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43話 天水の膝下事情

続きを投稿。

お楽しみ頂ければ幸いです。

「遅かったですね。盗人は……訊くまでもありませんか」

「ああ、大した問題も無く警備兵に連行された。だが結局私の出番は無かったがな」


友二人の居る屋台に戻り、腰を降ろして一息。拉麺は明らかに伸びているが、メンマは味も変わらず未だ健在な故、まぁ善しとした。


「残念そうに言う割には愉しそうですねー。なにか面白いことでもあったんですか?」

「それについてだが稟、風、私は決めたぞ」


何を、とは聞かず無言を以て続きを促す。


「今暫くこの天水に逗留し、董卓殿の下で我が槍を振るおうと思う」

「理由を訊いても良いですか」

「なに、至極簡単なことだ。私自身がこの天水に興味を持った、それだけだ」

「それだけですか?」

「だけだ」


天水というより、正確にはこの郡に住まう者。先程垣間見たあの男の武技。

盗人が剣を持つ手に己の手を添え賊の脚を引っ掛けた所までは辛うじて見えた。

そう、見えただけ。

どういう原理で盗人が一回転し、どういう鍛錬をこなせば無手であの芸術的な武技を習得するに至ったのか。そしてただ一目でこちらの手元を見配る、細かい観察眼。己が興味を唆る理由などそれだけで十分だった。

反面、「んー」と双眼を瞑り思案するも一瞬、隣の少女は何気なく聞く。


「もしかして星ちゃん、さてはさっきの麒麟児さんに会っちゃっいましたねー」


その言には応えず趙雲は僅かに微笑みつつも手元の麺を啜った。

それは先刻食したのより、やはり少しだけ美味しくなかった。




「常山郡趙子龍、か」


先程の趙雲と名乗りし者を思い出し、驚の感情を表に出さず飲み込んだ。二三言葉を交わしただけで彼女が大陸各地を放浪し、何故この天水に行き着いたのは定かではないが、名を聞いた時脳裏にある一節を思い出した。

子龍一身都是膽也。

忠節無比にして豪胆なる猛将。

趙雲という名は恐らく偽名や同姓同名では無く、本物だろう。そして今更ながらこの世界は謎だと再認識した。


「さっきの女か。あの痴女的服装を思い出して辟易したか」

「全然違うけど霞さんが聞いたら間違いなくキレるから、それ」


隣で苦笑する張済に気付かないフリをしつつも完全否定は出来なかった。

儒教社会で乱の最中にしてあの格好が出来る精神、正に一身是れ胆なり。


「しかしこの時世に斯様な服装で出歩くとは、世も末だ」

「いや張済さんの奥方も似た様なものと思うんですが」

「鄒の意思故、尊重はしてやりたいのだ」

「それだと霞さんとも……ああもういいや面倒臭い」


壁に耳あり、藪から蛇を出すのは止めることにした。我が身が可愛い。


「して神坂殿は鍛冶工場に用であったな。注文の受け取りか?」

「ええ、小太刀っていう刀ですが、漸く手に馴染む得物が出来た様なので、自らの足で赴こうかと」

「その心掛け、神坂殿ももう立派な武人だな。然らば私はこれにて失礼仕ろう」

「張済さんは今日市へは何しに」

「茶と菓子を少々、な」


え、何でとは訊けず高順共々無言で張済を見つめる。気まずそうに咳払いをするが暫くして余所を向き、聞き逃しそうな程の小さい声で確かにこう言った。


「……昨晩、少々揉めたのだ」


それだけ言うと人々の雑踏に紛れ、その姿を消した。暫し呆然と張済の消えた方向を見ていたが、半歩後ろの高順がポツリと呟く。


「涼州人、関中に聞こえし傾城傾国の美女に尻敷かれ。茶を求めて蓬蓬と赴くも、哀しきかな先々売り切れ、陽を背に泪を以て江を成す。……詩才が無いアタイでも良い詩が出来そうだ」

