40話 変わりゆく日々(肆之巻)
投稿します。
楽しんで頂ければ幸いです。
広魏の境付近。北東には森林に囲まれた隘路、南東はやや起伏のある丘といった複雑な地形となっている。此処は天水領には違いはないが、広魏は董卓の統治外である為境を超えただけでも越権行為と見なされる。故、これより先には誰一人として通すわけにもいかない。
小高い丘の上に紺碧の張旗を靡かせる陣の内部は慌ただしく、しかし粛々と作業をこなしていく。
その中で、文書の入った筒を背に天幕へ駆け込む兵が一人。
軍礼を素早く済ませると背の文書を目の前の女性、張遼へと差し出す。彼女は筒から中身を取り出し文書に目を通すとその目を細め、駆け込んできた兵に指示を飛ばすとすぐ近くにあった椅子に座り込んだ。
そしてその顔には、愉快そうな笑み。
「そかそか。月も詠も思い切ったことするやん」
「将軍、董卓様からは何と」
「まぁ読んでみ」
手渡され、副官と部下数名もその文書を覗き込み、記された内容を理解すると表情は驚愕に染められる。
「例の上邦から逃げた朝廷の阿呆んだら引っ捕まえて天水で処罰。後半は戦後のこと書かれとるけど、こら愉快痛快や」
「暢気な事仰ってる場合ですか! 下手したら私共は逆賊と見なされるんですよ!?」
「月はそないな事分からん阿呆やない。それに詠が認めたっちゅう所見ると、何か思惑があるんやろ」
「その、思惑とは」
「そこまで知るかい」
立ち上がり、偃月刀を肩に担ぐと天幕の方へと歩む。
「せやけどウチは主と軍師を信じとる。例えそれがどんな結果になっても付いてく、それは変わらへん」
「将軍」
「まぁ後々厄介な事になるんは確かやけどな。その前にお前ら天水に帰ったら軍役、解くか?」
「まさか」
彼らは声を揃えて唱える。
「我等張将軍麾下、如何なる時もお供致します」
「……今逆賊云々言うとったのは?」
「それはそれ、これはこれです」
「調子えぇなぁ」
ニカリと笑う彼らに張遼は喉を鳴らして笑いその背を向けた。
――――良い部下に、恵まれた。
「ほな行こか。隴西の華雄ん所はもう決してるやろうし、ウチ等も早いとこ片ぁ、付けたろやないか」
応、と返事と共に天幕を出ると、そこには馬を携え剣を佩き、弓を背に持ち軍礼をする董卓軍精兵達。彼等は張遼に視線を向けるとその指示を待つ。
「ウチは難しい事はなんも言わん。命令は唯一つ」
紡ぎ、偃月刀を彼方に向け、彼女は内に秘めたる激を飛ばす。
「黄巾のボケ共片っ端から斬り捨てぇ! 一人でも境越えさせたら全員飯抜きにすんで!」
張遼の激に応え、雄叫びを上げる兵達に出陣の命を飛ばすと自らも愛馬に跨り出陣した。
目的は十五里の南西に位置する、黄巾賊。
それ等を斬り捨てんと驍将張遼は馬を駆る。
(……文書が早馬で此処来るのに凡そ一両日、ウチ等が決着付けて天水戻るんは五日前後)
と、なれば。戻った頃には文書に書いていた件は全て終わっているかもしれない。
まぁ。だからと言ってどうした、という訳でもないが、張遼はふと留守の時を思い出し嘆息をもらす。
(ウチにも姜維や神坂みたいな、そういう部下が一人位欲しいなぁ)
帰ったら詠に打診してみよう。
それだけ考えると張遼は兵を率い、荒地へとその身を乗り出した。
「今日、ですか」
「ん。董卓様から路銀も下賜されたし、今日此処を発って武都から梓潼を経由して成都に向かおうかなって」
天水城内の一室。法正に充てがわれた部屋は綺麗に片付けられ、状態は前とほぼ同じ状態に戻された中、旅支度を済ました法正の前には姜維と神坂。しかし二人は見送りに来た訳ではなく。最近目にしていない法正はどうしたのかと思い部屋を訪れ、今日発つ事を知り驚いたのはほんの少し前。
「でも急だね、今日なら今日と教えてくれても良かったのに」
「いやホラ改めて別れの挨拶とか性に合わないし、董卓様には挨拶したし、このまま去ろうかなって」
「水臭いじゃないですか。見送りくらいさせて下さい」
「その気持ちは有難いんだけどねぇ。決心揺るぎそうだし」
「決心?」
訊き返すが有耶無耶に誤魔化され二人が首を傾げた所で法正は笠を被り、部屋の外に出るのを見て二人もそれに続いた。そこで壁に背を預けていた高順と目が合い、法正は軽くお辞儀した。
