとより、この地の水を元に醸成された酒など、飲めた物でもないが。
「譲殿の命でなくば、この陰気男と斯様な辺境地へ赴くなど」
そこまで言い、不健康な程に白く、肉付きのある手で口を覆った。その拍子に内側に着込んでいた宮服が僅かに見えた事から、彼の身分が高いことは瞭然。
故に、至らぬ失言が何処で誰に聞かれ、如何なる経路で宮人達の耳に入るか、分かったものではないからこそ、言を謹んだのだが。
薄く施された化粧顔に、汗かかぬ様心中を穏やかにしている最中、ふと前を見れば庶人の服を着込んだ男が、対面する男の隣へ。
「董卓軍、馬騰軍は弘農を通過し、既に河南へ」
「……応」
「ほ、ほ。野蛮人共は流石、行軍が速い」
対面する男は立ち上がり、脇に置く剣を手に取った。
それを合図に、互いに笠を被り、酒代を卓上に置くとその場を後にした。
「さて。では忌々しくも愛しい友と、再会といくかの」
弛んだ頬を緩ませ、宮人 趙忠は長安城の西門へと赴く。
目的は西方。
大事な大事な、お仕事の為に。
「大盾部隊、槍兵の前へ! その身で敵の勢いを止めよ!」
官軍へ突撃する黄巾兵、一万五千。
歩兵で構成された彼等は亀の様に閉ざす陣を蹂躙すべく、槍を突き出し吶喊。
その先にある皇甫旗と朱旗を目指し、土煙を巻き上げ、大盾を構える官軍へ一直線。
勢い殺さず、突き出された槍は盾へと吸い込まれ―――金属音と共に静止。
吶喊を止めた大盾部隊は数歩押し込まれたが、それのみだった。
「今だ突けぇ!」
馬上の男に指示され、今度は官軍の大盾部隊背後に控えていた槍兵が動き、合わせて大盾部隊は盾を横へ傾く。
そのほぼ同時、盾の合間より突き出された槍は敵の躯体へ吸い込まれ、大地を朱に染めた。
ある者は体勢を崩し盾の間よりすり抜け、勢いのままに転び、その隙に槍兵より串刺しにされていく。
そして再び大盾を構え、黄巾兵を待ち受けるが眼前の光景を目の当たりにし、敵には尻込みする者や構わず突撃しようとする者。それらで分裂された地点を見逃さず、指示。
「敵陣綻びたり! 左軍、三百騎で駆け上がれ!」
「鼓を打ち鳴らせ! 左軍が駆け上がった後、偃月陣で中央突破し長社に乗り込め!」
穎川郡の黄巾賊を討伐すべく軍を動かすは左中郎将 皇甫嵩と、右中郎将 朱儁。
突撃する黄巾兵は大盾で再び防ぎ、後ろの槍兵で屠るという手順を繰り返し、皇甫嵩は三尺剣を前方へ。
官兵は鬨の声を上げ、皇甫嵩、朱儁に追従し黄巾兵を薙いでいく。
勢いを完全に挫かれた黄巾兵は次々に討ち取られ、無数の骸が大地に転がされると黄巾兵は敗走し、長社に立て篭っていた兵も逃げ始めた。
「賊共が退却していくぞ、そら追い討てぃ!」
朱儁の命で官兵は逃げ行く黄巾兵を追う中、ふと皇甫嵩は速度を緩め、逃げ行く黄巾兵を見、眉を顰め疑心。
妙だ、と思った。
幾ら勢いを挫かれたとはいえ、逃げる判断が余りにも速くはあるまいか。
「どうした義真、何故馬を止める」
「公偉、おかしいと思わんか。賊軍の敗走が余りに呆気ない」
「討伐より我が軍は連日連勝、敵は我等の勢いに呑まれたに過ぎん。それより奴等を早く追い討たねば、後の禍根を残すぞ!」
「いや待て、やはりおかしい。どうにも引っ掛かる。ここは追撃を見合わせ、しばし」
「ええいならば義真、お主は三万の兵で空いた長社を占領し待機しておれ。俺は残りの一万を率い賊共を追い討つ!」
剣を掲げ、朱儁が続けと叫ぶと、逃げ行く黄巾兵の追撃を仕掛けた。
制止の声を掛けようと思ったが、朱儁の言の通り、あの数の敵を丸々逃せば禍根を残す。ならばせめて、長社を占領した後、隊の再編成を行った上で朱儁の援護に向かうべし。
「我等は長社に乗り込むぞ!」
皇甫嵩の指示に従い、兵達も追従して長社へと乗り込んだ。
