28話 武の本領
また何日か空くと思った?
残念二日後だ。
土煙を巻き起こし地を往けば前方に董の旗を掲げた軍勢が見えた。兵数にして凡そ七千、対して自軍は五千の兵を陣に残し一万五千を率いての出撃。
黄巾を巻いた男達を先頭にて率いるは王双。手に持つ大薙刀を振りかざし、切っ先を董旗を掲げる軍勢へと向ける。
「見よ。我らを恐れて尻尾を巻き逃げて行く。恐れる事はない、狩りを行うが如き左右から回り込み、じわじわと削りゆるりと屠るが良い」
王双の声に呼応し男共は剣を抜き槍を振りかざし、雄叫びを上げ鶴翼陣にも似た形で拡がり董卓軍を包囲すべく迫って往く。黄巾の男達の目には敵が武器を持っているにも関わらず顔を伏せ、動かない様子を見、恐れ慄いていると思った。
しかし、突如として敵軍に鳴り響く音。
聞き間違えようも無い銅鑼の音だ。
銅鑼の音に呼応する様に、敵軍の左翼から武器を構え突出して来たのだ。
ただし突出して接敵しそうになろうと、敵は姿勢を屈め駆けている。
「……あーこりゃ駄目だ。やばいね」
王双の隣に居た傭兵、斧槍を担ぐ彼女がふと呟いた。
「なんだ、どうしたというのだ」
「正直舐めてた。このままじゃアタイ等が狩られる」
何を馬鹿な、と思った。
敵は自軍の半数にも満たない。如何に味方が多少の練度が低い兵とは言え、戦とはやはり数で勝負するもの。平地での戦いならば尚更だ。
ならば見ていろと言わんばかりに、己の得物を今正に接敵せんとする右翼の同胞へと向ける。とうとう接敵までの距離が徐々に縮まり、秒読みとなって行く。
あと三引だ。
残り二引となって距離を狭め。
残り一引となって互いの距離が零となり。
そして戦闘が始まった。
戦闘と言う名の、一方的な虐殺が。
「なっ――――」
思わず得物を落としそうになり言葉を失う。
歓喜とは違う。顔に浮かべるのは驚愕と戦慄。
血が。
仲間の首が。
同胞の身体が。
稲穂を掻き分けるが如く蹂躙され宙を舞っている。
先頭を走る赤い髪の女によって。
現実に起きている現象に理解が追い付かず、ただ自軍の右翼へと突き進む敵を見てしまう。
「紅い」
先に見えたのは旗、深く紅い色をした旗。
呂旗。
その旗は今尚、味方の悲鳴と絶叫で支配される戦場で染められたのではないかと錯覚する。
「いかん。いかん、いかん! 右翼へ進んで来る敵を何としても食い止めろ!」
ようやく我へと戻り指示を出し、手近に居た兵へ命を飛ばして対処をさせる。
それでも尚止まらない敵に焦りが生まれ、せめて自軍の左翼を動かし敵本軍を強襲せんと思い立つ。
ただし、それは董卓軍の中央にいる者、軍師賈駆によって思い通りとはいかなくなる。
「臧覇将軍に敵左翼へ出撃の銅鑼を」
合図が出され、董卓軍右翼からの出撃。
掲げるは新緑の臧旗。
鈎鎌刀を片手に先頭を駆ける臧覇に姜維、神坂、魏続、侯成、法正といった面々が付き従う。
「敵左翼を一気呵成に貫け! 後に敵の背後へ回り込み呂布軍と連携して本軍と挟撃する!」
「応ッ!」
呂布軍の猛烈な勢いに戸惑う黄巾の兵達は王双の指示を仰ぐ事叶わず、駆けて来る新手に早く迎撃せんと立ち向かう。
「邪魔だ」
しかし無造作に振り抜かれた鈎鎌刀によって幾多もの首が、血が再び宙を舞い。
「せいっ!」
「おら死ねやあッ!」
後に続く三尖槍を持つ者、罵声を掛ける男達からも容赦無くその制裁を受ける。
呂布軍と同じ速度とはいかないまでも、臧覇軍は敵左翼を削り取り徐々に黄巾軍の後ろへと回り込もうとする。その頃には一万五千居た兵は見るからに数は減り、今では全てが屍に変わるのではないかと思いさえする。
一方的な戦で始まると思っていた王双は目の前の現実に歯をギリギリと鳴らし、隣にいる傭兵へ顔を向ける事無く指示を出す。
「俺は左翼に突き進む敵を止めに行く。貴様は未だ猛然と右翼へ突き進むあの者を止めろ」
