47話 難事なる勅命、破落戸の隊
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お楽しみ頂ければ幸いです。
漢の命脈既尽きしと言えど、勅は人の残心燻り、命に伏さす。
漢人であるなら従属が尚更だが、漢人胡人に関わらず、その命に服さぬ者なら逆賊と見なされようと致方ない。それが勅命を操る宦官十常侍であれ、大将軍何進であれ、気に入らない相手と言えど服さねばならぬ。天水の朝廷官市場斬刑は中央に対する示威と牽制だが、反逆と従属のギリギリな綱渡りには違いない事を、董卓と賈駆も理解はしていた。だから、事前に勅が下される事を知り、叛意無しと示す為、此度はそれを謹んで拝命するつもりでもあった。
使者から、この勅を下される前までは。
東中郎将董卓、兵を纏め左中郎将皇甫嵩、その軍従事馬騰と共に司隷周辺の黄巾賊を討伐されたし。
並びに豫州穎川郡、荊州国境の黄巾賊掃討を命ず。
「……参ったわ。まさかここまで難題を押し付けられるとは」
玉座の隣に立つ董卓軍軍師、賈駆が瞑目の中文武諸官の前で愚痴を零すが、誰一人としてそれを咎める事をしない。使者が詔勅を携え跪く董卓へ下知し、本来前者のみが下されるであろう勅は後者の余分な内容までも含み、その場に居た皆々に同じ気持ちをさせた。
「今回の出征、今までで最も厳しく至難であることを、皆さんは心してください」
玉座より皆を見渡す董卓。文武諸官は両手を前に包み出す事で応じる。
「この勅で主の出征に随行する人員を改めないといけない。元々共に随行する将は天水で待機していたボクを含めて呂布、張遼、華雄、張済。そして陳宮と荀攸を参軍とし、兵五千を随行させるつもりだった」
「その人員、変更せずの出征は不味いのか」
「華雄将軍、これは不味いと言うより、厳しいと言っても良いの」
「私の見解では今回敢行すべき軍事は大きく分けて二つ。一つ、司隷周辺を皇甫中郎将と、西涼の馬騰殿と共に黄巾賊討伐。そして豫州穎川郡、荊州国境の賊掃討。しかしこれが"並びに"という表現で勅が下されている以上、最悪この二つの軍事を並列に、即ち一つの軍事として、つまり同時に各々兵を分けて敢行すべし、という事になります」
「それで別郡に兵を割けねばならぬ事態もある故厳しい、か」
「然り」
姜維の言葉で納得の意を示す華雄、そして他の文武諸官もこの難題を再認識した。
留守を任せる将兵、執政の代行。どうバランスを取るのか。
「しかし難題であればこそ、至難であればこそ、乗り越えた時が大きい。留守を任される者は精励恰勤、随行する者は獅子奮迅の気概を以て自体に当たりなさい」
その言葉に御意、と皆が礼をし、賈駆は手元の書を広げ、中の内容に目を落とす。
「そこで今回私に随行する将兵、参軍ですが、多少変えることになりました」
「即席で考えた内容だけど、概ねこの人事で出征を行う。しかし直前で変更もするかもしれないから、そのつもりで皆心して聞きなさい」
そして彼女は読み上げていく。
随行将軍、呂布、張遼、華雄、臧覇、姜維。
随行参軍、賈駆、神坂、陳宮、荀攸。
兵数、騎兵四千、弩兵、槍兵、戟兵含め、歩兵五千。計九千。
「んで執政代行が楊阜、鍾繇、杜畿、張既、他の豪族出自の文官。待機する部将が張済、樊調、徐栄の三将軍。天水に兵五千弱の待機」
「おいおい大丈夫なのかその兵数で」
「他の三郡と馬賊への懸念で兵を割けないといけないし、兵数はこれがギリギリ。三将軍が居れば天水は大丈夫だろう。それに今回の出征人員の構成を見る限り、勇将精兵揃いだ。詠さんはこの勅で董卓軍の武威を大陸に示すのが目的だろうよ」
「そこまですんのか、あの眼鏡」
「ま、とは言え中郎将が九千の兵で出兵じゃ、陰口厭味の一つや二つは、覚悟しないとね」
鼻で笑い斧槍を肩でノックさせるは、今や神坂の腹心たる高順。言葉を耳で受けながらも彼には向かず、歩きつつも眼前で発せられる幾多もの掛声へ意識を集中させる。
