38話 変わりゆく日々(弐之巻)
相変わらずぬるぬると進む。
楽しく読んで頂ければ幸いです。
朝議にて文武官が向かい合って立ち並び、各々の報告が上がっていく。
城下の治安。領内の黄巾党への対処。任官の目途、商家との糧食の取引から豪族の動き等。
それらの報告が飛び交う中、玉座に座す董卓と隣に立つ賈駆はそれらを聞き漏らすことなく今後の指示を飛ばし、臣下達が礼と共にそれらを了承していった。
「董卓様。西涼の馬騰殿が東中郎将への任を祝い遣いの者を送ると申されてますが」
「今は西涼でも黄巾党の動きが活発化していますから先んじて祝いの言葉のみを受け取り、後日改めて返礼に伺うとお返しを」
「御意に」
それを最後に朝議は一段落終えたと見計らい、董卓は改めて眼前を見据えた。
「では最後に。私から皆さんに伝えることがあります」
臣下の視線をその身に受け、董卓は然としてその言葉を紡ぐ。
「以前賊の襲撃で上邦から逃げ出した役人を捕縛し、この天水まで連行する手筈を整えてください」
賈駆や臧覇を除き、文武官の面々は目を見開いて董卓を見やるが表情に迷いはない。それを
どのような意味で発し命を下したのか董卓自身が一番理解している筈。にも関わらず、一切の迷いは無かった。
「お待ちを。幾ら上邦にて敵前逃亡を行い、兵や民をあたら死なせたとは言え朝廷から派遣された者。其の者を捕縛し罪人の如き扱いすれば、朝廷より叛意有りと見なされませぬか」
「然り。ただでさえ黄巾党の反乱が起こり、下手をすればこれに連座して乱成すと判断されまする。其の者を捕縛する事、どうかご再考を」
案の定。文官の主とした者達が口を揃えて反対の意を述べ、礼と共に押し止めようと幾人もが前へと出て頭を下げる。
それに答えるのは、賈駆。
「ここで今、皆に問わせて貰うわ。貴方達が重きを置くはこの董卓様か、それとも朝廷か」
「賈駆様、一体何を」
「楊阜、貴方は誰に信を置く」
数の多い反対の列に加わらず文官の最後尾で見ていた男、楊阜に声を掛けると狼狽えることなく、粛々とした態度で礼をしたまま彼は述べた。
「お戯れを。賈駆様が問うている事は朝敵になるか否かの問。私如き非才が出す答えなどお見通しでありましょう」
「では貴方の答えは何とする」
「無論。董卓様で御座います」
これまた迷いなく出された答えに、皆が再び目を見開いた。
「統治者として人の罪を裁かず権威に屈し見逃す事あらば、真の政は成せず人信を失い国の毒と相成ります。私のような非才の身であれど、それしきの事は弁えているつもりです」
「楊阜、お主はあたかも人の道に沿うが如きに申すが、それが朝廷とどう繋がる」
「まだ分からないのですか」
次に答えるは、陳宮。
「賈駆はこう言っているのです。施政者として当然の振る舞いをする董卓殿に従うのか、若しくは当然の行いを非難し何らかの理由を付けて朝敵とする、宦官達に従うのか。そして恐らく勇猛な兵を擁する董卓殿の軍事力に付け込んで懐柔しようと東中郎将に任命したであろう、宦官達に対する牽制でもあるのです。それが、董卓殿の意でもあると」
「しっ……然れど、然れども。只でさえ討つべきと言われる羌族、氐族と親交を持ち疑いの目も向けられているのです。それを」
「もし」
静かで透き通り、しかし強い声音で遮った董卓は答えた。
「もしそれでこの董卓を討つべしと声が挙がることがあれば、皆さんは私の下を去っても構いません。何なら、今からでも」
決定は覆さない。董卓のその強い瞳は文武官達の身を射抜いた。
「結局は私の我が儘かもしれません。小娘が浅知恵をと笑っても構いません。……しかし、私はこれを見て見ぬ振りなど出来ません」
或る者は黙って見据え、或る者は息を飲み。
「それでも、未だ皆さんに守られて今の地位に座するこんな私でも。どうか、皆さん付いて来て下さいますか」
その言葉を皮切りに、呂布と臧覇を筆頭に姜維、張済、樊調、徐栄といった武官達。
賈駆、陳宮、楊阜といった文官達も。
