50話 一気呵成、西涼の雄
遅くなりましたが投稿。
お楽しみ頂ければ幸いです。
前軍の張旗の下、戯志才は素直に感心していた。
流石、涼州出自の董卓軍。己が知る中原の官兵よりも精強であるのは、行軍だけで明瞭。
加えて一軍を率いる各将は具に観察するまでもなく、勇力、気鋭に満つ勇将。
しかし、だからこそ解せない。
これだけの軍を擁していながら何故、董卓は貴重な糧秣を割いて屯田だの民草基準の施策だのを施行するのか。剰え賊の降伏を全面的に受け入れ、屯田兵に組み込む。そして古来の施政を踏襲せぬ形である故、一万足らずで中原派兵。
……しかし、それを微塵も意に介さぬその余裕が、少しだけ気に入らなかった。
「そないな強面、幽鬼も裸足で逃げ出すやろな」
「……幽鬼に足があるか、甚だ疑問ですが」
「ん? そら、そか」
表情に出ていたらしく、直ぐに引っ込めた。
驍将、張文遠。
彼女の軍監として戦に出る事は、何よりも有益である。
練度の高い兵、神速縦横の騎馬軍。
その用兵術をしかと目に焼き付け、先々への糧とさせて頂こう。
己が真に使えるべき、主君の為に。
「将軍」
麾下の呼掛けに反応すると同時、空馬に乗り換え斥候に出ていた内の三騎が視界に。
しかし三騎の様子を捉えた瞬間、スッと張遼の目が細まった。
一騎は眼前、残りは中軍と後軍に。
疾く駆けつつも、粛々として静々の動作。
顔には、僅かながらの焦燥。
手に持つ偃月刀に、力。
「流石、華雄。戦の気には人一倍敏感っちゅーとこかいな」
斥候の報告を聞くよりも速く、少し離れた戦友の隊は、既に臨戦態勢。
その余りにも迅い行動に、張遼は尊敬の念と共に苦笑を贈る。
「―――そう、ならば張遼、華雄の二将に伝達。各騎兵五百を率いて先行し、左右側面より敵の臓腑を食い破った後、反転して再挟撃せよ」
行軍進路より北東三十里、武装黄巾軍凡そ三千を確認。
なんの偶然か、黄巾軍の進行先は恐らく、董卓軍と馬騰軍の合流地点、新平。更に言えば近隣の邑々を襲う心算であろう。
ともあれ、報告より陣形も何もない軍勢だが、態々堂々と突撃し、こちらが兵力を削る謂れは決してない。で、あるなら。
「次いで後軍の臧覇にも伝達。千の兵を率い、機を計り二将軍と共に敵を殲滅せよ」
軍礼の後に斥候兵は後方へ駆け、神坂は はたと疑問。
「投入する兵力がやや少なめですね。それじゃ敵に逃げられる可能性が」
「複数程度なら風評にでも利用させて貰うわ。でも、ま、逃げられるというのはまず無い」
何故と訊くが、彼女はさも当たり前の様に言い放つ。
我等は既に此処に居る。理由は以外に語るに及ばず、と。
「長生福祥 平等互恵 天下太平」
「蒼天已死 黄天當立」
便利な言葉だと思った。
小さな爭いが県を巻き込み、県は郡へ、郡から国へ。宛ら小火が大火へ進展するが如く。
大義名分は既に挙げられ、義憤だの義侠だのと嘯けば、愚かにも人は付いてくるのだ。
一部妙な奇声を発す者達がちらほらと見受けるが、さして問題は無い。言ってしまえば己は元々追い剥ぎ、野盗の類。なし崩し的に部隊長格と相成ったが、精神異常者よりタチが悪い存在であるのは、自覚がある。
しかしただ一つ問題である、食い物。
今迄在った食糧、邑々を襲い横奪した糧秣は既に無く、これより先、この大人数を養うに武具は兎も角食糧が無い。
……なれば、考えるまでもなく方法は至極単純。
「この先の邑々より食糧を寄贈させて頂き、民草の為に起つ我等を労って貰おうか」
言ってしまえば略奪そのもの。
あわよくば女も、と失言はすまいと口は噤み、後ろに居る連中は歓声で応え、男の顔には冷ややかな笑み。