「次、平舞花槍」
「平舞花槍!」
高順の声で掛声の基、総勢五百の兵が同時に掛声を発し、決して狭くはない練兵所に響音彼方此方に聞こえる。槍を構え平舞花槍の型、防御術に見せかけての攻撃的槍法、連貫快速で両手を槍の中段で握り頭上に上挙、後に頭の上を水平に回す槍法。
「拿槍、拉槍」
「拿槍、拉槍!」
再び高順の掛声で兵が動き、その通りの型を作る。一見一糸乱れぬ様に見えるが、一部の兵の動きが遅れて見える。神坂は目聡くもそれを見付けるが、口と耳は高順へ向けたまま。
「仕上がりはどう、高順」
「二月間で兵が二分まで減っちまったが、まぁ、アタイの調練に耐えれるならこれで上々かもな」
「十分だ。それで今回の出征、この兵五百も随行させることとなった」
ピタリとその足を止め、思わず神坂に向いてしまった。同時に兵達の掛声が止み、指示を飛ばさない教官へ目を向ける。
「おいテメェ等ァ! 誰が動き止めろっつったよあぁ!? 専行罪でドタマ吹っ飛ばすぞコラァ! 指示飛ばねェ時はどうすんだっけなぁ、なぁ!?」
斧槍の石突を地へ叩き轟音。脅迫とも取れる言動に怯えつつも、各兵は槍を地に捨て左右隣の者が素手で組手を始めた。その様子に神坂は苦笑いをし、高順は怪訝な顔で彼を直視。
「本気で言ってんのか、主さん」
「本気だ。出征兵九千の内、この五百を随行させる許可は詠さんから下りた」
「コイツ等の場合、初戦は手頃な賊を相手にした方が良いんじゃねェのか。陣形は疎か、大部隊連携なんて無理に決まってんだろ」
「そんなの百も承知だ。だから今回は主に伏兵、陽動、遊軍等の役割として働いて貰う。それに賊相手に、この五百は不釣り合いだ」
「……ああ、成程。そりゃそうだ」
言いつつ、兵を見渡していく。よく見れば正規の兵にしては強面悪相の者が群を抜いて多い。神坂と高順が意図して集めた訳でも無く、言ってしまえば、厄介者の集まりを押し付けられたのだ。
上官不敬に命令不服従、軍規違反。最近獄に繋がれた者さえ居る。
そんな者達が二千五百、練兵を成り行きで任され、一任された神坂も最初は渋ったがその中に連なる者、厄介者の烙印を押されるに至った内容を知り、半ば強引に高順へ練兵を引き受けさせた。
まぁ、それも高順の調練により兵は五百にまで減り、脱落した二千は強制労働という名の下、屯田兵として各地に派遣した訳だが。
「最初全員ブッ殺してやろうかと思ったが、今居るのは破落戸にしちゃ中々骨あるの奴等だ」
「今は大人しく従ってるけど、最初は酷かったもんねぇ。余りの不敬で高順が初日に二十人骨折させたし」
アレは酷かったと遠い目で彼方を見、高順は斧槍の石突で彼の脇腹を小突く。そんな二人のやり取りの中、組手をしている兵の中に何もせず屹立する五百の中の二。先程遅れて槍を振るっていた二人。彼等はただ神坂を睨めつけるが如き視線を送り、組手を行わずに居た。
それを見咎めた高順が口を開こうとするが、肩に手を置き遮る。兵の間を縫い、二人の前まで歩むが彼等は憮然としたまま。
「何か言いたげな顔だな。どうした」
「アンタが、俺等の上官なのか」
「如何にも」
ケッ、と外方を向きわざとらしく呆れた装いを見せる。
「あの高順って女はまだ分かる。強ぇ事がハッキリしてらぁ」
「だがテメェはどうよ。まだ元服過ぎた位の小僧に従い、命預けるなんざ真っ平御免だ」
二人の言葉で口角が釣り上がり笑みを形成させ、神坂の後を追った高順にも当然聞こえ、眉間に皺を寄せた。兵達もこの不穏な空気を感じ取り、徐々に彼等から距離を空けていく。
「俺が誰かは、知っているよね」
「それがどうした」
「知って尚、逆らうつもりか」
「従う義理が無ぇな」
「ならこうしよう」
腰のサーベル二本を後方の高順に放り投げ、二人の内の一人に頬への右拳。虚を突かれ地へと倒れる彼に一瞬目をやり、隣の男が神坂の顔面に拳を振るうが、それを紙一重で躱され、手首と右脚を流れる様に捌かれ仰向けに伏す形で倒れ込んだ。そして立てぬ様、うつ伏せの背に体重を乗せる脚。
