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37話 変わりゆく日々(壱之巻)

投稿します。

楽しんで頂ければ幸いです。

紙とボールペンが欲しい。

椅子に座る神坂は部屋の天井を見上げるとつくづく思った。未だ自由の利かない左腕の所為で墨を磨るに不便な上、竹簡は紐で丸めて括るにも一苦労で仕様が無い。元居た世界は実に利便性に富んでいたと改めて思わされる。


「随分不便そうだなァ主さん。いっそ丸ごと放り投げちまうってのはどうよ?」

「腕折った本人が何を言うのかね」


言葉を返され喉を鳴らして笑う彼女、高順は壁に背を預けたまま何をするでもなく、竹簡に文字を記す神坂を眺める。戦場で振るっていた斧槍は城下の鍛冶工場に預け現在は四尺の剣を腰に携えている。しかしそれは容易に許された事では無く、剣を持たせるだけでも一悶着あった。

今までは臧覇の執務室で姜維を含めた三人で仕事を処理していたのだが、神坂は自分の部屋で仕事をしたいと申し出た。それ自体は董卓や臧覇も構わなかったのだが怪我が治るまで誰か補佐を付けると言われ、別に高順だけで構わないと言った途端賈駆と臧覇が即座に反対を示した。二人の気持ちは分かるが、今後の信頼関係を築くのにその様なあからさまに警戒するのは本意ではなく、勿論これを口に出すのも憚れる。

高順では無く他の者を。いやいや別に大丈夫。

そんな押し問答が繰り返される中姜維がおずおずと挙手をすると、


「それならいっそ、今はひなたさんの意見は却下という形で如何ですか?」


この言葉で決した。

多数決の原理とはいつの時代も不条理なもので、反対組とどちらでも良いという中立組が数を占めて敢え無く意見を却下。高順にその気はないとは言え、二人きりにさせたくなかった姜維の策はここに成った。そういう訳で、


「っつーかさっきから鬱陶しいんだよ、一挙一動に一々警戒してんじゃねぇよ雌豚。刻むぞ」

「やってみろ尻軽。到底叶わぬ話だがな」


居辛い事この上なかった。

高順と臧覇、二人が睨み合う度に神坂と姜維の神経はすり減らされていた。

しかしそれも臧覇が筆を止め竹簡を抱えたところで終わった。


「私は月様の所に行くが睡蓮君、くれぐれも頼んだぞ」

「あの、はい」

「……何か起これば真っ先に斬る」

「ぁあ?」

「行ってらっしゃい薺さん!」


結局最後まで、気が気でなかったが。





「鍾繇と張既、杜畿は士官の脈在り。累世太尉楊彪の子息、楊修は残念ながら望み薄。残りの荀攸は……優秀だけど性格に難有りね」

「司馬懿さんは?」

「相変わらずの返事だけど駄目ね。終いには働いたら負けとか言ってるみたいだし」


董卓の執務室。

秦川の戦後処理と叛乱による各地の被害状況と対応、加えて東中郎将の任による業務増加。これらが重なりここ暫くは手が回らなかったが、ここに来て漸く目下の人材登用へ目が向ける余裕が出来た。以前神坂から出された竹簡に沿って涼州、雍州にその近辺の州まで董卓の施政を広めて置き、それ共に広く人材を求める布令を出した。これで世に言われる黄巾党が蜂起したことに乗り、こちらの思惑と重なって自らの力を発揮しようとする者達が董卓へと士官するだろう。

結果それが徐々にだが実を結び、僅かではあるが中々に優秀な者達が訪れようとする兆しがあった。

しかし良い事だけではなく、その反面問題も生じる。


「……でも、人が集まろうとしても一部の臣と豪族の人たちは不平を漏らしてるのは事実だよね」


違うそんなことない。賈駆がそんな言葉を繕うが董卓の表情は明るいものではなかった。

今まで尽力してきた臣下。

その中に董卓を支えんと協力してきた豪族出の者達。

それを董卓が優秀な人材を引き入れ、新参に立場を奪われ自らの地位を危ぶむ者達が居り、不安に駆られ不平を漏らす者が居ても何ら不思議ではない。しかし結果として背かれては築いてきた他の豪族達との信頼関係にも亀裂が入り今後の施政に支障が生じるのも又確か。