しかし敵は既に逃げ去った後。城内をくまなく索敵したが敵影見えず、難なく占領出来たと思った。
ならば城壁に、占領の証として官軍の旗を掲げよう―――と思い、ふと鼻腔を掠める香り。
焦げる様でいて、香ばしい香。
しかし嗅ぎ慣れた匂い。皇甫嵩はその匂いが何か、瞬時にして悟った。
「……兵糧が焼ける匂いか。賊め、我等に渡さじと焼いて逃げおったのか。燃え広がっては拙い、直ぐに消火せよ」
「御意!」
入城の際には煙は視認出来なかった、つまりまだ燃え始めた段階という事。
兵糧の処理を徹底されていなくば、運良くば、まだ使える兵糧があるかもしれない。
行軍に支障をきたさぬ程度の量は持ち行き、後は廃棄とすべしか。
「報告、報告で御座います!」
しかしその皇甫嵩の思慮も、伝令兵の言によって遮られる。
「どうした」
「北より正体不明の大軍がこちらへ進軍しております!」
「なに?」
身を翻し、兵の導き無しに北門の城壁へと登り、彼方を見やった。
配置した城兵達がざわつき、そして正体不明の軍を視認した時、皇甫嵩は驚愕した。
掲げられた波旗。
そして徐々に見え始めた黄巾。
雲霞の如き押し寄せる大軍。
兵馬は、十万以上か。
「―――なんと。謀られたのか」
己の迂闊さに表情を歪め、やはりあの時、と拳を握り締めた。
しかし悔やんでばかりも居られず。
「これでは公偉が追うた先も……なれば、そこな五名!」
「は、はっ!」
「そなた等、直ちに南門より出て、周辺諸侯に援軍を求めて参れ。早急にだ!」
「御意に!」
鎧の擦れる音と共に駆け出し、見送ると皇甫嵩は矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「しかる後に城門は全て閉ざし、弓兵は城壁にて待機! 歩兵は石材を運び、防戦の準備をせよ!」
「将軍、ここは撤退を、どうか退却なさいませ!」
「ならぬ。これが彼奴等の狙い通りなれば、我等が逃げた先に伏兵や地形を駆使した罠に遭い、どの道同じこと。ならば」
篭城して暫し時を稼ぎ、誰ぞ駆け付ける者と共に内外から攻勢に。
その機が来るまで、しばし耐えようとも。
その機が来るのを信じ、戦おうとも。
皇甫義真。背を賊徒に見せるを良しとせず。
「司隷に入り、小規模とはいえ既に三戦黄巾党と交わしたぞ。都の防備はここまで穴があるのか」
「……ちょっと面倒」
「恋殿、詠に進言して行軍を止める進言をしましょうか」
ふるふると首を振る呂布に、陳宮は心配そうな面持ちを見せるが、別に疲れている訳でもなく。それでも尚「包み隠さずねねをお頼りくだされー」などと言っている。呂布の麾下は何時も通りの光景だと、一馬身離れて触れずにいた。
かくいう臧覇も、陳宮の無茶な言に敢えて触れようともせず。
「ま、馬騰殿の軍が居るのがせめてもの救いか。私達の軍だけでは、面倒この上ない」
「薺っ、おまえからも詠に進言するのです。恋殿がお疲れ故、ここらで行軍を止めるようにとっ」
「おっとねね君。冗談とはいえ、そこまでだぞ」
「冗談などではないのです!」
「尚駄目だろ」
ぐぬぬと唸る眼前の過保護軍師の額を手刀で制し、げんなり顔を浮かべた所で前方より伝令か、騎兵が一騎。
馬上にて軍礼を済ます彼に呂布が首を傾げた所で、董卓よりの言伝を預かったという。
曰く、
「姜将軍をお呼びです。至急来られるようにと」
呂布が臧覇の顔を窺い、彼女は何事かと眉を顰めるが詮索は後にと思慮。
魏続を遣い、すぐ後方にいる姜維を赴かせる旨を伝えた。
「お呼びですか、月様」
姜維が中軍へと着いた頃には主、董卓の面々の他に高順も居り、趙雲、程立も居た。
姜維の到着に頷くと、董卓は重々しく開口。
「今し方、穎川郡の皇甫中郎将より伝令が来られました」