「上等だコラァ!」
殴られた頬の痛みを無視し、仲間を踏みつける彼に立ち上がり様に拳を振り抜く。
拳は、事も無げに神坂の額へ入った。
高順の殺気が爆発的に跳ね上がり、斧槍の柄を握り駆け出そうとするが、神坂はそれさえも手で制し彼女を動かさない。
「なんで、避けねぇんだ」
紡ぐのは、拳を振るった男。額に入った拳を動かさぬまま彼を見、その本人は一歩も動かず。
「この拳は殴られた事の怒りか、或いは仲間がやられた事への怒りか。それを確かめたかった」
怪訝な顔で言を受け止め、静かに拳を掴み下げられる。
「お前達、李傕と郭汜だな」
「だからどうした」
「四月、西県の黄巾賊討伐、上官への威嚇脅迫、並びに侮辱罪、乱暴狼藉罪」
「……ッ」
「お前達二人がやったことだ」
脚を乗せられていた男、郭汜を解放すると数歩下がり、彼らを見据えた。
「戦場で敵に囲まれた部下を見殺しにした百人長を戦後、激しく罵り結果、致し方なしと言い張る上官へ暴力に及び、李傕と郭汜両名は一兵卒に落とされ獄を抱く事となった」
討伐は滞り無く終えたが、戦場の一角で起こった顛末。
それを思い出し、唇を噛みながらも彼を睨むが、反応を示さず。
「以来上官への不信感は払拭されること無く、事ある毎に上官不敬、命令不服従に走ったと聞く」
「……何が言いてぇんだ」
「俺が気に入らないか」
その問には、応えず。
「俺は、お前達二人を知りこの部隊の調練を引き受けた」
二人は、怪訝な顔をしたまま。
「先程俺は言ったな。この拳は殴られた怒りか、仲間がやられた事への怒りか。結果、俺は後者だと感じた。他人の為に働く力は、己の為より遥かに強い。李傕、お前は義侠心に厚い男だ。もう強者基準で上官を選ぶ建前など、棄ててしまえ」
「――――…」
「ここに居る者達は皆、元々が気骨ある兵士。だが私情に、感情に走り、李傕と郭汜の様な境遇と同じで此処に居るだけの話。高順の調練で脱落した者達は、只の破落戸だったかもしれない」
皆が、五百の人間が神坂の言に耳を傾ける。
「だが忘れるな、戦は始まれば敵味方も否応無く死ぬ」
誰に言うでも無く、己に向ける言の葉か。
「李傕、郭汜、お前達の怒りは尤もだ。だがその部隊の上官の判断は最上だ」
「テメ……っ!」
「しかしこの隊に於いては最下の判断だ」
郭汜の声を神坂の声が上塗り。
「お前達は、僅かな敵相手に窮地の仲間を救えない程の、弱兵か」
五百の視線が怒気と共に。
「俺と高順は、賊に遅れを取る愚昧な指揮官に見えるか」
しかし咳き一つも聞こえず。
「前者或いは後者を肯と言うなら、遠慮なく除隊を申し出ろ。他の隊への異動を取り計らってやる」
「舐めんな」
返って来たるは、男の応答。
「俺達が、賊相手に臆する弱卒に見えるかよ」
「俺が、俺達の眼がンな曇ってる様に見えるかよ」
憤怒を携えた声は、威風堂々たる彼へ。五百の兵は同感の意と共に神坂に。
「ならば一切をこの神坂と高順に委ね、武技を磨き待命しろ」
高順、と呼掛けサーベル二本を回収し、彼女は自然と姿勢を正す。
「出立の日までお前の全てを叩き込み、必要とあらば高順色に隊を染め上げても構わない。猛勇なる強者に鍛え上げろ」
「ッ、御意」
歩き去る背に無意識に軍礼を取り、五百の兵も思わず軍礼をする中、ふと神坂は立ち止まり背中越しに。
「郭汜、一瞬とは言え、相手を観察する時は槍の動きにも遅延を発生させるな。バレバレだぞ」
微かに聞こえた動揺の声は風に紛れ、彼に聞こえる事はない。
軍が出立するその日まで、兵五百の隊は誰一人欠ける事はないと、確信を持っていた。
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追記:ふと疑問に。読み辛い、必要と思うならば漢字を()で読みを表記しますが、如何しましょう。




