30話 最後の進撃
投稿します。
楽しく読んで頂ければ幸いです。
――――泰然自若。そんな言葉が今の自分に相応しいだろう。
己の身に何が起ころうと動じる事無く、甘んじて受け入れる事が出来ると確信していた。
椅子から立ち上がり天幕を出、門へと進むとそこに立ち並ぶ者達。
ざっと見四千は居るだろうか。黄巾を巻き、怪我の処置も適当に行った同胞達が戟や剣を構えて王双を出迎え、本人はその様子に少し驚きを見せた。
「お前達は去らないのか」
「いやぁ頭、俺達ゃ元々ならず者でさぁ。今更元の暮らしに戻っても生きる術がねぇもんで」
「応よ。俺なんざ税を収めきれずに土地放り出して堕ちた身っすよ。仕舞いにゃ邑の金品奪って女も犯しちまった。今更元の土地に戻った所で飢死しちまいますって」
「けどそんなゴロツキばかりの俺達を、快く受け入れてくれた頭に付いて行くって決めたんすから」
語りながらも笑い合い、小突き合う様を見て王双は頬が緩むのを抑えきれずにいた。
まだ、付いて来る者がこんなにも居た。
もう兵は残らないと思っていた。こんなにも甘く、情けない自分に付いて来る者など居はしないと。酷く惨めで、無残な目に遭わせてしまったろうに。
まだ、これだけの者が付いて来てくれるのか。
「俺が今から成す事、お前達は分かっているのか」
応、と声を揃えられる。
「結局最後まで俺は俺の我が儘を貫くぞ。それでも来るのか」
返って来るは、一度目と同じ返事。
「……死ぬぞ」
三度目で、皆が違う返事を返す。
上等だ、と。
「ならば地獄への伴をせい! 死して尚我等の生き様をこの地に刻め!」
大薙刀の石突を地へ降ろすと音が鳴り響き、眼前に並ぶ部下達も得物を振り上げ雄叫びを上げた。
「往くぞ! 狙うは董卓の頸只一つ、邪魔する者は悉く屠れい!」
巨馬に跨り、門を開けると自ら先陣を切って突き進み、部下も王双に付き従い出陣する。
乾坤一擲 玉砕覚悟。何が待ち受けようと構う気は無く、その先を只管に突き進んで行く。
その突き進む先にこそ敵が居る。現に微かだが、早くも大勢の居る気配を感じ取った王双には解っていた。
ただしその突き進む平地の先に待ち受けていたのは、董旗の中に混じった臧旗。
……解る。あの旗の下に彼女が居る事が。
遠目ではありながらも敵を視認した王双は目を細めて思う。
――――やはり貴女は、どう在っても某の前に立ち塞がりますか。
己が尊敬したあの大侠客は、今や役人に屈した。
あの気高い貴女は、最早死んだのか。
「宣高大頭……否。臧宣高ぉぉぉッ!」
何かを振り切るが如き。失望と慟哭が入り混じった雄叫びを上げ、泰然自若とのたまっていた自分を忘れたかの様に目に映る軍勢へ吶喊する。
相手も抜刀し、弓を番え、矛を構えている。もう少しの距離で敵も駆け出すのは判っていた。しかしその威圧感たるや。先程の戦いを思い出したのか、黄巾軍の誰かが口を開き、
「死ぬのはテメェ等だ糞野郎がぁぁァーッ!」
恐怖を振り切る様に吼えた。仲間も口々に相手を罵り、勇み、鼓舞をし。
董卓軍も駆け出し三引二引と距離を縮め、
血と剣戟と怒号の嵐が、生まれた。
「っおあああッ!」
大薙刀を振り回し面に映る兵を斬り捨て、前へ立ち塞がる物を次々に刈り取って行く。それに負けじと王双に次ぎ董卓の兵を斬り、黄巾の兵も前へと進もうとする。無論董卓の兵も簡単にやられはせず、目の前の敵を斬り付けて行く。
王双は後ろを振り返る事無く前へと進み、この軍を率いる者を探す。
そして不意に聞こえた。
「お山の大将気取りは気が済んだか」
無造作に得物を振り上げ、金属音が鳴り響くとそこには鈎鎌刀。
馬に跨り、薄緑の髪を靡かせ旗袍に似たドレスを纏った彼女が其処に居た。