「やめたげて、マジで」


でもアレ絶対ぇ尻に敷かれてるよな、と高順が言うが、答えることが出来ない。

口元を抑えて憐れむ最中、泪を堪えることに精一杯なのだ。

願わくば、何事もなく彼が無事茶と菓子を買い終え鄒氏と仲直らんことを。




天水を筆頭に涼州、雍州は元々穀物の確保が難しい。

それは牛馬の飼料さえ例外ではなく、時に牛馬を維持せんが為に奪い合いから殺し合いが発生することもある。この秋季に入るよりもずっと前、飢民に食を与えることで多方面への労働力の確保に至ったが、それも近隣豪族や商家へ利を説いての協力あってこそ。荒地を耕地へ、そしてその土地の作物の半分は董卓へ納め、一部の食を民へ、残りは豪族の物とする。商家へは協力の見返りに期間を設けての関税免除と地税の減税、そして何より董中郎将との"繋がり"が出来る事が、商家にとっての利。

しかし利を説いて協力を取り付けたが、これは元々危うい綱渡り。

利を説き理解をしては貰ったが、元々は理を解せず利を求む豪族ばかり。目先の益に捕らわれ援助を切られる恐れもある。

だが今はそれより更に大変なのは、


「隴西と広魏のみならず、扶風まで統治兼任の沙汰。これが狸共の返事って訳ね」


前月には二群を任され、更につい最近には扶風郡の統治、計四郡の統治を任される事となった。漢の臣ならばこれを喜んで拝謝しつつ拝命するが、それは能天気な者に限ってのみ。

今正に黄巾賊の横行と官吏の不正、治安の悪化に金銭面と食糧面の工面、そんな数々の問題を抱えた郡の統治を任された所で、迷惑以外の何者でもない。

今までは内政面で賈駆を補佐した姜維、陳宮、神坂と元々居た文官、孝廉で挙がった者や、神坂から推挙された政治的手腕に長けた者を登用したことで、何とか滞り無く政を行えていた。

だが、それも最近までの話。

現実的に考えても他の三群で天水と同じような施策は未だ行えない。しかし行わずに置けば民からの不満が募り、無理に行うとしても豪族や商家との連携が出来るとは限らず、下手すると国庫は……なんて考えたくもない。


「普通に考えて有り得ないのです。いくら各郡の太守共がぼんくらとは言え、この短期間で我等に三群を任せるなど、ねねたちに過労死しろと言っている様なものですぞ」


執務室の机に突っ伏す少女、陳宮は愚痴りながらも手元の竹簡を手に取っては読み取り、加筆し、山積する別の竹簡にまた一つ積んでいく。


「ごめんね、ねねちゃん。本来は任せなくてもいい仕事を任して……」

「月が謝る必要なんてないわよ。元来の仕事をすこーし多めにやらせてるだけだから」

「後先考えず引き受ける詠は眼鏡カチ割りやがれです!」

「なによやる気!?」

「詠ちゃん!」


そうして精神的負荷もまた一積み。最近の忙しさが募り昨晩家内と言い争いをした張済を見兼ね、本日休暇を言い渡したのを少しだけ後悔しかけたが、仕方なし。


「ていうか日向は何処ほっつき歩いてんのよ、そろそろこっちで政務の補佐でしょ!」

「あ奴ならもう城下の鍛冶工場から戻ってくる頃なのです。そんな癇癪上げてないで大人しく仕事しやがれです」

「月、ねねの休暇は当分無しでお願い」


その台詞が発せられた瞬間、中郎将という肩書きを捨て、始まった第二回の口喧嘩の仲裁に入る少女が一人。神坂と高順が執務室に入る頃には、そんな光景が出来上がっていた。



「――――穀物の値が変動していない?」


ついさっきまで見せた見苦しい光景はナリを顰め、何時もの空気に戻った董卓の執務室で再開された政務は、その話から始まった。


「ん。さっき城下の市をぐるりと廻って見たけど、糧食の価格が先日からまるで変動していない」

「さっきも聞いたが、それ何か問題があんのか」

「問題というより妙ね」


高順の問に怪訝な顔を隠そうとしない賈駆が答える。


「牛を必要とする秋の取り入れが四日前に行われたのを知っていながら、一銭の価格も下がって無いのはおかしいのよ。いくら各地の黄巾党蜂起の所為で食が不足しているとは言え、この地域で穀物の値に多少の変化も起きない、となれば」

