46話 武人の性、出迎後の使者
投稿します。お楽しみ頂ければ幸いです。
活動報告にて心配のお言葉を下さった方へ、この場を借りて謝意を。
ではどうぞ。
「神坂殿。一つ、手合わせをお願い申す」
幾数の文書を脇に抱え一人廊下を歩む中、神坂は真正面より言われた。
相手は白を基とし黄の刺繍が施された服を靡かせる女性、趙雲。
朱色に近い穂先の槍を背に、彼女は神坂が歩いてくるのを見計らい、意気揚々と正面から躍り出たのだ。不敵な笑みを携えて。
対する神坂はしばしキョトンとしていたが、やがてニコリと笑む。
趙雲の顔にも、笑み。城下で悪漢の制圧を見せた張本人、刹那に見せた武の断片。己が董卓軍の客将となる切掛を与えた、張本人。その男が今目の前に居り、己が言葉に笑みを返した。その反応から返答は肯と返ってくると、趙雲は断定していた。
「お断りします」
「かたじけない。それでは神坂殿は用意をば――――…え、は、なん?」
返答と共に神坂が身体の左方を通り抜けてから数瞬。瞬きをしてからその言葉の意味を理解し、趙雲は焦ってその背を追う事となった。
(……やべーあの趙雲に絡まれた)
一方董卓の執務室に早く着こうと足早に廊下を歩む神坂は、そんな事を考えていた。
先程頭に浮かんだ選択肢、壱の快諾、弐の超快諾、参の拒否、肆の超拒否。
幾つか浮上したおかしい選択肢諸共を除外し、参の案で丁重拒否をしたが、尚も半歩後ろの趙雲は食い下がる。先日に行われた実力検査、張遼と趙雲の手合わせで、この手の人間は張遼みたいな武人と同じ部類だと理解してしまった。で、あるならこんな誘いは勘弁願いたい所である。というか確実に虐められるし、面倒な事この上ない。
「待たれよ神坂殿、貴殿はうら若きおなごの誘いを斯様に拒否なさるおつもりか」
「そろそろ広魏と隴西に鍾繇、張既の二名に熟練の文官を数名、扶風には杜畿にすると詠さんに進言して、それからえーと、取り敢えず扶風の把握もして」
「……もし、私の言葉が聞こえていますかな?」
「俺の言葉が聞こえてるなら忙しいって理解出来る筈なんですがねー」
つかつかと早歩きするも背中の趙雲が先回りをしようとし、通せんぼを敢行。
「手間は取らせませぬ、二刻、いえ一刻だけでも構いませぬ故」
「ヤです」
「先日私の実力はご覧になったはず。神坂殿も武人であるなら、私と手合わせしたいと思うのではありませぬか」
「思わないし、第一俺は武人というより文官寄りの人間ですから。戦いたいなら華雄さんか張遼さんにでもっていうか忙しいからどいて」
「ならば」
「だからヤですって」
「神坂殿ッ!」
「何逆ギレしてんの!?」
最近の英傑はすぐに切れる、神坂は肝に銘じた。
「私は、私は貴殿が城下で見せた無手ながらも美しいあの武に! それに惹かれて客将と相成ったものを! こうして神坂殿と話せば、手合わせ出来るものと信じておりましたのに! 斯様に断るとはなんと御無体!」
「知らないよ」
「責任取ってくだされ!」
「知らないよ!?」
状況が飲み込めず神坂の目の前で一人突っ走る趙雲、その言葉で誤解を招くのは……元より知っていたので確信的と言えよう。
その証拠に、彼方からこちらを凝視する二人の女性。
「せ、責任……まさか神坂殿が、星に、そんな」
「何か面白い事に出くわさないかと徘徊してましたが、中々に面白そうな痴話喧嘩を発見しましたねー」
「おお稟、風、聞いてくれ神坂殿がな」
「戯志才さん程立さん、いい所に。友人の貴女達からも趙雲さんに言って下さい」
「抵抗する両の手を神坂殿は組み伏せ星は頬を染めつつ嫌がりながらも"拒んでもなさる癖に"と皮肉るとその服を引き破り」
「ちょ おーい」
「おうおう兄ちゃん、すぐに下がったほうがいいぜい」
は、と腹話術をする程立の人形に聞き返すよりも早く。
戯志才の鼻から大量の血、鼻血がアーチを描いて噴出され、倒れた。
「ちょ戯志才さーん! え死んだ? コレ死んだッ?」
「心配召されるな。いつもの妄想癖です」
「妄想であんな鼻血出んのッ?」
「そういう体質なのです。それより神坂殿、私は貴殿と手合わせをですね」