「見付けたぞ」
「なんて顔をしている子全。死兵の如き顔付きだぞ」
「そうだ、俺はもう死んだも同然。今や同胞と共に散るこそ我が運命」
先刻とは様子が違う男に眉を顰め、馬上で得物を構え動きを注視する。
動きには微塵の乱れも無い。
「降れ子全。勧告する間もなく突っ込んで来たが、お前達の身の安全は私の名において保証する。これ以上の戦いは無意味だ、即刻武器を棄て投降を」
「出来ぬ。戦場で散った仲間の為にも、こんな俺に尚も付いて来る仲間の為にも。おめおめと生き永らえる気はない」
「……子全!」
「俺の名を気安く呼ぶなッ!」
激した王双の薙ぎ払いを受け流し、突きから払い、斬り上げの応酬が始まる。
しかしその応酬を傍に、戦場に響き渡る銅鑼の音。
せめぎ合う臧覇から目を逸らす事無く辺りを窺い、ぽつりと呟く。
「……新手か。それも左右から」
「ああ。おかしいと思わなかったか、私達が二千の兵という少なさで構えていた事に」
それを示すように左方から呂布を先頭にし黄巾軍へと斬り込み、右方では姜維と魏続、侯成が前に立ち斬り込んで来る。
「そうか。見当たらぬと思っていたがあ奴等、潜んでいたのか」
「これで解っただろう子全。お前の負けだ、降れ」
「ほざくな。それでもお前を斬り董卓を討てば俺達の勝ちだ」
「……ッ、いつにも増して頑固だなお前は!」
大薙刀を弾き飛ばし、距離を取って王双を窺うがそれでもやはり動じた様子は無い。
側面同時の一斉攻撃を仕掛けたにも関わらず、一切の乱れを見せる事も無い。流石におかしいと思い始めた臧覇だが、更に語る。
「私を斬ると言ったな子全。斬れるのか、お前に、私が」
「斬れる、のではない。斬るのだ。そして董卓の頸を取る」
「この戦場に居ない董卓様をか」
「――――…」
打ち合いから初めて、王双が視線を他を向けた。
しかしそれも直ぐ直し再び臧覇のみを視界に入れる。
「勿論私はお前を逃す気はないし、討たれるつもりも無い」
「ならばさっさとお前を斬り、後に董卓を捜して斬るまでだ」
「……大概にしろよ子全。主君を何度も斬ると言われて平静で居られるほど、私も気長ではない」
「義を棄て侠を忘れ、役人に頭を垂れた貴様の事など知った事か! 主従共々斬り捨ててくれる!」
「子全お前ぇッ!」
今度は臧覇から斬り掛かり再び斬撃の応酬が始まるが、周りは徐々に変化して行く。
黄巾の兵が見るからに討たれて逝く。
正面左右の一斉攻撃に黄巾軍は徐々に統率が乱れ始め、遂に瓦解して行く。
臧覇と王双が打ち合う傍にも黄巾の兵は討たれ、斬られ、そして地に伏す黄巾兵は息が絶える寸前に王双を見やり、力無く手を伸ばす。
――――あとァ、頼んます。
そうして果てて逝く兵士にも目をくれず、王双は目の前の女と戦い続ける。他の兵も死んでいく中、最期に王双を見て果てて行く。
王双よりも臧覇はそれに気付き、奥歯をギリギリと鳴らし目の前の男を睨む。
「お前は己の我が儘に仲間を付き合わせ、無駄死にさせ、一体何がしたい!」
「言った筈だ。董卓を斬ると」
「お前に董卓様を斬らせはせん。あたら兵を死なせるお前こそ、侠も仁も義も忘れた獣だ!」
「既に兵の皆には死する覚悟があった。そして俺も、もうただの獣で良い」
その言葉に目を見開かせ、振るう鈎鎌刀の激しさが増す。それに押されてか王双は仰け反り、距離を取ろうとするが臧覇がそれをさせない。
「お前に何があった子全! 何がお前をそこまで歪ませた!」
「何もないし、俺は歪んでもいない!」
「嘘を吐け! お前は言った筈だ、大きな切っ掛けが起こったから動いたと。その切っ掛けとは一体何だ! まさか本当に時代を憂いての事ではないだろう!」
