36話 出立、困惑に帰還
秦川編終わり。
ちょっとグダグダ感があるかもしれませんが、温かい目で見て頂ければ幸いです。
「ではそろそろ行かせて貰う。くれぐれも無茶はするなよ」
「ああ、負傷兵の治療までしてくれて有り難う華佗」
董卓軍陣営の外。神坂と法正が並び、華佗の見送りへと出ている。陣内に居る董卓や主立った将兵は隊を纏めるなり天水や冀城、北原、街亭へと赴いた張済達からの報告を受けるなり仕事に追われていた。唯一高順だけは武器の携帯を許されず、臧覇の命で麾下の者に監視の状態となったが本人は一向に構う様子も無い。
「元ちゃんはこれから涼州方面だっけ」
「そうだな、先ずは金城に向かいそこを介して西涼へ向かおうと思う。それより法正、相変わらずその呼び方は何とかならないのか」
「無理 出来ない」
即答で答える彼女に華佗は呆れた様に軽く溜め息を吐いた。
この数日の間、華佗から旅の経緯も聞いたが彼が漢中を旅立ったのは医療行為を目的とし、医の研鑽も積むことだそうだ。つい先月漢中を発ち、五丈原を周り道中偶然にもここまで来ていたとのこと。雍州を周った後は涼州へと赴き、その次は益州、交州と順に巡って行くらしい。
「そうだ神坂。一つ聞いても良いか」
「ん、何」
「何故ああも俺に礼を尽くした」
「……? 言ってる事がよく分からないんだけど」
「君の治療然り、高順の治療然り」
つまりだ、と区切る。
「地位が低い医者の俺に、過分な礼を取った理由が少し気になったんだ」
「ああ成程、そういう事」
そこで合点がいき、何故華佗がこの様な問いをするのか理解した上、思い出した。
医術から占術、人物評価に建築、鋳造、音楽、果ては呪術まで。これらは一括りに"方術"と呼ばれ、冷遇されていたのを思い出した。孔子の教えで広められた儒教道徳は漢という国の中で根強く浸透し、それがこの時代の人々の生活の一部となっていた。
その弊害で、これらの技術、才能を見下す風潮があった。
だから、医に携わる者である自分が。所謂"方術"の類に属する自分が、礼を尽くされたのか分からないといった所か。
……だが、尋ねられる理由は理解出来ようとも、現代に生きた神坂にとって疑問を持たれるのは首を傾げる事柄である。故に。
「治療を受けた者が施した者に対しそれ相応の礼を尽くすのは、それ程可笑しい事か」
「……神坂」
「華佗や世人がどう思ってるのかは知らないけど、俺はこう思うよ」
何ら躊躇う事無く言い放つ。
「培い努力し磨き上げたその技で人を癒した。俺はその技術に敬意を表すし、華佗もそれは誇って然るべきで治癒された者は感謝して然るべきだ。それを感謝も出来ず見下すような奴は、家畜以下だね」
「ぁは」
法正が静かに笑い華佗は目を見開いて神坂を見るが、やがてその瞼を閉じ無言となった。
「……俺は、戦いに生きる人間は余り好きじゃない」
数秒して口を開いて出た言葉は、心の底にある本音。
「殺し傷付け、死の淵に在ろうと尚も人を巻き込む者。瀕死で在りながら信念を貫こうとする者達の心胆が、俺には理解出来ない」
「医者からしたら、まぁそうだろうね」
「それに俺はまだ自分を誇れない。神坂もその部類で、しかも前者も兼ねている」
「否定はしないよ。俺も乱世の中で死にたくない上、譲れない事もある」
「だろうな。……だが、俺個人としては、神坂の様な奴は嫌いではない」
「そりゃどうも」
「俺はこの国に蔓延する病人を診て回り、癒し、研鑽を積み、治せぬ病魔は無いと証明して見せる。神坂、次に再び会う時はお互い己を誇れると良いな」
「……ああ。そうだな」
笑みと共に突き出される拳に、己の拳を合わせる。
華佗の様な男がこの行為をする意味は、大体察しがついた。それを拒む理由も無い。
強めに合わされた拳を離すと華佗は踵を返し背を向けた。
「ではまたな。――――友よ」
「ああ。友よ、壮健であれ」
善友の如き、なれど互いに少し照れ臭そうに言った言葉は背中越しで呟かれ、そうして華佗は去って行った。
その背中が見えなくなるまで見つめ、神坂も踵を返した所で口元に笑み。
「法正さん。そろそろその笑みを引っ込めない?」
「いやぁ無理だよ無理無理、だってひなっち儒教の中の人間達、即ち孔子の子孫を家畜以下呼ばわりしたも同然なんだよ? 面白くてひなっちの思想に興味が沸くよ」
「俺からしたら法正さんの育ち方に興味があるけどね」
「残念だなぁ心残りだなぁ。もうちょっとひなっち達を見ていたかったけど、そろそろ益州行かないと子喬が心配するしなぁ」
「子喬……ああ、確か張松さんだっけ」
「そそ。前に話したソイツなんだけど、そろそろそっち行くぞーって手紙を益州の行商人に持たせて送ってからもうすぐ一月経つし、行かなきゃヤバい」
ならまた手紙出せば良かったのに。
そんな事を思ったが、この法正に言った所で笑って誤魔化されるのが目に見えたので、結局口に出して言うのは止めた。
「そっか、天水城に戻ったら益州行くんだったね。静かになるなぁ」