「……して」
「十万余の黄巾軍に包囲され長社に籠城、至急援軍を求むと」
十万。
その数に思わず周りを見るが、皆は既に聞いた後か、少々苦い顔を浮かべるのみ。
己と高順が召集されたという事は、兼ねてよりの行動に移せという事なのだろう。
しかし、これは余りに。
「戦力差があり過ぎ、ですね」
「……はい」
「私が、高順さんが此処に居られるということは、そういう事ですよね」
「……はぃ」
董卓には最早、蚊の鳴き音の声しか出せない。
本来ならば董卓自身が全軍を率い、援軍に向かうべきだろう。
しかし最優先は司隷の賊掃討。加えて司隷に入り既に三度の戦闘。
もし全軍で穎川に向かえし時、賊が都を襲撃したとなれば。都の何進が防ぎ切らねば。
即座、天下に董卓不義と唱えられるだろう。
また、皇甫嵩に援軍を寄越さない場合も然り。
「……ごめんなさい」
だからこそ、姜維と高順。
元は馬騰とのいざこざ。神坂に示唆され、軍中騒乱の罰として皇甫嵩への援軍の繋ぎ、のつもりだった。
しかし軍令により元の命を撤回する訳にもいかず。故に彼女は指示を口にすることを憚り、ついには閉口気味になってしまう。
ここで二面作戦を敢行する。
だから、千五百の兵で黄巾十万に立ち向かえと。
自殺行為とも取れる言葉を、口には し辛い。
「向かいます」
しかし彼女は躊躇うことなく開口。
「これは既に課せられた命。軍規乱さず、決してここで撤回なさいませぬよう」
「睡蓮、さん」
「ただ願わくば、どうかひなたさんだけは。月様のお側に置かれますよう」
「はい待ったー」
この場に似つかわしくない、平坦な声。
神坂。
董卓と姜維の間を手刀で遮り、彼は呆れた様に嘆息。
「言うと思った。勿論自惚れとかじゃなくて、睡蓮さんなら言うと思った」
「ひなたさん」
「残念だけど今睡蓮さんが言った事、俺が既に月さんや詠さんに言って、否決させるようにしてるから、無駄だよ」
「な、そんなっ」
嘘だと董卓と賈駆を見るが、彼女らは首を横に振るばかり。
つまり、肯。
「そんな。何故」
「逆なら、どう」
だから彼の問いは、聞きたくなかった。
「俺と睡蓮さん。立場が逆なら、睡蓮さんは納得してくれた?」
「……それは」
こんな卑怯な問い掛けをするのは、分かっていたから。
「悪いけど俺は嫌だ。自分の言った事の責任も、それで大事な人を守れないのも、両方御免だ」
「……ずるい、です」
「うん。俺は小賢しくて小狡い、小人なんだ」
そこまで言ってません、と、姜維は苦笑を漏らした所で、控えていた高順は肩を竦めた。
董卓は若干悲壮な表情を浮かべていたが、賈駆がその肩を支えた。
そして趙雲と程立は、微笑み。
「姜維殿の弁上ならば私の従軍も然るべき、でしょうな」
「あやや、ならば風も赴かねばなりませんねー。行かねば厳罰、でしょうか」
「ちょっ、二人共何を」
「よもや断ってくれますまいな、神坂殿」
ニヤニヤと笑む彼女には拒否すること出来ず。
素直に、その"好意"を受け取る事とした。
「主さんよ、アンタが思っていた事と多少違った展開になっちまったろうが、もう仕方ねェ。諦めろ」
「ふむ……?」
「もういいよ、ていうか黙ってろ。それより詠さん、馬騰さんの方は」
「断れないわよ。アイツ戦事に関しては頑固だし、そもそも有り難い申し出なんだから、受けるしかないわよ」
「ですよね」
たはーと諦めの表情を浮かべる彼に疑問を持ち、姜維の怪訝な顔を察したのか、賈駆は「ああ」と得心。
何のことはない。
馬騰より協力の申し出だ、と言った。
曰く、
「騎兵五百と馬超、馬岱を供出するって。意図はどうあれ、断る謂れが無いしね」
とのこと。
誤字脱字、感想ご意見あれば、宜しくお願いします。