「……ああ、その切っ掛けを強いて言うなら」
鈎鎌刀と大薙刀が重い金属音を奏でる中での問い。王双は戦いの最中にも関わらず、顔は無表情へと変化して行き、ゆっくりとその口を開く。
「母上が、官吏に打ち殺された事だろうか」
臧覇の目が見開き、動きも同時に鈍るとその隙に距離を取る。
王双の表情は変わらず無表情。
「ひと月以上前の話だ。何処かの官吏が伴を連れて村まで来、村の食糧から金を突然徴収しだしたんだ。拒み逆えば殺す、という脅しも忘れずに」
ぽつりぽつりと紡ぐ言葉は、周りの剣戟から隔離され別の空間を生み出しているのではないかと思えるほど、その声が良く聞こえる。
「俺は偶々商人の護衛で村には居なかったが後で聞いた。官吏は目を付けた母上の家に乗り込むと食糧と酒を徴収しようとしたが、酒だけは止めてくれと、母上はしがみ付いて止めた。それは五十となった母の為に買った白酒で、息子がくれた物だけは持って行かれたく無かったそうだ。……そしたら案の定、母上は棍棒の様な物で殴り殺されたらしい」
「子、全。お前は……」
「そして後で解った。その官吏は上邦から来た役人だと」
息を忘れる程王双の話に聞き入り、次第に得物を持つ力が増していく。
上邦の役人。
まさか、と思った。
先日上邦の賊兵四千という数に怖じ気づき、金品を積んだ貴人らしき者が逃げ出した。
まさか、まさか。
「俺は思慮が浅く、短絡的で真っ直ぐなだけが取り柄の男だ。……だがそんな俺でも解る事がある」
「不条理だけは、許すまじ」
解ってしまった。コイツが何故、いつも以上に頑固で真っ直ぐで、己の言葉にも耳を傾けなかったのかを。これで合点がいった。
詰まる所、復讐か。
……同情はしよう。だが、
「それでも私は、お前を止めねばならない。幾らお前が不憫で悲しい思いをしようと、董卓様は民を想う心優しき御方。そして今の私には背負うモノがあり、守るべき民がいる。譲る事は出来ない」
「結構。貴様に説いた所で何も変わらないのは解り切った事だ。だが、俺を止めるだけで全てが終わると思うな」
再び大薙刀を構え、王双は力を乗せて臧覇へと斬り掛かる。
しかし王双の言った言葉の意味を、臧覇はまだ知る由も無い。
時は少し前に戻り。
馬に跨り地を駆ける彼女は視線を彼方に見やり思想していた。
仲間だの同胞だの義だの、口実並べて馬鹿みたいに前へ進む事しか出来ない野郎に、理解に苦しむ。勝ち目のない戦いに挑む訳も、裏切りに等しい行為を赦す訳も理解できない。
だが己は金さえ貰えば命令をこなす傭兵、誰が如何に考え如何に言動を処すか等所詮瑣末でしかない。アイツは今まで雇われて来た奴らよりも一風変わった人間。ただそれだけという話。
「……あん?」
ふと、先刻別れた時に渡された金子の入った布袋を思い出し、懐から出して手に持つ事で先程から抱えていた物理的な違和感に気付いた。
袋が大きい。
明示されていた額よりも明らかに多く入っているであろう袋の紐を解き、中身を覗く。案の定貰う予定であった金子よりも多く、迷惑料込で渡したのかと思ったが袋の中にあるのは金子だけでは無かった。
「なんだこりゃ」
取り出したのは小さな竹。二寸余りしかない半身の竹を手に取って見るとそこには文字。
それを見た彼女は思わず馬を止め、暫く凝視していると徐々に口元が吊り上がった。
「――――あの野郎」
楽しそうに嗤うと斧槍をダラリと下げ、ゆるりと反転する。
向く先には来た道と少し違う方角。
持っていた半身の竹を放り投げ、彼女は馬を走らせた。
その顔に凶悪な笑みを浮かべて。
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