「はーい稟ちゃん、とんとーん」
「ふが……」
一方で介抱され、一方ではまだ食い下がる彼女。意図したわけでも無いのに、自然と遠くを見つめてしまうのは、何故だろうか。
(……三人共キャラ、濃いーなぁ)
そして目の前で未だ詰め寄る趙雲をどうしようかと、彼は本気で考え始める。
「臧覇、樊調、徐栄、姜維の四将軍が本日討伐任務より帰還します。そろそろお出迎えの準備を」
董卓軍の文官、楊阜は眼前の主董卓とその軍師賈駆へ礼と共に促す。机に積まれた天水を含む各郡の報告書や施策書、それらの竹簡文書で彼女達の顔が隠れそうであったが、それは辛うじて免れている。
「そうね。月、そろそろ切り上げて行きましょうか」
「うん。では楊阜さん、各々にも帰還の旨を」
「御意に。……その、董卓様、少々申し上げたい儀が」
「何でしょう?」
「天水郊外に間諜密偵と思しき者達が出入りしていると耳に入っておりまして、宜しければ私が今直ぐに対策を講じますが」
「楊阜」
董卓に裁可は仰がせず、賈駆が割って入り。
「その件は既にボクが受け持っているわ。貴方は自分の仕事だけを遂げてなさい」
「はっ。出過ぎた真似を」
「それとこの件は一切内外に漏らすことも、専行することも許さない。他言無用であると心得なさい」
「はっ? ……は、心得まして御座います」
では、と一礼して退出。再び二人となった。
董卓は賈駆を見やるが、表情に変化はなく、竹簡を纏めている。
「本当に良いの、詠ちゃん」
「ここらで譲歩しとかないと、アイツ等は本格的に動いてくるわ」
「そうじゃなくて、日向さんと睡蓮さんに……」
「ボクは月を、貴女をこんな所で終わらせたくない。だから月、少しの間で良いから、どうか目を瞑――――」
言の葉を紡ぐ途中、外から侍女の声。神坂と複数名の来訪を告げられると、会話を止めた。
「月さん詠さん、秋の収穫高と各将の新兵の練兵段階報告書、持ってきました」
「私たちは陳情書とその処理方法、各人の戸籍、粗方纏めましたのでその報告に」
「右に同じくー」
神坂から戯志才、程立は文書を抱えて入って来たので要件は察しがつくのだが、心無しか趙雲は拗ね、神坂はゲンナリした様に見えた。
「そう、日向、戯志才に程立も、三人共ご苦労様。それそこに置いたら、薺たちの出迎えに出るわよ」
「賈駆殿!」
「な、なによ」
いきなり詰め寄ってきた趙雲につい仰け反った。というか怖い。
「董卓殿をはじめ、方々が多忙なのは重々承知! 然れどこの趙雲、伏してお願い申し上げまする! 寸刻でも構いませぬ故、どうか神坂殿と手合わせさせて頂けませぬか!」
「え、良いんじゃないの。好きにしなさいよ」
全然伏してないじゃない。そんなツッコミは飲み込んだ。
「でもやるんならコイツの空いてる時間でしなさいよ。こっちも執政が忙しいんだから」
「真ですな! ふ……ふふ、神坂殿、私の勝ちですな」
「ちょ、詠さんや? そこは普段通り "ボク達忙しくてそんな暇無ぇよペッ" って言う場面でしょ」
「日向、歯を食いしばりなさい」
すみません嘘ですと神坂は後退り、凄く面倒くさそうな表情。そして趙雲は勝ち誇った顔。それだけで董卓と賈駆はどういう経緯で、等と問うのは止めた。この男、また張遼や華雄の時の様に手合わせで付き纏われたクチなのだと理解に至る。
結果彼は逃げ切れず、神坂含む城内の全文官を統括している賈駆に采配を委ねたのは良いが、見事裏切られた。
「どーぅせ勝手に期待して勝手に失望すんでしょうねーこんなもんかよーとかさー」
(……ひねくれ過ぎでは?)
(言ってやんないでよ。色々あったんだから)
気になるところではあるが、触れないことにした。元々気乗りしていない相手が更にヘソを曲げると、干戈を交える愉しみが無い。
「あの、その、頑張って下さいね日向さん」
「へぅさ……じゃなくて月さん、どうか君主命令で止めて下さいよ」
「普段私をどんな風に思っているのかよく分かりました。絶対イヤです」
瞬間、彼は膝を折って己の迂闊さ共に絶望した。
(賈駆さん賈駆さん、神坂のお兄さんはもしかしなくても、お馬鹿さんなのですかー?)
