42話 天水城の昼下
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お楽しみ頂ければ幸いです。
的は六つ。
歪な円を描くように取り囲む木製の的の中心で、腰の革帯にある短剣を確かめつつ正面を見据えた。しかし手で確認するも整然と屹立し彼は視線を動かさない。
肩から腕、腰から脚にかけての脱力。
神経を研ぎ澄まし吸、と一息し、動いた。
左右後方斜後へ四本立て続けに放ち、前方にある二つの的に疾駆。腰に佩用する剣――――正しくは"サーベル"を二本同時に抜き放ちすれ違い様に的を穿つ。的を通過した後は刀身を鞘に収め深く息を吐いた。
無呼吸の内に行われた動作、約三秒。
背を見せる彼に腕組みをして木にもたれ掛かる女性、高順はその一部始終を見ており、拍手をしながら近付く。
「や凄ぇ凄ぇ。器用にこなしてんなァ」
「高順だってこれ位出来るでしょ。厭味にしか聞こえないぞ」
振り向いて答える彼、神坂はジト目で見つつ上から落ちてくる木片を掴み投げ付けるが難なく受け止められ尚渋い表情を見せた。
「素直に褒めてんだよ。投擲も急所に命中してるし、斬り捨てた断面も鮮やかだ。数ヶ月で中々こうはならねェよ」
「そりゃどうも。恋さんに霞さん、薺さんに睡蓮さんから華雄さんに高順。これだけの部将から師事受けてこれ位は、ね」
「ったり前だコラ。出来なきゃぶっ飛ばす所だ」
「いやさっきと言ってる事おかしいし」
うっせーよと余所を向く高順であったが、何かを思い出し此処に来た要件を告げると「ああ」と神坂も思い出した。最近また出来た生傷をなぞりながらも、伸びをして歩む。
――――張済さんへの借金、どうしたら良いんだろ。
割と重要な事なのに今迄何も言ってこない彼を何となく思い出し、そんな事を考えていた。
「一瞬ここは本当に天水かと疑いましたぞ」
城下に立ち並ぶ出店露店の中の一つ、拉麺を取り扱う店で腰を下ろす彼女が発した第一声がそれだった。
「雍州とはかくも寂れた郡が多いと聞いていたが、これを見るとその伝聞はでまかせだったと思わざるをえんな。しかし道々で此処を治める董中郎将は厳格な御方と聞き及んで居るが、店主はどの様な方か御存知で?」
「へぇ。しかしあの方に厳格という言葉はちょいと不釣り合いな気もしますがねぇ」
「ほう、不釣り合い」
「あっしは一目見た事があるんですがね、どうにも清楚で可愛らしい娘子にしか見えないでさ」
「成程可愛らしい娘子ですか」
喉を鳴らして笑う白服の女性の傍で、今度はその隣で座す女性が人差し指で眼鏡の位置を調整すると店主に向く。
「しかし此処の統治法の経緯を聞く限り戦禍となり得るかもしれませんが、それでも店主は此処に居座るのですか?」
「いやいやその統治のお陰であっし等は安心して店を構えることが出来、暮らすにも申し分無いんでさ」
「その統治の庇護を目的にして更に人も店も集まる、ですか。確かにここまでの賑わいを見せる限り合点がいきますね。しかしその統治の一つ、屯田制については……」
「その話は道中で聞いたから無しだぞ稟。乱の最中に民を基とした政策など統治者としての器が知れる、であろう」
「然りです。愛民は煩わさるべきなり、孫子に照らすならば董卓殿は人の上に立つ器ではありますまい」
「稟ちゃん稟ちゃん、この城下で堂々とそれを言い放っては風たちはお縄についてしまいますから、その辺で落ち着いてください」
傍らの眠たげな表情を浮かべる小柄な女性に喚起されるとうぐ、と言葉に詰まり謝意を短く済ますと稟と呼ばれる女性を挟む彼女達は顔を見合わせて肩を竦ませた。店主も苦笑いしながらも注文の支度を整え、茹で上がった麺を湯切りする所で何気なく口を開く。
「しかしその統治法だが、董卓様でも軍師の賈駆様でもなく、神坂の坊主の案って噂もありますぜ」
「神坂? ……ふむ、聞かぬ名だな」
「元々臧覇将軍の配下だった奴なんですがね、これがまた変わった奴な上気さくでねぇ」
「ああ思い出しました。確か西県で聞いた天水の麒麟児の一人と聞きましたが、その方ですか」
「へぇ。もう一人の麒麟児って言われる姜維の嬢ちゃ……姜維将軍と同郷の出とも、異国から来た渡来人かもって噂もありまして、まぁ割と風変わりな所がある奴でね」