最悪、以前李儒の登用妨害の工作に加担した豪族にその証拠を密かに突き付け、黙らせる手もあるがこれは限りなく悪手。

……どうするか。賈駆が思案していると外からは近衛兵の声。


「董卓様。臧覇将軍がお見えです」

「通して下さい」


扉が開かれ、竹簡を抱えた臧覇が一礼と共に部屋へと入る。

賈駆が差し出された竹簡の束を手にとって机に置くと満足そうに頷いた。


「やっぱり早いわね。睡蓮と日向、二人が居ると効率が上がるみたいね」

「そうだな、あの二人のお陰で相当助かってる。睡蓮君は元々の能力が備わっているし、日向君は計算や内容整理に秀でている。有難い話だ」

「……高順の方は?」

「今の所妙な真似は起こしてないな。日向君の怪我が治るまでは少し多めに釘を刺す位で丁度良いかもしれん」


そう、とだけ呟くと今度は吟味する様に頷く。


「霞と華雄はもう往きましたか」

「はい、お二人には各々三千の兵を預けて先刻出陣されましたよ」


先日の秦川に引き続き、黄巾党の軍団が各地にて目撃された報告を受け、華雄と張遼の二人は率先して出陣した。董卓や賈駆が出陣していた間、留守を預かっていた彼女等は代理として案件の処理から練兵までを泣く泣くこなした。半ば賈駆の脅し故に。

それに加え高順の事も耳に入り武人の血が騒ぐ彼女等は我先に戦おうとしたが、高順の得物は破損しており万全に戦えない事でそれはもう不満の嵐だった。

張遼曰く、


「ウチに何の恨みがあんねん神さんの阿呆!」


と空に向かって叫びその途端酒の世界へと逃避行した。

華雄も似た様な反応を示し、その日彼女の部下達はいつもよりボロボロになって練兵をされたそうな。

そういう事もあり、彼女達は鬱憤を晴らすのも兼ね勇んで討伐に往った。


「お二人が戻って来た時は労わないといけませんね」

「余り甘やかすとつけ上がるので程々にお願いしますよ」

「ふふっ分かりました」


互いが微笑みそれを見ていた賈駆も肩を竦めるが、竹簡に落としていた視線がその内容を捉えるとその表情は険しくなっていく。


「薺、アンタこれ」

「見たか。……月様」


賈駆の視線を意に介さず、臧覇は瞑目して床へと両膝をついた。

突然の行動に董卓は軽く狼狽するが本人は座して姿勢を正し、己が主君を見つめる。


「我が主、月様にお願いしとう儀が御座います。どうかお聞き入られますよう」


そして平伏。粛々とこなす動作に一瞬呆けるも臧覇の態度に応じ、董卓は一人の君主としての威厳を身に纏った。


「聞きましょう。如何なる望みですか」

「先日の秦川にて行われた黄巾党二万の討伐、董卓様のご威光に因って是を成し得ました。然れど事の発端となった者への処罰は、未だ終わっておりませぬ」


臧覇はその言葉を紡ぎ、二人は黙って見守る。


「黄巾党二万の将であった王双の母は、先月上邦にて逃げ出した貴人の手に掛かり、不当にもその命を絶たれました。それが起因となり王双は兵を挙げ、我らに歯向かいまして御座います」

「然り。ですがその貴人を処罰しようにも明確な証拠は無く、目撃者が出ず本人が否定すれば追求すること罷りなりません」

「存じております。しかし其の者、朝廷の任にて派遣されたにも関わらず責を全うする事なく、賊を前にしていの一番に上邦から逃げまして御座います。つきましては討伐の起因とは別に先ずはこれを罰し、朝廷の者とは言え早々にして秩序を正さねば人は治められませぬ事を、進言仕る」


――――やられた。賈駆の内心は苦虫を噛み潰す心境だった。

あの戦の後王双が何故黄巾党の将となったのか、その経緯を皆が聞いた。私情を挟まずともその者は処罰されて然るべきだが、相手は朝廷から来た者である以上勝手な一存で下手に手出しは出来ない。東中郎将に破虜将軍を任命さればかりでもあり、仮に処罰出来たとしても恐らく繋がりがあるであろう、専権を振るう十常侍に何をされるか等分かったものではない。