「よォ。お話は済んだかい」
「あーども、本日旅立たせて貰いまーす」
「みたいだな。けど何れ敵に回るかもしれねェから今、此処で斬っちまおうかと思ってんだが、そこんとこどうよ主さん」
「駄目に決まってんだろ」
「すみません勘弁してください」
冗談だ、と高順は言っているが彼女の性格上冗談に聞こえないからタチが悪い。
「ていうか二人共仕事は? やることあるんじゃないの?」
「あるよ。でも今日は最優先の予定があるからそれが終わってからになるね」
「伯っちとの逢瀬?」
「残念、それはこの間した」
姜維があぅあぅと狼狽する傍で、「え、マジでいつの間に」と法正は目を丸くした。しかし神坂は肩を竦めただけでその予定の内容を告げると、途端に法正は納得した。
「そろそろかもね。城内に伝令が来るの」
「どうだい嬢ちゃん、それ見届けてから往くか?」
「血生臭い旅立ちはノーサンキュー? だけどね」
「なんだそりゃ」
意味が分からず怪訝な顔をするが、この言葉の意味を分かるのは神坂と法正のみ。
するとひと呼吸間が空くと、彼方からこちらに向かって走る音。
共に戦場に赴き、何度か面識がある臧覇麾下の兵。
その姿を視認しただけで四人は遂にその予定が来たと、確信した。
天水城北門を三十の兵が潜り、更にその兵達の中央に馬二頭で牽かれる木製の檻。その中の人間は手枷を付けられ獄装の姿をしていた。北門付近にいた住民や商人は何事かと集い、次々と見物に来る者が後を絶たない。
「おいなんだ、あれは」
「お前知らねぇのか。董卓様が出したお布令のこと」
「お布令? まさかあれがそうだってのか」
何処かの住民が話し、再度檻の中の人間を見るが瞬く間に連行されて行きその姿が見えなくなるのにそう時間は掛からなかった。
直に兵と馬が歩みを止め、目的の地へと着いた。
場所は市場。
そこには段差付きで建造された木造の壇場があり、その壇上には椅子に座する董卓、その横に賈駆。他にも呂布と臧覇を筆頭にした武官数名に、陳宮や楊阜といった文官数名も。
「来たわね。罪人を此処へ」
「然と」
賈駆の指示で武官側にいた張済が三十の兵で囲まれた檻を開けさせ、男の首襟を掴み筵の上まで連れて来させた。勿論市場は野次馬達でごった返してあり、人がこの先に侵入出来ない様立ち塞がる兵も居る。
その立ち塞がる兵の中に、神坂や姜維、高順が仕事として居た訳だが。
法正は神坂の眼前に位置しており、笠を指で押し上げ始終を見守らんとしていた。
「……アレがそうなんだ」
「そ。兵や城民を見捨て上邦から逃げ出し、王双という人の母を殺し戦に発展させた者だよ」
法正に顔を一切向けることなく罪人と呼ばれる男を見、しかし人がこの先に行かぬ様注意も払う。
その中で筵の上に座らせられた男は壇上の董卓を見上げ、その目を厳しくさせる。
「董中郎将、貴女は何をしたか理解しているのか」
「罪状を読み上げる。中平元年三月、以下の者は朝廷より派遣された身でありながらその任を全うせず賊に備える事もなく、敵前にて逃亡し城民と軍兵を見捨てた事に申し開きはあるか」
「数で劣るからには戦略的撤退も止む無し。董中郎将、直ちにこの枷を外されい」
「戦略的撤退と謳っておきながら隴西郡狄道県にて民家に押し入り、己が欲求を満たす為に略奪を働き民を打ち殺した事に申し開きはあるか」
「上邦を奪回せんとして英気を養うのに、その者が命に背いたからだ。董中郎将、気が済んだのならこの枷を外せ」
「黙りなさい痴れ者」
凛とした声音で発する董卓は眼下の男の言葉に耳を傾けず、その目を厳しくさせ言の葉を紡でいく。
「城民を見捨て、軍兵を見捨て、果てに罪無き民を打ち殺し。あまつさえ官吏にその身を捕捉されるまでその地に居座り酒を飲んで伸う伸うとしていた貴方に、一切の罪の意識に苛まれもしない貴方には、弁解の余地は有りません」
その事実に男は口角を引き攣らせて董卓を睨み上げるが一切揺るがず。
「これら一切を踏まえ、以下の者に斬刑を申し付ける」
董卓の言葉を聞き、筵の上に座る男は身を捩らせて逃げようとするが張済に命じられ、兵が両肩を掴み拘束する。
「臧将軍、貴女には斬刑の執行を命じます」
「謹んで拝命致します」
礼と共に段を下り、その手に大薙刀を――――王双の遺刀を手に持ち、臧覇は拘束された男の背後に立った。
