29話 離反策
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不肖弌式、期待を裏切らない様頑張らせて頂きます。
「うっ……返り血結構付いてて気持ち悪いなぁ」
「法正さん何だかんだ言って普通に戦ってたよね。インテリじゃないじゃん」
「あのねひなっち、そうは言っても私は元々文官寄りなの。戦えても一般兵士並だからね? それを戦場で引き摺り回すって頭おかしいでしょーよ!」
「良いじゃないですか。良い経験になったでしょう?」
「そうだね、もう戦場なんかもう出ねぇよって思える良い経験したよ畜生」
董卓軍本陣が賊を追撃し、弓による迎撃を受けるより早く引き上げ後退し陣を築いた。兵が忙しなく動き回り天幕や櫓を建設する中、陣の中を徘徊し姜維と法正の三人で歩く。各々戦場での報告をする為主立った将への召集令が掛かり、既に居ない臧覇抜きで集まる所へと向かう。
「あーあ。こんな目に遭うんだったら早い所とんずらしときゃ良かった」
「またそれですか……既に立ち去る気満々の癖に、そういうわざとらしい発言は感心しませんよ」
「え、何が?」
「呆けないで下さい。先刻の賊の尋問でああも周りに悪印象与えといて、今更白々しくするのは無しですよ」
パチクリと姜維を見るが、彼女は歩きながらも視線を合わせてくれない。何の反応もしない事に対し口をへの字にする法正を神坂は薄く笑ってしまう。
「分かっちゃった?」
「言動を仰々しくし過ぎです。傍から見れば多少私情を挟んだ尋問として、一見如何にも理に叶ってる様に見せてましたが、あからさまに私心を出し過ぎてましたね。恐らく賈駆さんも貴女の意図に気付いてますよ」
「だね、そこは反省してる。……でも私の意図に気付いたからって、あの人はもう私の事をどうする事も出来ないよ」
「でしょうね」
相槌を打つ姜維の隣で神坂も彼女の考えてる事は理解しているつもりだった。
法正が何故、先刻の様な行動を執ったのかは凡その見当は付く。
彼女はそろそろ、董卓軍から身を引こうと考えているのだ。
旅の路銀を集める為に客将として居座っていたが、時期的にそれも終わりとなる。
しかし董卓軍の軍師、賈駆はそれを許そうとしない。
法正の能力は贔屓目無しで見ても一級品。例え普段の素行や言動が多少鼻につこうと、今の文官不足に悩む董卓軍にとっては喉から手が出るほどに欲しい人材。故に賈駆は客将と居座る法正を手元に置く為手を尽くし、様々な手段を用いて仕官を仄めかしたが、法正は依然として首を縦には振らない。最終的に賈駆は法正を戦場にまで連れ、間接的にこう示唆していた。
配下とならぬなら、いっそこの戦場で散らすと。
とは言えこれは法正の極端な受け取り方だが、法正も執拗に迫る賈駆に嫌気が差したのか今回の行動に出た。
「ああやって周りに悪印象与えておけば、賈駆さんが手元に置こうとしても仕官すれば軍内部に不和を生じさせる因子として、周りに反対されるだろうし」
「そうなると賈駆さんもおいそれと貴女を仕官させることも出来ませんしね。でも、それでしたら賈駆さんへの告げ口……もとい、諫言をしても構わないのでは?」
「そんな事して、もし今後賈駆さんと戦う事になった時に目の敵にされると困るじゃん」
「いや知りませんよ! ……この戦いから天水に帰った後出て行くんですか?」
「予定だけど概ねそんな所。折角、色々興味出て来たけど最悪本当に出奔するしかないね。友達待たせてる益州にさっさと行きたい気持ちもあるし」
「へーそっか。……益州行ったら大変だろうけど、頑張ってね」
「おお? 何々、ひなっち益州の今後とか分かったりするの? 怖いなーひなっちは占い予知術の心得でもあんの?」
「ほらほら董卓さん達が見えたよ」
法正の茶化しを軽く受け流すと董卓を始めとした面々が見え、喋るのを止める。法正は唇を尖らせて不満を示すが二人は華麗にスル―した。
三人を確認した賈駆は皆が集まったのを確認し軽く頷く。
「揃ったわね。早速だけど今回の戦い、目測だけど敵を一万余は削ったはず。それを踏まえて作戦を立案するわ」
「それでも敵の残りは私達より多いか。……面倒だな」
「これでも削れた方よ。それより薺、アンタ程の奴が掛かりっ切りになる相手が居たみたいだけど、ソイツ何者なの」
問われると臧覇は視線を地へ逸らすが、それも一瞬。特に表情を変える事も無く答える。
「私が侠客気取りをしていた頃に居た部下だ。王双、字は子全という」
「強いのね?」
「そうだな、奴は私と渡り合えるだけの武もあるし中々勘も働く男だ。敵に回ると面倒な奴に変わりない」
「……アンタの様子だと昔の誼で降らせる事は無理そうね」