―――馬鹿な奴等だ。
大義の前の小義であると発せば、皆嬉々として奪い合う。
言葉とは便利だ。
中には本気で世を憂いて起った者も居るが、大義、万を救うが為と言えば納得する。
やることは匪賊そのものであるが、そんな意識はすまいて。
人とは所詮、楽を求めて行く者。
今や真っ当者が損をする時代。
何時かは皆々欲望に塗れて行くのだ。
「さあ、いざ」
疾駆せんと手綱を握り、馬刀を握り締めた。
無秩序な並びの中で窮屈を覚えるが、目的の中で気に留めるに値せず。
地を蹴り一気に駆け行き、土煙を起こし馬蹄が平野に響く。
左右側面から。
「あ―――?」
首を向けると、千の軍が左右より迫り寄る。
董旗を、紺碧の張旗を、漆黒の華旗を掲げ。
兵装からも味方とは思える筈もなく。
猛然と突き進む軍の先頭には、凶々しく光る得物を持つ女。
接敵、と誰かが叫んだ。
鋒矢陣を敷いているが、それが黄巾軍に解ろう筈もなく。
慌ただしく臨戦態勢に入り、各々拡がろうとするが、それ以上の余裕は与えてくれず。
これより起こった事は明快。
軍は一切速度を緩める事なく、紅い華を次々に咲かせていく。
「ぉおらァ! 眼下の敵片っ端から斬り捨て一点突破や!」
「惰弱な賊兵共、この華雄の名を手土産に疾く逝け!」
疾く、疾く、只疾く。
肉片舞い、血飛沫舞い。
偃月刀と戦斧は遮る者から次々と血で染め、騎兵は人など在って無き存在が如く、馬脚を一切緩めず駆け抜ける。
左右からたかが騎兵五百、されど騎兵五百。
悲鳴と断末魔が木霊し、黄巾軍の殆どが戦々恐々へ陥る。
一歩退かば偃月刀。
一歩進まば戦斧。
無秩序に固まった人集りは進退窮まり、部隊長格の男は恐れ慄き、迷わず口にする。
「戦っ、ひ、退けえぇーッ!」
合わせて千の騎兵。自軍の半分以下の敵に何故か戦え、とは叫べなかった。
凄絶な光景を目にした男に最早戦意などあろう筈も無し。男の顔には驚怖に恐怖。
何処へ、とも言わず先頭の男は一目散に駆け出す。釣られ、黄巾兵も蜘蛛の子を散らす様に次々と追従して逃げて行く。
何処でも良い、何処だって良い。
左右より斬り込み、敵が人壁を突き抜けた今が好機。
いきなり現れ、兵を尽く屠り往く化物を、剣掠る事さえ叶わぬ化物より逃げれるなら、何処でも。又襲われる前に早く、早く。
―――然して、恐怖と絶望の連鎖は止まらず。
背後より、金の音。
銅鑼、鬨の声。
「臧宣高推参。敵将、潔く干戈交えようぞ!」
「趙子龍見参! 我が槍舞、とくと御覧じれ!」
背後より現れたのはまたもや董旗に、新緑の臧旗。
背後の新手に一瞬気を取られ、しかしその一瞬で逃亡の足を緩めたのが凶であった。
たった今突き抜けた騎馬軍の二つが、反転して左右より再突撃を敢行していた。
「逃げんなボケェ! 観念して大人しく首差し出せェ!」
遠くで関西弁の女が捲し立てて居るが、意に介す暇などない。
左右より挟み込んで来る騎馬軍の所為で、兵が思う様に逃げれない。加えて、背後より迫り来る新手。
血風が鼻を掠め、徐々に敵と己の距離が縮まって行き、一つの考えが頭を過ぎる。
死。
それを認識した時、男の精神は限界だった。
「ひ、ぁ ああぁぁぁぁッ!」
そして今度こそ、男は無我夢中で逃げ出した。
「かっ頭っ! 俺は、俺達はどうすりゃ―――!」
もう、知った事ではない。
愚かな連中を利用するのも、邑を襲うことも、頂にて指示を出し悦に浸るのも。
後ろに居る兵を見捨て、男が完全な自己保身に走った時、馬はついぞ脚を緩める事なく平野を駆け抜ける。
逃げる男はもう一切振り向かない。