(お馬鹿って言うよりアホね、アホ)
(……彼は本当に麒麟児と呼ばれているのですか?)
(アレよ、コイツは色々紙一重なの)
こんな彼女らのコソコソ談義も、彼の耳には届かない。
とは言え、慰めの声を掛ける前に復活し、率先して姜維達を出迎えようと心機一転して退出した彼を、誰も咎めるべくもない。
新緑の臧旗に連なり、緑青の姜旗の他に臙脂の樊旗、紅藤の徐旗が天水北門を潜る。
郊外の民と天水城民はこれを歓声と諸手を以て迎え入れ、軍兵達は鼓を打ち軍礼で迎えた。
共に出兵した兵の数より、帰還した兵の数が多いのは各邑々の志願兵から、免の旗を見て投降帰順を申し出る賊が多い為か。それらは軍兵と共に城門を潜ることなく、場外にて待機した。歓声で迎えられた四将軍は城門から三引余り先の人物達に気付くと、下馬をして歩む。
「皆さん、此度の討伐、真に大義でありました。戦果は伝令より耳に」
「御自らわざわざの御出迎え、痛み入ります」
樊調の言葉で四人が軍礼をし、董卓を含め後ろに並ぶ賈駆、神坂に陳宮達も軍礼で返す。
「引き連れてきた者が多そうね。志願兵と黄巾賊の投降兵が殆どかしら?」
「はっ。なれど黄巾賊の者達、局地戦ではありますが今迄と違い、ちと厄介な所ではありました」
「厄介?」
「然り。兵糧武具が侭ならず、戦闘が始まれど余りに投降が早う御座いました」
「……? それの何が厄介なの」
「それでいて意気軒昂であり、その、熱気冷め止まぬ、と言うか」
「徐栄、それでは伝わらんぞ。詠、その事だが後でまた詳しく話す」
臧覇に窘められ多少呻き、樊調と姜維は顔を合わせて苦笑を浮かべた。
そして姜維の視線は、賈駆のやや後ろに居る神坂に。
「ひなた、さん」
「お帰り睡蓮さん。大事無いようで、何より」
「はい。ひなたさんも大事なく」
ふにゃりと微笑む姜維と安堵する神坂。他の者と大して変わらぬ距離でありながら、二人が遠く感じるのは、何故であろうか。臧覇を含めた樊調と徐栄は肩を竦め、董卓達もまた顔を合わせて同じ反応を示した。とは言え、こちらに目が入らぬ彼に樊調は咳払い。
「神坂副軍師殿、真に労うのは、姜維殿だけですかな」
「え、あいや、そんなこと。樊調将軍方々も、ご無事で何よりです」
「聞いたか徐栄、私とお前は方々で略されたぞ」
「しかと。なんとも差別的な麒麟児殿であります」
「ちょっ、そんな意地悪言わないで下さいってー」
狼狽える彼に「冗談だ」と言った所で、からかわれた神坂はそっぽを向き皆が白い歯をこぼした。
そんな光景を、離れた場所で見る三者。
「成程、あれがもう一人の麒麟児、姜維殿か」
「そんな彼女も神坂のお兄さんにホの字の様ですねー」
「ほ、ホの……」
「稟ちゃん、流石にここでの鼻血は止めてくださいね?」
余所を向いて鼻を抑えるも、地には数滴の血。どうやら手遅れの様だ。
「しかし劉備殿の陣営もそうであったが、ここも中々に面白そうだ」
「確か、星ちゃんはここの前は劉備さんの所でしたっけ?」
「うむ。まぁ正しくはその前に曹操殿の所に厄介となったが、というか風も私と同じだったろうに」
「……ぐぅ」
ああ誤魔化しに入った。取り敢えずは頬を人差し指で押し付ける形でツッコミをこなすが、ふと視界に董卓達に近付く一人の兵。趙雲の記憶では、彼は確かつい最近神坂の部下に配属となった者と聞く。其の者は静かに董卓達に近付くと、一礼して何かを喋っている。
それを聞き、彼女等はあからさまに顔を強張らせた。僅かながらも聞き取れた趙雲も、それを聞いて己の表情も硬くなっていくのが分かった。
聞き取り難かったが、彼は確かにこう言った。
「中央より使者が参られました」
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