「ああ、アイツは昔から自分が正しいと思った事は絶対に貫き通す奴だ。それに変な所で仲間意識も強いし、ここまでやられて従う事はない」
「そう。……あと一番気になるのは、恋」
賈駆に呼ばれ、俯き気味の状態から僅かに反応を示した。
「ねねから聞いたけど例の奴と打ち合って足止めされたみたいね。そんなに強かったの?」
「違う、そこまで強くなかった」
「何合も打ち合ったのに強くない、ですか?」
董卓に問われコクリと頷き、そしてポツリと一言。
「でも厄介」
「厄介?」
「何考えてるか分からなかった。……とても言いにくいけど、厄介な奴」
「名とか、名乗ってませんでした?」
今度はその問いを首を横に振り否定を表す。
「しかしあの者、恋殿を煩わせる奴には違いないですが、ねねの見る限りやはり兵を率いている感じには見えなかったのです。大方一時的に雇われた者かと」
「そこは捕らえた奴の情報通り、か」
それを確認すると賈駆は一息吐き、前髪を指で弄ると意を決した表情を見せる。
姜維の方を向いて。
「姜維、貴女ならこれからどうすべきと考える?」
「直ぐにでも動くべきです」
その突然の問いに間髪入れずに答えた。その様子に董卓は軽く頷き、続いてその意図を聞く。
「敵は大敗と言っても良い形で敗走し、先刻の戦いで生き残った者も再び進んで戦おうとは思いません。何より倍の兵で出陣した兵がああも惨めに帰ったのを見、更に陣には怪我人が溢れかえって士気は著しく低いでしょう。叩くなら今です」
「姜維の言う通りなのです。この際意気消沈する賊を一気に排すべきです」
「でも敵にはまだ兵を纏める者が顕在なのよ。戦況は有利だけど敵はまだこっちより上だし、ただ突っ込むだけじゃ兵を悪戯に失うだけよ」
「恋殿が居ればあんな賊恐るるに足らないのです!」
「だからそれじゃ駄目だって言ってんでしょうが!」
陳宮と賈駆がいがみ合い董卓がそれを必死に止めようとする図が完成し、周りはやれやれと溜め息を吐いた。ただ法正と姜維だけは顔合わせ困惑気味に苦笑いしていたが、それも咳払いで持ち直し、場を仕切り直す。
「では皆さんこういうのはどうでしょう」
己の得物を器用に持ち直し、両手を合わせ彼女は言う。
「ここは少し、揺さぶりを掛けてみるのは」
宥める様に微笑みを浮かべて。
「死傷者は一万余、内怪我人は三千近くと来たか」
目の前の現実から目を逸らす様に右手で顔を覆い、感情を押し殺した声で喋るは王双。
眼前で己の傷に呻き声を上げ苦しむ者、それを見て不安そうに顔を俯かせる者から様々居る中、斧槍を肩に担いだ女性が王双の傍へと歩む。
「殺られも殺られたりだねぇ。ま、皆殺しにされなかっただけでも善しとしようか」
「寝惚けるな。俺の甘さが招いた結果に何故善しと出来る」
そこでふと隣の女へ目を向けると腕に布を巻いたのが目に映る。それに気付いた彼女は隠す事も無く口元を吊り上げニヤリと笑う。
「大した奴だよアイツ、このアタイが防戦一方だ。己より強い奴なんざごまんと居るのは分かってたが、ああまで強い奴と死合うと最早畏怖の念すら覚えるよ」
よく見ると身体中は微かな切り傷が刻まれており、刹那の戦いが行われていたのは容易に想像出来た。あの鬼神の様な女を止める指示を出したのは己だが、今更になって済まなく思う。しかし、当の本人は気にも留めないで居るが。
「アンタの方は何だ、顔見知りに永遠の別れの挨拶でもして来たか」
「かつての俺の侠客大頭だ。二三言葉を交わし討ち取る事は叶わなかった。……あの方に勝てた事など記憶にも無い」
「そうかい。……んでどうすんだ、こんだけ士気低いと戦にならねんじゃね?」
「それでも数ではまだこちらが上だ。戦い方を変えれば幾らでもやり様が有る。それにこのままおめおめと退けば死んだ同胞達に顔向け出来ん」
「死んだ奴を何時まで引き摺ってんだアンタ。女々し過ぎて反吐が出そうだ」
「……貴様」
「怒ったか? けど大事を為さんとする奴が兵の死に一々引き摺ってんだ。アタイが部下ならアンタを引っ叩く所だ」
仲間でも無い傭兵に当然の事を言われ、言葉に詰まり苦い顔をすると共に視線を逸らした。上に立つ者が兵の死に気を留めるなど二流以下、将ですらない。それは理解している。理解をしている、のだが。
「……やり切れん。俺は人の上に立つ資格が無いかもしれんな」
つい、呟いてしまう。
「甘いんだよアンタは。取り敢えず、勢いで決起した女々しい偽善者野郎に再度聞くけど、まだ戦うか?」
「……当然だ。同胞の死が怖くて退いたとあっては畜生以下に成り下がる」
その答えを聞き女は鼻で笑った。ここで退く等と口に出せばその場で殺し、邪魔する奴も屠り陣から抜け出そうと思っていた所だ。