皆が次々に臣下の礼を取り、それに応えた。
ただ一人。臣下の礼を取らず頭を下げただけの神坂は、それを見て改めて思った。
これが人の上に立つ者の、徳性なのだと。
砂と草が入り混じり練兵所から少し離れた人目に付きにくい場所。
そこで金属音が不規則に響き鳴り、打ち合う者同士が槍を交錯させる。
一人は姜維伯約。もう一人は神坂日向。
流れるように繰り出される槍は互いを踊らすが如く。しかし槍は決して速くは動かず。
折れた左腕は未だ槍に手を添える程度の力しか出せず、槍の軌道をブレさせる事が無い様に振るう練習をしていた。勿論、マトモに打ち合ったり身体を無理に動かしたりしては完治が遅れる事を姜維と神坂も考慮しており、本当に軽くの程度であった。
「しかし、先程の朝議で詠さんの意図に気付いた者は何人居たのでしょうか」
「反応見る限り一部の人しか分かってなかったみたいだね。武官の人は兎も角、文官では楊阜という人が一番の理解を示してたけど」
トン、と距離を置いて一呼吸を入れると終わりの合図を出し姜維も槍を収めた。
先刻の朝議で朝廷の役人を罰すか否かの問、それも大事だが董卓の心は既に決していた。いずれにせよ主君が決めた事を臣下が従うのは目に見えてはいたが、賈駆はその段階の問答と臣下達の反応を見、登用する人材にてこの天水を一新しようと考えてもいた。
又東中郎将を任じた朝廷、恐らくではある宦官の懐柔策には乗らず、朝廷より派遣された役人を処罰することでこう示す事が出来る。
"我等は媚び諂う事はせぬ"
地と人を治める為なら朝廷の者とて容赦なく罰する事を暗に示す意味でもある。
「厳格な法を示した後、乱によって荒れた土地を追われ何よりも身の安全を求める民が。それを聞きつけこの地へと」
そして倍以上の黄巾党を破った風評は賊を牽制し、人を集める事も可能。
事実軍事に於いて将兵は勇猛にして果敢。賊相手に遅れを取ることもない。
加えて李儒の保有していた土地や豪族が持て余す荒地を利用し、降伏し捕らえた賊を流民や飢民と共に耕作へと駆り出すのも善し。
神坂の示した施策書も加え処々を整えるべしとも。
「他に考慮すべき事は有りますが、詠さんの仰り様だと概ね上手くは行きますかね」
「そこは信じておこうか。董卓軍筆頭軍師、賈文和の手腕を」
そうですね、と姜維が区切り神坂も思慮を止める。
ともあれ。今神坂がやるべき事は武技を磨き書にて学び、政治と共に現場に慣れる事。
先ず自分の命は自分で守るべく武技を磨くしかないが、左腕の不自由もあり思う通りには動けない。
「もどかしいなぁ。この腕が」
「利き腕でなかったのがせめてもの救いですね。生活に支障を来たさなかったのが、不幸中の幸いです」
「……完全に治ったら、その時はお願い」
「はい。それは元より」
微笑みと共にコクりと頷き、姜維の視線の先に一人の女性が映った。
斧槍を肩に担いだ女性、高順。
彼女は二人を視認した後真っ直ぐと歩み寄ってきた。
「ンだよ。まだ腕は本調子じゃねぇってか」
「華佗のお陰で完治までそう時間は掛からないけど、流石にまだ無理だって」
「そうかい。治った時が楽しみだ」
思わせぶりな笑みを浮かべる高順だが、まさかあの時の仕返しをするのでは、と思わずには居られなかった。
「でも早かったね、こんな早くに修理終わるなんて」
「払うモン払ってんだから当然っちゃ当然だがな。けどよォ、監視に付けられた宋憲って奴が鬱陶しく……っと、おい主さんよ。董卓と賈駆が執務室に来いって呼んでたぞ」
「俺を? ごめん睡蓮さん、ちょっと行ってくる」
返事をすると神坂は槍を地へと置き、身を翻して去っていった。
それを見送ると姜維も身を翻し近くの木陰に座った――――所で、高順に呼び止められた。
「おい姑娘、ちょっと付き合えよ」
神坂の置いていった槍を拾い上げこれ見よがしに促す。
彼女が言っているのは勿論、戦いにという意味。
「その呼び方は止めてくれませんか。私には姜維という名があります」
「ああ知ってるよ。主さんに思慕寄せる臆病な女だろ」