背に受ける悲鳴や絶叫が増え、段々と近くなる錯覚。
是にも、背後では凄惨な光景が広がっているのだから。
「御母堂。斥候役なぞ某に任せ、本営にお戻りを。お嬢が心配召されます」
「聞かないと知って言うもんじゃ無いよ、令明」
「はい」
騎兵が六騎。
平野の中で四騎は先頭の男とその一馬身前の女性の後ろに控え、付近を警戒する中、先頭の二騎は散歩するように馬を歩ませている。
「しっかし遅いねぇ。何処ぞ寄り道でもしてるのか」
「恐れながら、某等も先刻到着したばかり。急いても仕方ありますまい」
「わーってるよ、言ってみただけだ」
馬の鬣の様な髪を靡かせ、器用に馬の背に寝転ぶ彼女は空を見上げ、令明と呼ばれた男は溜め息一つ吐くと脱力。
「あの子達は元気でやってんのかね」
「御心配召される必要はありますまい。涼州出自の者、そこまで柔ではありませぬ」
「言ってみただけだ。だが、まぁ」
久しく会うのが楽しみだ、と言う彼女であったが、突如がば と起き上がり、矛を手に取り首をコキコキと鳴らす。その様子に男が眉根を寄せるが、彼女の身に纏う空気の変化を感じ取り、後ろの四騎へ手のみで合図を出し、散開させる。
「数は如何程ですかな」
「あー、まぁ四十と十、合わせて五十辺り、かもねぇ」
声元に顔を向けず、遠く彼方を見やると僅かながらの土煙。
黄巾を纏った者達、騎兵歩兵合わせその数四十がこちらに向かって来る。
更にその後ろ、黄巾兵を追うようにして十騎が追撃に。
追撃、なのだがその割に距離が縮まらずに駆けている。
「相も変わらず、御母堂の的確にして野生的な気配察知には敬服致す」
「お前も出来んだろ、これ位」
「御母堂程正確では御座らぬ。―――して、如何致しますか」
「決まってんだろ。この洒落た贈り物を有り難く頂戴しとくんだよ」
肩慣らしにゃ丁度良い。
彼女が言うや否や、馬を駆り出し男と、後ろの四騎も後に続く。
黄巾兵も前方の六騎に気付き、敵意を剥き出しに接近する事から敵だと認識し、慌てて馬刀や槍を構える。
「先頭の奴は令明が刎ねてやんな」
「武功、頂戴仕る」
令明と呼ばれた男は先駆け、馬刀を振り上げ真っ直ぐ向かって来る男に向かい、
すれ違い様にその首を刎ねた。
斬られた瞬間、男の顔には真の絶望と恐怖を味わった様な、その上で嗤っていた様な顔をしていたが、令明にとっては気にする事柄ではなかった。
首を亡くした胴より血が吹き出し、その後ろの兵が悲鳴に似た声を漏らすが、令明は気に止めることなく馬首を返し刎ねた首を長刀、朴刀で突き刺し肩に担ぐと腰の曲刀を抜く。
それを見、彼女は呵々大笑。
「か、頭ぁっ!」
「人よかテメェの心配しな」
馬の鬣の如き髪を靡かせる女性は黄巾兵の中に斬り込み、更に他の者も斬り込んで行く。
黄巾兵を追って来た十騎は少し離れた場所で止まり、その内の一人、臧覇は口元を綻ばせ愉快そうにそれを見やる。
「流石、相も変わらず凄まじい」
一振りで胴を裂き。
一突きで首を穿ち。
馬上にて地上での槍舞が如き変幻自在。
嬉々として斬り往く姿は、悪鬼羅刹。
彼女に掛かれば、黄巾兵など野兎同然。
後ろの九騎と共に緩々と馬を歩かせ、臧覇が彼女の前に行く頃にはもう片がついていた。
返り血を数滴顔に張り付かせながら、彼女は破顔。
「洒落た贈答品、然と受け取ったよ臧覇」
「久しく。お気に召して頂き、何よりで御座います馬騰殿」
軍礼で相する彼女は、西涼の雄 馬寿成其の人である。
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