「その人がここの統治の基盤を造ったってことですかー?」
「さあな、結局の所噂が噂だしそれも定かじゃねぇかもな。って事でホレ、注文した拉麺一つに餃子二つ、炒飯二つメンマ単品一つな」
「おお、かたじけない」
出された料理を両手で受け取り卓に置き並べ、白服の女性が真っ先に麺麻が盛られた拉麺と麺麻のみの二品を嬉々として手元に置いたのを見、稟と呼ばれる女性はげんなりとした。
理由は彼女の視線が向けられた麺麻。嬉々として手元の麺麻を見やる友は大の麺麻好き。否、最近では只の好きというには語弊が生じる程の熱意がある。
……まぁ、その熱意も到底理解出来ぬものではあるが。
「どうした稟、幾らメンマが美味なる物とは言え、見るほどに食べたいなら自分で頼むんだな」
「いや要りませんよ。私は炒飯と餃子だけで十分です」
「なんと勿体ない、一所のメンマは食べねば損というに。風はどうだ? 無論私のはあげないがな」
「もぐ……風は餃子に入ってるメンマだけで十分ですねー。星ちゃんは遠慮なく自分のメンマをご賞味ください」
「何、餃子にメンマが入っているのかッ? 店主、私にも餃子一品頼む」
「どれだけですか貴女」
そんなツッコミも馬耳東風、星と呼ばれる女性は手元のメンマを口に運び恍惚の表情を浮かべた所でツッコミも言う気が失せ、取り敢えず自分も炒飯を食べることにした。
「んで嬢ちゃん等はこの天水に何しに来たんですかい、士官か?」
「ええまぁ、似た様なものです。董卓殿の噂を聞きその為人を確かめに来たというのと、この程立が次に雍州の天水に行こうという意見を元に」
「女三人で旅か、危なっかしいねぇ。まぁでもこの辺りじゃそうそう物騒な事は……っと、噂をすればなんとやら。ホレ、あれがさっき言った神坂の坊主ですぜ」
顎でしゃくり上げた先を振り返り、雑踏の中を振り返ると遠目だが変わった剣を佩く青年に背丈が高めで普通の剣を佩いた男性、そして斧槍を肩に担ぐ女性。
己は武人ではない故定かではないが、背丈の高い男は立ち振る舞いからして恐らく武官。残る斧槍の女性も恐らく武官。そして坊主と呼ばれるからにはあの変わった剣を佩く男が神坂なのだろう。……しかし、
「とてもそうは見えませんね」
眼鏡の位置を調整する彼女の心象とは違い、所々見える生傷から第一印象は"ちょっとやんちゃな青年"というものだった。
「ふむ、あの御仁か?」
「行儀が悪いですよ星」
「何やら変わった趣の方ですねー」
拉麺を啜りながら見つめる白服の女性に、眠たげな半目で向く小柄な娘。店主が言う坊主という青年を視認するがしかし、何れもそうは見えないというのが三人の意見。遠目から徐々に近付きあと少しで背中を通過しようとする三者の内、神坂と思われる青年がチラリとこちらを向くと愛想笑いに似た笑みを浮かべ手を振って来た。店主も手を軽く振ることでその挨拶に応えると、三者はそのまま屋台を通過して行った。
「……確かに気さくそうな御仁ではあるな。しかし何故態々こちらに手を振って来た? 私達の視線に気付いたのか」
「さあねぇ、一昨日食いに来てくれたからかもなぁ」
「それより風はすれ違い様に聞こえた"なら一郎くんと次郎くんは同じ生年月日で両親も同じですが双子ではないと言います。それはなぜでしょう?"という問が気になります」
「……三つ子だからじゃないですか?」
「……ぐぅ」
「寝るなっ」
おおっと反応を示し「妥当に言われて思わずうとうとと」とそんな訳あるかと小柄の娘に突っ込む眼鏡の女性。これが割と何時もの光景だと周りは思うまいが、店主は苦笑の真っ只中。麺麻盛りの女性もそうだが、今日は変人の多い日だと思って諦めることにした。
「あん?」
そんな諦めの中先程神坂達が通って来た通りが何やら騒々しい。いつもの城下の喧騒とは違い、悲鳴と罵声が聞こえる。それが徐々に近付き屋台の前を喧ましく通って行った時、それは見えた。
男が片手に剣を持ち麻袋を抱えて走る姿。
人を押しのけ剣を振り回して抱える麻袋の中身は銭の擦れる音。近くで聞き取れた者はその男が剣を持って銭を抱えているとなれば、何をしでかしたかは想像に易いだろう。現に数名の警備兵が怒声を放ちつつ約二引に続いて追っている事から疑う余地はない。