眉を顰めて睨む彼女はいつもの慌てる様な照れ顔を浮かべることはなく、ただ黙って高順を睨んでいた。
そう、ただ黙ったまま。
「ンだよ。何ジッと見てんだ」
「事実を述べられるのは構いませんが、余り慣れ慣れしく私に語り掛けないで頂きますか。貴女は然程好ましいとは言えませんので」
「……へぇ。良い度胸じゃねェか」
ゆったりと槍を肩に担ぎ斧槍を地へ突き刺す彼女に応じ、姜維もゆるりと立ち上がり槍を持つ手に力が入っていく。
場の空気に緊張が走り、二人の間に剣呑な雰囲気を帯びて行く。
「正直に申しましょう。私は貴女が気に入らない」
「そうかい。アタイもテメェを嫌いになれそうだ」
「ひなたさんの後ろに気安く控え、慣れ慣れしく主と仰る貴女が気に入らない」
一歩、また一歩と高順へと歩み、その距離を詰めていく。
「しかも不臣の礼まで許され、堂々とひなたさんの傍に立つ事が羨ま気に入らない」
「おい、今本音が少し漏れたぞ」
「今から私がやるのは単なる八つ当たりです。……そう」
槍を握る彼女は手の力を少し抜き、
「臆病で我が儘な姑娘の、癇癪です」
予備動作無く、高順へと槍を突き出した。
「っけ!」
しかしそれを弾き返し、槍を持ち直したところで数歩退き、高順は突きの構え。
姜維も同じく数歩退き、これまた同じく突きの構えを。
そして事前に打ち合わせしたのではないかと思える程、彼女達は同時に駆け出し力の限り槍を眼前へと突き出し、
轟音と共に穂先が宙へと向けて砕け散った。
水平にて繰り出された槍はあまりの衝撃に柄は拉げ、槍としての体を成さなかったがそれでも両者は止まらず。
痺れた腕は使い物にならいと分かるや否や、またも同じく上段蹴りを繰り出し互いの足が交錯する。
「……難儀なものです」
脚を振り降ろし、姜維は拉げた槍を近くにあった木へと投擲した。
穂先を失った槍は木に刺さる事なく地へと落ち、二回りして音を鳴らしたところで槍の動きは止まった。
槍を失った姜維は高順へと向き直り、高順も何を言われるでもなく槍を適当に放り投げた。
「自身の感情を御せず人に八つ当たりするなど。……高順殿、すみませんでした」
「大した癇癪じゃねェか。テメェの気持ちが素直に伝わってくる程のな」
気不味そうに顔を逸らす姜維だが、高順は構うことなく語り掛ける。
「アタイはアンタみたいな奴嫌いじゃねェぞ。己の気持ちに素直で当人に感情ぶつけてくる奴はな」
「嫉妬で槍を振るったこんな私がですか」
「絡繰人形じゃあるまいに。人なら感情ブッ放せ」
クスリと微笑みを浮かべる姜維は、高順に対しての評価を改めた。
彼女は忠義を知らずして粗暴な振る舞いをする獣と思っていたが、存外に個の人間だった。
「なら、感情を解放したい時は又付き合ってくれますか。高順殿」
「良いぜ。得物でだろうと拳であろうと、酒であろうと付き合ってやるよ、姜維」
ニヤリと口元に笑みを浮かべる彼女は端正な顔立ちに相応で、戦場で浮かべる笑みとは全くの別物。姜維は高順のふと見せた自分とは違う女性らしさが少し、羨ましくもあった。
そして彼女には見習う点があるとも思った。
……自分も少し、己の感情に従ってみようか。
臆病と言われたのは嫌だがその通りだ。
でも、自分でそれを認めてしまうのはもっと嫌だ。
それなら僅かでも、ほんの少しでも良いから勇気を出してみよう。
視線の彼方から近づく彼が、私達に向けて手を上げている。
「お待たせ――――って何これ凄っ! 槍ひん曲がってるし!」
「突き合わせたらこんなんなっちまった。元々が脆いんだよこの鉄屑」
「絶対嘘だ」
一縷の望みが、叶わない決まりなんてない。
「ひなたさん」
「ん?」
少しでも彼に近づきたい。
だから私は……
「もし宜しければ、明日私と――――」
勇気を、少し出した。
展開が遅いとお思いかしれませんが、これも作風だと思ってどうか平に。
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