董卓もそれを理解しており君主の立場の間で相応しい対応は如何にと頭を悩ませていた。

賈駆自身としても、事は慎重に当たるため心苦しいが今は保留という形にしたかった。


だがそれを、臧覇は搦め手を使い董卓の心に声を届かせた。

弾劾と軍法に則っての処罰。

加えて領内の統治の為だと進言。

そして、臣である臧覇の神妙なる態度。

部下を、人を重んじる董卓にとって、地を治める君主にとってこれ以上にない揺らぎを生じさせられた。


「アンタの言うことも分かる、でも薺」

「月様!」


ガンッと音と共に見れば、額は地に。

臧覇はその頭を擦りつけ懇願していた。


「公私混同と申されても致し方なし! なれどこの臧宣高、伏してお願い申し上げまする!臣として我が主には人の血が通った世の中で、どうか生きて欲しゅう御座います!」


目の前で土下座をする彼女を見て、董卓は思い出していた。

かつて仲間であった王双の亡骸を賊と一緒に埋葬されるのを無表情で眺める彼女を。

帰途の中でも青龍刀の他に、黙って王双の遺刀を担いで帰る彼女の姿を。

泣いていないのに。一切表情に出していないのに。

……瞑目してそれらを思い出すだけで、涙が出そうになった。


董卓の心は、君主の立場としても一つの決意を芽生えさせた。


「面を上げてください薺さん」


静かにその顔を上げると、己が主君は毅然として見ていた。


「個として臣としての薺さんの言葉は私の心を定めてくれました。ですが、やはり私は君主の立場として他の皆さんの意見無く勝手な一存で決めることは出来ません。だから」


吸、と一息入れ君主董仲穎は言葉を紡ぐ。


「明日軍を預かる武官と城内を支える文官の皆さんとよく詮議し、そして今出撃している霞さんと華雄さんにもその意見を聞き、この件に執り行おうと思います。……しかし、私個人としては。薺さんの心意に沿いたいという気持ちを、どうか忘れないで下さい」

「……ッ! 有り難き、幸せ……!」


僅かに血が滲む額を気にすることなく、再び額を地へとつけた。

賈駆が隣の親友へと顔を向けると、同じように董卓も顔を向けた。


ごめんね詠ちゃん。


その表情だけで何が言いたいかは直ぐに分かった。

だから、賈駆も何も言わず仕方ないかと苦笑いの様な、諦めにも似た表情を浮かべた。

朝廷の息が掛かった者を下手に罰するのは軍師として諌めるべきなのだろうが、自分も上邦で亡くなった兵や民の事を考えるとやりきれなかった。

西涼出自、皆粋であれ。

ふとそんな言葉を思い出したが、まだ自分にもその心が残っていようとは。だが何より、親友の心はほぼ決まっている。これから上手く立ち回る方法を考えないといけないのは大変だが、親友を王とする為にはこの程度で躓く訳にもいかない。


「あの、董卓様。神坂殿と姜維殿がお見えです」


恐らく外までこの騒ぎは聞こえたのだろう、近衛兵の声は若干の戸惑いを含んでいた。

臧覇は二人が来たことを聞き座していたのを外し素早く立ち上がった。


「どうぞお通し下さい」

「……あの、何かあったんですか?」


部屋に入り礼をするなり姜維がおずおずと尋ねるが、臧覇は気にしないでくれと額の血を拭った。後に続いて入った神坂も部屋へと入り礼を済ませると、呆れた様に口を開く。


「外まで詠さん達の声が聞こえてきましたよ。入るのちょっと気不味かったです」

「……ボクの所為じゃないわよ」

「そうか、それは済まない事をした。何分私も興奮していたものでな」


普段通りに振舞うが、額から流れる一筋の朱の所為で神坂と姜維は一歩後退さって口を真一文字に結ぶ形となってしまった。兎も角、姜維は抱えていた竹簡と賈駆へと差し出した。


「ええとこれ、残りの仕事の分です。お渡しに来ました」

「そう、ご苦労さま。……日向のそれは?」

「まぁ俺なりに考えた施策書、とでも言っておきましょうか」

「最近多いわね。前までは少ししか教えて来なかったのに、一体どういう心境の変化なの?」

「この間の戦で俺も色々思う所があったんですよ。……それだけです」

「ふーん?」


首を傾げ気味に見やるが本人は肩を竦めるだけに留まった。

賈駆が神坂の竹簡を受け取り内容を流し読みをする中、臧覇が何かを思い出し、それに気付いた。


「時に日向君、高順はどうした?」

「俺と二人きりで居るのが駄目と仰るので部屋で待機してます」

「なっ……あの者を一人にすることも不味いだろう! 睡蓮君も何故引き止めなかった!?」

「え、でも私もひなたさんと二人で居たかっ、じゃなくて。高順さんを見る限り別段構わないと判断したのですが……」

「本音が見え隠れしたが今はそこは置いておこう、だがせめてだな」

「ああもう薺さんは。居たら居たで啀み合う癖にそんな文句ばかり言われても俺は困りますぅー」

「くっ、その通りだがその口調はやめてくれ。なんかムカつく」


三人が話す傍ら董卓が微笑み、賈駆は興味深そうに施策書を眺めていた。

何かが見えそう。

軍師として賈駆はふと湧いたその可能性に賭け、脳内にある考えも添え、次々に巡らせていく。


上邦から逃げた役人。

李儒から没収した広大な土地。

中郎将への任命。

朝廷の思惑。

倍以上の黄巾党を破った風評。

捕らえた賊。

人材の登用。

豪族と臣下。

統治の為の処罰。

施策書。

農政。

牽制。

忠告。


……いける、のか。


「薺、アンタの望み、図らずとも叶うかもしれないわよ」


皆の視線を受け、口元に笑みを浮かべる賈駆は面白そうに語る。



「薺の忠信に日向の施策、そしてボクの知恵を加えて神算鬼謀としてみせるわ。上手くいくと点と線を繋げ、今後に大きく活かせるかもしれない」



ニヤリと笑う彼女の笑みは、正しく軍師のソレだった。


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