「では先ず、今後の董卓軍の動きを探る為に――――」
「かっ頭! 大変です!」
「……どうした」
出鼻を挫かれ溜め息を吐く王双の前に、仲間の一人が走って来た。慌てた様子で駆け込んだのを見て傍らに居た女性が男を軽く睨み、怯んだのを見ると更に溜め息を吐きそうになった。
「おい一々脅してやるな。……何が起こった」
「へっ、へぇ。あの、奇襲に行った仲間が今戻って来た、んですが……」
「なんだ、生きてたのかアイツ等」
「喜ばしいではないか。しかし何故、そうも慌てる」
「それが、あの」
視線を彷徨わせ口籠る男を怪訝に思うとふと、陣の入口からざわめきが聞こえる。そこへ向かうと仲間が帰って来た所に皆が集まり何かを相談し合う様な雰囲気がそこに蔓延していた。一人が王双に気付くと次々に話し合うのを止め、帰って来た仲間への道が開く。
「戻ったか。済まぬ、皆帰って来ぬから死んだものと思っていた」
「いえそんな。俺達が勝手に動いちまった事で頭に迷惑掛けちまい、申し訳ありやせん」
「もう気にするな。よく生きてくれた、まだ董卓軍との戦いが残っている。共に戦おうぞ」
「あの、頭、その事なんですが……」
共に帰って来た仲間達と顔を合わせ、言い辛そうな顔をする男を不審に思うがその前にある一点に目が行く。
首に掛けられた木の板。
何かの文字が書かれており、帰って来た仲間の一部に持たされている木の板が目に付いた。
「俺達ゃ董卓軍に捕まっちまって、捕虜にされてたんですが……その、仲間に降伏させるよう説得すれば身の安全を保証するって言われまして、これを」
おずおずと語る男の首に掛けられた板を乱暴に掴み、書かれている文字を読む。
そこには自分達に対する降伏勧告そのものが刻まれ、読んだ王双は目を見開きそれを己れで確かめる様に読み上げる。
――――黄巾の兵よ。先の戦で解るだろうが最早お前達に勝ち目はない。このまま屠殺するのはいと容易いが、我等へと立ち向かった勇敢なる貴君らに免じ今一度の機会を与える。もしこのまま武器を棄て元の民へと戻るのならば一切の罪には問わぬ。なれど一時の間に去らず敵として再び相見える時あらば、その身を無残な骸へと変えてくれよう。
ここにいる何人かは既に読んだかもしれない。だから内緒話をしていたのか。
「……ッ」
手に持つ板が音を立てて割れ破片が飛び、首に抱える男はその様子に怯える。周りの者は目に見えて動揺し互いに顔を見合わせていた。
そこで斧槍を抱えた女が顔を出し首に掛けられた板を見るなり、
「王双、こいつら敗北主義者だけど斬らないのか?」
と、あっけらかんと言い放ち肩で得物をノックさせた。同時に周りの者は視線を向けられ怯えながら数歩下がる中、王双は憮然としたまま。
「まあいいか。取り敢えずその目障りな札を掛ける首斬り落としてやるよ」
「ひ……っ」
恐怖に引き攣る声を出すよりも速く斧槍が男の喉元へ届き――――
金属音が響いた。
「止めろ」
朱が宙に舞う事は無く、男はその場にへたり込んだ。震える身体で見上げると王双の大薙刀が斧槍を遮っていた。
「この者達を斬る事、俺は許さん」
「分かってないねぇ。こいつらこのまま放っときゃお仲間全員仲良くお陀仏だぞ」
「それでもだ。誰一人斬る事は許さん」
「……本気で言ってんのか」
「冗談で見えるか」
大薙刀と斧槍、二つの得物を通して殺気がぶつかり合い周囲の者はいよいよ怯えを見せる。
長らく睨み合っていた二人だが先に降りた得物は、斧槍。
「ならもう好きにしろ。一時は面白そうだから雇われたが、アンタと居るとこっちまで身の破滅だ。ここで雇い雇われの関係はご破算といこうや」
「そうだな。これ以上貴様に俺の我が儘を付き合わせるのは心許無い。ここらで仕舞いとするか」
懐から布袋を取り出し王双に投げ付けられ、それ受け取ると金の擦れる音。それで中身は容易に想像出来た。
「……じゃあな。精々惨めで残酷な死を辿らない様にしな」
「互いにな」
そして今度こそ、彼女は背を向けて王双の前から去って行った。
その背中が徐々に小さくなっていっても王双も周りの者も、誰一人として彼女を止めはしなかった。
「……お前達はどうしたいか、自分で決めよ。強制はせん」
その場に残された王双は己を呼ぶ仲間の声に一切の反応を示す事無く、天幕の中へと入り椅子へと座り込んだ。
土埃が付いた椅子に座る彼は目を瞑り思案する。
――――道は一つ。
最初で最後、己の最大限の知恵を活かし策を弄し、格上の相手にひと泡吹かせてみせようとも。
もし、ある者が今の王双を見ればこう言うだろう。
まるで穏やかに死を受け入れた、老父の様だと。
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