「おいおい、勝負はもう目に見えてんだろ。 さっさと退却の合図出せよ」
「そうはいかん。確かにこの戦い、旗色悪く既に負けが決まっていようが、今の俺にはやる事が出来た」
手に持つ大薙刀を振り下ろし、左翼に突き進んで来る敵に目をやる。
先頭を走る鈎鎌刀を振るう女に。
「挨拶をしに行かねばならん。それが済めば即刻退却の合図を出す。殿は俺と、貴様だ。将をそのまま引き止めろ」
言うや否や。単身馬を駆けて臧の旗下へと突き走っていった。
残された周りの兵は如何すれば良いのか解らず右往左往するが、反面残された女は呆れた様に天を見上げ斧槍を両肩に乗せる。
「ったく、アタイにあんな化け物ぶつけるなんて神経まともかよアイツ。おいあんた等、この戦いはもう負け決定だ。王双の奴が退却の合図出すまでどうするべきか、せめてテメェで考えな」
そう適当な言葉を投げ掛け、自らは右翼を破った呂の旗下へと向かう。
化け物とは言ったが、顔には笑みが溢れ出る。
純粋な楽しみが生まれて来たのだ。
「ゾクゾクするねぇ。相当な敵だが、油断してっと喉笛噛み千切んぜ」
手綱を握り締め、彼女は馬を巧みに操り目的へと接近して行く。
「死ね」
方天画戟を振り、また目の前の敵をまとめて切り捨てる。後ろに追従する部下達も敵を斬りながらも遅れる事無く付いて来る。
「恋殿! このまま背後に回り込み詠の合図と共に挟撃しますぞ!」
「……ん」
先頭を駆ける呂布の少し後ろを小さい体躯で馬を操り、必死に追う陳宮は味方の間を縫って敬愛する将へと接近し、遂には追い付き肩で息をしながらも呂布の傍へ身を置く。
「ご覧下され! 敵は恋殿の武に恐れ慄き、最早戦意はナリを潜めておりますぞ!」
自慢気に語る己の軍師を余所に、呂布は眉を潜めて周りに視線を這わせる。陳宮はその様子に首を傾げ呂布を見詰めるが本人は目を合わせない。
「恋殿、如何しました?」
「……嫌な感じがする」
顔を顰める呂布に陳宮は一瞬何の事か分からず再度首を傾げそうになるが、そのほんの僅かな瞬間。
軽く瞑られていた呂布の目が完全に開かれ、目にも止まらぬ速さで右側面へ戟を振るった。
重い金属音。
それが二つ、三つと響き、それから完全に右側に身体を向けた。
女が居た。
斧槍を肩でノックするようにこちらを窺う女が。
「やっぱ駄目か。一筋縄じゃいかないわ」
「誰」
「ソレ聞く必要あんの? 無ぇだろ」
言葉と共に斬り掛かり突きと斬り払いの応酬が始まった。部下達が思わず馬を止め呂布と突如現れた女が十合余り打ち合い、互いの武器でせめぎ合う中陳宮が声を上げるが呂布はそれに応えない。
「……厄介」
「こっちの台詞だバケモン。何食ったらンな膂力持てんだ」
「音々危ない、行って」
「し、しかし恋殿!」
「こいつ厄介。恋だけ、通して貰えない」
振り返る事無く語る彼女に、陳宮は一瞬泣きそうになるが口を固く結ぶと素早く周りへと指示を飛ばす。
「成廉、魏越! これより恋殿の代わりとなって敵を掠めつつ食い破り、このまま背後へと回り込むのです!」
応と後ろに居た部下は返事をし、陳宮と共に止めた馬を再び駆け出し黄巾の軍を突破して行く。
「いーいお付きが居んじゃん。今の内に追って殺っとくか」
「させない」
眼付きが細まりせめぎ合っていた得物を弾き飛ばす。目の前の女は少し態勢を崩すが隙を作るとまではいかない。
「お前厄介。でも、殺す」
「やってみなよバケモン。冥府でアンタの吠え面見れないのが残念だ」
再び重い金属音が連続して響き、その応酬を止める術は今此処に存在しない。
「どうしたどうした! 獲物である兎が自ら来てやったぞ、もっと勇み喜び迎い入れろ!」
鈎鎌刀を振り回し近付く敵を屠り、更に奥へと進む。返り血を浴び血化粧を彷彿とさせる臧覇に黄巾の兵は慄き、及び腰となって遠巻きに槍を構えるしかなかった。
「薺さん! このまま一気に行きましょう!」
「ああ、分かってい――――…いや。私は行けそうにないな」