事の次第を漸く理解出来た男はその身を激しく揺さぶり、壇上の董卓へ向かって叫ぶ。
「待て、待ってくれ! 董中郎将、私は朝廷より派遣された者だ! 中常侍孫璋様より任官されし者なるぞ!」
「そうですか。貴方は中常侍の孫璋殿と関係があったのですね」
「そ、そうだ! 今直ぐに刑を取り止め謝罪するのならば此度の件は水に流そう、そして共にこの天水を栄えさせようではないか!」
「ええ。天水に限らず、この雍州は必ず栄えさせて見せます」
「貴方を処断して法を示し、人々が安寧に暮らせる様に」
その言葉で男の顏は色を失い、しかし徐々に赤みを帯び怒りの色で染め上げていく。
「董卓貴様ぁ! 自分が何をしているか解っているのか!」
「臧将軍、刑の執行を」
「御意に」
暴れる男を兵二人は肩を掴み首を前に差し出させ、臧覇はその大薙刀を真横にて構えた。
「覚悟して置け小娘! 私を斬ったからにはこの先苦の道しかなく、楽には死ねんぞ!」
「戦と政に身を置く以上、その覚悟はとうに出来ています」
董卓が手を振りかざすと一閃。
臧覇の大薙刀が男の首を斬り落とし、筵は朱の色で染め上げていった。
「斬刑、滞り無く終えました」
「臧将軍、大義でありました」
礼と共に労いの言葉を受け取ると、董卓の傍らに立つ賈駆は一歩前へと出、声高らかに眼下の野次馬達へ言の葉を発した。
「この刑を以て天水を一新する! 近日布令を出す故、それまで皆は普段と変わりなく生活をせよ!」
「……なに。後日なんかすんの?」
「まぁね、法正さんには言えない内容だけど」
将兵や野次馬が壇上へ集中する中、その背に法正の言葉を受け止めながらも神坂は壇上へ視線を向けていた。
「旅立ちに変わった趣向を見せてくれて拝謝したい所だけど、後で董卓様達に礼だけ伝えててくれる?」
「ん、了解。本心の方を言っておくよ」
「そうそう。血生臭い手向けどうも有難うってマジで止めて頼むから」
法正の一人ツッコミに神坂は「冗談だよ」とだけ言うと背中からは嘆息。
そして彼女は背を向ける神坂に向かって、語る。
「私、もう行くね」
「うん」
「前に上邦から帰る時、ひなっちの言ってた事留意して置くから」
「うん」
「……ひなっちってさ、もしかして未来、分かってたりする?」
「うん」
その言葉で、法正は軽く目を見開いた。
「それで最近悩んでたんでしょ。俺の所為で」
「まあ、ね」
「良かれと思って言ったけど、結局惑わせてごめん」
「ホントだよ。留まろうかと散々悩んだし」
「ごめん。……出来れば、この事は」
「言わないよ。例え言っても誰も信じないだろうし」
そっか、とだけ言い苦笑を洩らした。
「その代わりと言ってはなんだけどさ、二つお願いがあるんだ」
「ん。俺に出来ることなら」
「一つはさ、もし私が益州に行っても友好は保って欲しいんだ。ほら、私こんな性格だから友達少なくてさ」
「はは。それは勿論、喜んで」
「もう一つはね、私の真名を預かって欲しいんだ」
その言葉で振り向きそうになったが、場を乱すことは出来ない為振り向けない。
「理由を聞いても良い?」
「それは簡単だよ、私がひなっちという人を気に入ったから」
「ほんと簡単だね。良いのかそれで」
「本当は伯っちにも預けたかったけどタイミング逃しちゃってさ。取り敢えずひなっちには、ね」
「器用に横文字使いこなしてからに。……でもそういうことなら、喜んで」
微笑みながらその声を背に受け、法正は愉快そうに耳元で教えた。
「私の真名は菫。次に会った時、そう呼んでくれたら嬉しいかな」
それだけを言い、彼女は神坂から離れて行った。
野次馬は去り董卓が壇上から姿を消した所で振り返っても、彼女はもう居ない。
彼女は最後に無邪気に「再見」と笑いながら去っていった気がするが、恐らく気のせいではないだろう。
法正、字を孝直。
実に奔放で個性的な彼女に神坂は敬礼のポーズを取り、去ったであろう方向に向いた。
「再見、菫さん」
それだけ言うと神坂は城内へと足を運んだ。
後日より。自分の施策書が採用され、この街を起点に実行されて行く。
法正――菫
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