「やれやれ……この昼時に無粋な」
「行くんですか?」
「見たからには見過ごす訳にもいくまい」
箸を拉麺の容器の上に乗せると背に担いでいた朱の槍を手に、星と呼ばれた女性は駆け出す。
「姪、ですか」
「ああ。私に姪がいる事は以前話したと思うが、神坂殿にはその姪に少し教鞭を振るって欲しいのだ。それで金子の件は無しで良い」
「張済さんがそう言うならそれで……でも何故俺に」
「初めは姜維殿に頼もうと思ったのだが、姜維殿は今では将軍職に就かれ多忙。その上教養の高さなら神坂殿が一番と仰ってたのでな」
「あーそゆこと、でも俺も忙しいんですけど……」
「だから時間が空いた時で良い。頼む」
隣を歩く目上の張済にここまで言われ、頬を掻く動作を見せつつ了承した。城下の鍛冶工場への用を済ます為に赴いて来たのは良いが、非番であった張済に偶然捕まり今に至る。まぁ、安くはない金子を教育という形で返せるのならそれはそれで僥倖かもしれない。
「しかし高順殿は相も変わらず神坂殿の護衛とは、精が出ますな」
「仕方ねェだろ。コイツの今の身分が身分だし、一人で勝手に出歩いて事件なんぞに巻き込まれて見ろ。賈駆と臧覇に何言われるか分かったもんじゃねェよ」
「ふ……げにも」
「それなんて過保護」
鼻で笑う彼女に同意を示す張済だが、神坂は依然釈然としない。理解と納得は別物なのだ。
「っつーかさっきから後ろの方が騒がしいんだがよ、何か起きてんのか」
「なに、そうなのか」
「高順の感覚も相変わらずだね……言われて今気付いたよ」
振り向いて見ると確かに何時もの喧騒とは違う、緊張と焦燥が空気を伝って来そうな喧しさ。だが人々が道の中央を開け男が駆けるのを見た瞬間、納得した。
手に持つ剣に抱える麻袋。
時折後ろを振り向きながら必死に走る男。
凄まじい速さで後ろから追う白服の女性に、更にその後ろを走る警備兵。
……なんともいと分かり易い状況で、張済が静やかに剣の柄へと手を伸ばすが高順がそれを手で制す。
「主さん日頃の成果の見せ所といこうか、あの馬鹿巧い具合に沈めてやれよ」
「何を馬鹿な、危険……でもないか。神坂殿なら」
「だからさっきと言ってる事おかしいって。何かあったらどうすんの」
「何も起こらねェよ。今の主さんなら」
渋々ながら「まぁそうだけど」と言うも、素直に立ち塞がる神坂は十歩圏内に近付くまで男を待つ事にする。
「む?」
騒ぎを聞いて道中央を開ける中、警備兵よりも疾く駆ける白服の女性は己に追われる男よりも先、遠目にて待ち受ける青年に気付く。
先程屋台の後ろを通り過ぎた青年、確か名を神坂。天水の麒麟児と謳われる一人。
友が言うには雍州に入った時期に耳に入り始めたと聞く。
止める気か、あの逃げる男を。
(……ほう、腰の物を抜かずに抑える気か)
腰に差す二対の細剣らしき得物を一切抜く気配が無い以上、素手で抑える気なのだろう。
――――麒麟児の一人、神坂か。
口元に微笑を浮かべ、沸々と湧き始めた興味は速度を緩めるといった行動で心情を表す。
そして神坂と男、互いの距離が十歩圏内に入った。
同時に神坂は、緩やかに前へ。
「退けおらぁッ!」
無造作に出された剣は眼前の神坂に向けて振り落とされ、
神坂の四肢が一瞬素早く動き。
交錯して男へと掴みかかった瞬間、
宙へ舞った。
「――――…は」
一回転して背中から地へと落とされた男は咳き込む最中、神坂の背後に居た女性に腹を踏まれて悶絶した所で、警備兵が白服の女性を通り越して神坂達の下へと向かう。
警備兵が男を取り抑えた三者を視認するや否や、その貌を驚きに染め急いで駆け寄ると低身低頭張りの態度で、
「おっお手数お掛けして申し訳有りません神坂副軍師殿っ!」
苦笑を以てそれに応える彼は視線の先に居た白服の女性……否。趙雲を視認すると手を挙げて挨拶する。
また会いましたね、メンマ好きの人。
そう語り掛けられ趙雲は数度の瞬きをした後、愉快そうに笑う。
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