「え?」
その言葉に姜維と神坂は臧覇を向くが、彼女はある一点を見詰めている。
黄巾の兵達の背後から縫ってゆるりと現われたソレを。
九尺はあろうその体躯に、それに見合うだけの巨馬。大薙刀を手に持ち及び腰となっている兵の中から堂々と現われたのだ。
そして馬上にて武器を手に持ったまま両手を組み、臧覇に向かって頭を下げた。
「お久しゅう御座いますな。宣高大頭」
「よもやお前が率いていたとはな。子全」
目を細めて見つめる彼女と礼をする大男を神坂は見比べ、知り合いだった事に少し驚いた。
「奴は何者ですか」
「昔、侠客気取りをしていた私の部下だった男さ。……名は王双」
姜維の問いに答えて出たその名を聞いて、神坂は今度こそ驚いた。
王双。名こそうろ覚えであったが、彼の者は武芸に於いて軽視出来る存在では無く、不意打ち無くば討ち取れぬ将であったと記憶していた。
使う得物は大薙刀に、流星鎚。
「後ろに居るのは魏続に侯成か。他にも懐かしい者も見えるな……宋憲が居ぬが、奴は死んだか?」
「兄、貴。何で」
「何故、お前が黄巾の連中を率いている子全」
「某、漢王朝の政に喘ぎ苦しむ民を見捨てる事が出来ず、義憤に駆られ再び侠に生きる者として立ち上がった次第で御座います。しかし貴女が居る軍ならば、この強さにも合点がいきます」
「義憤、侠だと」
「宣高大頭こそ何故漢に寄り添うのですか。以前の貴女なら間違いなく、某に賛同し黄巾を掲げ共に立ち上がって頂けた筈」
「……子全。お前は本気で言っているのか」
「然り」
それだけ話すと深く息を吸い、自らを落ち着かせるように息を吐いた。そして目を瞑り手に持つ得物を右方へと向け、姜維と神坂に指示を飛ばす。
「睡蓮君、日向君、このまま軍を率いて往き敵の背後へと回り込め。魏続、侯成。お前達は二人を援護して道を切り開け。法正君は戦場を広く見、必要あらば指示を出せ」
「あ、姐さん!」
「二度は言わん。往け」
「……ッ、へいっ!」
侯成と魏続は前に居る若い二人の背中を叩くと前へと駆け、姜維と神坂は臧覇を数度振り向き、振り切るようにして法正と共に先に駆けた二人を追った。
「黄巾の同胞等よ! 董卓軍は今や破竹の勢い、最早止める術なし! 迅く陣へと退却し敵を振り切れい!」
王双の声に近くの兵達は急いで周りの兵へ退却の旨を叫び、戦いを止め逃げる事に全力を尽くし始めた。
「逃げるのか」
「某は逃げ申さぬ。そろそろ董卓軍本陣が動き出す前に、同胞を一人でも多く逃がすのです」
「不器用な癖して勘が良い。変わらないな、お前は」
「不器用な某には物事を広く見る事が出来ませぬ。だから、大きな切っ掛けが起こった故動いたのです」
「それは、今の私達と時代を掛けているのか」
「某思慮浅く、学も無い故物事の本質を深く見極める事は出来ませなんだ。故、己が正しいと思った事には行動するしかないのです」
「子全、お前は……」
言って、口を噤んだ。
この男は不器用で確かに思慮が浅く直ぐに行動を起こす。だが愚直なほどに真っ直ぐで、目的を果たすまで止まらないのも知っている。
だから、これ以上は。
「敵として出会った今、これ以上の語らいは不要か。語るのならば」
「己の力で」
「押し通すは己が信念」
「例え倒れ果てようとも最期の最期まで」
「突き通せ」
声が重なり気合を込めて互いにぶつかり合う。互いに貫き通すモノがある以上言葉で解決などしない。
だから、武で語る。
想いは力。信念は魂魄に。
かつての同胞は戦場の中で全力でぶつかり合った。
それから間もなくして、董卓軍本陣が退却する黄巾の軍勢に追撃を仕掛け、敵陣に逃げ込むギリギリの所まで追い討ちを掛け後に軍を後退させて陣を築いた。
そして両軍の右翼と左翼にて行われた一騎打ちにも似た戦いは、決着はつかなかった。
感動ご意見、その他諸々お待ちしております。