「もしかして……誰かが大量に買い占めを」

「月殿の言う通りかもしれません。或いは糧食を、穀物を得ていながら懐に隠し持っているかもしれませんぞ」


また或いは値を釣り上げんがために――――陳宮の言葉で互いが顔を見合わせ、皆が苦い顔をすることになった。

もしそれが本当ならば、行っている者は一人だけでに非ず、複数居る恐れもある。又その者が次に行おうとしていることは明々白々。そしてそれが実行に移されれば、忽ちこの天水のみならず、雍州が食糧難に陥りかねない。


「誰かある」


扉の外で待機していた近衛兵が呼び掛けに応じ、礼と共に賈駆の前へ。


「至急荀攸を此処へ」


諾、と返事をし外へ行き一刻経った頃、一人の女性が礼と共に部屋へと入り董卓の前へ。皆の視線が集まる中、董卓達よりもやや年上であろう荀攸は神坂を視認すると苦虫を噛み潰した様な表情するが直ぐに持ち直し、眼前の董卓へと向く。


「荀攸只今参じました。如何なされました、董卓様」

「荀攸さんに一つ尋ねたい事があります。ここ最近穀物糧食を買い漁る者、若しくは手元に在りながらも、表に出さない者に心当たりはお有りですか」

「はっ。僭越ながら申し上げますが、その者への心当たりならば既に数人目星が」


またもや皆で顔を見合わせ、荀攸の答に多少の驚きがありつつも董卓は尚も問う。


「目星が付いていながら、報告をしなかったのですか」

「恐れながらそれは未だ私の推測と可能性の域を出んが為、発言を控えまして御座います。しかしながら既に董卓様と賈駆様のお耳にお届きならば、事実ということでしょう」


賈駆の眉がピクリと動くが、荀攸は見つめる董卓から視線を逸らすことなく。


「この件の重大さ。荀攸さんは理解していますね」

「はい」


やがて一息吐くと静かに目を細め、董卓は凛然として命じる。


「では誰よりもこの件を察知した荀攸さんに命じます。早急に其の者に注意喚起を促し、市場を混乱させることがない様直接お達し下さい」

「直接で御座いますか」

「然り」

「……心得まして御座います」


慇懃無礼とも思える礼をすると、荀攸は最初に皆の視線を集めた猫耳とも思える頭巾を翻し、外へと退出した。


「相変わらずいけ好かない奴なのです」

「ねねちゃん、そんな事言っちゃ駄目だよ」

「悪いけどボクも荀攸は苦手ね。能力は認めるけど本人の性格に難があるし」

「主さん、毎回会う度アイツにすんげぇ嫌な態度取られているしな」

「むしろ憎悪に近いからビビるわ」


そんな好き勝手な事を言われる彼女は、今では城内の者全てが知る癖者で男嫌いと広く認知されていた。荀家の教えか、それとも育った環境故かは知らないが、取っ付き難い事この上ない人物指定とされている。神坂も彼女に会う度あからさまに嫌な態度を取るからには、それ程距離を縮めて話そうとは思っていなかったが、そうもいかなくなる。




「日向さん、出来れば荀攸さんと一緒に赴いて頂けますか」

「え、月さんマジで言ってんの」

「マジです」


到底出るはずの無い言葉が董卓から出てきた時、何故か逆らえる気がしなかった。


簡単な感想ご意見、誤字脱字の報告お待ちしております。

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