「……え、アレっ、なんか可笑しくね。ここは寂しくなるなーってとこじゃないの?」
「帰ったら城内は静かになるなぁ」
「言い直したよこの人」
顔を合わせて吹き出し、法正と共に陣内に戻ろうとし――――…神坂がその足を止めた。
「もう決めた事みたいだし、引き止めはしないけど短い間とは言え、法正さんとは戦場まで一緒に居た仲だ」
「ん? 突然どしたの」
「今は誰も周りに居ないし、本来こんなこと言ったら駄目なんだけど……法正さんみたいな人は俺は好ましいし、何よりも仲間だと思ってるから。大変な目に遭って欲しくないから、これは言って置こうと思う」
「何だ何だー? 真面目な顔して、結構重要な話?」
「割かし重要な話だよ。出来れば真面目に聞いて欲しい」
「ほうほう言って御覧なさい、まぁ聞くだけ聞いて――――」
「暫く経ったら益州の劉焉、病で亡くなるから」
「――――…」
茶化していた笑顔が固まり、目を細めたまま法正は彼を見ていた。
神坂の言っている事を理解しようと頭の中を働かせ、かつて無い程の早さで回転し、理解に至るよりも前に彼は話し続ける。
「劉焉が亡くなる前も後も、内乱が続き災害が訪れ、跡目争いも加わって益州の今後は荒れに荒れる」
上手く笑顔を浮かべてるだろうか。
表情には驚愕の色が出ていないか。
何とか平静を保とうと、呼吸を乱さない様に配慮しても。それでも駄目だった。
視線が彷徨い、身体が小刻みに震える。
目の前の男は、一体何を、言っているのだろうか。
「けど将来、益州を治め法正さんが真に求める君主が現われるから。それまでの辛抱だよ」
何故そんな事が分かる。
何故そうも淀み無く言える。
まるで知ってる事を淡々と語っている様ではないか。
まさか、からかっているのか? ……否。こんな事を嘘偽りで言う男ではない。現に眼前の男は視線を逸らす事無く、真っ直ぐと見つめて来る。瞳は揺るがず、極めて真剣。
「……そう、なるかもしれないから気を付けてねって話」
気まずそうに取り繕った所で、法正に芽生えた感情は変わらない。
好奇、驚愕、不審。この三つが感情を支配し、だが恐ろしい程の早さで回転させた頭の中で、ふとある光景が思い浮かぶ。
以前、仕事の休憩に姜維と茶菓子を食べていた時。
彼女はこう言った。神坂の正体を軽い気持ちで聞くと後悔するだろうと。
知っていることを淡々と話す様な口振りの神坂。
知ってしまうと後悔するかもしれない神坂の正体。
国を事象の一つと見なし、型破りな思想に儒を敬わぬ姿勢。
「は、はは」
そして導き出されたのは、一つの仮定。
……だがまさか。そんな馬鹿な、有り得ない。
そんな馬鹿げた事があってたまるか。ある筈が無い。
到底認めれる訳がない。
「そっか、じゃあ、気に留めておこうかな」
「ん、そうして。それじゃ戻ろうか」
だが、この仮定がもし本当なら。
あの聡明さ、人を多少なりとも惹き付ける人格、加えて高順を足止め出来る武。
更に董卓軍の様な軍事力と合さり、今後この二つが成長して行くものなら。
今陣内へと戻るあの男の正体が、仮定の存在ならば。
誰も……あの男には、勝てないのではないのか。
「……そう言う事か。知って後悔するって」
ひなたさんはひなたさん。
もし神坂の正体を理解して尚も、微笑みと共にそう言っていた彼女こそ、異端にして異質ではないのか。そう考えながら法正は重い足取りで陣へと向かい、そして天を仰いで呟く。
「私は、如何すれば良い?」
空を往く雁は答える事無く。
陽の光だけが答える様にして法正を燦々と照り付けた。
後に董卓軍は兵を纏め、陣を払い天水へと帰還して行く。
来た時と軍の構成は変わらず前軍に呂旗、中軍には賈旗と董旗の牙門旗、そして後軍に臧旗。その後軍の中に居る神坂は馬に跨りながら、新たに決心をしていた。
董卓と賈駆の真名。
先刻秦川を発つ前、神坂と姜維の二人は天幕へと招かれ、姜維にはこれまでの働きと戦場での作戦立案に伴う成功。神坂には身を挺して董卓を助けた功績を軸とし、人柄としても信用できるからと董卓が賈駆に提案すると賈駆も吝かではないとし、信用の証として二人から真名を預かった。
賈駆は照れ臭そうにそっぽを向きながらも真名を教え、董卓はそれを見て穏やかに笑いながら真名を教えた。姜維はこれを恐縮しながらも自らの真名を名乗りと共に受け取り、神坂も真名は無いが相応の礼を以てこれを受け取った。
「睡蓮さん」
名を呼ばれ、反応した彼女は神坂へと向く。
「俺、頑張るから」
何を思って出された言葉なのか。一瞬キョトンとした顔で見やるが、姜維は微笑みを浮かべて「はい」と一言だけ返事を返した。
この八日後、天水領内へと帰還を果たし、天水城へ凱旋した董卓一行は城下の民から歓声と共に出迎えられ、家臣一同には礼と労いの言葉と共に出迎えられた。
ただ天水へと残された張遼、華雄の両名は執務室で精根尽き果てた状態で発見され、それを見た董卓と賈駆は苦笑いをしたという。
これで良いのかって思う時が最近ある。
取り敢えず、次回からは話も回って行きます。




